132 復興と復縁

 あれからすっかり体調も回復して、今日から隊務にも復帰することになった。

 もう浅葱色の羽織はないけれど、巡察の支度を終えて縁側に立てば、頭上に広がる空は気持ちがいいくらい晴れていてどこまでも青い。

 思わずこぼれた言葉は――


「暑い……」


 八月の上旬。新暦に直せばおそらく九月頃。

 朝晩は随分涼しくなったとはいえ、日中の晴れた日の日差しはまだ少し強く、今日は特に厳しい。


 禁門の変で朝敵となった長州藩を処分するため、幕府は長州征討を決定し征長軍を編成しているらしく、そこに新選組がいつ呼ばれてもいいようにと文机に向かい編成を練っている土方さんが、そんな私の独り言を拾った。


「暑さには強ぇんじゃなかったのか?」

げんだ……私のいた時代に比べたら大したことないですけど、それでも暑いものは暑いです!」


 振り返り様に反論すれば、土方さんは僅かに口角を上げ試すように訊いてくる。


って言わねぇのか?」


 相変わらず耳聡い。何でもお見通し。

 何だか少し悔しいから、負けじと精一杯の澄ました顔で真っ直ぐに見つめ返した。


「現代って、自分が今いる時代のことじゃないですか? 私が今いるのはここですから」

「そうか。ま、ちゃんと暑さも感じ取れるようになったってことだな」


 そう言って文机に向き直る背中に行ってきますを告げ、部屋をあとにした。




 今日の巡察は原田さんと一緒だった。

 私の姿を見つけるなり、肩をぶんぶん回しながら側へやって来るので慌てて制止した。


「は、原田さん! 何してるんですか!?」

「何って、こんなに動かしてももう全然痛くねーぞ! っていうのを伝えようと思ってな」


 その豪快な気遣いに、申し訳ないと思いつつも吹き出してしまった。


「ふふっ。もう十分わかりましたから、あんまり無茶しないでください」

「おっ、やっと笑ったな。お前、女みてえな顔してるから悄気しょげた顔も妙にそそって悪くねーが、やっぱ笑った顔のが似合ってるよ」

「……はいっ!」


 心配をかけてしまった分笑顔で答えれば、これでもかと髪がぐしゃぐしゃになるほど頭を撫でられるのだった。




 祇園方面へ向けて出発すると、しばらく歩いて目に飛び込むのは、更地のようになってしまった京の町の光景だった。

 それでも、何もない、誰もいないわけじゃない。至るところで少しずつ家を建て直し始めたりしている。

 すぐに元通りとはいかないけれど、人は決して弱くない。諦めさえしなければ、何度だって立ち上がれる。

 現に私の時代では、日本を代表するような観光地にまでなっているのだから。


「私にも何かできることないですかね……」

「あるぞ」


 質問の意図を読み取ってくれたのか、原田さんは巡察隊を呼び止めるなり近くのお店に入っていった。

 煤汚れた暖簾が掛かり一部はまだ建設途中のそのお店は、甘味屋なのか串団子が売っている。


「こっちの皿の分、全部くれ」


 原田さんの注文に、私よりもずっと若くて可愛らしい女の子が対応する。その笑顔に、こちらの方が元気をわけてもらった気がした。


「釣りはいらねーや」


 そう言って店をでた原田さんは、手にした串団子を隊士たちに配っていき、最後に私にも手渡しながら言った。


「ちっとは立て直す金の足しにもなるだろ?」


 ……なるほど。

 被災してしまったその店、その土地でお金を使うということだ。

 私も原田さんに倣い、近くで敷布代わりに広げた布の上に手拭いを並べて売る店の前に立った。

 かろうじて火災から免れた物なのか、種類も少なく煤を被ったような物まで並んでいるけれど、あえてそういう品を手に取れば店主に驚かれた。


「こんなん売っといてなんやけど、ほんまにそれでええんか?」

「はい! 洗濯すれば十分使えますし」


 所持金が心もとないので自分の分だけだけれど、多めの額を払ってあとにするのだった。




 巡察を終え屯所へ戻ってくると、その足でみんなと島原の角屋へ向かった。

 幕府から池田屋事件の報償金が出たらしく、隊士総出で大宴会が繰り広げられている。


 部屋に入った瞬間沖田さんと目が合って、わざわざ確保してくれていたのか、隣の座布団をぽんぽんと叩きながら手招きしている。

 誘われるままそこへ座れば、頬をほんのり染め上げて上機嫌な沖田さんに、頭をよしよしと撫でられた。


 ぐるりと見渡せば、奮発したのか芸妓や舞妓がたくさんいて、近藤さんを始め土方さんや幹部も揃っている。非番の隊士たちは早い時間から飲んでいたのか、かなりでき上がっていた。

 そんななかふと気づいたのは、山南さんのどことなく女性を敬遠しているような様子だった。

 そして、私の視線を辿った沖田さんがぐっと身体を寄せてきた。


「怪我をする前は、天神の明里あけさとさんと馴染みで、楽しそうによく飲んでいたんですけどね……」

「天神?」


 天神とは芸妓の位のことで、最高位が太夫、天神はその次の二番目の位らしい。


「今日はその明里さんは来ていないんですか?」

「どうやら敬助さんが呼ばないように言ったらしいです」


 山南さん本人が? 馴染みなのに?

 もしかして……他にお気に入りの人ができてしまったとか?

 そのわりには、他の芸妓と楽しそうに飲んでいるわけでもなく、むしろ遠ざけているみたいだけれど……。

 首を捻っていると、沖田さんが内緒話をするように耳元へ顔を寄せてきた。


「これは僕の推測ですけど……」


 く、くすぐったい……。

 とはいえ、内容が気になるので我慢した。


 沖田さん曰く、わざと突き放しているのではないかという話だった。

 会わなくなったのは怪我を負ってからであることに加え、明里さんの方は今でも山南さんを気にかけているらしく、見かけるたびに心配そうに様子を訊いてくるのだとか。

 その事を山南さんにも伝えても、元気そうでよかった、と言うわりには悲しそうな目をするらしく、怪我を負ったことを引け目に感じてあえて遠ざけているのでは……と。


 それが真実だとしたら切なすぎる。余計なお世話かもしれないけれど、関係を戻すにしろ別れるにしろ、一度二人でちゃんと話すべきだと思う。

 そんなことを考えていたら、話を終えた沖田さんが私の顔を覗き込んで笑った。


「春くん、顔が真っ赤ですよ~? ずっと肩を竦めてて可愛かったです」


 そう言って、今度はよしよしと頭を撫でてくる。

 酔っている! 絶対、酔っているだろう!

 沖田さんめ!


「あはは。悪戯が過ぎましたね、すみません」


 そう言いつつも、全く悪びれた様子のない沖田さんは、身体を離しながらポンと手を打ち鳴らした。


「僕、今いいこと思いついたんですけど、協力してもらえませんか?」


 何か企んでいる顔に思わず警戒するも、どうやら山南さんと明里さんに関することらしいので計画に加担することにした。






 翌日の午後。

 ちょうど沖田さんと私の非番が重なり玄関で一人待っていれば、山南さんがやってきた。


「すまない。待たせてしまったかい?」

「いえ、私も今来たばかりです。こちらこそ、急なお誘いだったのにありがとうございます」

「私の方こそ、誘ってくれて嬉しいよ」


 そう笑顔で返してくれる山南さんに少し後ろめたい気持ちを抱きながら、二人で屯所を出た。

 向かう場所は甘味屋……ということになっている。


 沖田さんの考えた計画とは、私が山南さんを、沖田さんが明里さんをそれぞれ連れ出し、町でばったり鉢合わせするなり用事を思い出し二人を置いて退散する……というもの。

 明里さんの方は山南さんに会いたがっているので、最初から計画の内容を伝えるらしい。つまり、騙すのは山南さん一人。

 よく考えたら、私の方って責任重大……?


 何だか急に不安になってきた。

 今さらだけれど、余計なお世話だったらどうしよう……何て思い、恐る恐る訊いてみる。


「あの……気を悪くしたらすみません。その、山南さんは明里さんのこと、どう思ってるんですか?」


 山南さんは驚いた顔で私を見るも、すぐに納得したように微笑んだ。


「総司だね。相変わらずおしゃべりだ」


 瞬時にバレてしまい苦い笑いをこぼすも、山南さんは怒ることなくゆっくりと語り始めた。


「明里は……私には勿体ないくらい器量のいい女性でね、二人で過ごす時間はとても幸せだった。だからこそ、彼女には幸せになってもらいたいと思っているよ」

「……山南さんが幸せにしてあげないんですか?」


 ほんの少しの沈黙のあと、山南さんは諦めたように首を緩く左右に振った。


「今でこそ、できるならそうしたかったと言えるけど。怪我をして臥せっていたあの頃の私は、心配してくれる彼女に会いに行くことも、文の返事を書くこともしなかったからね……私のことなど忘れているよ」


 そう山南さんは儚げに微笑むのだった。




 しばらく歩いていると、前方に沖田さんの姿が見えた。その隣には、二十代前半くらいの、まるで武家の妻を思わせるような上品な女性がいた。

 きっと、あの人が明里さんなのだろう。

 幸い山南さんはまだ二人に気がついていないので、その背中を掴んで強引に反転させた。


「おっと、琴月君?」

「す、すみません、落とし物しちゃったみたいで。一緒に探してもらえませんか!?」

「何を落としたんだい?」


 優しい山南さんは心配そうに訊いてくれるけれど、もちろん何も落としてはいない。


「え、えっと……小さな物です! もの凄く小さい」

「ふむ。どんな形だい?」

「丸くてふさふさ……あっ、ちょっとトゲトゲもしてるかもしれません」

「ふさふさでトゲトゲ……」

「と、とにかくそれはもう本当に小さな物ですっ!」


 自分でも何を言っているのかよくわからないけれど、山南さんの視線を地面に惹きつけておく作戦は成功した!

 そして、すぐ後ろから聞こえた沖田さんの呼び掛けに、山南さんがゆっくりと振り返った。


「総司? ……って、明里……。どうして君がここに……」

「敬助はん……」


 立ち上がるなり、無言で背を向けようとする山南さんの腕を掴んだ沖田さんが、その顔一杯に笑顔を浮かべた。


「敬助さん、ちょうどよかったです。僕、用事を思い出したんで明里さんを置屋まで届けてもらえませんか?」

「あっ! そ、そういえば、私も用事を思い出しました! 山南さんすみません。私もここで失礼しますっ!」


 ちなみに置屋とは、芸妓たちが普段生活をしている家のことで、声がかかるとそこから揚屋へと赴き芸を披露する。

 揚屋とは料亭や茶屋のことで、角屋なども揚屋にあたる。


「総司……琴月君……」


 山南さんは私たちの顔を順に見ると、そっと目を閉じそれはそれは深いため息をついた。

 そして、目を開け柔らかに苦笑する。


「そういうことなら、仕方がないね」

「はい、仕方がないのであとは敬助さんにお任せします。ほら、春くんも用があるんですよね、早く行きますよ~」

「わっ! はい! えっと、すみません!」


 突然沖田さんに手を引かれ、半ば引きずられるようにしてその場をあとにした。


「二人ともありがとう」


 後ろから、呆れつつも温かなそんな声が聞こえた。

 少ししてから振り返れば、山南さんが明里さんの背中にそっと片手を添え、仲睦まじく歩いていく後ろ姿が見えたのだった。

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