245 沖田さんの労咳

「さぁ、お望み通り本気の稽古と行きましょうか」


 パシッ、パシッと竹刀を手に打ち鳴らしながら、絶望とほんの僅かな歓喜がどよめく方へ歩き出す背中に、土方さんが小さく声をかけた。


「総司、あんま無理すんな」

「そ、そうですよ、沖田さん……」


 稽古の形が今までと違うのには、ちゃんと理由がある。

 “脱走者を増やしたくないから”……それで通したっていいじゃないか。

 けれども沖田さんは、はぁ、と再び小さなため息をついて首だけを振り向かせた。その顔は、どこか苛立ちを滲ませ睨んでもいるようで、感情を爆発させたあの日の顔に似ていた。


「うるさいなぁ。二人とも黙って見てればいいですよ」


 そうして容赦のない体当たりな稽古が始まれば、防具をつけていない沖田さんに当たる竹刀は一つもなく、向かっていく隊士から順に転がされていった。

 各々体力の限界まで起き上がるも、やがて動かなくなり呻き声だけが残る。そんな中、一番年下の鉄之助くんだけが、悔しさを露わに何度も何度も立ち向かっていた。




 気づいた時には、圧倒的な強さを見せつける沖田さんの、稽古中には崩れたことのない綺麗な姿勢が、その肩が……時折出る咳を忌々しそうに振り払いながら少しずつ大きく上下に揺れていた。

 いつもと違う……そう思ったのは私だけではなかった。


「総司、もうその辺にしといてやれ。それ以上やったらこいつらの隊務にも支障が出る」

「ハ……ハァ……そう、ですね……。僕も少し、疲れましたし……ハァ……土方さんが、そこまで言う、なら……」


 荒い呼吸の合間にそう返し、くるりと隊士たちに背を向けた時だった。その顔からは一気に血の気が失せ、さっきまでの姿が嘘のように咳き込みだす。


「総司!」

「沖田さん!?」


 すぐに駆け寄り背中をさするも、振り払うどころか手からは竹刀を落とし、尋常じゃないほど激しい咳をそれでも堪えるかのごとく両手で口元を覆っている。

 それなのに、ぽた、ぽたと、指の隙間から真っ赤な液体がこぼれ落ちた。


「総司!? しっかりしろ!」

「土方さん! 沖田さんを部屋に――」


 騒然とする隊士たちには目もくれず、土方さんが沖田さんを抱えようとしたその時だった。

 止まない咳に強張る身体は崩れ落ち、真っ赤に染まった手からあふれる鮮血が飛び散った――




 すぐさま部屋へ運び込まれた沖田さんの身体は、酷く熱かった。

 それでも今までだったらきっと、無理をしてでもまた隠して、本気か冗談かわからない事を言いながら何でもない風に装ったかもしれない。

 けれど……あの状況ではもう誤魔化しようがなくて、あんなにもひた隠しにしてきた“沖田さんの労咳”は、瞬く間に屯所中に広まった。

 良順先生にも伝えられるとすぐに駆けつけてくれて、案の定絶対安静を言い渡された。


 それからは幸いにも症状は落ちついていき、日を追うごとに熱も下がり顔色もよくなった。

 けれども様子を見に行ってもすぐに背を向けられ、寝たふりまでされてしまう日が続いた。

 そうこうしているうちに江戸へ向けて出立する日が迫り、これ以上日程をずらすわけにもいかないから、夕暮れ時、土方さんとともに沖田さんの部屋を訪ねた。

 相変わらず感がいいのか何かを察したのか、この日はちゃんと起きていて、縁側に腰かけていた。

 ……って。


「沖田さん、冷えるんで布団に――」

「仕方ないですね~。じゃあ、春くんが運んでください~」


 そう言って振り向いた顔は、久しぶりに見る悪戯っ子みたいな顔だった。

 土方さんの呆れつつもほっとしたようなため息を背中で聞きつつ、まだ少し熱い身体を支えて敷きっぱなしの布団へ誘導する。

 胡坐をかいた沖田さんは、子供みたいに頭から掛け布団をかぶった。


「春くんも一緒に入りますか~?」

「は、入りませんっ!」

「冗談ですよ~」


 直後、顔を見合わせ吹き出した。こんなやり取りも久々で、いつもの沖田さんにほっとしたのも束の間、ケホケホと咳をした。

 落ちつくなり、さて、と仕切りなおす沖田さんが、穏やかな顔のまま土方さんに問いかける。


「江戸行きについて、です?」

「ああ。予定通り総司にも同行してもらう。駕籠を乗り継げば行けるだろう」


 これは近藤さんとも話して決めた事。江戸へ戻り、そのまましばらく療養してもらうために……。

 実は、良順先生も来月には江戸へ帰る事になったらしい。私たちもこの間知らされたばかりで驚いたけれど、引き続き江戸で良順先生に診てもらえるなら、なお安心というのも理由の一つ。


「その手にはのりませんよ」


 わざとらしいその笑みは、やっぱり意図をお見通しらしい。

 長時間駕籠に乗るなんて疲れるとか、途中で悪化したらどうするのかとか……時折出る咳を鬱陶しそうにしながらも沖田さんらしい屁理屈が矢継ぎ早に繰り出される。

 やがて根負けしたのは、大きなため息をつきながら頭の後ろをガシガシかく土方さんだった。


「ああ、くそっ。……わかってたよ。お前は絶対に行かねぇだろうってな……ったく」

「わかってるのにわざわざ言いに来るなんて、よっぽど暇なんですか」

「お前なぁ……」


 沖田さんの嫌味に土方さんが脱力するけれど、本当に行かないつもりなの……?

 “誰にも看取られず……”それが沖田さんの最期だったと思うから、きっと大勢いる屯所では亡くならない。つまり、こんな状態だけれどきっとまだ……。

 だけど確信なんてないし、何より私の目の前であんな……状況を一変させるような場面を許してしまった事が申し訳なくて、今回は私も江戸行きを取りやめたいと申し出た。土方さんも反対はしなかったし、むしろ賛成してくれた。

 そんなやり取りを見ていた沖田さんが、いつになく真剣な表情で訊いてきた。


「春くんは、そんなに僕の側にいたいんですか?」

「あ、当たり前じゃないですか!」


 またいつ無理をするかもわからないのに、こんな状態で長期間も放っておけるわけがない。

 逸らす事なく見つめ返していたら、私を捉えていた真剣な眼差しが一気にやわらぎ、なぜか吹き出された。


「まぁ、そうですよね」

「それじゃあ――」

らしいですけど、仕事はちゃんとしないとダメですよ~?」

「へ? あ、あの……」


 仕事とは、江戸へ行って新たに隊士を勧誘して来いって意味だよね?

 こんな状況とはいえその台詞、沖田さんにだけは言われたくない……。

 無意識に膨らませていたようで、両サイドから頬を挟まれた。


「ッ……」

「じゃあこれは、です。どこかの一番組組長さんは、組頭である僕に何の相談もなしに伊東さんのところへ行こうとした事、忘れたわけじゃないですよね~?」

「うぅ……」


 確かにあの時……拗ねた沖田さんを宥めるため、“願いを一つきく”という約束をした。二か月も前の事だから、てっきり忘れていると思ったのに。

 でもあれって、体調に関するお願いはきかないという約束だったはず。


「先に言っておきますが、ちゃんと仕事をして来て欲しいというお願いなので、僕の体調は関係ありませんからね?」

「うっ!?」

「ついでに言うと、これは組頭である僕から一番組副組長さんへの命令です」

「うぅー!!」

「……春くん、何だかかわいいですね」


 お、沖田さんめっ!

 うぅしか言えないのは、いまだ両サイドから頬を挟まれているせいだからねっ!

 慌てて両手をはがせば、本日何度目かもわからない土方さんのため息が聞こえた。


「琴月、諦めろ……」


 それは、沖田さんの性質をよく理解しているからこその言葉だった……。

 結局、江戸へ行くのは土方さんと井上さんと私と……江戸で多少なりとも伝手のある隊士が数名で、沖田さんは留守番となったのだった。

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