215 藤堂さんと二年目のおまじない

 暦は十月になった。

 以前、私のことを気に入り、何を血迷ったか襲いかかってきたことまである武田観柳斎かんりゅうさいさんが脱走した。


 甲州流軍学にも精通し、文学師範も務めていた人だけれど、今は新選組内でもフランス式の調練を中心に行っているので出番がなく、文学においても伊東さんが圧倒的な人気を誇っている状態。

 その性格や男色癖など隊士たちから疎まれていたこともあり、居場所がないと感じての脱走だと噂されている。


 あの図々しい武田さんがそんな繊細な理由で? なんて思ってしまったけれど、プライドが高いからこそ現状を受け入れることができなかったのかもしれない。




 そんなことより!

 十月の別名はの月。そして今日は、待ちに待った最初のの日。

 亥の月最初の亥の日には武士が、その次の亥の日に庶民が出すものと言えば炬燵!

 そう、炬燵開き!


 外から帰ってくると例年通り文机の隣に並べられていて、さっそく滑り込めば、はぁ〜、と幸せの吐息がもれる。

 そんな私をちらりと見た土方さんが、隣で文を読みながら吹き出した。


「相変わらずやっすい幸せだな」

「何とでも~。これがないと冬が越せませ~ん」


 大げさだ、と呆れたように笑っているけれど、エアコンもストーブもないここでは死活問題だから!

 何なら春が来るまでこのまま潜っていたいくらいだから!


 とはいえ、今日は藤堂さんの帰りを待って紅葉狩りへ行く約束をしているから、時間まで目一杯堪能することを決め抱き込むようにして突っ伏せば、再び笑われるのだった。




 お昼過ぎ、隊務を終えた藤堂さんと一緒に屯所を出た。

 近頃また一段と寒くなったとかやっと炬燵を出せたとか、他愛もない話をしながら歩くことおよそ半刻。去年も来た東福寺につけば、綺麗な紅葉の中を立ち止まることなく境内の奥へと進む。


 東西に横切る渓谷に架けられた橋につけば、さっきまでの景色とはガラリと変わり、目の前に広がる紅葉の雲海に目を奪われた。

 ふと、隣に視線を移せば藤堂さんと目が合った。直後、私たちの間をモミジが一つ横切り、ぼーっとしていたのかハッとしたように藤堂さんが言う。


「そういえばさ、少しはお裾分けの効果あった?」

「……お裾分け?」


 首を傾げれば、小さく吹き出された。


「忘れた? 落ちてくるモミジを捕まえると、良いことがあるっていうおまじない」

「あっ!」


 勝負をしていたはずがなぜか“おまじない”になって、負けた私は“幸せのお裾分け”をしてもらったんだっけ。

 いいことばかりだったとは言い難いけれど、それまでの年に比べたら平穏だったかもしれない。

 そういえば……とお守り袋を引き出して、中にあるモミジを取り出して見せれば随分と驚かれた。


「まだ持ってたの?」

「はい」

「その場で作った適当なおまじないなのに、わざわざ守り袋にまで入れて大事に持ってたんだ?」

「だって、“幸運”をお裾分けしてもらったものですし」


 へぇー、と呆れているのか可笑しがっているのか、藤堂さんは頬に薄っすらと紅葉の色を移して笑い出す。


「わ、笑わないでください!」

「悪い。何か相変わらずだなって」


 何が相変わらずなのかわからないけれど、藤堂さんは期待を込めた眼差しで訊いてくる。


「どうする? 今年も勝負する?」

「もちろんです! 今年は負けませんからね!」


 気合充分で宣言してみせるも、再び吹き出されたあげくぽんぽんと頭まで撫でられた。


「アンタってホント面白い」

「なっ……」


 もう絶対に勝つ! と場所を移動するなりすぐに勝負を開始して、頭上に広がる紅葉を見上げるのだった。




 青を埋め尽くす赤に視線を凝らし、時折落ちてくるモミジに狙いを定める。

 ひらり舞ったかと思えばぽとりと落ちたり。変則的な動きに翻弄されながらも集中していれば、去年勝者の藤堂さんは余裕があるらしく、そういえばさ……と話しかけてきた。


「近藤さんや伊東さんと話したんだって?」

「へ? あー……先月の終わり頃に。話したというか、私は途中で帰っちゃったんですけど……」


 見上げたままやや濁せば、知ってる、と笑われた。

 どうやら藤堂さんもモミジを追いかけながら話しているのか、勢いよく落ち葉を踏みしめる音がした。

 けれど、続けて勝利宣言が聞こえなかったので逃したらしい。代わりに聞こえたのは、想像もしていなかった台詞だった。


「春に嫌われたって、伊東さんが落ち込んでたよ」

「え……」


 まさか、と藤堂さんの方へ視線を移せば、狙いを定めていたモミジが伸ばしていた手の横を掠め、そのままスルリと落ちていった。

 藤堂さんも見ていたらしく、少しだけ申し訳なさそうに笑っている。


「ごめん、冗談。でも、ちょっと気にしてる感じだったのは本当だよ」

「そうですか……」


 途中で帰るなんて、やっぱり大人げなかったかな……。

 あの日は土方さんまで一緒に帰ってしまったから、結果的に会合を邪魔した形にもなってしまったし。

 そのせいかはわからないけれど、近藤さんと伊東さんは翌日も続きを話し合ったらしい。


 あの夜のことを思い出せば、伊東さんが口にした“分離”という言葉も思い出す。

 そういった案が出るのは仕方がないとしても、やっぱり伊東さんから聞きたくはなかった……。


「春? どうしたの?」

「え……?」


 どうやら俯いていたらしく、真っ赤な絨毯を映し出す私の視界を遮るように、心配げな顔が覗き込んでいた。

 具合でも悪い? と訊いてくるその視線から、思わず逃げるように逸らしてしまった。


「春?」


 もの凄く不自然だったせいか、藤堂さんの声音にさらに強い心配の色が混ざった。

 上手く誤魔化せる気がしないのと、漠然とした不安を取り払って欲しい……そう思いながら口を開いた。


「もし、ですけど。伊東さんが新選組を出て行くことになったら、その……藤堂さんはどうしますか?」

「え……伊東さん出ていくの?」

「あ、いえ。そうじゃないですけど……」


 慌てて否定するも、会合があったあとでの突然の脱退話なんて、そうなのかと疑われて当然だ。

 案の定、藤堂さんの表情からは驚きが抜けきらず、咄嗟に言葉を繕った。


「ち、近頃、土方さんたちとの考え方の違いがより顕著になった気がしませんか? だから、そういう可能性もなくはないのかな~なんて思って……」


 最後の方はちゃんと伝わったか自信がないくらい小さな声だったけれど、なるほどね、と納得してくれた。


「もし伊東さんが出て行くことになったら、だっけ?」

「……はい」


 藤堂さんは小さく唸りながらも真面目に考え込み、少ししてから茶化すことなくその答えを聞かせてくれた。


「前にも言ったと思うけど、オレは新選組が幕府寄りであることを良いとは思ってない。でもさ、それを理由に出て行きたいなんて思ったことはないよ」


 返事の代わりに口をついたのは、安堵のため息だった。

 二人の結末を考えると、藤堂さんも伊東さんと一緒に出て行ってしまうような気がしていたから……。

 だからこそ、伊東さんと考え方が同じだとも言っていた藤堂さんの口から聞けたその言葉は、素直に嬉しかった。

 けれど、ほっとしたのはつかの間、ただ……と少しだけ言いにくそうに続きを口にする。


「伊東さんを誘って連れてきたのはオレでしょ? だからもし誘われたら……」

「誘われた、ら……?」

「その時は……わからない、としか今は言えないかな」


 そう言って苦笑するその顔に、撫で下ろしたはずの胸は一瞬にしてざわついた。

 そして、上手く返事ができない私に向かって、苦笑を浮かべたまま訊いてくる。


「もしオレが出て行くことになったらさ……その時は、春も一緒に行かない?」

「え……――」

「ごめん、やっぱなし!」


 慌てて話を切った藤堂さんが、今度は呆れたように大きなため息をつく。


「オレも伊東さんも出て行くわけでもないのに、そんな仮定の話ししても仕方ないでしょ」

「え、あっ……。そ、そうですよね!」


 勢いよく首を縦に振れば、視界の端でひらりと風に揺れる小さな赤が一つ。

 咄嗟に伸ばした両の掌に、はらりと落ちた。


「あっ……」

「ええ……」


 揃って間抜けな声をあげたけれど、これはもしかして……?

 とはいえ胸を張って勝ち! とは言えないくらい運が良かっただけなので、判断を仰ぐように藤堂さんに訊いてみる。


「私の勝ち、ですか?」

「まぁ、取ったというよりたまたま手に落ちてきたって感じだったけどね」

「お、おっしゃる通りです……」


 素直に認めれば盛大に吹き出された。

 潔く仕切り直しを申し出るも、藤堂さんは笑いを収めることなく首を左右に振る。


「相変わらずお人好しだね。悪いヤツに騙されたりしてない? 大丈夫?」

「大丈夫ですっ!」

「春の場合、騙されたことにも気づけなさそうだけどね」

「なっ……藤堂さんっ!?」


 ひとしきり笑った藤堂さんが、涙で滲んだ目尻を指で拭いながら悪びれもせずに言う。


「悪い、冗談。ちょっと悔しいけど、それでも今回は春の勝ちでしょ」

「……はい、ありがとうございますっ! ……あっ!」


 大切なことを思い出し、モミジを藤堂さんに差し出した。


「幸せのお裾分け、です」

「アンタってホント面白い」


 笑いながら私の頭をぽんぽんと撫でたあと、その手でモミジを受け取りお守り袋の中へとしまった。


「ありがたく受け取っとく」

「はい!」

「来年はまたオレが勝つけどね」

「私も、次こそは完全勝利してみせますけどね!」


 お互い気合だけは充分だけれど、次回はまた一年後。

 随分先だと気がつけば、何だかおかしくて笑い合うのだった。

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