ベースジャンプの失敗と何が違うのか
ベースジャンプの失敗映像を見た。
まさに、人が死ぬ瞬間だ。
この人は死ぬつもりで飛んでいないのに死んでしまった。
私も、これほど高くはないけど、それなりの高さから落ちた経験がある。
でも、生きている。
この人は即死だったのか、それとも、私と同じようにしばらく意識があったのか……。
次の瞬間に『死』を予定していないところが、『自死』と『事故』との呼称を分けるのだろう。
ベースジャンプは、パラシュートが開かなければ、飛び降り自殺と一緒だ。
何回もやっていれば、そのうち失敗するよね?
なぜ、生きていたい人が、こんな競技をするのか……、私にはわからない。
私は、家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えた。
もし、こんな人生じゃなかったら、こういう競技に夢中になったのだろうか……。
幸せとリスクは紙一重という価値観が出来上がっている人って、こういうことをしても何とも思わないのだろう。
私の人生は、そういう土台に乗ることすらできない傍観者という立場でしかなかったから、できないな……。
それは勇気ではなく、人生観の違いだ。
自分の人生を肯定するために他の人生を否定して予防線を張っているわけでもない。
私の価値観は、私という人間に生まれなければわからない。
『自分の乗った飛行機は墜落しない』
『自分は殺人事件の被害者にならない』
こういう絶対的な観念を持っている奴って、人生に敗れて疲れ果てた経験が無いのだろう。
ベースジャンプやスカイダイビングを楽しんでいる奴も、私から見たら、そういう部類に入るなぁ。
羨ましいよ。
同時に、私には眩しいね。
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