199 雷電風雨の再会
翌朝、真の目的である高杉晋作に会うため、護衛を買って出てくれた山崎さんと一緒に桂さんとの待ち合わせ場所へ向かった。
約束の場所にはすでに桂さんがいて、私の隣に立つ山崎さんを見るなり貼り付けたような笑みを浮かべてみせた。
「近頃この辺りで鍼師をしているっていう、山……えーっと、木村さんだったかな?」
木村とは、山崎さんがここで使っている偽名だ。
普段は温厚な山崎さんが、険しい顔で桂さんの視線を受け止めている。
「あなたとお会いするのは初めてですが、よくご存知で」
「上手な鍼師がいると、もっぱらの噂だからね」
「良ければお刺ししますよ」
山崎さんが怖いくらいの笑顔を作ってみせると、いまだ笑顔を崩さない桂さんも一層笑みを深くする。
「僕は遠慮しとくよ。背中を見せて、うっかり針以外の物まで刺されるなんて御免蒙る。それで、木村さんはなぜここに?」
「山崎でいい」
そう答えた山崎さんの顔から一切の笑みが消えると、同じように桂さんからもなくなった。
「そう。じゃあ山崎、どうせ春と一緒に来るんでしょう?」
「当然だ」
「影でこそこそされると面倒だからね。いいよ、ついてきても」
桂さんの案内で高杉晋作が待っているという場所を目指すと、隣を歩く山崎さんが後方をちらりと見て私に話かけてきた。
「“逃げの小五郎”、手配書に書かれていた人相書の特徴とも合いますね。やはり生きていましたか」
私と二人の時は全くそんな素振りは見せなかったけれど、本来はとても用心深い人らしい。考えてもみれば、逃げの小五郎なんて異名がつくくらい逃げ回るには、常に周囲を警戒する用心深さもなければ無理だ。
今だって、山崎さんに背中を見せないよう、私たちの後ろを歩いて案内をしている。
そんな桂さんが、私たちに向かって話し出す。
「山崎も知っての通り、逃げの小五郎は死んだよ。これから会う高杉晋作もね。今の僕は
木戸? そういえば、この間もそんな名前を言っていたっけ?
「あれって、あの場限りの偽名じゃなかったんですね」
「うん。でも、春なら好きな方で呼んでいいよ。特別にね」
そうは言っても仲間でもなければ友達とも違う。当然、特別扱いされる覚えなんてない。
呼び慣れたものを変えるのは難しいけれど、偽名ではなくそれが今の名前であるというならば、なおさら木戸さんと呼ぶべきな気がした。
そこそこ立派なお屋敷につけば、広間には久しぶりに見る顔ともう一人、四十代くらいの初めて見る男性が向かい合わせで座っていた。
相変わらずお気楽そうな高杉晋作が、持っていた杯を軽く持ち上げた。
「よう、久しぶりだな。ようやく新選組を辞めて俺んとこへ来る気になったか?」
「はい? 自分のしたこともう忘れたんですか? さすがはバカ杉さんですね。あっ、今は……谷さんでしたっけ? バカ杉じゃなくなって良かったですね!」
「じゃじゃ馬健在で嬉しいぞ。ま、よく来た。とりあえず適当に座れ」
よく来たも何も、無理やりこさせたくせに!
一番離れた位置に用意されているお膳の前に座れば、山崎さんもお膳を一つ引き寄せ、私を庇うように近くで腰を下ろした。
そんな様子を笑って見ていた高杉晋作が、私に向かって言う。
「アンタに谷さんなんて呼ばれんのはしっくりこねえな。今まで通りでいいぞ。アレ、結構気に入ってんだ」
「相変わらず変わった人ですね。なら、遠慮なくバカ杉さんと呼ばせていただきます」
「アハハ。アンタやっぱり最高だな」
全くもって理解不能。それより、元々“バカ杉”はあだ名みたいなものだし、本人がいいって言うのだからお望み通りそう呼んでやろうじゃないの。
酷い再会の挨拶が終われば、バカ杉晋作は新しいお酒を用意するなり山崎さんの方へと身を乗り出し、杯を持つよう告げた。
「新選組監察の山崎だろう? ここにいる間くらい仲良くしようぜ?」
「断る」
山崎さんが杯も取らず冷たく返せば、バカ杉晋作は自身の杯にお酒を注ぐなり、一気に飲み干し豪快に笑ってみせた。
「毒入れるなんて姑息な手は使わねえよ? ま、しょうがねえか」
「姑息な手で私を呼び寄せたくせに……」
「あれだ、細かいことは気にすんな」
本当にどこまでも腹が立つ!
思わず反論しそうになるも、バカ杉晋作は自身の向かいに座る男性を紹介し始めた。
「そこで愛想なくぶすっとしてんのは“火吹き達磨”な」
「
「あ、えっと、琴月春です」
突然の自己紹介に慌てて名乗るも、大村さんは私を一瞥するだけですぐに隣に座る木戸さんに視線を移した。
「何故、新選組の人間を連れているのです?」
「僕らの大切な客人なんだ」
「敵の間違いでは?」
「確かに、“新選組”は僕らの敵だよ。でも、山崎はともかく春は違う」
……って、この状況で山崎さんだけ除け者にするとか!
斬り合いにでもなったらどうしてくれるのか!
そんな心配をよそに、木戸さんがあることないこと私を持ち上げ出した。広い視野や柔軟な思考、先を見通す力だってあるのだと言い出せば、内密に長州へ勧誘しているところだから他言無用とも。
むず痒くなるような話の最後に、木戸さんが強い口調ではっきりと念を押す。
「だから、春は傷つけたら駄目だよ」
「なるほど。これからの長州に必要な人物ですか。木戸さんがそこまで仰るならわかりました」
そう答えた大村さんは、バカ杉晋作が引き止めるのも無視して持ち場へ戻ると言い屋敷を出ていった。
「ったく、アイツも一緒に飲んでけばいいのにな。普段からあんな感じで、あんま人と関わろうとしねえ奴なんだ」
「でも、優れた才能の持ち主なんだよ」
どうやら大村さんは、元々は町医師だけれど医学や蘭学だけでなく兵学にも通じていて、その才能を認められ長州藩士に取り立てられたという何だかちょっと凄い人らしい。
今は西洋兵学を教えているらしく、打ち合わせも丁度終わったところだったので、持ち場へ戻っただけだろうとも。
ちなみに……火吹き達磨とは火吹き玉ともいって、火鉢などの火を吹き起こすために用いる道具のこと。
およそ五センチほどのそれは、その名の通り
た、確かに面長の顔と少し広いおでこは、大村さんに似ているのかもしれないけれど……なんて考えていたら、木戸さんが私に向かって微笑んだ。
「彼と春がいてくれたら、長州も難なく巻き返せると思うんだけどね」
「前から何度も言ってますけど、新選組を離れるつもりはありませんから」
「つれないね」
木戸さんが苦笑すれば、今度はバカ杉晋作が山崎さんに向き直る。
「じゃあ、山崎はどうだ?」
「は?」
「ウチにも
何を言っているのだろうか……。
断る、と山崎さんは全く相手にしないけれど、私と同じように呆気に取られていた木戸さんが慌てて声を上げた。
「何考えてる!?」
「何って、ウチに欲しいと思ったから誘ってるだけだぞ? 優秀な人材は多い方がいいからな」
当たり前のように言うけれど、お互いの立場を理解しているのだろうか。
何を言っても無駄だと思ったのか、木戸さんは額に手を当てため息をついた。
その後もやたらと上機嫌なバカ杉晋作は、私の皮肉も突っ込みも適当にあしらいつつ山崎さんにまで絡んだりと、時折、木戸さんに大きなため息をつかせるばかりだった。
夕刻になり、ようやくお開きとなった。
“高杉晋作に会う”という真の目的は果たしたので、山崎さんが借りている長屋へ戻ろうと揃って腰を浮かせれば、バカ杉晋作がとんでもなくバカなことを言い出した。
「二人で長屋は狭いだろう。この家を好きに使っていい。その代わり、二人ともしばらく俺に付き合え」
「……はい?」
そんなつもりはないと反論するも、目の前の男はにやりと言い放つ。
「悪いがアンタらに拒否権はねえと思うぞ」
「どういう意味ですか」
睨みつけるように問うも、隣の山崎さんに腕を掴まれた。
「春さん、ここは大人しく従いましょう」
「でも……」
「吉村もまだ、人質に変わりはないということです。それに、今後またこうして会うというならば、堂々と真正面から情報を引き出すいい機会です」
山崎さんの居所も名前も把握していたし、離れた場所で今も潜伏している吉村さんのことも、同じように把握しているということなのだろう。
そして、生殺与奪の権利はこの男の側にあるのだと。
ふざけている。本当に腹立たしいけれど、吉村さんに万が一のことがあってはここまで来た意味がない。
普段ならこんな暴走止めに入りそうなのに、さっきから大人しい木戸さんを見れば、こうなることは想定済みと言わんばかりに、ごめんね、と謝られた。
仕方なく要求を受け入れるも、バカ杉晋作に向かって一つ訊いてみる。
「何でこんなことするんですか? 私たちをここに留め置いたところで、戦を優位に進められるわけではないと思いますけど」
「別にアンタらをどうこうする気はねえ。アンタらといるのは面白そうだから、もう少しだけ側に置いておきたいと思った。それだけだ」
「なっ……」
訊くんじゃなかった……と後悔する私とは正反対に、どこまでも楽しげに今後のことを説明し始める。
この屋敷は知り合いの別宅らしく、家財道具もすべて揃っていて自由に使っていいらしい。
ただし、少しの間知り合い夫婦に使わせたいと言って借りたので、男二人が生活していたと噂されてはバカ杉晋作の信用にかかわるらしく、本来の姿で生活しなければならないという。
バカ杉晋作の信用……。そんなのも、私の中では最初からゼロ……いや、今回でマイナスになったけれどね!
「着物や簪も、あるものは自由に使っていいらしいぞ」
「わざわざどうも!」
準備良すぎだろう。全部この男の思い通りに事が運んでいるのかと思うと、本当に腹が立つ。
「バカ杉さん?」
「何だ?」
「面白いですか?」
「今のアンタの顔含め最高だな」
予想通りの回答をどーもありがとう!
木戸さんを見れば、もう好きにやってと言わんばかりに呆れ気味で苦笑しているし、山崎さんはといえば、すでに腹をくくったような顔はむしろ、監察魂に火がついたようにも見える。
うん。もう、なるようになれ。
“しばらく”と言っていたし、遅くとも三月中には吉村さんの所へ寄って、みんなで無事広島へ戻れればそれでいい。
また来る、と言い残して去っていく二人の背中に向かって、思いきりあっかんべーをお見舞いしてやった。
いっそ塩もまいておこうか!
「春さん」
不意に名前を呼ばれ隣を見上げれば、真面目な顔の山崎さんと目が合った。
「こんな事になってしまいましたが……しばらくの間、よろしくお願いします。春さんのことは、何に変えても私が全力で守りますから」
「こ、こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いします!」
こうして、敵地だというのに山崎さんとの潜伏しない生活が始まるのだった。
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