病院は死にたい人間と生きたい人間が共存する

路上で倒れて救急搬送された。

意識朦朧で、とても動ける状態ではなかったけど、病院に着いた途端に……。

「保険証は?」

「身元を証明するものは?」

「家族は?」

「支払いは?」

毎回、こんな感じなので、着いた途端に脱出を試みなければならない。

独りで生きてきた人間が、こういうことをされると、どれほど虚しいか、こいつらにはわからない。

日付をまたぐと2日分の料金が発生してしまうので、それまでに……。

そんなんだったら、倒れている段階で支払いの有無を確認しろよ。

「払えない」と返答したら、そのまま放置で構わないよ。

やっていることが矛盾しているから許せない。

暗くなると一般の面会人は入れなくなるので、それまでに脱出する。


脱出という大胆な行動でも、あまりにもフラフラでしんどいので、疚しさとか怖さとか焦りとかを感じず、堂々とできた。

一般病棟から階段を下りるとき、いろんな人たちとすれ違った。

おそらく、入院患者のお見舞いや世話にきている家族や親族の人たちだろう。

そんな連中とすれ違う度に、私の精神は揺さぶられる。

その入院患者は、きっと生きたいのだろうと……。

生きて、もう一度、この輪の中に加わりたいのだろうと……。

退院が予定されている入院患者なら、当たり前のように、その輪の中に帰っていくのだろうと……。

家族主義国家日本は、それが一単位になっているから、それが当たり前なのだと思う。

この世で独りの私は、それを雰囲気で感じ取ってしまう。

その人たちは生きたいのだろうけど、私は死にたい。

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