181 祇園御霊会

 六月も半ば。

 いつの間にか梅雨も明けたようで、部屋から見上げた空は広く青くよく晴れている。


 松本先生に言われた通りすぐに豚や鶏を用意され、西本願寺の一角では養豚、養鶏が開始した。

 そして、弟子である南部精一郎さんが診察にも来てくれるおかげで、三分の一もいた病人のほとんどはすでに回復、隊務にも復帰している。


 そういえば、私が眠って過ごしている間も色々なことがあったらしい。

 新たな組織編成が組まれたことはもちろん、上洛中の大樹公が膳所ぜぜで狙われる、なんてこともあったらしい。

 事件そのものは未遂で終わったけれど、関わっていた人物の一人を一泊させ、逃走の手助けまでしたという人物を屯所まで連れて来て訊問したという。

 けれどこの人物、近藤さんや土方さんを黙らせてしまうほど、一癖も二癖もあるような人だったとか。

 結局、伊東さんの強い希望で放免になったのだと教えてくれた土方さんの口調は、伊東さんとの考え方の違いを強調しているようだった。




 気を取り直して、今日は沖田さんが隊士たちに稽古をつけてくれる日なので、さっそく迎えに行くことにした。

 沖田さんはひとたび剣を握ればスイッチが入るけれど、それまでは……放っておいたらふらりとどこかへ行ったりするので、こうして呼びに行くことも珍しくない。

 部屋へ行けば、予想通りのんびりと寛ぐ沖田さんがいた。開口一番稽古場へ誘ってみるも、団扇で涼んだまま、一向に立ち上がる気配もなく満面の笑みだけが返ってくる。


「春くんが僕の代わりに稽古つけてきてください。副長助勤にもなったわけですし」

「同格、なだけです」

「一緒じゃないですか〜」

「違います」


 まぁたぶん、一緒なのだとは思うけれど。


「そもそも、助勤がどうとか関係ないですからね? 撃剣師範は沖田さんです」


 撃剣師範とは、新たな組織編成がなされたのと同時期に設けられたもので、他にも柔術、文学、砲術、馬術、槍術がある。

 ちなみにこの撃剣師範には、永倉さんや斎藤さんも抜擢されている。

 面倒臭がる沖田さんの背中を押して部屋を出れば、観念したのかちゃんと稽古場へ向かってくれるのだった。




 竹刀を持った沖田さんは相変わらず容赦がなくて、普段の冗談を言ってはみんなを笑わせる姿からは想像もつかないほど豹変する。

 今日も絶好調のようで、時折、得意の三段突きを披露しては立合う隊士を順に転がしていくから、気づけば立っているのは私と沖田さんだけ、という状況になっていた。


「もうお終いですか?」


 そう言って沖田さんが呆れるも、返ってくるのは呻き声ばかり。根性が足りない、とぼやく沖田さんが、構えた竹刀の切っ先を私に向けた。


「じゃあ最後。春くん」


 やっぱりそうなるよね。もちろん、私もそのつもりでここへ来ているわけだけれど。

 今まで色んな人に教わりながら稽古に励んできたし、教わる時間が特に多かったのは沖田さんだ。

 この剣豪、沖田総司直々に教わる事が多いおかげか、今では三段突きの初段をまともに食らうことはほとんどないし、二段目ももう少しでかわせるようになるかもしれない……というところ。

 けれど三段目は、どうあがいても無理。

 目にも止まらぬ速さで繰り出される突きは、その速さに似合わず重く、防具を着けていても痛い。あんなもの、生身で食らった日にはしばらく立ち上がれないと思う。


 それに、沖田さんが強いのは三段突きだけじゃないし、それだっていつ繰り出されるかわからない。

 今回こそ! と立合うけれど、当然のごとく毎回負けるわけで……結局この日も悔しい思いをしながら稽古場をあとにすることとなった。


「相変わらず、春くんは剣筋まで素直でいい子ですね〜」


 それはつまり、駆け引きの一切がなく全部バレバレということか……。

 そんな話をしながら歩いていると、開け広げた襖の向こうに松本先生と山崎さんの姿を見つけ声をかけた。臨時の救急法として、縫合の仕方を教えているところらしい。

 手際も良く飲み込みも早い、と松本先生が山崎さんを絶賛すれば、謙遜する本人を差し置いて沖田さんが喜んだ。


「さすがは丞さんですね〜。これなら心置きなく隊士たちの稽古ができます」


 心置きなく……? 今でも充分心置きないのに?

 ふと、隣から感じる不穏な視線を辿れば笑顔の沖田さんと目が合った。


「まだ稽古したりなそうですね~?」

「いえ! 今日はもう充分ご指導いただきましたからっ!」


 顔の前で両手を振って拒否すれば、突然、山崎さんに腕を掴まれた。


「春さん。ここ、痣になってます」


 ずり落ちた袖から除く腕には、小さいけれど確かに新しい痣ができていた。

 とはいえ、稽古後なので珍しくも何ともない。


「これくらい平気ですよ?」

「駄目ですよ。跡が残ったら大変ですから」


 そう言って、相変わらず過保護な山崎さんが優しく丁寧に薬を塗ってくれていると、前方から藤堂さんがやって来た。


「こんなところにいた」


 誰を探していたのだろう?

 松本先生、山崎さん、そして沖田さんを順に見ていたら、藤堂さんが吹き出した。


「アンタのことだから」

「……私でしたか」

「今から祇園御霊会ぎおんごりょうえ行かない?」


 どうやら今日六月十四日は、祇園御霊会の後祭あとのまつりらしい。

 去年の大火で山鉾の多くが被害を受け、前祭さきのまつりの巡業は中止になったと聞いていたけれど、後祭は規模が小さいながらも今年も巡業するのだという。

 色々あって去年は行けなかったし、今年は是非とも行ってみたい!

 二つ返事で承諾すれば沖田さんも一緒に行くことになり、ならば山崎さんもと誘ってみたけれど、もう少し松本先生に教えてもらいたいからと断られた。


「私は新選組の医者ですから」


 山崎さんのそんな冗談に、みんな一斉に吹き出した。

 何でもそつなくこなしてしまう山崎さんなら、監察方を辞めても医者としてやっていける気がする。

 ちなみに“監察方”は、正確には“諸士調役しょししらべやくけん監察かんさつ”という呼称に変わっている。

 そんな少し言い辛い諸士調役兼監察の山崎さんの働きは、近藤さんや土方さんが高く評価し頼りにしているので辞められたら大打撃だと思う。




 三人で山鉾が巡業するという場所へ行くも、聞いていた通りほんの数基しかなかった。

 それでも、大火なんかに負けじと賑わっている。

 屋台の方へ移動すると、お団子や天ぷらを売っているお店や、鎌や鍬などの農具を売るお店まであり、私の時代ではなかなか見ないような光景に目を奪われていると藤堂さんが訊いてきた。


「何か食べる?」

「えっと……かき氷が食べたいです」


 とは言ってみたものの、“氷”と書かれた涼し気な旗がどこにも見当たらない。

 それどころか、かき氷なんて食べたことあるの!? と二人同時に驚かれた。

 よく考えたら、この時代に冷凍庫なんてないし冷蔵庫でさえ存在しない。

 どうやらかき氷じたいは存在するけれど、やっぱり夏場の氷は貴重なものらしく、将軍様や大名、豪商くらいしか口にできないんだとか。


 うっかり素性がバレてはマズイと適当に誤魔化せば、記憶がないせいですね、と憐れむような目の沖田さんによしよしと頭を撫でられた。便乗するように、藤堂さんまで無言で撫でてくる。

 記憶喪失設定……便利だけれど、時々複雑な気分にさせられるのだった……。




 かき氷の代わりに安定のお団子で小腹を満たすと、再び屋台を見て回ろうと歩き出す。

 しばらくすると、飴細工のお店を見つけ足を止めた。


「凄いですね……」


 鳥などの動物を形作ったものがずらりと並び、どれも精巧な作りで眺めているだけで楽しめる。

 せっかくだから一つ買おうと選んでいると、一足先に会計を済ませた藤堂さんが私の目の前に飴細工を差し出した。


「あげる」

「わ、可愛いネズミですね! いいんですか?」

「うん」


 お礼を告げてありがたく受け取るも、ふと気づく。

 ネズミ……。これはまさか、ハツカネズミ!?


「春みたいでしょ?」


 やっぱり! せめてハムスターがいいのだけれど!

 わざとらしい笑みを浮かべる藤堂さんにするべく犬の飴細工を買おうと手を伸ばすも、横から伸びてきた沖田さんに阻まれた。


「春くん、あっちにもいいのがありますよ〜」


 そのまま手を引かれ連れていかれたのは、数軒先にあるお面屋さんだった。

 沖田さんは鬼のお面を手に取るなり、顔にあてがいやけに低い声で言い放つ。


「おい、平助!」


 思わず揃って吹き出した。


「もしかして、土方さんの真似ですか?」

「そっくりでしょ?」

「総司さん……それ、オレじゃなくて“総司”でしょ。オレに置き換えないで」


 そう文句を言いつつも、藤堂さんはいまだ笑いが止まらないようで、ひとしきり笑ってから目尻に浮かんだ涙を指で拭っていた。

 土方さんにこの鬼のお面を買って帰って反応を見てみたい……。まぁ、速攻でデコピンが飛んできそうだからやらないけれど。

 なんて思ってる間に、沖田さんがお会計を済ませた。


「はい。これ、春くんにあげます」


 お、沖田さんめっ! 私から土方さんに渡せと!?

 けれどもよく見てみると、沖田さんが差し出していたお面は鬼ではなかった。


「あれ……猫ですか?」

「うん。じっとしててください」


 そう言うと、私の頭の横につけてくれた。

 猫……。何だか猫っぽい沖田さんらしい。


「ありがとうございます。お二人も何か欲しいものありませんか?」


 けれども二人は、揃って何もいらないという。

 それならば、と少しすき始めた小腹を満たす食べ物でも奢るべく、再び屋台を見て回ろうと歩き出した時だった。すれ違う人にぶつかりよろけるも、二人が左右の腕を掴んでくれたおかげで転ばずに済んだ。


「す、すみません、ありがとうございます……」


 けれども腕はそれぞれ掴まれたまま、なぜかまだ放してはもらえない。

 どうしたのかと首を傾げれば、持っていた飴細工をひょいと藤堂さんに奪われた。


「アンタ危なっかしいから、コレは持っててあげる。お腹すいたんでしょ? ほら、行くよ」


 そう言って、腕を開放するなり空いた私の手を取り歩き出す。

 どういうわけか、沖田さんまで腕から手を離したかと思えばそのまま手を握ってきた。


「迷子になったら探すの大変ですからね〜」


 確かに、人も多いしよそ見をしようものならぶつかって危ない。それに、はぐれたら合流も簡単ではないと思うけれど……。


「私、子供じゃないので大丈夫ですよ?」


 聞こえていないのか、一向に返事がない。

 あのっ! と手を引く二人に少し強めに呼びかければ、あろうことか私のお腹が鳴った……。

 次の瞬間、二人がようやく私を見た。


「アンタってホント面白い」

「春くんは本当に素直でいい子ですね〜」


 そりゃどういう意味だっ!

 素直なのは私じゃなく私のお腹であって、狙っているわけではないので面白くもないし恥ずかしいだけだから!

 だいたい、そんな音だけしっかり聞こえるっておかしいからね!


 楽しげに笑う二人に訴えるけれど、何だかんだと理由をつけてはあっさり拒否されてしまい、結局三人で手を繋いだまま屋台を見て回るのだった。

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