望郷の念にかられない(そもそも故郷という概念が存在しない)

『望郷の念にかられる』とは、どういう意味だ?

私にはわからない。

なぜなら、私には望郷の念が無いから……。


そもそも望郷の念自体、どこから生まれてくるのだろうか……。

一般的には、幼い頃の幸せな記憶、すでに他界した家族の姿と、その家族に愛されていた時間……、幼稚園や小学校で友達と過ごした時間……、そのときの街並み、雑踏、森の息吹、川のせせらぎ、笑い声……、それが1つのパッケージとして、記憶に残り、あるタイミングで、ふと、昔を懐かしむときに、望郷の念という形で現れるのではないだろうか……。


私は故郷の記憶はあるが、望郷の念は無い。

なぜなら、いじめ・虐待・育児放棄からの家族崩壊しか記憶に残っていない。

そのときの街並み、雑踏、森の息吹、川のせせらぎ、笑い声……は、その苦しみとリンクされているため、逆に想像するだけで苦しくなってしまう。

正直、苦しいという言葉では言い表せないほどの、まるで、地球を覆う大気のように、自分の力では消し去ることのできない世界に囚われていた気がする。


現に、10代後半から今に至るまで、たったの1度も、あそこには戻ったことはない。

もう、死ぬまで戻ることはないだろう。

同じ県の少し離れた場所には、何度か行ったことがあるけど……、それでも、かなり苦しかった。


故郷という概念が無いと、この地域密着型の家族主義国家日本では、現実の世界のみならず、心まで孤立する。

住めば都という言葉があるように、慣れてしまえば、どこであっても当たり前のように暮らせるようになる……、たとえ、それが刑務所の中でも、当たり前になる。

ただ、生まれ故郷は誰だって1か所しかない。


天涯孤独の私は、どこで暮らしていても居場所を感じない。

おまけに、家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えてしまったので、生涯、居場所を感じることができなかった。

常に、疎外感の中で、自殺願望と殺人願望にさらされている。

望郷の念が無いという現実は、神様に「生きるのをやめなさい」と言われているかのように感じる。

私と同じ時代に生まれ、同じ条件で生き、同じ人生を送ればわかると思う。

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