139 藤堂さんと紅葉散策

 江戸出立の数日前、この日はみんな何の予定もなく、それぞれ好きなところへ出かけていた。

 近藤さんも家族水入らずで出かけてしまったし、武田さんや尾形さんの姿も朝から見かけない。私もせっかくだから江戸を散策してみたいと思い、前日の夜に永倉さんと藤堂さんを誘ってみた。

 けれど、快く了承してくれた藤堂さんとは反対に、永倉さんには、正燈寺に紅葉狩りに行くから、と断られた。

 紅葉狩りならみんなで行きましょう、と提案してみるも、春は行っても楽しめないだろうから、と断られたのだった。




 特に行く場所は決めていないけれど、藤堂さんと二人で試衛館を出た。

 十月の半ば、新暦に直せばおそらく十一月。朝晩の冷え込みは随分と厳しくなってきたし、今だって、時折吹く強い風を日陰で受ければ寒いと感じるほど。

 澄み渡る空を見上げながら、ふと昨日の永倉さんとの会話を思い出した。


「私に紅葉狩りは楽しめないだろうって、そんなに風情とか風流とかわからないような人間に見えますか?」


 自分で言っておきながら、風情と風流の違いを上手く説明できないことに気づいてしまったけれど……。


「そういうことじゃないと思うよ」


 なら、どういうこと? 思い切り首を傾げれば、藤堂さんが吹き出した。


「吉原は知ってる?」

「遊郭のですか?」

「そう。その吉原と正燈寺は近いんだよ」


 つまり、紅葉狩りと称して実際は吉原へ行く。正燈寺への“紅葉狩り”は、どうやらこの時期の常套句らしい。

 どうりで私の同行を渋ったわけだ。納得。


「あ! だったら藤堂さんも、一緒に行きたかったですよね? すみません、私の方につき合わせてしまって」

「気にしなくていいよ。行ったってオレは新八さんと違って飲んでるだけだし」

「えっ、そうなんですか?」


 よく永倉さんや原田さんと一緒に島原へ行っているのを見かけるのに、なんだか少し意外だ。


「誘われれば普通に行くよ。けど、俺は色恋とかいまいちよくわからないし」


 そう話す藤堂さんの顔を、思わずまじまじと見つめてしまった。


「……何?」

「今、なんと?」

「悪い?」

「い、いえ。意外だなーと思ったので」


 藤堂さんは幼い顔立ちをしているけれど、凄く整っていていわゆる美形だ。絶対にモテないはずはない。

 そんな人がまさか……と、驚きと同時に妙に親近感がわく。

 けれども何か勘違いをしたようで、急に不機嫌になった。


「別にいいでしょ。そんなの知らなくたって生きていけるんだし」

「あ、違うんです。その、私も色恋……というか、恋とかしたことないから仲間を発見して嬉しいというかなんというか……」

「え、春もなの?」

「……はい」


 頷いた瞬間、藤堂さんは不機嫌な表情から一変、閃いたとばかりに不敵な笑みを浮かべて見せた。

 なにやら嫌な予感がすれば、案の定予想通りの台詞を口にする。


「ならさ、勝負しようか。どっちが先に恋を知るか。……いや、やっぱりなし。やめよう」

「藤堂さん?」

「女と勝負するとか……」


 ぼそりと呟いたその様子に、なんだか少しイラッとした。


「勝負に男とか女とか関係なくないですか?」

「関係あるでしょ……。色々気にするし」


 よく考えたら、江戸へ来てからというもの一度も藤堂さんに勝負を持ちかけられていない。

 そういうことだったのかと納得するも、今まで通りの関係が崩れるようで納得したくない。

 巾着から一文銭を取り出すと、それを藤堂さんの前に突きつけた。


「じゃあ、縵面形なめかたしませんか? 私が勝ったらこれまで通り勝負してください」


 藤堂さんは呆れたようにため息をつくと、渋々首を縦に振る。

 いつものように投げてもらうつもりで一文銭を渡そうとするも、断られた。


「春が投げて」

「……わかりました」


 親指でちょんと弾けば無事に私の手の中へ戻ってきた。


「どっちにしますか?」

「春が先に決めて」

「じゃ、私は表……形にします!」

「なら、オレは縵面」


 ゆっくりと指を開けばくっきりと文字が書いてある、つまりは表で形。


「やった! 私の勝ちですね!」

「そうだね」

「じゃあ、約束通りこれからも遠慮しないで勝負してください」

「春は、本当にそれでいいの?」


 女だとバレた途端に今までと態度を変えられるのは少し寂しい。

 もちろんです! と頷けば、わかった、と藤堂さんも諦めたように頷くのだった。




 せっかくだからこっちは普通に紅葉狩りでもしようかと、近場で紅葉の綺麗そうな場所を探して歩いた。

 塀の中から立派な紅葉をのぞかせる大きなお屋敷の前を通れば、ふと、医学所へ行った時の景色を思い出した。


「そういえば、医学所の近くにも立派なお屋敷がありましたよ」

「ああ、藤堂藩のね」

「知ってるんですか? 有名なんですね」

「有名っていうか、オレ、その藤堂藩のご落胤らくいんだし」


 ご落胤?

 そういえば、三浦くんも藤堂さんに対してそんなことを言っていたっけ。

 突然黙り込んだせいか、藤堂さんが不思議そうに私を見た。


「あれ、知らなかった? 別に隠してもいないし、春も知ってるもんだと思ってたけど」

「いえ、あの……」

「変な気遣いとかいらないよ」

「そうじゃなくて。その……ご落胤って何ですか?」


 私を見つめたまま驚いたように目を見開く藤堂さんが、堪えきれないとばかりに吹き出した。


「アンタってホント面白い」


 ご落胤とは、将軍や大名など立場ある偉い人が正室や側室以外に産ませた子、いわゆる隠し子のことらしい。父親の認知も得ていないから正式な一族とはみなされず、系図に記されることもないのだとか。


 藤堂さんは津藩、通称藤堂藩藩主、藤堂高猷とうどう たかゆき公のご落胤らしい。そんな複雑な事情があったなんて知らなかった。

 この間の、佐久間象山しょうざん先生が親であることを誇示するような三浦くんの発言に反応していたのも、なんとなく理解できた気がした。


「藤堂さん……。私も記憶がないせいで、親のこととかよくわかりません。でも、私は私です。だから藤堂さんも、親が誰だろうと藤堂さんです!」

「ねえ、もしかして慰めてる?」

「え、えっと……」

「三浦の前でも言ったと思うけど、オレは誰が親だとか気にしてないよ」


 そういえばそうだったかも……と咄嗟に口にしてしまったことを恥ずかしく思っていれば、藤堂さんが盛大に吹き出した。


「アンタってばホント面白い。でも、ありがと」


 藤堂さんは、笑いながら目尻に浮かんだ涙を指で拭うのだった。




 散策を続けていれば大きな神社が見えたところで大切なことを思い出し、一つ提案してみる。


「京までの、旅の祈願でもしていきませんか?」

「そうだね。じゃ、オレも春が無事に帰れるように祈っとく」


 ……ん? どういうこと?


「あれ、言ってなかったっけ。オレはみんなと一緒に京へは戻らないよ」

「……え?」


 戻らないってどういうこと?


「まさか……脱走なんて考えて――」

「そんなわけないでしょ。砲術の勉強するんだよ。先に言っとくけど、近藤さんたちの許可もちゃんと得てるから」

「あ、なんだ、そうなんですね」


 ほっと胸をなでおろせば、藤堂さんが笑った。


「ほら、寄っていくんでしょ? 帰りは新八さんがいるし、二人で祈れば無事に帰れるでしょ」


 どうやら帰りは一緒に帰れないことを心配した藤堂さんは、土方さんから永倉さんも知っているということを聞いていたらしい。

 境内に繋がる石段を登っていく背中を慌てて追いかければ、藤堂さんはお賽銭箱の前でさっそくお賽銭を放り投げ手を合わせた。

 同じように私もお賽銭を投げて手を合わせる。願い事を終えて隣を見れば、ちょうど藤堂さんと目が合った。


「旅の祈願は藤堂さんがしてくれたので、私は藤堂さんの勉強が捗るようにお願いしておきました」

「ねえ、オレら何でお互いの祈願しあってるの?」

「あ、それもそうですね」


 よく考えたら、それぞれ自分の願い事をすればいいだけのことだった。

 笑いながら石段へと戻れば、突然、藤堂さんが足を止めた。


「ねぇ、面白いからお守りもお互いの買ってく?」

「はい! あっ、お守りは来る前に土方さんが買ってくれたのでもう持ってます。だから藤堂さんの分買いましょう」

「……そうなんだ。じゃ、いいよ、オレのは別に」

「そう言わずにせっかくですし!」


 さっさと石段を下りていく藤堂さんを無理やりその場に座らせて、一人お守りを買いに走る。お札を持って戻ってくれば、一段低い位置から座ったままの藤堂さんに手渡した。


「別にいいのに……。でも、ありがと」


 そう言って、お守り袋にお札をしまい立ち上がった。


「今更だけど、髪、また結うようにしたんだね」


 声のした方に顔を向ければ、思ったよりも高い位置に藤堂さんの顔があって、視界の端から伸びてきた手が私の髪に触れた。


「えっと、だいぶ伸びたのと、紐も新しく土方さんにもらったので……」

「へー……」


 次の瞬間、一つに纏めていたはずの髪は緩み、ぱさりと肩へ落ちてきた。


「藤堂さん?」

「……悪い。普段、こうやって春を見下ろすことなんてないから、つい……」


 確かに、藤堂さんとはあまり身長が変わらないので、こうやって見上げるのはなんだか凄く新鮮だ。

 どこかばつが悪そうにしながら私の掌に紐を戻し、その手で頭をポンポンと撫でてくる。その場で髪を結い直せば、見下ろすのがよっぽど新鮮だったのか、再び藤堂さんの手が頭上で跳ねるのだった。






 その日の夜、いつものように並べた布団の片方に潜り込めば、普段は私と同じくらいすぐに寝つく藤堂さんが、この日は珍しく眠れないのか何度目かの寝返りのあとに背を向けたまま声をかけてきた。


「……起きてる?」

「……はい、まだなんとか」

「なんとかなんだ」


 おかしそうに小さく吹き出した藤堂さんは、障子越しに差し込む淡い月明かりの中、身体を反転させ私の方に向き直った。


「春はさ、こうして土方さんの隣でずっと寝てたんだよね」

「そうですね。だから今頃、広々と大の字で寝てるんじゃないですか?」

「へー」

「へーってなんですか、へーって」


 思わず笑いそうになれば、どこか真面目な声音で藤堂さんが言う。


「寂しがってると思うよ」

「……そうですかね?」

「だって、たったの二月こうして一緒に寝てたオレですら、もうすぐ一人になるんだと思うとなんか少し寂しいし」

「確かに……こうして誰かと一緒に寝るのに慣れちゃうと、急に一人は寂しく感じるかもしれないですね……」


 ここへ来る前は自分の部屋もあって、一人で寝るのが当たり前だった。

 ここへ来てからは、隊務で部屋をあける日以外はずっと土方さんが隣にいて、今はこうして藤堂さんがいる。

 いきなり一人に戻ったら、少し寂しく感じるかもしれない……なんて、そんなことを考える間にもどんどん瞼が重くなってくる。


「……なら春も、オレと一緒だね……」


 仄明るい部屋でだんだん小さくなる視界に映るのは、同じように瞼を閉じかける藤堂さんの微笑んだ顔だった。

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