おくやみ情報(田舎の身分制度と対人距離)

田舎では人が死ぬと、その情報を公表する。

『おくやみ情報』と言う。

これは都市部に住んでいる人間には、ほとんど関係のない言葉だ。

聞いたこともない……、そんな人もいるだろう。


連日、地元の新聞社やケーブルテレビで、誰が何歳で亡くなって、葬儀場はどこか、誰が喪主か、1人の死に対して事細かく情報が公開されている。

私は、都市と田舎、両方で暮らしたことがあるけど……、まぁ、いろいろと驚かされる。


以前、小売業で責任者をしていたとき、休憩時間に、よく社員やパートの世間話を耳にしていた。

その内容が、ほぼ毎日のように、どこどこの誰々が死んだ……、どこどこの誰々が死んだ……、どこどこの誰々が死んだ……である。

私は、パートに聞いたことがある。

「なんで、ここに住んでいる人って、そんなにおくやみ情報に詳しいの?」と。

明確な回答は得られなかった。

この地域の人たちは、それが全国共通だと思っているからね。

田舎特有の……、とか、県民特有の……、という認識はない。


私の経験からすると、田舎の人間は冷たい。

一般的には温かいとされているが、とんでもない。

これは私の人生経験に基づく独断と偏見だが、田舎に身分制度があるとするならば……。


同じ県の同じ市町村で生まれ育った人>同じ県の違う市町村で生まれ育った人>外国人>県外から来た日本人


そういう順番になる。

あまりの差別意識に、当初は私も、無理にこいつらと仲良くなろうとはしなかった……。

家族観に満ち溢れた邑の文化なんて、私とは真逆の価値観だからね。

とても受け入れられない。

ここに住んでいる奴のほとんどが、おくやみ情報の内容を頭に入れて、日々の生活をしているように思えた。

なぜか、それくらい他人の死に詳しい。


まぁ、私に言わせれば、こいつら、生きている人間にはこれっぽっちも興味が無いくせに、なんで死んだ途端にアホみたいに興味を持つのか?となる。

不思議でたまらない。

同郷の人間同士は、私の知らないところで、それくらい密な関係だということでいいのだろうか……。

実際、そんな風には見えないけど……。

人と繋がりたい人は、東京や大都市に行きたがるけど、私はそれをも超えてしまったので、田舎にいる。

今まで「なんでこんな所にいるの?」と、何百何千回、言われている。

それを説明するには、私の壊れた人生を一から百まで説明しないといけないので、結局、何も答えられない。

話したところで理解できる人はいない。

私の感覚では、田舎の人は、家族と学友以外の日本人には全く興味が無い。

まさに『ザ・日本人』しかいない……。

だから、何をやっても人と繋がれずに人生を終えた私には、(田舎独特の)無視・無関心の世界観は生きやすい。

私がここにいる理由は、おそらくそんなところだろう。

それが死んだ途端に、急に、そんなアクションを起こされたら、今までの価値観がひっくり返ってしまうではないか……。

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