196 思わぬ再会
新年を迎えたけれど、土方さんが年始の挨拶状を二通も沖田さんに代筆させてしまうくらいには忙しかった。
そして、お正月気分もすっかり抜けた下旬。
非番の今日は、甘味を調達しに一人町へ出ていた。
目当ての店へつくと、同じく非番の隊士二人組が、縁台に腰掛けた一人の男性を威圧するように囲んでいた。
ここからでは後ろ姿しか確認出来ないけれど、のんびりと甘味を頬張るその人は、詰め寄る隊士らをものともせず適当にあしらっている様子。
とはいえ、万が一にも刃傷沙汰になったら大変なので声をかけようとするも、先に気づいた隊士の一人が私の元へやってきた。
隊士曰く、些細なことで言い合いになったというけれど、今はそんなことよりも、薩摩藩士だと言い張る土佐訛りの男性を怪しみ訊問しているのだという。
……って、土佐訛りの薩摩藩士?
あっ! と声を上げながらお互いに指を差し合うのは同時だった。
「琴月先生、この男をご存知なのですか?」
「知っているというか、その……以前、助けていただいたことがあるんです」
いつだったか……おまさちゃんが買い物中につわりを起こしてしまった時、手を貸してくれた人だ。
その時も薩摩藩士だと言っていたっけ。土佐出身の人と長く一緒にいたせいで、訛りが移ってしまったとも。
その時のことを告げれば、隊士らは納得した様子で男性に向き直った。
「琴月先生のお知り合いだとは知らず、失礼致しました」
「気にせんでええ」
“知り合い”といっていいのかわからないけれど、どことなくばつが悪そうに隊士たちが去って行ったあと、横へ少しずれた男性に促され相席させてもらった。
「おんし、新選組じゃったか」
「はい」
「ほんで、琴月言うがか?」
「そ、そうですけど……それが何か?」
思わず訝しむも、男性は顔の前で大げさに手を横へ振りながら、わははと豪快に笑ってみせた。
「ほうかほうか。ほんで、あん時一緒におった
「あ、はい。つわりも随分落ちついたみたいです」
「ほりゃあよかった。ほいたら、そろそろわしは行くき」
そう言って、残りのお茶を一気に飲み干し立ち上がると、人混みに紛れる寸前、思い出したようににかっと笑って振り返った。
「おんしとは、また会うかもしれん」
「え?」
二度あることは何とやら?
今度こそ完全に見失うと、三度目に備え名前くらい訊いておけばよかったかな? なんて思いながらお汁粉を頼んだ。
運ばれてきた熱々のお汁粉をふーふーと冷ましながら食べ進めれば、完食まで残り僅かという頃、笠を目深に被った男性が空いている隣に腰掛けた。
「この前はごめんね」
「……え?」
私に話しかけているのかと横を見れば、そこに座っていたのはなんと桂小五郎だった。
「えっ……。か、かつ――ッ!?」
突然、私の口元に人差し指を当てたかと思えば、耳元にすっと顔を寄せ小声で言う。
「
改名したの? それとも、こんな往来で口にされたくないがための偽名?
何にせよひとまず頷けば、開放されたので訊いてみる。
「桂さ、あっ、違っ……えっと…」
呼び方を変えるって意外と難しい!
「いいよ。呼びやすい方で」
「そ、それじゃ……桂さん。あの、どうしてここに?」
「僕のとこに来てくれるなら教えてあげる」
「結構です」
それは残念、とわざとらしく肩を竦めるも、桂さんは再び謝罪を口にした。
そういえば、最後に会ったのは禁門の変のあと……なぜか拐われかけたんだった。
桂さんらしからぬ行動だとは思うけれど、こうして無事だし、一年以上も前のことをいまさらどうこう言うつもりはない。
そんなことより、捕まえる側と捕まえられる側という構図なのに、生憎の非番で縄を持っていない。
どうしたもんか……と残り僅かなお汁粉の糖分を脳へ送りながら考えていれば、桂さんが小さなため息をついた気がした。
「晋作がさ、君に会いたがってる」
「……はい?」
晋作って、あのバカ杉……高杉晋作だっけ?
「私は別に会いたくないです」
「うん。でも、ごめんね。そういうわけにもいかないかな」
そう言って、どこか申し訳なさそうな顔で驚きの言葉を口にした。
新選組の監察が、長州に潜伏していることを知っているのだと。うち一人が、高杉晋作の近くにも辿り着いているのだと。
「僕らとしても、このまま放っておくわけにはいかなくてね。場合によっては、始末せざるを得ないことも理解して欲しい」
「そんなっ!」
「安心して、まだ拘束はしていないから」
まだ……? そんなの、いつでも出来ると言っているも同然だ。
それをせず、わざわざ伝えてくるということは……。
「人質……ですか?」
「どう捉えるかは任せるよ」
「何が目的ですか……」
「彼らを引き上げさせて欲しい」
「え……それだけですか? だったら、すぐにでも帰還命令を出すよう上に掛け合います」
とんでもない要求をされると思っていただけに拍子抜けするけれど、桂さん曰く、長州としても今は事を荒立てたくないらしい。
去年の九月、二度目となる長州征討の勅許が出たままこうして戦にもならず年も明けたけれど、わざわざ自分たちから火蓋を切るような真似はしたくなく、ぎりぎりまで来たるべき日に備えたいのだと。
その代わり、ある“条件”を提示してきた。
それは、私が直接長州へ行って彼らを引き上げさせること。そして、そんな要求を出したのは高杉晋作なのだとも。
つまり、表向きは監察らの撤収だけれど、最初に桂さんが言った台詞……高杉晋作が私に会いたがっている、それが本音なのだと。
高杉晋作……私と話がしたいからと、白昼堂々人拐いまでやってのけた人だ。
無性に腹が立つけれど、変な人に目をつけられてしまった私のせいで山崎さんたちを危険に晒すわけにはいかない。
大きく深呼吸をしてから、一つ大事なことを訊いてみる。
「また、ここへ戻って来られますか?」
新選組を離れたくはない。
けれど、散々来いと言われている敵地へ足を踏み入れるということは、それも覚悟しなければいけないのだと思う。
もしも戻って来られないのなら、お世話になったみんなにちゃんとお礼を言っておきたい。
私の真剣な眼差しに、桂さんはふっと表情を和らげた。
「帰したくはないよ。でも、こんな卑怯な真似で側に留め置いても、君を傷つけるだけだ。あんな姿はもう見たくない。勿論、君が望むならずっといてくれて構わないけどね」
「すみません。帰らせてください」
「相変わらず、つれないね」
そう冗談めかす桂さんは、このまま一足先に長州へ向かうらしく、国境に近い宿で合流することになった。
期限は今からおよそ半月後の二月五日、それまでに合流できなければ、潜伏している監察らの保証は出来ないとも。
「それじゃ、またね」
「……はい」
ともに立ち上がり、反対方向へと歩く。
本来なら捕まえるべき相手だけれど、“逃げの小五郎”なんて異名がつくくらいにはすばしっこい人だ。今一人で追ったところで撒かれてしまうだろう。
それに、ここで捕まえたら山崎さんたちまで捕らえられかねない。
今の私がすべきことは他にある、と急いで屯所へ戻った。
部屋へ入るなり、炬燵へは入らず文机に向かう土方さんの隣に正座した。
「土方さん。長州へ行かせてください」
「……は?」
あまりに言葉が少なすぎたせいか、土方さんが持っていた書状を落とした。
慌てて桂小五郎に会ったこと、そこで交わした会話の全てを伝えれば、速攻で却下されるかと思いきや、思わぬ言葉を呟いた。
「あの野郎、やはり生きてやがったか」
「え、生きてた?」
それじゃまるで、今まで生死不明だったみたいな言い方だ。
「以前、幕府が長州に桂と高杉の居場所を問いただしたら、“死んだ”と言われたらしい」
「えっと……生きてますよ? ついさっき会ったばかりですし……って、まさかさっきのは
「馬鹿。お前を疑っちゃいねぇよ。俺だって端っから死んだとは思ってなかったからな」
だからこそ、あえて私にも話さなかったのだと。
それでも、幕府ではそのように処理されたらしい。
「なら、生きてるって報告した方がいいんじゃないですか?」
「あのなぁ……。記憶がねぇ、素性も明かせねぇお前が、奴らとの関係をどう説明する気だ? こんな時だ、長州の間者じゃねぇかとお前に嫌疑がかかる可能性だってある」
「それは……」
「まぁ、幕府だってそこまで馬鹿じゃねぇさ。表向きは死んだことを受け入れても、はいそうですか、なんて信じちゃいねぇだろうよ」
それより、と土方さんの顔が険しくなると、腕を組み、話題は山崎さんたちの話に移る。
予想通り行く行かないの押し問答は時間だけが過ぎ、一向に交わらない主張に苛立ちを募らせては、どちらからともなく時折声を荒らげた。
「あいつらだって、全部覚悟のうえで動いてる」
「だからって、このまま知らないふりして見捨てろとでも言うんですか!?」
「んなことは言ってねぇ! だが、罠だったらどうする。お前が行ったところで、全員無事で帰ってこれる保証なんざねぇだろうが!」
たとえそうだとしても、だ。今の私に行かないなんて選択肢は存在しない。
だって、山崎さんの最期はたぶんここじゃないけれど、もしも歴史が変わっていたとしたら?
過去に囚われることはもうなくなったけれど、未来から来たという事実だけは変えられない。この先、中途半端な知識に振り回されることだって何度もあると思う。
それでも、そんな私に出来ること……ううん、やりたいこと。
土方さんの射抜くような鋭い視線を真っ向から受け止めると、ずっと握っていた拳を畳に下ろし、ゆっくりと頭を下げた。
「私は、この時代の人間じゃありません。それでもこうしてここにいる……。だから私も、みんなと同じように
ここへ来て、何度も何度も後悔してきたし、今度だってするかもしれない。
だからって、何もしないで諦めるなんて出来るわけがない。
沈黙を破ったのは、土方さんのチッという舌打ちだった。それは同時に、この論争の終了を意味していた。
「俺が許可しようがしまいが、どうせお前は一人ででも行っちまうんだろう……」
「えっと……ありがとうございま、す?」
様子を伺うように顔を上げた瞬間、とびっきり痛いデコピンが飛んできた。
呻きながら額を押さえれば、土方さんが腕を組み直す。
「今すぐにでも行きてぇ気持ちはわかる。だが、もう少しだけ待て」
どうやらなかなか進まなかった二度目の長州征討が、ようやく動き出すかもしれないらしい。
どこの藩も財政難を理由に消極的で、勅許が下りてからすでに四ヶ月が経過している。これ以上先延ばしにしては幕府の威信にもかかわるとして、長州藩に対し領土十万石の削減や、藩主親子の蟄居などの処分案を強く希望し、その勅許が丁度今日下ったのだという。
「長州処分通達の一行に先駆け、近藤さんが行くという話が出てるみてぇでな。行くなら近藤さんと一緒に行ってこい」
「はいっ!」
ふん、と不満げに文机に向き直る土方さんは、大げさな動作で読みかけの書状を手に取った。
けれどもすぐに、ぴたりと動きをとめた。
「まさか奴ら……これを見越して潜入を許したんじゃねぇだろうな……」
どうだろう……。
ただ、そう呟いた土方さんの横顔は、今にも書状を握りつぶしそうだった……。
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