あと何回、夏はやってくるのだろう?(「おかえりなさい」というCМが流れるのは田舎だけ)

『夏休み、おばあちゃんの家に遊びに行きました……』


今、そんな作文を書く都会の小学生はどれくらいいるのだろう?

東京(都会)に住んでいないと、なかなか、そういうシチュエーションにはならないだろう。

ここは田舎だから、むしろ、都会の息子(娘)夫婦と、その子供を迎え入れる側だろうな……。

毎年、お盆と正月の時期になると、『おかえりなさい、故郷へ……』という内容のCМが流れる。

まぁ、田舎ならではの光景だ。

いろんな地方を知っているけど、どこでも流れている気がする。

私は都会で生まれ育って、田舎に逃げてきた逃亡者なので、そのどちらにも属さない人間ということになる。


小学生のときは都会で一人だったし、今は田舎で一人だね。

だから、人間関係の伴う思い出は一つも無い。

これが全く無い人って、世の中にはほとんどいない気がする。

純粋に100%、季節の色だけが思い出である。


この時期は、築30年~50年以上の古い家の前で、小学生の姿をよく見かける。

帰省しているのがすぐにわかる。

ここで都会の小学生を見かけたとき、私もそんな小学生時代を過ごしてみたかった……と、つい、思えてしまう。

ここは山と田畑しかない場所なので、そういう家の庭先からは、時々、高校野球の中継音が聞こえてくる。

何を言っているかまでは聞こえない。

アナウンサーの口調の変化で、点が入ったのか?誰かがエラーをしたのか?などが、何となく状況がわかる程度……。

一日中、ハッキリと聞こえているのは蝉の声だけだ。


なんで、こんな所で暮らしているんだろうって、たまに思うことがある。

天涯孤独になれば、みんな東京を目指すことは人生経験上知っている。

理由は、命を懸けて、人と繋がろうとするからね。

そのためには、たくさんの人がいないと無理なんだ。

それは現実もネット上も同じかな?

ただ家族主義国家日本で、家族観の崩壊した天涯孤独になってしまうと、最初から最後まで何をやっても無駄だね。

歳を重ねてしまえば、そうでなくとも誰とも繋がれなくなるので、もう、どこで暮らしても変わらない。

私は、出会えないとわかった時点で、疲れ果ててしまった。

もともと日本人は自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族だけど……。

私にとっては、最初から、都会だろうが田舎だろうが関係なかったね。


それにしても暑い……。

灼熱という言葉を使っても、あまり違和感がない。

それほどまでに暑いね、今年の夏は……。

人生最後の夏は、人生最後の恋のように、突然やってくる。

あれが人生最後の恋だとわかるのは、恋愛ができない年齢になったあと……、あれが人生最後の夏だとわかるのは、死ぬ間際……。

そういう場面に立たされて、初めてそれがわかる。

「あれが人生最後の恋だったんだ……」「あれが人生最後の夏だったんだ……」とね。


この世に会話の相手とメールの相手が一人もいない私には、人間関係に基づく夏の思い出が無い。

まぁ、ツラくて苦しい思い出なら、いくらでもあるけど……。

純度100%の季節の色が、私の夏の思い出である。

こんな田舎に住んで「おかえりなさい」というCМが流れると、私はツラい。

教科書通りの人生しか、社会は受け入れてくれないと思えるから……。

人間関係にも同じことが言える。

唯一、受け入れられていると思えるのは、季節の色だけである。


夏は、なぜか特別に感じるね。

よくわからないけど……。


私の夏は、あと何回やってくるのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る