「あれが人生最後の恋だったんだ」と過去図を振り返るとき
小学生のとき、いつか初恋というものが、自分にもやってくるだろうと、漠然とした未来図があった。
それとは逆に、一定の年齢を過ぎたり、疲れ果てて精神が破綻したりすると、「あれが人生で最後の恋(片想い)だったんだ」と確定した過去図を振り返るときがくる。
そういう未来図が、何もできないまま、突然、過去図に変わる……、そんな経験をする人は、いったいどのくらいいるのだろう?
人生の可能性は年齢とともに無くなっていく。
恋なんて、特にそうだ。
私は、30年以上の時間を使って、命を懸けて出会いを探した。
残念ながら、誰一人と、出会うことはできなかった。
2000人近くとやりとりして、会ったの40人くらい……、3時間以上一緒に居られた人は1人もいなかった。
送ってきた人生が違いすぎて、あっという間に喧嘩になってしまう。
私は家族観が無いので、家族がいる人、または、円満に死別した人は、両方とも無理なので、この家族主義国家日本では見つからない。
私の人生経験では、出会える可能性は、男性は20代まで、女性は50代までだ。
これに異を唱える奴は、きっと、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきたクソガキとクソ女なのだろう。
当たり前のように家族がいて、当たり前のように住む家(実家)があって、当たり前のように友人がいて、当たり前のように恋愛ができて、当たり前のように結婚できて、当たり前のように子供がいる、または、そのどれか一つでも叶えることができている奴なのだろう。
それは当たり前ではない!と言ったところで、そいつらにはわからないだろう。
この世に誰もいない私が、生涯、誰とも出会えないという現実に直面したとき、どれほどの無念と絶望にさらされたかなんて、誰にわかるだろう?
牢屋と路上を行ったり来たりでは収まらないレベルの破滅だった。
恋(片想い)と、恋(交際)は違う。
私だって、恋をしたことがある。
それを叶えようと必死になったこともある。
この30年間、仕事と拘禁施設以外で誰かと過ごしたり会話したりした時間の合計は、全部足しても24時間いかない。
つまり、プライベートの時間に、誰かと一緒にいた時間の合計は、わずか1日にも満たないということになる。
そのわずかな時間のことを初恋とカウントするならば初恋なのだろうけど、自分の感覚では、まだ初恋は訪れていないという感じだ。
「あれが人生で最後の恋だったんだ」と、そのときのことを過去図として振り返ったとき、まだ見ぬ初恋というものも同時に失った気持ちになった。
私はあのとき、あの人の顔写真を入れたオリジナル図書カードを制作した。
Happy Birthdayの文字を入れて、誕生日の7月31日に彼女に渡した。
喜んでくれていた様子があったので、ホッとした。
私は、精一杯の背伸びを続け、精一杯の人格を作り上げ、違う自分を演じていた。
たった1通のメールを作成するのにも、何時間もかけて、書いたり消したりを繰り返した。
そんな精神的苦痛を何度も重ね、ボロボロになるまで疲れ果てても、捨てられたくない・切られたくないの一心で食い下がった。
独身女性はクソガキしかいないので初めから無理で、その人は人妻だったんだけど、精一杯、食い下がった。
だけど、結局、消えていったね。
そのとき、図書カードは5枚単位でしか注文ができなかったので、渡さなかった残りのカードをはさみで粉々に切り刻んで捨てた。
あれから何十年が経って、恋愛ができない年齢になった。
「あれが人生最後の恋だったんだ」と振り返ったとき、私はカードの制作会社に電話をしていた。
「そのときのデータはありますか?」とね。
さすがに無かった。
「数年前にシステムを作り変えたので、そこからのデータならある」と言われた。
あの写真を使って、もう一度、同じHappy Birthdayのカードを作ろうとした。
なぜなら、あれが人生最後の恋だったから……。
そして、そのカードを肌身離さず持ち歩き、そのカードとともに残りの人生を生き、一緒に死にたいと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。