時間という名の湖を一隻のボートが進む

時間という名の湖を一隻のボートが進む。

湖には霧が立ち込めていて、遠くまで見通すことができない。

ボートにエンジンは付いておらず、木造の船体と、木で作られたオールしかない。

とても静かだ。

そう言えば……。

最後に音を聞いたのは、いつだったか……。


人生は誰だって先細りしていく。

どんな巨木でも、枝の先は細い。

周りにいた人間たちは、歳を重ねるごとにいなくなっていった。

死別だけではない。

どいつもこいつも、最後は疎遠になって消えていく。

一般的に、この歳になれば人間関係は……、減ることはあっても増えることはない。

私の場合、最初から最後まで誰もいなかった。


音がしない湖を一隻のボートが進んでいく。

オールで水を漕ぐ音以外、何も聞こえない。

人間も動物も、ここにはいないのだろう。

ここでは、過去の出来事を、まるで走馬灯のように水面に映し出すことができる。

1人、また1人と、私と接した人間の姿が映し出される。

あのとき若かった君は、今、どこで、何をしているのか……、どんな人生を送っているのか……。

いろいろ考える。

同じ1回きりの人生……、いろいろ考える。

1つだけ、ハッキリと言えることは、負けるべくして負けた私の姿など、そいつらの記憶にはどこにも残っていないということだ。


この世に誰もいなかった。

会話の相手もメールの相手もね。

私生活の人間関係なんか、数週間がやっと……。

それ以上続いた奴なんて1人もいない。

この年齢までいない。

ここ数十年、職場の人間とは勤務時間外に会ったことは1度もない。

職場内でも業務以外の会話なんて存在しない。

彼らにしてみれば私の存在なんて、たまたま歩いていたら視界に入るだけの電信柱の1本と同じだ。

いちいち覚えていないし、いちいち記憶にも残らない。

私が職場を離れたら、もう死ぬまで思い出されることはない。


私だけが乗ったボートは、ただ惰性で進んでいく。

霧は濃くなってきている。

目の前の水面以外、何も見えなくなった。

まぁ、死の直前なんて、誰もがこんな感じなんだろうけど……。

ずっと谷底ではなくて……、山あり谷ありの人生が良かったな……。

生涯、誰とも出会えない人生には、どんな意味があったのか……。

生涯、誰とも繋がれない人生には、どんな意味があったのか……。

懐かしい映像を見せられたところで、何も響かない。

虚しいだけだ。

幸せなんて、どこにもなかった。

無念すぎるほどの無念をかかえて、私は終わる。

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