155 誕生日と梅の花言葉②

 豪華な昼食を終えると荷物はこのまま置いておき、さっそく北野天満宮へ向かった。

 境内へ足を踏み入れればまだ少し冷たい風の中に、さっきまではなかった仄かな梅の香りが混じる……今年も見事に満開だった。


「わぁ……土方さん、今年も満開ですよ!」


 誕生日に大好きな梅が満開だなんて、暦が違う私のいた時代では味わえなかった贅沢だ。

 返事も待たずに梅の木に駆け寄れば、間近に迫った枝を一つそっと手繰り寄せ、その香りを一杯に吸い込む。

 隣に来た土方さんが、いつになく優しい顔で私を見下ろした。


「本当に梅が好きなんだな」

「はいっ! 花の中では梅が一番好きなんです。誕生花が梅だからっていう単純な理由なんですけどね」


 肩を竦めるようにして土方さんに苦笑を返せば、若干首を傾げるようにして眉間に皺が寄った。

 そういえば、花言葉なんかは明治になって西洋文化とともに入ってきたものだったと思うから、誕生花なんかもそれ以降なのかもしれない。

 誕生花とは、誕生日ごとに花が割り当てられたものなのだと教えれば、すぐに理解してくれた。


「つまり、二月一日の誕生花が梅だから、お前は梅が好きってことか」

「はい」

「なら、五月五日の誕生花は何なんだ?」

「……さぁ、知りません」

「は?」

「そんなの自分のしか覚えてませんし」


 三百六十五日、全ての誕生花を覚えている人などそうそういないと思う。そもそもここは旧暦なので、一年が三百六十五日ですらないはずだし。

 若干残念そうな顔をする土方さんから視線を外して再び梅を見渡せば、ふと、出かけ際に沖田さんが口にしていた句を思い出した。


「梅の花 一輪咲いても 梅は梅……でしたっけ」

「……おい」

「え?」


 土方さんの声音はやけに不機嫌で、眉間には皺まで寄っている。

 それなりに有名な人の句だと言っていたけれど、もしかして土方さんは、この句が嫌いだったりするのだろうか。


「これを詠んだ人って、よっぽど梅が好きなんですかね?」

「……ああ」

「なんていうか……決して上手い句だとは思えないんですけど、伝わって来るものはありますよね」

「……悪かったな」


 ……へ? どういう意味だ?

 土方さんの眉間の皺はより一層深くなり、なぜか睨みながら一歩詰め寄ってくる。

 こ、この展開はまさか……。


「俺の詠んだ句だ」


 やっぱり、そういうオチか!


「下手くそで悪かったな」

「へ、下手とは言ってませんよ! 上手いとは思えない……とは言ったかもしれませんけど……」

「一緒だ馬鹿野郎!」


 お、沖田さんめっ!

 当然のように飛んできたデコピンに、おでこをさすりながら心の中で文句を叫んでみるものの、このままではさらにとばっちりを食らいかねない。

 機嫌を直してもらうべく、とっとと話題を変えてしまうことにした。


「そ、そういえば、梅の花言葉って土方さんにぴったりかもしれないですよ」

「花言葉?」


 花の一つ一つにいくつかの象徴的な意味を持たせたものだと説明すれば、少し興味を示した様子だった。


「俺に似合うという梅の花言葉は何なんだ? しょうもねぇのだったら承知しねぇぞ」

「じゃあ、言うのやめておきます」

「おいっ、気になるじゃねぇか!」


 なら最初から黙って聞いていればいいのに……という突っ込みは、なんとか飲み込み土方さんを見上げた。


「高潔とか忍耐、忠実っていう意味があるんですけど、中でも一番似合うのは……忠義かなって」

「ほう。梅で忠義か。まるで菅原道真公を連想させるな」

「あっ、そう、それです。それが由来らしいです」


 菅原道真の飛梅伝説。道真の愛でていた梅の木が、一夜にして京から道真が左遷させられた太宰府まで飛んでいったというもの。

 土方さんは飛んでいかないけれど、戊辰戦争では最後の最後まで幕府側として戦う。その姿は、忠義と言い表してもいいような気がするから……。


「おい、突然泣きそうな顔してどうした?」

「……え?」


 慌てて視線を上げれば、心配そうな顔の土方さんと目が合った。


「……大丈夫です。すみません」

「お前の大丈夫は当てになんねぇって、前にも言っただろうが」

「え、あー……でも、本当に何でもないです」


 相変わらず、その目は何でもお見通し。

 なんだか少し悔しいから、それより……と話題を逸らした。


「花言葉って、元々は西洋から入ってきた文化なんで、当然西洋にも梅の花言葉があるんですよ」

「異人どもの考えることなんざ、どうせしょうもねぇもんなんだろう?」

「キープ ユア プロミス」


 英語なんて喋れない私の拙いカタカナ読みの発音に、土方さんが間抜けな声を上げた。


「……は? 気風きっぷの湯は御簾みすだぁ?」


 いや、全く意味がわからないから。

 とんでもない聞き違いをしているのだろうと笑いを堪えながら、顔をしかめる土方さんに説明する。


「西洋の言葉で、“約束を守る”って言う意味の言葉です。もちろん忠義もいいですけど、約束を守るっていうのも素敵だと思いませんか?」

「ふん。異人もなかなか洒落たこと考えるじゃねぇか」

「そりゃ、文化や見た目が違えど同じ人間ですからね」


 だから、攘夷だ何だと争ってなんかいないで、国内外みんなまとめて仲良くすればいいのに……と、心の中で思いながら苦笑を浮かべれば、ふと、芹沢さんに託されたことを思い出した。

 悲しい結末には全力で抗うつもりだけれど、それでももし……もし抗えきれない日がきてしまったとしたら……。

 ううん。どんな結末であろうと、私自身で、この目で見届けなければいけない。それが、芹沢さんとの約束を守ることにも繋がるはずだから。


「泣きてぇ時は泣けと言っただろうが」


 頭上から聞こえる声はどこか呆れながらも温かくて、視線を上げることなくおどけてみせた。


「まだ泣いてませんよ」

「確かにまだ泣いちゃいねぇけどな」


 小さく吹き出した土方さんは、俯く私の顎を片手で掬い上げ僅かに上向かせる。

 強制的に上げられ広がった視界には、青い空と赤い梅を背にする土方さんのどこか意地悪な顔があった。


「前にも言ったが、泣く時は隠れて泣くんじゃねぇ」

「……それは、約束しかねます」


 泣き顔なんて、そう何度も人に見せるようなものでもない。


「副長命令だと言っただろう。泣くなら俺の前で泣け」

「職権乱用、横暴です」

「うるせぇ。隠れて泣かれたら、拭ってやれねぇだろうが」


 それは、いつぞやのように泣いても涙を拭ってくれるということだろうか。

 確かに……土方さんのおかげでこうして再び前を向くことができたのは事実だけれど……って、思い出したらなんだか妙に恥ずかしくなってきた!

 そんな私を知ってか知らずか、土方さんは顎を捉えていた手を頬へと滑らせた。


「“忠義”もいいが、お前が言うように“約束を守る”ってのも悪くねぇ。俺も梅が好きだからな、その花言葉通り約束は守るさ」

「……約束?」

「ああ。お前の涙くらい拭ってやるって言っただろう」


 間近で向けられた視線は妙にこそばゆい。逃れるように俯こうとするも頬に添えられた手がそれを許してはくれず、仕方がないので開き直って微笑んだ。


「じゃあ、今度泣いた時はそうしてください」

「おう」


 とどこかぶっきらぼうな返事をした土方さんは、すっと私の頬を開放し、そのままポンポンと頭を撫でるのだった。

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