216 錦影絵とももんじ屋

 十月も半ばを過ぎたある日。

 この日の午前中は相変わらず容赦のない沖田さん指導の剣術稽古で、終えるなり片付けの代わりに伝言を頼まれ、一足先に部屋へ戻った。


 とはいえ、伝言の相手は今朝から屯所へ来ている良順先生で、内容的に土方さんの前で伝えるのは少々憚られるようなもの。

 一緒にいないことを期待しつつ部屋へ入るけれど、予想通り二人は談笑しているところで、私のことも笑顔で迎え入れてくれる。


「あの~……沖田さんからの伝言で……その、お腹が空いた、と――」

「はぁ!? あの野郎、調子に乗りやがって!」


 言い終わるやいなや、最初に反応したのは土方さんだった。

 ……って、案の定怒鳴られたし! 私が怒られているみたいで怖いし!


 とばっちりを極め鋭い視線まで飛んでくれば、良い良い、と良順先生が笑顔で宥めてくれた。

 というのも、これまでにも何度か沖田さんを連れ出しご飯をおごっているのだとか。


「今日は二人も一緒にどうだ?」


 良順先生はそう言ってくれるけれど、土方さんはこのあと会津藩邸へ行かなければならないらしい。

 そんな土方さんが、にやりとしながら見てくるのだけれど……まさか私を道連れにするつもり?


 午前中は稽古をしてきたとはいえ、今日はもともと非番なので午後は何の予定も入っていない。

 目の前の意地悪な顔を見ていると、入っていないからこそ入れる……という可能性が浮上するけれど……。

 って、たとえ副長命令が出ようともそう簡単には屈しない!

 徹底抗戦の構えで見つめ返せば、土方さんが予想に反してぷっと吹き出した。


「わかりやすい奴め」

「はい?」

「行ってきていいぞ。同行は斎藤に頼んである。まぁ、お前がどうしてもと言うならついてきて構わねぇが――」

「いえ。遠慮します! 良順先生にお供してきます!」


 全力で拒否すれば、良順先生まで一緒になって笑っているのだった。




 沖田さんとも合流して三人で屯所を出れば、さっそく良順先生がオススメだというお店に案内してくれる。

 けれど、途中何かを見つけたらしく、突然足を止めた。


「そういえば、今日だったか」

「何がです?」


 そう訊ねる沖田さんと揃って良順先生の視線を辿れば、そこにあったのは仮設の見世物小屋だった。

 良順先生曰く、しばらくの間、錦影絵というものが行なわれているらしい。


 錦影絵は知らないけれど、といえば手や身体を使って動物などを表現し、それらに後方から光源を当てることで明るいスクリーンに影を投影するものだけれど……。

 影絵って? と首を傾げれば、良順先生が優しく微笑んだ。


「江戸で言うところの写し絵だ」

「……写し絵?」


 さらに首の角度を増せば、今度は驚いたような顔になった。

 そんな良順先生に向かって沖田さんが言う。


「春くんは色々と記憶がないですからね〜」


 そうそう、大八車に轢かれたせいで記憶がない。

 色々と誤魔化すためにそういう設定にはなっているし、私が未来から来たことを知らない沖田さんは、それを信じてくれているのだとも思うけれど。

 フォローしているのかいないのか、可愛そうなものでも見るような目でよしよしと頭を撫でてくるのはなぜ?

 そう言えばそうだったな、すまない、と良順先生まで若干哀れんでいて、何だかもの凄くいたたまれないのだけれど!?


 そんな空気を打ち消すように、沖田さんが目をキラキラさせながらぽんと手を打ち鳴らした。


「せっかくだから見ていきませんか?」

「ふむ。それがいいな」


 良順先生が笑顔で頷けば、沖田さんはさっそく私の腕を掴み見世物小屋へと引っ張った。


 丁度これから始まるところらしく、急いで入れば中は随分と薄暗かった。

 空いている場所を見つけ二人に挟まれる形で腰をおろすと、すぐに三味線の音が聞こえ、合わせて語りも始まった。


 薄暗い中で目を凝らせば、影絵というだけあって前方には薄い和紙で出来ているというスクリーン……幕があるけれど、いまだ灯りが照らされることもなく暗いままで、を映し出したところで見えそうにない。

 ……と思ったら、突然、暗いままの幕に色のついた光が浮かび上がった。

 淡い白だけでなく赤や青、緑と、まるで光を浴びて輝くステンドグラスのように人物や風景が淡く光っている。


 明るい幕に影を映し出す影絵とは逆で、暗い幕に色鮮やかに浮かび上がるその光の絵は、驚くことに例えば手を上げたり下ろしたりと図柄まで変化する。

 同時に、音楽や語りに合わせて幕の中を縦横無尽に動く様は、まるでアニメでも見ているかのようで終始目が離せなかった。




 存分に楽しんで見世物小屋をあとにすれば、興奮冷めやらぬまま、同じようにテンションの高い沖田さんに向かって話しかける。


「あの影……錦影絵、凄かったですね!」

「さすが錦というだけありましたね〜」


 黒一色の影絵とはまた違って、淡くとも鮮やかな光で紡がれていく物語は幻想的だし、何より面白かった。

 歩きながら錦影絵の話題で盛り上がれば、良順先生が満足そうに私たちを見て微笑んだ。


「立ち寄って正解だったみたいだな」

「はい!」


 良順先生曰く、オランダから伝わった金属製の固定式幻燈機を、軽くて熱に強い桐製に改良したものを使っているらしい。

 持ち運び出来るようにしたからこそ、幕の中を色鮮やかな絵が自由に動き回ることが出来るのだとか。

 ちなみに幻燈機とは、油に芯を立てた光源とレンズを使い、ガラスに描かれた絵などを幕に投影するものらしい。


 江戸では芝居仕立てが多く、京坂では浄瑠璃や長唄の歌舞伎調や掛け合いの落語調など、地域によって演出も違ったりするという。

 夏は怪談話なんかでそれはそれは盛り上がるというけれど……正直、この時代のおばけや幽霊の絵は独特過ぎてちょっと怖い。


 あの薄暗い中で怖い雰囲気の絵に音楽と語り?

 夏じゃなくてよかった……と少しほっとするのだった。




 楽しい寄り道だったけれど、当初の目的はご飯だったのでかなりお腹もすいている。

 良順先生オススメの一つだというお店につけばさっそく注文してくれて、しばらく待てば鴨肉とネギを煮込んだ小鍋が運ばれてきた。


 この時代、表向きは肉食を良しとしていないので猪肉を牡丹ぼたん山鯨やまくじら、鹿肉を紅葉もみじなどと隠語で呼んだり、“薬食い”と称して食べたりするけれど、鳥の肉は結構普通に食べられていたりする。

 鴨とかうずらとか雀とか……いわゆる野鳥がメインだけれど。


 まぁ、食べるために屯所でも豚を飼っているし、屯所に売りにくる獣肉を買っては煮て食べたりと、隊士たちの多くが鳥以外も普通に食べている。

 日々の隊務に厳しい稽古、あれだけの体力をつけるためには当然といえば当然だろう。

 さっそく食べ始めれば、聞いてくださいよ〜、と沖田さんが思い出したように話しだした。


「この間は、ももんじ屋に連れて行かれそうになったんですよ〜?」

「ももんじ屋……?」


 何だか可愛い名前だけれど、知らないものは知らない。つい首を傾げれば、僅かな無言のあとよしよしと頭を撫でられた。

 沖田さんめ!


 ももんじとは、猪や鹿などの獣やその肉のことで、それらを食べさせたり売ったりしているお店のことを“ももんじ屋”というらしい。

 結局、その時もこの店に変更させられたと残念がる良順先生が、ため息を一つついた。


「総司はもっと、滋養のあるもんを食べた方がいい」


 滋養のあるもの……? 

 まさか、どこか具合でも悪いの?


「沖田さん?」


 恐る恐る見つめた顔が、可笑しそうに吹き出した。


「あ〜あ、良順先生が変なこと言うから、春くんの心配性が始まっちゃったじゃないですか〜」

「沖田さ――」

「ああ、すまん。誤解を与える言い方だったな。いや、総司なんかは特に背丈がある割に細いだろう? 新選組の一番組を率いる組長なら、もっと身体を大きくしてもいいんじゃないかと思ってな」

「え……あ……なるほど……」


 確かに沖田さんは細い。一見、ひょろりとしているようにも見えるくらいに。

 けれど、刀や竹刀を持った時に見える腕なんかは、一目見れば相当鍛え上げられていて無駄がないとわかるし、無駄がないからこそ、あんなに素早い動きが出来ているのだとも思う。

 ……そんなことを考えていたら、突然、視界に黒い笑みを浮かべる沖田さんが割り込んできた。


「まぁでも、それも悪くないかもしれませんね〜?」

「へ?」

「だって、稽古がはかどりそうじゃないじゃないですか~」


 今でも充分捗っている。あれ以上厳しくなったら、怪我人どころか死人が出る……。

 顔が引きつるのを感じれば、冗談ですよ~、と楽しげに頭をぽんぽんと叩かれた。


 とはいえ、沖田さんの場合は身体を大きくするためというよりむしろ、来るかもしれないいつかに備えて免疫力を上げるために、普段はあまり食べようとしないお肉を是非とも食べて欲しいわけで。

 ここは良順先生の味方をするべくいまだ頭上に乗ったままの手を捕まえれば、慌てたようにすっと引っ込められた。


「沖田さん?」

「ほら、早く食べないと冷めちゃいますよ〜。あ、春くんは熱いのが苦手でしたっけ。僕がふーふーしてあげましょうか〜?」

「なっ、大丈夫ですっ!」


 全く、人の気も知らないで!

 あからさまにそっぽを向いて食べ始めれば、沖田さんが可笑しそうに笑いながら私の腕をつんつんとつついてくる。


「そうやって僕に対して怒るのも、心配性を拗らせた顔をするのも、全部、僕に興味があるからなんでしたよね?」

「なっ……前にも言いましたけど、沖田さんの調にですからねっ!?」


 ねっ!? で思い切り睨んで見たものの、全く動じる様子のない沖田さんは、いまだにこにこと私の腕をつついている。


「照れない照れない」

「照れてません!」


 ……って、前にもこんな会話をしたような!?

 沖田さんめっ!


 つつく手を捕まえようとするも、またしてもさっと逃げられた。

 何だか完全におちょくられている気がする……。


 視線を感じて良順先生を見れば、ただただ苦笑を浮かべながら私たちのやり取りを見守っているのだった。

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