158 山南さんの怒り②

 土方さんと山南さんがお互いの主張をぶつけ合ったその日の夜、山南さんは久しぶりに高い熱を出し寝込んでしまった。

 翌日、隊務の合間を縫って沖田さんと一緒に山南さんの部屋を訪ねるも、心配をかけてすまない、と苦笑されるばかりで、深く訊くことはもちろん、無駄に長居することもできなかった。


 それでも、少しずつ快方に向かっているようで、数日後にはだいぶ熱も下がり起きている時間の方が多くなった。

 毎日沖田さんとお見舞いに行っていたけれど、二月も下旬に差しかかった今日はタイミングが合わず、私一人で行こうとすれば文机に向かう土方さんに呼び止められた。


「様子はどうだ?」

「山南さんですか?」


 襖にかけた手もそのままに、振り返りざま質問に質問を重ねてみるけれど、こちらを見ることもなく筆を片手に文か何かを書き綴っている。

 否定も肯定もしない土方さんに向かって山南さんの容態を告げれば、そうか、と短い返事があった。


「土方さんも一緒に行きますか?」

「……見ての通り俺は忙しい」


 まぁ、そう言うだろうとは思ったけれど。予想通りついでに一応訊いてみる。


「何か伝言はありますか?」


 あの日、二人の主張は平行線を辿ったまま、交わることも譲り合うこともなかったらしい。

 ピタリと筆を止めこちらを振り向く顔は想像以上に険しくて、出過ぎた真似をしたかと内心焦る……。

 けれど、土方さんはすぐに紙の上へ視線を戻し、ぶっきらぼうに言い捨てた。


「早く治して総長の仕事をしろ、とでも言ってこい。近藤さんが忙しいって嘆いてる」

「近藤さんだけ、ですか?」


 思わずこぼれそうな笑みを堪えて大げさに首を傾げてみせれば、とっとと行ってこい! と一際大きな怒鳴り声の追い立てられるのだった。




 山南さんの部屋へ行けば、昨日よりも随分と顔色も良く、布団の上で身体を起こし先客とお喋りをしていた。

 改めて出直すと告げるも、山南さんと布団の脇に座る先客……伊東さんが揃って手招きしている。


「琴月君。伊東さんがお団子を差し入れてくれたんだ。よかったら一緒に食べないかい?」

「私たちだけでは食べ切れそうにないので、どうぞ遠慮せず」


 この組み合わせに私一人……正直あまり気は進まないけれど、二人分の穏やかな笑みとお団子に誘われ伊東さんの隣に腰を下ろした。

 さっそく伊東さんが差し出してくれたお皿からお団子を一本手に取れば、二人は途中だったらしい会話を再開し始める。


 やっぱり私は邪魔なんじゃ? そう思うも今さら退出するのは気まずくて、黙々とお団子を頬張りながら二人の話にほんの少しだけ耳を傾けた。

 どうやら二人は、天狗党に関する話をしているらしい。


 天狗党……確か過激な尊王攘夷思想の人たちで、関係の深い一橋慶喜よしのぶ公を通して朝廷へ尊王攘夷の志を伝えようと京へ向け進軍するも、阻止するべく組まれた討伐隊の総大将がなんとその一橋慶喜公だったんだっけ。

 その関係で新選組も瀬田へ行ったりして、去年のうちに投降したとも聞いたけれど。

 ……そんな記憶を呼び起こす私の隣で、伊東さんが小さなため息をついた。


「今月に入ってからもう三百人以上です。こんなことをして、いったい何になるというのか……」


 三百人? 話が見えずつい首を傾げれば、山南さんがどこか悲しげな表情で説明してくれる。

 捕らえられた天狗党は八百名以上で、劣悪な環境で収容されたあげく、今月の四日には幹部二十四名が斬首刑に処されたらしい。それからも日を開け次々と処され、すでに三百名以上が処刑されたのだと。

 簡単に説明を終えた山南さんに向かって、伊東さんは膝の上に置いた手をきつく握りながら悔しそうに呟いた。


「国難を前に手を取り合わなければならない時に、なぜこんな……。一橋殿にも失望しましたが、こんなことをしている今の幕府に未来などないのでは――」

「伊東さん! 滅多なことを言うもんじゃない」


 決して怒っているわけではないけれど、山南さんのその声の大きさに驚いたのは伊東さんも同じだったようで、ハッとしたように苦笑した。


「すみません、少々口が過ぎてしまいましたね。感傷的になり過ぎてしまったようです」


 ばつが悪そうにする伊東さんは、ひと呼吸おいて私を見た。


「琴月君は、今回の天狗党の処分をどう思いますか?」


 どう思うと訊かれても、正直困る。

 いくら志があったとしても、討伐隊が出る時点でそれなりのことをしてきたということなのかもしれないし。

 だからといって、すぐに処刑というのもどうかとは思う。こんな短期間で、一人一人をきちんと調べたとは思えないし……。


 詳しいことはわからないけれど、譲れない、相容れない想いの結果なのだとしたら、本当にやるせない。

 情勢について上手く言葉にできない代わりに、ただ一つ、はっきりとした願いともいえる言葉を口にした。


「みんな仲良くすればいいのに……と思います」

「仲良く……?」

「……はい。攘夷だ何だの言ってないで、国内外問わず仲良くすればいいのにって思います」

「それはつまり、攘夷には反対と?」

「反対も何も、国内で争いながら異国とも戦争だなんて無理だと思います。だいたい、よく知ろうともしないで追い払うために戦争だなんて、バカらしいです」


 異国の文化やモノが普通に存在する生活をしてきた私には、攘夷なんてしなくても……と思ってしまう。

 けれどこの時代、みんな当たり前のように攘夷を望んでいて、その方法を巡って争いまでしている。

 だからなおのこと思う。


「本気で攘夷がしたいのなら、こんな小さな国の中で対立しあってる場合じゃないと思います」


 きっぱりと言い切った私に、伊東さんはどこか感心したようにうんうんと頷いていた。


「琴月君。私の勉強会にきてくれませんか? 君とは是非、もっと深く議論を交わしてみたい」

「いえ、私は……」

「遠慮しないで」


 いや、遠慮なんてしていない。

 議論を交わせるほど情勢に詳しくもないし、何より伊東さんとそんな話をしたいと思えない……。

 そんな私の心中など知る由もなく、そろそろ隊務があるからと言って立ち上がった伊東さんは、また来ます、と爽やかに言い残して部屋を出ていくのだった。




 伊東さんが部屋を出て行ったあと、山南さんが私に向かって軽く頭を下げた。


「この間は見苦しいところを見せてしまって、すまなかったね」

「……いえ」


 もしかしなくても、土方さんと言い合いをした時のことだよね。

 お互いに譲歩することはなかったみたいだけれど、どちらも本音をぶつけ合うことはできたのだろうか。

 たとえ交わることがなかったとしても、相手の考えを知っているのといないのとでは違うから……。


「納得はしていないけど、私も言いたいことを言って随分すっきりはしたよ」


 そう言って山南さんは苦笑した。

 直後、真っ直ぐに私を見て何かを問いかけようとするも、いや……と続く言葉を飲み込んだ。

 なんとなく山南さんの言いかけた言葉の先がわかってしまったから、私の想いを告げるべくゆっくりと口を開いた。


「屯所の移転には賛成です。ただ、西本願寺がいいのかどうか、正直私にはわかりません」

「うん」

「西本願寺にしたい理由もしたくない理由も、どちらの意見もわかるので……」


 長州を始めとする過激な尊攘派が、またいつ、池田屋の時の市中放火計画のようなとんでもない計画を立てないとも限らない。それらを防ぐためにも取り締まることは必要だし、そのために必要な武力、最低限の力は必要だと思うから。

 けれど、武力で制するだけでは溝や反発を生み、本当の意味での解決にはならない。

 やられたからやり返す。そんなことになったらもう、反撃もできなくなるまでどちらか一方を徹底的に潰すまで終わらない……泥沼になってしまうから。


 ……なんて、思ったままを告げてはみたものの、嫌というほど現実を見せつけられてきたわりにはどっちつかずのはっきりしないあやふやな意見に、自嘲の笑みを隠すように俯いた。

 代わりにこぼれたのは、さっきも口にした願いにも似た言葉だった。


「みんな仲良くできればいいのに……」

「みんな仲良く……か。琴月君らしいね」

「……すみません」

「どうして謝るんだい? 責めてなどいないよ?」


 どこか慌てた様子の山南さんに、ゆっくりと首を振ってみせた。


「みんなこの国のために命をかけて生きているからこそ、譲れずにぶつかり合ってしまうのに。一人平和ボケし過ぎた考えなのかなって……」


 それに、こんなことを言ってしまったら怒られるかもしれないけれど、私が目指しているのは国のためなんてそんな大層なことなんかじゃないから。

 目の前にいるみんなを、新選組を救いたい。ただそれだけだから。

 そんな私に山南さんが微笑んだ。


「みんな仲良く……良い言葉だと私も思うよ」

「あ……はいっ!」


 呆れられてもおかしくないのに、山南さんはやっぱり優しい。

 つられて笑みを返しながら、土方さんだったらきっと容赦なくデコピンをしてくるに違いない……そう思ったら、土方さんの伝言を思い出した。


「そういえば土方さんが……早く治して復帰して欲しいって言ってました」

「本当にそう言っていたのかい?」


 どこか悪戯っ子の笑みとともに向けられる視線に耐えきれず、思わず宙を見ながら付け加えた。


「えーっと……言い方はちょっとだけ違いますけど……でも、そういうことだと思います!」


 語尾だけははっきりと告げれば、そうか、と笑われた。


「歳は、相変わらずだね」

「そうですね」


 そう言って、ここにはいない人を思い浮かべて笑い合うも、山南さんの笑顔はなぜだか酷く儚く見えた。

 しばらく他愛ないお喋りを続けるも、あまり無理をしてぶり返してはいけないのでそろそろ戻ることにした。

 立ち上がり部屋を出ようとすれば、後ろから名前を呼ばれ振り返る。


「前にも言ったかもしれないけど、君は、本当に心の強い人だと思う」

「……私がですか?」


 驚いて問いかければ、山南さんは微笑みながらはっきりと頷いた。

 けれど、突然そんな風に褒められては少し擽ったくて、照れを隠すように告げた。


「あっ、明日は沖田さんもつれて来ますね!」


 微笑んだまま頷く山南さんを見届けてから、ゆっくりと襖を閉めた。






 翌日、山南さんの部屋から“江戸へ行く”と書かれた置き手紙が見つかった。

 すぐさま事情を知る人たちで屯所中を探すも、山南さんの姿はどこにも見当たらなかった――

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