200 長州でお花見

 バカ杉晋作が用意していた屋敷での生活もおよそ十日が過ぎ、二月も下旬に差し掛かった。

 正直、バカ杉晋作の信用が地の底へ落ちようが私には関係ないのだけれど、なぜか山崎さんまで強く勧めてくるもんだから、箪笥に入っていた着物や簪を借りて本来の姿で過ごしている。


 そんな日々の生活は、潜伏しているわけでもなければ巡察もないので、これといってすることがない。

 けれども山崎さんは、“鍼師”として外へ出ることが多かった。上手な鍼師の噂は本当だったようで、施術を待っている患者さんも多く、目立った動きをしなければいいと木戸さんの許可も得ていた。

 そして私は、今日も針道具を抱えた山崎さんを、申し訳ない気持ちいっぱいで玄関先まで見送るのだった。


「すみません……何の役にも立てなくて……」

「立ってますよ。こうして毎回見送ってもらう度、元気をもらってます」


 山崎さんらしい気遣いはありがたいけれど、全然役に立っていないのがわかるから、自然と視線も落ちるばかり。


「春さんはいつも頑張っているんです。こんな時くらい甘えてください。ゆっくり羽を伸ばしてください。それに、たとえ偽りの夫婦だとしても、妻を守るのは夫の務めですから」


 今だけは……と、俯いたままの頭を優しく撫でられた。


「私に春さんを守らせてください」


 過保護で無自覚な山崎さんの言葉は、相変わらず擽ったい。

 思わず顔を上げれば、いつもの眩しい笑顔が輝いていた。


「お昼前には一度戻ってきます」

「は、はい。いってらっしゃい。お気をつけて」

「いってきます」


 山崎さんの手が、頭上で優しく跳ねるのだった。




 山崎さんを送り出したあと、掃除や洗濯などをして過ごしていれば、あっという間に太陽は高い位置に来ていた。

 慌てて台所へと向かう途中、玄関の方から聞こえて来た声に方向転換をするも、そこにいたのは山崎さんではなかった。


「よう、出迎えご苦労」

「なんだ、バカ杉さんか……」

「随分なご挨拶だな」


 そう笑って草履を脱ぐなり、まるで我が家のようにズカズカと部屋の中へ入って来る。

 暇なのか監視のためなのか、こうして突然やって来てはどうでもいい話をしてみたり、時折、美味しいお店に私たちを連れ出したりする。

 これでも木戸さんらとともに長州の重鎮だというのだから、本当によくわからない。


「お昼これから作りますけど、一緒に食べますか?」


 一人分増えるくらい大した手間ではないので一応訊いてみたものの、コホン、と一つ咳をしたバカ杉晋作は、お昼ご飯そのものを作らなくていいという。


「そろそろ山崎も帰って来るだろ? そしたら花見に行くぞ」

「花見? また急ですね」

「そりゃあ、桜は俺らの都合なんて待っちゃくれねえからな」

「バカ杉さんも、私たちの都合なんて待ってはくれないですけどね」


 多少の自覚はあるのか、確かにな、と笑ってみせるもまた咳をした。

 バカ杉さんのくせに、風邪でも引いたのだろうか――


「桜色に桜模様か」

「……へ?」


 思考を遮られたせいで、おかしな声が出た。


「今日のアンタの着物だ。似合ってるぞ」

「ど、どうせ馬子にも衣装ですよーだ!」


 笑顔でいきなり褒めるとか、調子が狂う。咄嗟にあっかんべーをお見舞いしてやれば、何が面白いのかお腹を抱えて笑われた。

 それから少しして山崎さんも帰ってくると、草履を脱ぐ暇も与えず花見へ連れ出されるのだった。




 新暦に直せばおそらくもう四月。

 よく晴れた青い空の下、時折吹く風は仄かに草花の香りを含んでいるせいか、ふんわりと優しくて暖かい。

 道中でお酒や出来合いのお惣菜を調達すれば、到着した花見場所はそこかしこで桜が咲き乱れ、たくさんの人で賑わっていた。

 バカ杉晋作がお気に入りだという見晴らしのいい場所へ行き、青と桜色の下に料理を広げていく。それぞれの杯にお酒も満たせば、さっそく三人だけの花見の宴が始まった。


 宴と言ってもたった三人しかいないうえに、本来ならば敵対する者同士……約一名を除いて盛り上がりに欠けるのは仕方がない。

 それでも、いつも突然訪れては素っ気ない態度の山崎さんに飽きもせず絡んでいた甲斐があったのか、バカ杉晋作のお酌を普通に受けるくらいには二人の距離も縮まっていた。

 私はといえば、これ以上山崎さんに迷惑を掛けたくないので、最初の一杯をちびりちびり飲むにとどめている。


 他愛もない話をするバカ杉晋作と、時折鋭い返しをしては情報を引き出そうとする山崎さん……改めて、凄い組み合わせだなぁなんて思いながら見ていた。

 気がつけば、二人は今度の長州征討についての話をしているらしく、山崎さんの方からバカ杉晋作に問いかけた。


「時間を稼いではいるみたいだが……長州は本当に幕府とやり合うつもりか? 勝てると思っているのか?」

「日本中から集めた幕軍対長州一藩。人数だけみりゃ、大敗どころか長州は消えてなくなるかもしれねえな」

「だったら――」

「負け戦する気なんかねえ。山崎、長州をその目で見てきたアンタなら気づいてんだろう?」


 あらゆる伝手を使い、性能の良い武器を入手しつつあること。そして、八月十八日の政変や禁門の変を経て、犬猿の仲だとさえ言われてきた薩摩藩との密な関係。


「だいたい、寄せ集めの幕軍はどこもかしこもやる気なんてねえだろ。だが、俺らは違う。負けたらもう後がねえからな。俺を含め、誰もが死にものぐるいで勝ちに行く」


 確かに、財政難を理由に幕府軍の士気はかなり低い。今回の第二次長州征討だって、幕府の権威を維持するため無理やり進めているようなものだ。

 山崎さんも、強くは反論しなかった。

 そんな僅かな沈黙を破ったのは、バカ杉晋作のお決まりになりつつある台詞だった。


「二人とも、ウチに来ないか?」


 ウチ、というのは前にも言っていた奇兵隊きへいたいのこと。バカ杉晋作が作ったという奇兵隊は、身分関係なく集められ、およそ半数は庶民で構成されているという。

 とはいえ、私たちの答えは決まっている。速攻で二人分の断りを入れた山崎さんが、今度は逆に質問をした。


「どれだけ時間をかけようが、私たちの気持ちは変わらない。それでもまだ、留め置くつもりか?」

「変わらない、か。そこまで言われちゃ試してみたくなるな」


 にやりとしながらそんなことを言うけれど、この人に限っては本当にやりかねない!

 近藤さんとの約束の期限が頭を過れば、山崎さんよりも先に口を開き、両手をついて頭まで下げていた。


「お願いします! どうか、三月中には帰らせてください!」

「春さん!? そういう交渉は私がしますから」


 山崎さんが慌てた様子で私を起こせば、バカ杉晋作が盛大に吹き出した。


「アンタのその駆け引きなんて一切しねえ真っ直ぐなところ、俺は好きだぜ」

「は!? すっ……好かなくていいんで、来月中には帰らせてくださいっ!」

「アハハ。わかったわかった」


 そう言うと、バカ杉晋作は持ってきた三味線を弾き始めた。

 本当にわかってくれたのか怪しいけれど、その音色は、憂いを吹き飛ばしてしまうくらい惹きつける力がある。

 優しいと思えば力強かったり、繊細だと思えば荒々しかったり。どこまでも楽しそうにはじかれるその音色は、高杉晋作という人物そのものに聞こえた。




 音が止むと、思わず山崎さんと一緒に手を叩いていた。その光景は、そこらにいる花見客と何ら変わりはないように見えるかもしれない。

 第二次長州征討が始まってしまったら、奪い合わなければいけない者同士だなんて、誰が思うだろうか……。


「なあに揃って辛気臭え顔してんだ? ……って、空じゃねえか。遠慮しねえでほら、もっと飲め。花見だぞ?」

「ああ、すまない」


 山崎さんの杯を満たしたバカ杉晋作が、私の分まで注ごうとしたので慌てて断った。


「飲みたきゃ好きなだけ飲みゃいいじゃねえか。酔い潰れたら俺らで運んでやる」


 なあ? と同意を求められた山崎さんが、私に向かって微笑むように頷くも、風もなく落ちてきた花びらが一つ、置いたままの空の杯の中にひらひらと吸い込まれた。


「あっ……ほら、桜ももうやめとけって言ってるんで遠慮しときます」

「桜はアンタの味方か」


 そう言って面白そうに笑うと、今日一番の強い風が吹いた。私たちの周りで花びらが舞えば、感嘆の声を漏らしたバカ杉晋作が軽く咳をこぼす。

 家に来た時も何度か咳をしていたし、やっぱり風邪でも引いたのだろうか。

 大丈夫ですか? と問うより先に、バカ杉晋作が口を開いた。


「ただの風邪だ。何だ、心配してんのか? おもしれえ顔して」


 相変わらずの余計な一言をにやりと言い放つと、杯の中身を一気に飲み干した。

 反論も皮肉も無駄と知りながら、それでも黙ってはいられなくて目の前のムカつく男を睨む。


「バカでも引く風邪があるんですね!」


 ぶっと盛大に吹き出したかと思えば、突然、今度はさっきよりも辛そうに咳込みだした。

 咄嗟に背中をさするも、どこまでも腹の立つこの男は、性懲りもなくにやりとしながら咳の合間に言葉を吐き出す。


「おい、あんまり近づくな。バカでも引く風邪だからな。移るぞ?」

「でも……って、それどういう意味ですか!?」

「アハハ。冗談だ。酒が変なとこ入ってむせただけだ」


 なっ……心配して損した!

 呆れながらも山崎さんが手拭いを差し出すと、それを受け取るバカ杉晋作の背中を思いきり叩いてやった。

 いってえ! と声を上げるも丁度咳は治まったらしい。


「咽たっていうから、叩いてあげたんです。止まって良かったですね?」


 わざとらしく満面の笑みを浮かべてみせるも、怒るどころかお腹を抱えて大笑いされた。

 やっぱり、この男には皮肉の一つも通じないらしい!

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