156 斎藤さんと居酒屋へ

 誕生日から数日が過ぎた二月の上旬、新暦に直したらおそらく三月くらい。

 今では人数も増え七十名ほどの大所帯となり、今後も隊士が増えることを考えると、前川邸や八木邸の離れだけではもう限界だった。

 広間で隊士たちがひしめき合うたびに屯所移転の話題も上がり、ついに近藤さんや山南さん、そして土方さんを中心に手の空いた副長助勤らも交え、本格的な話し合いがされることとなった。


 大人数とはいえ分宿は効率が悪く、大きなお寺などそれなりに広い施設を屯所として使わせてもらうのが妥当だと、そういう方向で話し合いが進められているらしいけれど、思うようにまとまらないのか、今日一日だけでも数度の小休止を挟みながらの話し合いが続いていた。

 そして夕刻、ようやく部屋へ戻ってきた土方さんは、見るからに不機嫌だった。


「どうかしたんですか?」

「どうもこうもねぇ。あの頑固野郎め」

「頑固野郎……」


 じっと土方さんの顔を見つめれば、誰とは言っていないのに睨まれた。

 どうしてバレたんだ!


「山南さんだ。西本願寺の一部を新しい屯所にすりゃいいと言ったら、猛反対してきやがった」


 西本願寺は長州よりのお寺で、京を追われている長州の人間を匿ったり、変装させて逃したりしているという話を前に聞いたことがある。

 つまりはそんなお寺だからこそ、長州の動向を監視すると同時に牽制するために、あえて西本願寺の一部を新しい屯所にしたいということらしい。

 けれど山南さんが猛反対していると。


 とはいえ、賛成しようが反対しようが最終的に許可を出すのはお寺のはず。

 長州側からしたらある意味敵と言ってもいい新選組には、たとえ一部だろうと使わせたくないと思うのが普通だと思うのだけれど……そこを突っ込んだら得意げに鼻で笑われた。


 どうやら禁門の変の時、西本願寺が敗残兵を匿うところを新選組の隊士や会津藩が目撃し、火をかけようとしたことがあったのだとか。

 仲裁が入り結局は免れたけれど、その時のことを交渉に使うらしい。

 つまり、その時の恩を形で返せ……ということだろうか。

 なんだか不貞な輩みたい……なんて思ったらおでこを弾かれそうになり、ギリギリのところでかわしてみせた。


「チッ……文句があるならお前も大部屋に押し込むぞ」

「あっ、稽古場行ってきますっ!」


 どのみち移転の話は上の人間が決めることであって、私の出る幕なんてない。

 夕餉まではまだ時間があるので、とばっちりを食う前に退散しようと稽古場へ向かうのだった。




 途中、斎藤さんが前方からやって来た。

 暇なら稽古をつけてもらおうと駆け寄るも、正面に立つなり最初に口を開いたのは斎藤さんの方だった。


「つき合え」


 そう言って、片手で私の腕を掴んだかと思えば返事も待たずに歩き出す。


「わっ、斎藤さん!? どこ行くんですか?」

「行けばわかる」


 それはそうだけれど!

 行き先くらい教えてくれてもいいじゃないか。

 半ば引きずられるようにして連れて来られたのは、伊東さんの勉強会だった。

 伊東さんはまだ来ていないみたいだけれど、開催するごとに徐々に人も増えているみたいで、この間来た時よりも多くの隊士が集まっている。

 比較的前の方で斎藤さんが腰を下ろせば、掴まれたままの腕も引っ張られ、私まで強制的に隣に座る形となった。


「帰ってもいいですか……」

「伊東さんに興味があるんじゃなかったのか?」

「ないですよ」


 あの人に興味なんてない。

 ただ、どうして新選組を二分するのか、どうして近藤さんの暗殺を企むのか……その理由を知りたいとは思う。

 あれ……これって、興味があるということになる……?


「相変わらず、表情が忙しない奴だな。そんなに気になるのなら、まずは相手を知れ」


 そうやってどこかお説教じみたことを言う斎藤さんも、相変わらずだと思う。

 悩んでいる間にも伊東さんがやって来てしまい、勉強会も始まってしまった。今さら退出するのは変に目立ちそうで、仕方なくこのまま参加することにした。

 攘夷だ何だのの話の中で長州征討の話にも触れ、三家老が責任を取る形で切腹になったけれど、薩摩が間に入ったことで大きな戦にはならなくてよかった、とそんな感じの話をしていた。


 何度聞いても伊東さんの考え方は平和的で、その人柄を見ても悪い人には思えなかった。

 頭が良くて先を見据えることもできて、本当にこの国のことを考えているようにしか思えない。

 だからこそわからなくなる。そんな人がどうして……と。


 今日も山南さんは一番前に陣取っているらしく、伊東さんの言葉に時折うんうんと頷く姿が目に入る。

 隣の斎藤さんだって、いつものように私をからかいながらも、伊東さんの話にしっかりと耳を傾けているように見えた。

 そんな光景を見るのは正直落ちつかなくて、ただ漠然と嫌だった。


 気づけば勉強会は終わり、みんなに続いて私と斎藤さんも部屋を出ようとしたところで伊東さんに声をかけられた。


「琴月君。屯所の移転先ですが、土方副長はやはり西本願寺にしたいと?」

「はい。そんな感じでしたが……」

「そうですか」


 爽やかな顔が若干曇ったような気がする。もしかして、伊東さんも山南さんと同じく反対なのだろうか?

 そんなことを思いながらその場をあとにすれば、少し先を歩く斎藤さんが振り返った。


「琴月、もう一箇所つき合え」

「今度はどこへ行くんですか? もうすぐ夕餉ですけど……」

「正月に約束しただろう。飲みに行く」


 そういえば、そんな約束をしたっけ。

 夕餉にありつけないのは困るけれど、行き先が居酒屋であればそこで済ませればいいし、今なら美味しいお酒も飲める。

 わかりました、と一度部屋へ戻り支度を整えてから、斎藤さんとともに居酒屋へ向かうのだった。




 斎藤さんに案内されたのはこじんまりとした居酒屋で、小上りの座敷に上がって向かい合わせに座ればすぐに二人分の注文をしてくれる。

 この時代、食事をするのにテーブルを使うということはないので、お酒や肴を乗せたお盆が直接座敷の上に置かれた。

 斎藤さんに注ごうと徳利に手を伸ばすも、先に奪われてしまった。


「不満がだだ漏れだな」


 そう言いながら杯を持つよう促され、申し訳ないと思いつつも先に注いでもらった。

 不満……なのかな?

 徳利を受け取れば、斎藤さんにも注ぎながら逆に訊いてみる。


「斎藤さんは、伊東さんの考えに賛同してるんですか?」

「なぜそんなことを訊く?」

「伊東さんの勉強会に、熱心に参加しているみたいなので……」

「つまり、俺の心が伊東さんに移ったように見えて、お前は寂しいと」

「なっ……そういうことじゃないです!」


 にやりと意地悪に弧を描いた唇が、注いだばかりのお酒を一気に飲み干した。つられたように私も一杯目を一気に飲み干せば、斎藤さんが訊いてくる。


「そういうお前はどうなんだ?」

「私は……よくわからないです。凄く良いことを言っているとは思うんです。思うんですけど……」


 “兄が嫌っていた人物”


 その記憶がなければきっと、伊東さんの考えにも心から賛同していたかもしれない。

 けれど、その記憶がある限りきっと、信用することはできないのだと思う。


「無理に受け入れる必要はないだろう」

「……それはそうですけど」

「俺とて心移りしたわけではない。俺の心を引くのはお前だけだからな」

「なっ……」


 そうやって、すぐからかおうとする!

 このままでは訊きたいことまではぐらかされる、と強い視線で斎藤さんを見つめれば、さっき以上に意地悪な笑みが返ってくる。思わず言葉ごと二杯目も飲干せば、くくっと喉を鳴らして笑われた。

 さすがに三杯目からはゆっくりと飲んでいたはずだけれど、徐々に瞼は重くなり、向かいに座っているはずの斎藤さんの声も、段々と遠ざかっていくのだった……。






 翌朝、よく晴れたいい天気だというのに雷が落ちてきた。


「この馬鹿っ!」


 あ、頭に響く……。

 斎藤さんと居酒屋にいたはずが、気づけばこうして自分の部屋にいた。土方さんの部屋でもあるから当然土方さんもいるわけで、こうしてもの凄く怖い顔で睨んでくる。

 これはつまり……?


「斎藤におぶられて帰ってくるとは、どういう了見だっ!」


 やっぱりか……って、え?

 てっきり駕籠に乗せられて帰って来たのだと思っていたけれど……。


「お、おぶられて帰って来たんですか?」

「覚えてもいねぇのか! 馬鹿野郎っ!」


 ただでさえ頭が痛いのに、かわす間もなくデコピンまで飛んできた。

 涙目でおでこをさすっていれば、土方さんがまた怒鳴る。


「お前はしばらく禁酒だ、禁酒! 餓鬼は茶でも啜ってろ」

「ええっ……」

「うるせぇ。飲み方を覚えるまで飲むんじゃねぇ!」


 思わず口を衝いて出そうになった反論は、その鋭い視線に気圧され飲み込んだ。

 お酒が飲めないのは少し残念だけれど、これ以上の雷は回避したい。若干逃げるように部屋をあとにすれば、その足で斎藤さんを探すことにした。


 稽古場にいると聞き向かえば、道場の隅にその姿を見つけた。

 背を向けたまま木刀を振るう斎藤さんに声をかけようと近づくも、振り向きもしないその背中が、私よりも先に動きを止めることなく声をかけてくる。


「どうした? 禁酒でも言い渡されたか?」

「……はい。それより、ご迷惑をおかけしたみたいで、すみませんでした……」


 深々と頭を下げたまま返事を待てば、落ちた視線の先に斎藤さんの袴が映り込む。


「あのままどこかへ連れ込んでもよかったんだがな」

「なっ……」


 慌てて顔を上げた私の頬にすっと片手が添えられると、見下ろす大きな瞳がどこか鋭く細められた。


「誰彼構わず寝顔を見せるのは感心せんな」

「……はい。ごもっともです」

「だが、お前の寝顔を見れるのは悪くない」

「さ、斎藤さんっ!」


 くくっと喉を鳴らすその姿に、斎藤さんらしいお説教の仕方だと思わず苦笑しながら、しばし稽古をつけてもらうことにするのだった。

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