女性不信
世の中の女性を全員殺害したい。
男性不信の女が男性を対象にそう思うように、女性不信の男も同様にそう思っている。
サバイバルナイフで身体をブッ刺して、臓器を生きたまま1つ1つ抜き取って、バラバラに切断して、残忍に殺害してやりたい。
憎しみというのは、10年、20年、30年と雪崩式に積み重なると、気が付いたときには牢屋の中にいる。
私は、家族崩壊から始まった自暴自棄の過程で、女性不信に陥った。
私は、人生の全ての時間を使って、出会いを探した。
私のような天涯孤独は、好きか・嫌いかで相手を探すのではなく、生きるか・死ぬかで相手を探す。
当然、必死だし、命懸けだ。
30年以上の時間を使って、2000人近くとやりとりをして、会ったのは40人くらい……、3時間以上一緒にいられた人は1人もいなかった。
送ってきた人生が違いすぎて、一瞬で喧嘩になってしまう。
しかも、一瞬で殺してやりたいと思えてしまう。
結局、恋愛なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えた。
もちろん、デート経験やセックス経験も無い。
日本人は、自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族だ。
おまけに、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいない。
そんな『ザ、日本人』なんて、私には絶対に無理なので、見つかるわけがない。
それ以外の女は、これだけ長く生きて、今まで、たったの1人も見たことがない。
「出会えない運命と人生が死ぬほど悔しい」と、これまで何万・何十万と、つぶやいた……。
出会えない運命と人生は、私のような家族観の無い天涯孤独だと、生きる意味・気力・目的・希望を奪ってしまう。
そんな無念と絶望が、自暴自棄と無気力を生む。
私にとって、その要因である女性には憎しみだけが残った。
出会うには、家族観がないとムリ……。
私も奴らと同様に、家族観のある、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた人生でなければならなかった。
それは、この国で、出会いを命懸けでやってわかったことだ。
最低条件が「駆け落ち以外はムリ」では見つかるわけがない。
そもそも、私と同年代の女性は出会いを探さない。
理由も知っている。
子離れできない親と親離れできない子供という構図の中で、生まれたときから居心地の良い時間を過ごしているから、そもそも、生きるための相手を必要としていない。
優先順位が、子供がいる場合は子供が1位、いない場合は親が1位で、その次が祖父母、兄弟姉妹、相手はそれ以下になるから、いてもいなくても何ら支障はない。
ただで雇える家政夫・お手伝い・金づる・便利屋くらいにしか思っていない。
親や祖父母が死んだら、それなりの財産を相続できる奴が多いので、そこにいればおカネに困ることもない。
『家』と『家』との結婚、それが背景にある恋愛、を前提にしていないと出会えないというなら、家族観の無い天涯孤独の私が出会えるわけがない。
家族という言葉への拒絶反応は異常なレベルなので、もうこればかりはどうしようもない。
「そんなゴミ女しかいない」と、私が勝手に決めつける理由は、今までやりとりしてきた2000人近い女性から誹謗中傷の数々だ。
その言動の数々から、同年代の女性がどういう環境でどう育ち、何を求めているのかがわかってしまったからね。
本当に、この国の女は、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいなかった。
一から百までが、自分、自分、自分、自分……なので、相手の人生なんか、これっぽっちも興味がない。
よく言われる、外見・職種・年収は全く関係ない。
一億・十億あっても、家族観の無い私は出会えない。
出会い自体が、こういう薄っぺらい人生を送っている連中のゲームであって、私には関係なかった。
女性差別を訴える社会的な主張も、私よりも上の年代ならわかるけど、同年代以下ならあり得ない。
私の女性不信が助長されるだけ……。
今は、男性差別はあっても、女性差別なんか無い。
私は、元受刑者、元路上生活者、元精神病棟患者……と、いろんな肩書が付いているので、底辺の生活というものを身を持って知っている。
そこに女性がいなかったことも知っている(私の底辺は、十年以上前のことなので今はどうなのか知らないが……、あまり変わっていないと思う)
女性の役職や管理職が少ないのは性差別だと言っている海外の調査機関の結果を真に受けて、「差別を無くそう」と言っているゴミ連中があまりにも多すぎることに驚愕している。
そんなのは、単なる統計上の数字でしかなく、差別によって、もたらされた結果ではない。
「〇〇県に住んでいる女性の数が、同じ〇〇県に住んでいる男性の数より少ない……、これは差別だ……、だから、どこかの他の県から女性を連れてきて、同じ数にしよう」と言っているのと同じである。
今は、全てが自由意志のもとで成り立っているし、性による社会的圧力もない。
女性が会社を設立して、女性ばかりを雇ってもいいわけだし、出世する・しないは経営者が決めることだし、退社・転職も本人の自由意志なので、性差別の問題ではない。
それを理由に数を調整したら、それこそ性差別になる。
ただ、私が生まれた頃またはそれより前は、本当に、男性と女性で社会的差別は当たり前のようにあったので、私より上の年代がそれを言うのは私の年齢ならわかる。
まぁ、その分の社会的弱者イコール女性という観点から、社会保障は男性よりも女性の方が手厚くなっていた。
今もその名残があって、私が路上生活をしていたとき、女性がいなかったのは、そういう理由だと知っている。
女性差別を訴える連中は、都合の良い部分を切り取っているだけで全体を見て言っていない。
役職者・管理職の数は同じにしたがるくせに、自殺した男女の数は同じにしたがらない。
命という最も尊い事象を無視して、何を寝ぼけたことを言っているのか?という話だ。
私の人生経験では、欧米のように絶対的男女平等に近い形にしてしまうと、今の相対的男女平等の中で、過去の名残に留まっている女性たちの底が抜けて、路上に落ちてくる。
つまり、日本では、女性差別の主張をやればやるほど、困っている女性たちが追い詰められていくという矛盾が生じてくる。
私は女性不信が異常なので、いずれ、そうなればいいと思っているけどね。
私も女性に生まれていたら、100パーセント、路上生活(コンクリートの上で寝泊まり)はしていなかったという確信があるし……。
まぁ、これは……、私の人生経験でしかないから、誰にもわからないね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。