234 山崎さんと紫陽花
五月も下旬になった。
すでに梅雨に入っているらしく、土方さんの誕生日を過ぎたあたりから雨の日が多くなっている。
天気のよくない日ばかりが続くと気分も落ち込むけれど、そういうのは、いつの時代も同じらしい。
昨日から断続的に降る雨に、お昼を過ぎてもどんよりした気分で過ごしていたら、丁度一刻ほどの時間があいたという山崎さんが甘味屋へ誘ってくれた。
過保護な山崎さんのこと……気を遣わせてしまった可能性が高いけれど、ここはお言葉に甘え、支度を済ませるなりそれぞれ傘をさして屯所を出た。
甘味屋につくと、山崎さんがこの店のおすすめだという
山崎さんは近頃忙しくしているので、挨拶だけじゃなく、こうしてゆっくりと会話をすることじたいが久しぶりで、他愛もない話題でも自然と話に花が咲く。
運ばれてきた羊羹を食べながら、すっかり雨の憂鬱も忘れて話し込んでいると、時折、何か考えるような表情をしていることに気がついた。
「山崎さん? どうかしましたか?」
「あ、いえ。早く梅雨が明ければいいですね」
「毎日じめじめしてますからね……」
「でも、明けたら明けたで夏本番ですよ」
まぁ、じめじめした日が続くよりは、暑い夏の方がいい。
京の夏も暑いしエアコンなんて便利なものはないけれど、それでも、私の時代のあの暑さに比べたら随分マシだと思うから。
羊羹も最後の一口を頬張ると、山崎さんが私の顔をじーっと見ていた。
顔についているのかと口元を拭ってみるものの、その表情は変わらない。指摘できない、何か恥ずかしいことでもやらかしてしまったのかと考えを巡らせてみるけれど、これといって原因が思い浮かばない。
そうこうしているうちに、山崎さんの方から声をかけられた。
「春さん」
「は、はい。何でしょう」
どこに羊羹がついてますか? それとも頭に鳥の糞でも落ちてますか!?
心して待つも、山崎さんは出かかった言葉を飲み込むようにして再び口をつぐんだ。
「あの……山崎さん?」
「え? あっ、いえ。その……おかわりもしますか?」
「おかわり? あっ、はい。お願いします……」
確かにおかわりはしたかったけれど。何だかはぐらかされたような気がしなくもない。
それともまさか、本当にただの食いしん坊だと思われているだけなのか……。否定はできないけれど!
結局、おかわりもして充分にお腹も満たされてから、屯所へ帰ることになった。
やみそうでやまない雨のなか、来た時同様、再び傘を開いて歩き出すけれど、しばらく歩いたところで、隣を歩く山崎さんが急に立ち止まった。
「春さん。近くに紫陽花が咲いているところがあるんですが、良かったら少し寄っていきませんか?」
「もちろん、私は構いませんが……お仕事はまだ平気ですか?」
「ええ。花を見る時間くらいはあります」
「はい。じゃあ、ぜひ!」
案内されたのはそこから歩いてすぐで、たくさんの紫陽花が自生しているような場所だった。
観賞用に手入れされているわけではないけれど、青や紫、白色の大きな花は綺麗で、葉とともに雨粒に弾かれ揺れている。
「わぁ……綺麗ですね」
「春さんは、紫陽花好きですか?」
「はい! 色とりどりで綺麗ですし」
「
けれども山崎さんいわく、この時代ではほとんど人気のない花なんだとか。
誰でも簡単に育てることができるため、植木屋が手をかけて売るほどのものでもないし、何よりその色の変化が、移り気を連想させるかららしい。
その色の変化はもちろん、この時期の雨と紫陽花なんて本当にぴったりで素敵なのに……なんて思っていたら、山崎さんが微笑んだ。
「大して見向きもされない花ですが、七変化という異名を持つ紫陽花は、私も好きです」
そんな山崎さんの眩しい笑顔も華やかな紫陽花も、雨続きで落ち込んだ気分を晴れやかにしてくれる。
けれど、つられて笑みを返したつもりが、山崎さんの顔がほんの少し曇った気がした。
「山崎さん? どうかしましたか?」
首を傾げながら、ふと、さっきの甘味屋でのことを思い出した。似たような表情とやり取り……。
けれども一つ違うのは、迷いながらも今度ははぐらかす気はなさそうなことだった。
山崎さんは一度目を伏せると、真っ直ぐに私を見つめて口を開く。
「……春さん。
「谷?」
「
「あっ! そうか、バカ杉さん」
高杉晋作につけたあだ名を口にすれば、山崎さんが苦笑した。
けれど、その表情も突然飛び出したその名前も、妙に私の胸をざわつかせるから、早く落ちつかせたくてそれ以上続かない山崎さんの言葉を急かした。
「バカ杉さんがどうかしたんですか?」
「……先月、亡くなったようです」
「……え?」
「ずっと、春さんには言うべきか迷っていたんですが、すみません……」
山崎さんは申し訳なさそうに話すけれど、言葉がうまく頭の中に入ってこない。亡くなったってどういうこと。
だって……あのバカ杉さんが?
ちょっとやそっとじゃ死にそうにない、バカ杉さんが?
山崎さんの情報収集能力を疑うつもりはないけれど、やっぱり信じられないし信じたくもない。
何かの間違い、冗談であって欲しいと詰め寄るも、山崎さんは首を左右に振った。
「やはり、労咳だったようです」
「そんな……」
バカ杉さんは労咳かもしれない、と前にも山崎さんが言っていたのは覚えている。信じられなくて、信じたくなくて、ただ風邪を拗らせただけだとしたことも……。
思い出せば腹の立つことだっていっぱいあるし、全部が全部許したわけじゃない。立場上は敵同士でもあるのだから。
それでも、そんな報せを聞く日がくるなんて、思いもしなかった。
――俺が死んだら、アンタは悲しんでくれんのか?――
そんな風に言ったバカ杉さんの横顔が頭をよぎった。
長州征討が始まる前、山崎さんとバカ杉さんと、三人で海へ沈む夕日を眺めたんだっけ。次々とあの時の光景を思い出せば、勝手に言葉がこぼれた。
「バカは死んだって治らないって、教えたのに……」
「はい」
「気が向いたらいつでも来いって、その時は、盛大にもてなしてくれるって言ってたのに……」
「そうですね」
あの時交わした言葉は、こうなるとわかっていたのだろうか……。
押し寄せるやり場のない感情が、ちゃんと傘をさしているはずなのに雫となって頬を伝えば、次の瞬間、軽い衝撃とともに私の手から傘が落ちた。
気がつけば、山崎さんの片腕に閉じ込められていた。
「山崎さん……?」
「すみません……春さんが悲しむのはわかっていたんです。ただ、いずれは春さんの耳にも入ってしまうことを考えたら、私から伝えるべきだとも思ったんです」
山崎さんの胸元に押し当てられた私の耳に届くのは、山崎さんの鼓動か自身のそれかもわからないくらい、同じ感情を抱いているのだと伝わってくる。
敵同士でありながら、どこか不思議な関係だった私たちだからこそのこの感情は、もしも違う人から聞かされたなら、きっと共有することなんてなかったと思う。
だから……。
「山崎さんから聞けて、よかったです……」
本当は信じられないし、信じたくもないけれど。
山崎さんはこんな冗談を言う人じゃないし、私に話すのを悩んでいたくらいだから、きっと、事実だという確証があったうえで話しているはずで……。
ちゃんと受け止めなきゃいけないのだと思う。
ふと、傘を叩く雨音で、さっきよりも雨足が強まっていることに気がついた。
過保護な山崎さんのこと。きっと、自分よりも私の方に傘を傾けてしまうから、このまま二人で一つの傘では山崎さんが濡れてしまう。
それに、いつまでも悲しんでいたら、いつだって面白いことを求めていたバカ杉さんにも大笑いされるだろう……。
「もう大丈夫です」
精一杯の笑顔を作ってから、自分の傘を拾い上げた。
「春さん……」
「バカ杉さんのことだから、あの世でも色んな人を巻き込んでバカ騒ぎしていると思うんです」
「そうかもしれませんね」
「きっとそうです」
そうあって欲しい……と、雨に揺れる紫陽花に囲まれながら、二人でそっと願うのだった。
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