106 洛陽動乱①

 雨雲が引いた空は赤く染まり、綺麗な夕焼けが広がっていた。

 西の空に輝く弓張り月を振り返れば、つられたように沖田さんも振り返り、月を見つめて呟いた。


「今夜は月のない夜になりますね」

「そうですね……」


 明かりの乏しいこの時代、月の出ている夜とそうでない夜の明るさは歴然だ。星明かりと、提灯の灯りだけが頼りの探索になるだろう。

 そして、会合場所が特定できていない以上、おそらくそれらしい場所を一つ一つ当たっていくことになる。そのために近藤さんが応援を要請しに行ってくれたのだから、人海戦術で今夜の仕事はさっさと終わらせてしまいたい。

 できるだけ早く、沖田さんを休ませられるように。




 祇園御霊会ぎおんごりょうえで賑わう町を抜けて祇園会所へ到着すれば、ちらほらと他の隊士たちも集まり始めていた。出店に立ち寄ったのか、その手には串焼きなどが握られていたりする。


 近藤さんや土方さんも到着してしばらくすると、巡察に出ていた永倉さんと藤堂さんが巡察隊を引き連れ戻って来た。

 ある意味今日はこれからが本番だというのに、普段通り巡察もだなんて大変だ。せめて労いの言葉だけでもかけようと、沖田さんと一緒に巡察隊を出迎えた。


「お疲れ様です」

「おう、二人ももう来てたのか。今日は祇園御霊会の宵々山だから、随分と賑わってるぞ」


 永倉さんが笑顔でそう言えば、隣の藤堂さんも、少しだけ高揚した様子で口を開く。


「本番は明後日みたいだし、行けたら行ってみる?」


 現代の祇園祭りもまだ実際には見たことがないのに、この時代のものが見られるかも!?


「行きたいですっ!」


 全力で返事をすれば、永倉さんが手首を口元でくいっと傾けた。


「俺は、酒が飲めるならどこへでもついて行くぞ~」

「新八さん、酔っぱらって手に追えなくなったらその辺に捨てて行くからね」


 藤堂さんの相変わらず容赦のない突っ込みが入れば、途端に笑いに包まれる。


「じゃあ、今日はちゃちゃっと片づけちゃいますか~」


 沖田さんが笑顔で締め括れば、うんうんと頷き合いながらみんなで奥へと入った。

 これから大捕物が始まるかもしれないというのに、緊張感の欠片もない普段と変わらない会話。ううん、非常時だからこそ、みんな普段と同じように振る舞おうとしているのかもしれない。




 会所に集まった隊士は三十数名。古高奪還の襲撃に備え屯所の警備で残っている人や、具合が悪くて寝込んでいる人もいる。会合場所がわからない以上、新選組だけではとてもじゃないけれど手が足りない。

 応援を要請しに行った近藤さんの話によれば、夜五つには会津や諸藩の兵が応援に来てくれるらしい。

 お囃子や、祭りを楽しむ人々の声が聞こえる中、土方さんの練った今日の作戦を聞きながら待った。


 約束の時刻が近づくにつれ、防具をつけたりして各々支度を整えていくけれど、今日は鎖帷子まで着込んでいるからいつもより重装備だ。

 敵陣に乗り込もうというのだから仕方がないけれど、びっくりするぐらい重くて暑い。

 心配になり隣の沖田さんを見上げるも、普段と変わらず平気そうな顔をしていた。一応、病人のはずなのだけれど……。

 何はともあれ、早く終わらせて休ませないと。




 お祭りのおかげで、提灯が並ぶ外は普段よりも明るい。

 けれど、すでに日は暮れ空はすっかり暗くなっていて、約束の夜五つもとっくに過ぎていた。

 来るはずの会津藩兵らは、いまだ誰一人来ていない。


 最初こそ黙って腕を組み座っていた土方さんも、少し前からイライラしたように短い距離を行ったり来たりと歩き始め、突然、立ち止まったかと思えばとうとう痺れを切らせて声を荒らげた。


「どうなってんだ!? 近藤さん、会津は確かに援軍を寄越すって言ったんだよな?」

「ああ」


 短くそう答えた近藤さんは、組んだ腕をほどくことも閉じた目を開けることもなく、ただじっと座っている。

 隣に座る井上さんが、宥めるように土方さんに声をかけた。


「急だったからな、手配に手間取ってるんじゃないか?」

「だからって、使いの一人も寄越さねぇわけねぇだろう。大方、藩同士で事を荒立てたくねぇんだろうよ。ったく、ビビりやがって」


 遠慮なく物を言う土方さんに、近藤さんはそれまで閉じていた瞼を上げると、静かにその名を口にする。


「歳」

「……悪ぃ、言い過ぎた」


 どこかばつが悪そうに呟く土方さんを見て、近藤さんは表情を崩し苦笑した。


「いや、歳の見立て通りかもしれんな。……さすがにこれ以上は待てん。致し方あるまい、我々だけで出よう!」


 このままここで、来るかもわからない応援を待っていたら会合が終わってしまう。手がかりが少ない現状において、どうしてもそれだけは回避したい。

 とはいえ、全員で同じ場所を探索するにはやっぱり時間も足りなくて、急遽、隊を二分することになった。会所を出て鴨川の西側と東側に別れ、それぞれ北上しつつ店をしらみ潰しに探すらしい。


 西側は近藤さん、東側は土方さんを中心に隊を組み、祇園が含まれる東側は手間がかかるだろうと、土方隊には多めの人数が割り当てられることとなった。その代わり、人数の少ない近藤隊は少数精鋭で組まれる。

 土方さんが中心となって作戦の説明と隊を割り振り始めたところで、突然、沖田さんが名乗りを上げた。


「そういうことなら、僕は近藤さんの方に行きますね」


 少数精鋭の部隊に沖田さんが加わるのは、ある意味必然だろう。

 そんなところに加わるのは少々気が引けるけれど、沖田さんに無理をさせるわけにはいかない。


 近藤さんに目配せをした土方さんが、再び沖田さんに視線を戻す。そのまま小さく頷くのを確認すると、私も慌てて手を上げた。


「じゃ、じゃあ、私も近藤さんの――」

「お前はこっちだ。人数が欲しい」


 身の程知らずの勇気を振り絞ったというのに、最後まで聞いてはもらえず土方さんに容赦なく却下された。

 とはいえ、最初から引くつもりなんてこれっぽっちもないので、感情的にならないよう深呼吸を一つして、改めてゆっくりと告げる。


「人数の問題ですか? なら、私じゃなくてもいいじゃないですか。今朝、沖田さんと一緒に近藤さんの護衛もしました。なので、今回も沖田さん同様、近藤さんの方につかせてください」


 我ながらとんでもない屁理屈だと思うけれど、今日だけは何が何でも沖田さんの側にいたい。無理はさせられないもの!


 案の定、土方さんはこれでもかというほどの皺を眉間に寄せて睨んでくるけれど、そんな土方さんよりも先に口を開いた沖田さんが、近藤さんに訴える。


「それなら、春くんもこっちでいいんじゃないですか~? ね、近藤さん?」

「俺としては、二人が来てくれると言うなら頼もしいが……」

「おい、総司!」

「何です~? 局長の判断に異論でも~?」


 土方さんの鋭い視線をものともしない沖田さんは、近藤さんを盾に飄々とかわしてみせる。

 チッという土方さんの舌打ちが聞こえたことで、どうやら私の割り振りも決まったみたいだった。

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