202 長州でふぐ料理
温泉から帰って来た翌日。
久しぶりに屋敷へやって来たバカ杉晋作が、日暮れ間近の縁側で庭に向かって胡座をかき頬杖をついた。
「温泉行ってたんだってな。どうだった?」
「気持ちよかったですよ」
お約束的なハプニングもあったけれど。
そういえば……。
「何か面倒事を抱えてるって聞きましたけど、解決したんですか?」
「……いや。面倒ってわけじゃねえ。ただ、萩から母親と嫁が息子も連れて出て来ててな……」
って、結婚していたのか!
子供は数えで三つだというから、実際はまだ二才くらいだろうか。
これだけ自由奔放に生きていながら所帯持ち。かなり意外だけれど、せっかく会いに来てくれたのだからもっと喜べばいいのに。
「わざわざ会いに来てくれたのは嬉しいんだが、家には
「うの? おうのさん? ……って、誰ですか?」
「俺が身請けした元芸妓だ。一緒に暮らしてる」
つまりはお妾さんか!
ということは……。
「まさか、お母さんとお嫁さんとお妾さんが……あっ、息子さんもか。バカ杉さんの家にいる……と?」
「おう。両手に花だな」
何、呑気なことを……。木戸さんが言っていた通り、確かに“個人的な面倒事”だった。
居心地の悪さに一時避難してきたというけれど、両者を結ぶバカ杉晋作不在の女の戦場は、想像するだけで何だか恐ろしい……。
ふと、バカ杉晋作は近くにある文机の方へと身体を伸ばし、置いてあった手鏡を手に取った。
「これアンタのか?」
「そうですよ。頂き物ですけど」
「これを選んだ奴、良い趣味してるな」
「それをくれた人も、梅が好きなので」
だから、自分の気に入った物を選んでくれたのだと思う。
「
「一番好きな花ですね」
「奇遇だな。俺も梅は好きだ」
息子に“梅之進”と名付けるくらい好きなのだと、訊いてもいないのに語りだす。
少し意外に思っていると、私の表情を見て笑い出した。
「俺に梅は似合わねえって顔だな」
「似合わないというか、バカ杉さんも花を愛でたりするんだなーって」
「雑草がお似合いってか?」
「そこまで言ってませんけど!」
それまで笑っていたバカ杉晋作が、コホンと咳をして庭を見やった。
「踏んでも引っこ抜かれても負けねえ雑草か。悪くねえ」
「確かに、バカ杉さんぽいかもしれませんね」
「生きてえな……雑草みてえにしぶとく」
嫌味を嫌味として受け取ってもらえなかったことよりも、ずっと遠くを見つめるようなその表情が気になった。
けれど、声をかけるより先に勢いよく振り向くと、私の手に手鏡を戻しながらにやりとする。
「これくれた奴の事、好いてんだろ?」
「……へ!?」
「アンタの顔見てりゃわかる」
いや、待って。バカ杉だからって、いちいちバカなこと言わなきゃ気がすまないの!?
そりゃ、心配や迷惑をかけても見放さないでいてくれるところとか、すぐ怒るけれど何だかんだで優しいところとか、大人だし頼りになるし格好いいなぁって思ったりもするけれど。
ついでにいえば、こうして長い期間離れるのは寂しいとか、今頃何しているんだろうとか、早く会いたいなぁとか思ったりもするけれど。
それはきっと、
そもそも恋って何?
人を好きになるってどんな感じ?
したことないからわからないし!
反論すればするほどバカ杉晋作が爆笑するのだけれど……失礼にもほどがる。
「贈った奴が不憫だな」
「何でですか!」
誕生日にってくれた物で、こうして大切に使っているのに!
「惚れた女が鈍感過ぎると気苦労が絶えねえもんだ」
「ほ、惚れ……はぁ!?」
「俺も梅が好きだからわかる」
「いや、梅関係ないですし!」
だいたい土方さんにとって私は、面倒で手のかかるバカなガキでしかないから!
その後もあーだこーだと続いた言い合いは、山崎さんが帰って来たことで終了した。
そして、バカ杉晋作が行きつけのお店へ連れて行ってくれるというので、たらふく食べてやる! とご馳走してもらうことにするのだった。
店に着くと、バカ杉晋作が気前よく色々と注文するので、大量に運ばれてくる料理を遠慮なく口へ運んだ。
その中の一つ、野菜と魚の入った汁物を食べていたら、バカ杉晋作が驚きつつも豪快に笑い出した。
「良い食いっぷりだな。どうだ、それ美味いだろ?」
「はい。とっても」
「アンタのことだ、知らねえで食ってんだろうが、そいつはふく汁だ」
「ふく汁?」
首を傾げる私の横で、山崎さんが急に慌て出す。
「春さん、食べないでくださいっ!」
「え……?」
「
そうだな? と山崎さんがバカ杉晋作を睨んだ。
「ご明答。さすがは山崎だな」
楽しそうに答えるバカ杉晋作とは反対に、山崎さんの方は怒っているようにもみえる。
ただのふぐなのに? こんなに美味しいのに?
ちなみに長州でふぐを“ふく”と呼ぶのは、響きが不遇と似ていて縁起が悪いかららしい。だから縁起の良い福にかけて“ふく”と呼ぶのだと。
ところで……。
「食べるのが禁じられているって、どういうことですか?」
二人は揃ってそんなことも知らないのか? という顔をした。
土方さんがいたならきっと、“どんな生活してたんだ”って突っ込んだに違いない。
何でも豊臣秀吉が、“河豚食禁止の令”を出したらしい。
朝鮮出兵のため全国から募った兵が、ここ馬関で毒があるとは知らずにふぐを食べ、たくさんの人が中毒死したからだと。
それは今でも継続中で、違反すると藩によっては重い処罰が科せられたりするという。
そうはいっても、美味しいものを食べたいという欲求を抑えきれないのが人の常。お肉同様、隠語で呼んでこっそり食べたりする人もいるのだとか。
大坂あたりでは“てっぽう”とか“てつ”と呼ぶらしく、それ故にふぐちりは“てっちり”なのだと。
なるほど! と納得しながらふく汁を啜れば、バカ杉晋作は楽しそうに大笑いし、山崎さんはまたしても慌てて止めようとする。
確かにふぐは毒があるけれど、免許を持った人がきちんと処理すれば食べられる。むしろ、高級魚の部類だ。
わざわざ毒を残して提供するなんて考えられないし、こんなに美味しい物が目の前にあるのだから、食べないなんて選択肢はない!
山崎さんには申し訳ないけれど、その慌てぶりはちょっと大袈裟過ぎると思いながら、追加で頼んでくれたふぐ刺しも平らげた。
横を向けば、うるうると今にも泣き出しそうな目で見てくる山崎さんが、確認するように私の肩や腕を軽く叩き、最後に両頬に触れた。
「舌とか身体とか、どこか痺れてませんか? 苦しいとかおかしな所はありませんか?」
「え、えっと……ちょっとだけ苦し――」
「春さん!?」
「へ? いや、あの……た、食べすぎたせいですからっ!」
突然、血相を変えて私の帯を解こうとするもんだから、慌てて理由を告げた。
だって、あれもこれもとほぼほぼ一人で平らげたからね!
空の皿に視線をやった山崎さんが脱力したように私から離れると、笑いながら見ていたバカ杉晋作が、堪えきれないとばかりに吹き出した。
「馬関のふくは美味かっただろ? ま、俺は鯛が一番好きだけどな」
確かに、鯛料理ばかり美味しそうに食べていた気がするけれど、ぶっちゃけバカ杉晋作の好物が何とか興味ない。
それでも、こんなに美味しいものをご馳走してくれたことには感謝しているので、ちゃんとお礼は言っておいた。
お腹いっぱいで店をあとにすると、外はすっかり暗くなっていた。
提灯を揺らして歩くバカ杉晋作の後ろで、山崎さんがぐったりと疲れた様子で言う。
「まさか、てっぽうを食べるとは……。春さんはいつも無茶をし過ぎです。万が一の時は……副長に合わせる顔がないので私もあとを追います」
「いやいやいや、そんな大袈裟――」
「大袈裟なんかじゃないです!」
珍しく声を荒らげるもんだから、ちょっとだけ驚いた。おまけに顔は険しく、いつもの穏やかな雰囲気はどこにもない。
もしかして、怒っている?
「大坂ではふぐを“てっぽう”と呼ぶんです。なぜだかわかりますか?」
そういえば、そんな話をしていたっけ。だからふぐちりはてっちりなのだと、納得したのを覚えている。
けれど、理由まではわからず首を左右に振れば、山崎さんは小さなため息を一つついた。
「滅多に当たらないが、当たれば死ぬ。鉄砲と同じだからです」
「てっぽう……って、鉄砲!?」
「はい、鉄砲です」
そりゃ、当たりどころが悪ければ死ぬだろう。急所を外したところで、この時代の医療技術では死亡率も相当高いのかもしれない……。
ここから百五十年後の未来でも、ごくたまにふぐ毒に当たったというニュースを聞くことがあるけれど、ほとんどは免許を持っていない素人が自宅で捌いたとかだ。
禁止されているとはいえ、さっき食べたのはちゃんとした料理屋で提供されているもの。
だから大丈夫。大丈夫なはず。
えっと……大丈夫、だよね?
急に不安が押し寄せるも、山崎さんは容赦なく追い打ちをかけてくる。
「普通、女性や子供、所帯を持つ男性は口にしないんです。死ぬかもしれませんから」
何それ怖い。どんなロシアンルーレット!
や、山崎さーん?
「どうして止めてくれなかったんですか!?」
「何度も止めました……」
……うん。確かに必死に止めようとしてくれていた気がする。ふぐに夢中であんまり覚えていないけれど……。
「もしかして私、死ぬんですか?」
「河豚毒は比較的早く症状があらわれます。今どこにも異常がないのであれば、おそらく平気だとは思いますが……」
それでも、明朝までは油断出来ないという……。
動乱の幕末に来て、刀でも鉄砲でもなくふぐで死ぬ?
ま、まぁ、同じ
思わず頭を抱えて唸れば、バカ杉晋作が腹立たしいほど大爆笑する。
「ほんとおもしれえ。その百面相、見てて飽きねえな」
「ちょ……笑い事じゃないんですけど!」
「安心しろ。馬関のふくを扱う技術はしっかりしてる」
「し、信じますからね!?」
すでにあとの祭り。鯛ばっかり食べていた人の言葉だろうが信じるしかないわけで!
「当たっちまったら、よっぽど運がなかったって事で諦めろ」
「は!?」
「美味かっただろ?」
「え、まぁ、それは……。って、死んだら化けて出てやりますからね!」
半ば本気で告げれば、山崎さんが私の手を取り力強く頷いた。
「春さん、私もお供します」
「はい! 是非お願いしま……いや、それはダメですからっ!」
「しかし、それでは副長に合わせる顔が……」
そもそも、まだ死ぬと決まったわけじゃないからねっ!
無事、家には着いた。今のところ身体のどこにも異常はない。あえて言うなら食べ過ぎたくらい……。
落ち込む私に代わって山崎さんが布団を敷いてくれると、なぜかバカ杉晋作が寝転がった。
「何してる」
「見りゃわかるだろ? 寝る」
「泊まってく気か?」
家に帰ってゆっくり寝ればいいのに……あっ。自宅は今、お母さんとお嫁さんとお妾さんの三つ巴だっけ。息子さんもいれたら四つ巴?
「ああ。今日は帰らねえと伝えてある」
得意気な顔で言うけれど、端からそのつもりだったわけか!
他人事とはいえ、その構成はお妾さんが可愛そうだからね?
いや、奥さんにしても心境は複雑だろう。
とはいえ、外はもう真っ暗だ。追い出して、道中野たれ死にでもされたら寝覚めが悪い。
まぁ、ここはバカ杉晋作の本拠地だから、闇討ちされる心配があるのはむしろ私たちの方だけれど。
山崎さんも仕方がないと思ったのか、寝間着を一着余分に取り出すのだった。
翌朝。
眩い朝日と鳥の囀りで目を覚ませば、いつもより近い位置に少しだけ隈が出来た山崎さんの顔があった。
起こしてしまったようでゆっくりと瞼が開いて目が合えば、よかった……と穏やかに微笑まれる。
「春さん、おはようございます。どこかおかしな所はありませんか?」
「え? あ、いえ……特には……」
……って、そうだ。当たったら死ぬ“てっぽう”を食べたんだった!
勢いよく飛び起きると、両手を閉じたり開いたり、顔を触ってはつねったりして確認する。
うん、痛い……。どうやら生きているらしい。
ほっと胸を撫で下ろせば、起き上がった山崎さんに抱き寄せられた。
「や、山崎さん?」
「春さんが無事で、本当によかった……」
心底安心したような声音に、もの凄く心配をかけてしまったんだな、と申し訳なくなった。
すみません、と謝れば、山崎さんはそっと私を開放した。
「もう二度と無茶や無謀な事はしないでください」
山崎さんの過保護語録に新たな単語が追加された気がするけれど、目の下に隈が出来てしまったのはおそらく私のせいなので、ここは素直に頷いた。
ちなみにバカ杉晋作は、朝餉を終えたあとに修羅場へと送り返してあげるのだった。
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