訃報を聞くたびに(あるコンビニオーナーの死)

訃報を聞くたびに、命の期限について考える。

私は、あとどれくらいこの世にいられるのだろうとね……。

死んだら、どんなに親しい間柄の人でも、数日または数週間引きずったら過去の人になる。

1ヵ月後には、もう、その人は歴史の一部となっていて、当たり前のように日常から消えている。


私は、家族主義国家日本で家族崩壊を食らって独りになった。

だから、他人の死とは奇妙な距離感がある。

身近な人の死は、生きていれば誰もが経験する話だが、私には、その身近な人という存在がいない。


私が若い頃、まだモデル事務所に所属していたとき、短い間に同僚4人が自殺した。

彼らは、ストイックだった。

私も、彼らと同じようにストイックに突っ込んでいたら、同じ運命をたどっていた可能性が高い。

私もかなり突っ込んだが、彼らほどではない。

顔を整形して、性格も整形した。

精神がぶっ壊れるまで、出たトコ勝負も繰り返した。

結局、挫折したけど、そのときは自殺という選択肢は無かった。

彼らの死にも引きずられなかった。


最近、仕事で、私より10歳年下のコンビニオーナーと話をする機会があって、私は週一のペースで、その人の店に行っていた。

気さくな人柄もあって、1年も経つと、それなりに身の上話もするようになった。

その人は、いつの、どの時間に行っても居るので、ずっと気になっていた。

やがて、私は、その人に自分を過去を打ち明けた。

「実は、私もコンビニ直営店で店長をしていたことがあって……」

そう言ったら、すぐに食いついてきた。

私が彼に話した内容は、当時、私は365日の360日勤務で、毎日20時間以上の勤務をしていたということと、社員は私1人で、あとは全員、私が雇ったバイトしかいなかったということ……。

この店も、おそらく、そんな感じなのではないか?と思ったので、彼に言った。

すると、「一緒ですね……」と言われた。

そのあと、私を襲った悲劇についても話をした。

一日の睡眠時間が30分……、そんな勤務体系に身体が慣れてしまい、しばらくしたら、一切、疲れを感じなくなった。

そうして、数年が経ったあるとき、私は、突然、心肺停止を食らってしまった。

いろいろな偶然が重なって、今、こうして生きているけど、そのあとすぐに退職した……、だから「健康には気を付けてくださいね」と、彼に言った。


オーナーと、直営店店長の仕事は同じだ。

ただ、独立しているオーナーは赤字にはできないという違いがある。

あるとき、店に行ったら、その人の姿が無く、レジには本部のスーパーバイザーと思われる人間が立っていた。

「オーナーさん、どうかされたんですか?」と私が聞いたら、「先日、亡くなった」と言われた。

理由は聞かなかったけど……、病気療養でも事故でも事件でもないとなると、私には心当たりがあった。

なぜなら、私が過去にそういう経験をしていたからだ。

本当にショックだった。

彼は、まだ30代……、しかも、私が倒れたときと同じ年齢だった。

正直、今も引きずっている。


老衰、自殺、病死、交通事故死、殺害……、いろんな死に様が、私の周りであった。

しかも、訃報はいつも、突然、飛び込んでくる。

生涯、この世に誰もいない私には、この他人の死という奇妙な距離感が、とてもツラい。

そんな訃報に引きずられる形で、『私は、何のためにこの世に存在したのか?』と、自分に問うてしまうが、もう意味がない。

だって、私の1回きりの人生は、終わってしまったのだから……。

『生涯、誰とも出会えない……』

それがわかった時点でね。

彼は、誰かと出会った人生だったのだろうか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る