090 新選組の進退

 五月になった。

 先月末の江戸では、新選組と同じように京での治安維持に従事する組織、京都見廻組みまわりぐみが結成されたらしい。

 新選組と違うのは、一言で言ってしまえばずばり身分。新選組は尽忠報国の志があり、局中法度を順守できるなら誰でも入れるのに対し、あちらは幕府の旗本や御家人といった幕臣により構成されている。

 身分制度が厳格なこの時代、仕事内容は似たようなものでも、両者の間には越えられない壁が存在しそうな気がする……。


 そんな人たちが上洛してきた日には、新選組はお役御免か?

 冗談半分にそんなことを思った矢先、近藤さんが新選組の存続に関わる建白書を会津藩経由で幕府に提出した。

 “新選組は尽忠報国の志を持って京へ滞在しているのに、していることは市中の見廻りばかり。攘夷の魁となれないのであれば、解散を命じるか江戸へ帰還させて欲しい”

 という内容のものらしい。

 もしかして、本当にお役御免か!?






 そんななか迎えた五月五日は、土方さんの誕生日。

 今日渡すはずだったプレゼントは、先日の痛恨のミスによってすでに渡し済み。改めて何かを渡すつもりはないけれど、当日なのに何もしないというのも少し落ちつかなくて、思いきって外へ出ないかと誘ってみた。


「無理だ。忙しい。そんな暇があるなら聞き込みでもして来い」

「……ですよね」


 そう、とにかく忙しいのだ。二百五十人もの長州の人間が潜伏しているらしいので、その捜索はもちろん、聞き込みや警備の強化などに追われ、みんな休みなく働いている。

 やらかしたとはいえ、早々にプレゼントを買いに行ったのは、ある意味正解だったかもしれない。

 貴重な休憩中だけれど、体良く部屋を追い出されてしまったので、巡察へ出る原田さんに同行することにした。


「どうした? 土方さんに追い出されたか?」

「そんなところです。まぁ、休憩中とはいえ、こんな時にゆっくり休むのは気が引けるからいいんですけど……」

「春は真面目だなー。平助や総司だったら気にせず休んでるぞ」


 藤堂さんはともかく、土方さんの隣でわざとらしく寝っ転がって冷やかす沖田さんの姿が浮かぶ……。

 そんな冗談を言いながら歩いていれば、道の反対側で物乞いをする乞食が目にとまった。

 どこかで見たことのあるその顔をじーっと見てしまったせいか、視線が重なる。逸らすに逸らせなくなって懐に手を入れるも、ふいっとあからさまに顔を背けられた。


 うん……やっぱりあの人知っているっ!


「原田さん。あの人……」

「ん? どうかしたか?」

「山崎さん……ですよね?」


 私の視線の先を確認した原田さんが、突然、私の口を押さえ引きずるようにして歩く。

 くぐもった声で必死に抵抗するも、解放されたのは、山崎さんによく似た乞食からだいぶ離れてからだった。


「原田さん!? 何ですかいきなり!」

「悪い悪い。あのままだと、名前呼んで挨拶するんじゃねーかと思ってな」

「じゃあ、やっぱり山崎さんだったんですか?」

「ああ。山崎だったな」


 なら、何で挨拶しちゃいけないのさっ!

 というか、物乞いしなきゃいけないほど、山崎さんの懐事情は厳しいのか!?


「山崎は今、変装して情報収集してんだ。なのに俺たちが話しかけちまったら、新選組の人間だとバレちまうかもしれねーだろ?」

「あっ! なるほど!」


 原田さんが止めてくれなかったら、あのまま話しかけていたかもしれない。危うく山崎さんのお仕事の邪魔をするところだった……。




 その後も原田さんに同行するけれど、たいした情報も得られず屯所へ帰ると、部屋にはすでにいつもの恰好をした山崎さんがいた。


「あっ、山崎さん、お疲れ様です。さっきはすみませんでした」

「いえ、大丈夫でしたのでお気になさらず」


 頭を上げると、察しのいい土方さんの鋭い視線が私に向けられていた。


「まさか、山崎の仕事の邪魔したりしてねぇだろうな?」

「あ、危うく邪魔しかけましたが、原田さんが止めてくれたので未遂で――」

「馬鹿野郎っ!」


 土方さんのお説教が始まるも、山崎さんが気を遣って庇ってくれた。


「副長。任務に支障はなかったので責めないであげてください。それに、見破られるような変装をしてしまった私にも非がありますから」

「……ったく。琴月、この際だからお前には先に言っておく。大樹公の警護が終わったら、山崎ら監察以外の隊士も町に放つ。だから見かけても邪魔すんじゃねぇぞ!」

「はい! 気をつけます!」


 町中で知り合いを見つけたら、思わず挨拶くらいはしてしまいそうだけれど……なんてことを思っていたら、土方さんに睨まれた。






 本格的な梅雨に入っているのか、雨が降ったり止んだりという日が続いていた。

 この日も朝から時々雨がちらつくなか、新選組は下坂する大樹公の道中警護に当たった。

 大坂に数日滞在してから帰東するらしく、その間、新選組もこのまま大坂での治安維持に就く。


 そんななか、隊務を終え京屋へ戻ると、すぐさま軽装で町へ繰り出す隊士たちを見送った。

 いつもながら、毎度毎度元気だ。

 そういう私も、いつものように窓枠に頬杖をついて外を眺めれば、道の隅で咲く紫陽花を見つけた。

 雨も小降りだし、どうせなら近くで見ようと傘も差さずに宿を出た。


 綺麗に咲く紫陽花を鑑賞していれば、葉の上に小さなカタツムリを発見した。

 殻を軽くつついて頭に浮かんだ童謡を口ずさんでいると、二番も歌おうとしたところで突然影が差し、雨もぴたりと止んだ。

 慌てて振り向けば、そこに立っていたのは傘を傾ける斎藤さんだった。


「面白い歌だな」

「もしかして……聞いてました?」


 どうやら、カタツムリを観察しながら歌う私を、少し距離を取ったまま観察していたらしい。

 いるならすぐに声をかけてくれたらよかったのに。歌声を聞かれていたかと思うと、何だかちょっと恥ずかしい……。


「お前をつつけば何が出るんだろうな?」


 そう言うなり、斎藤さんは傘を持っていない方の手でおでこの辺りをつついてくる。


「何にも出てきませんよ?」

「どうだろうな。お前は何かと不思議な奴だからな」

「……斎藤さん?」


 もしかして、実は未来からきたことまでバレていたりする?

 そんな私の不安をよそに、今度は頬の辺りをつついてくるけれど、斎藤さんの唇は若干弧を描いていて、いつものようにからかっているだけな気がしてくる。


「秘密の一つや二つ、珍しいことでもあるまい」

「なら……斎藤さんも何か秘密があったりするんですか?」

「さぁな」

「……って、私の顔で遊ばないでくださいっ!」


 いまだ頬をつつく手を防ごうとした次の瞬間、腕を強く引かれたかと思えば、どういうわけか斎藤さんの腕の中にいた。

 これはもしや……抱きしめられている!?


「えっと……あの、さ、斎藤さん!?」

「何だ?」

「何だじゃなくて……何してるんですか!?」

「顔で遊ぶなと言われたからな。身体で遊んでやろうかと――」

「ストーーーーップ!! 言い方っ!」


 変な意味に聞こえるから!

 斎藤さんが言うと、なおさら変な意味に聞こえるからっ!


 思わず使ってしまった横文字を突っ込まれ慌てて誤魔化すも、いまだ斎藤さんの腕に閉じ込められたまま。抜け出そうと身動ぎすれば余計に腕の力が強まった。

 それでも脱出を試みれば、傘の柄を器用に肩で支え、自由になった手で鼻をつままれた。


「落ちつけ、濡れるぞ。雨足が強まったことに気づかんか?」

「ふぇ?」


 辺りの様子を伺えば、確かにさっきまでとは打って変わって本降りになっていた。傘に打ちつける雨音も、私の鼓動に負けず劣らずうるさい。

 つまりは濡れないようにしてくれていたってこと?

 ……って、口で言えばわかるからっ!


 戻るぞ、とあっさり解放され隣を歩けば、斎藤さんが私を見下ろして言う。


「濡れて帰って、お前の髪を拭いてやるのも悪くなかったか」

「なっ……さ、斎藤さん!?」


 これはまさか、髪を拭いたあの日の仕返しか!


 斎藤さんは微かに肩を揺らしながら、くくっと喉を鳴らしているのだった。




 そういえば、近藤さんの出した新選組の進退を伺う建白書だけれど……。

 大坂城に登城して老中と面談したところ、京の治安維持には新選組の力が必要だから、と直々に諭されたらしく、結局これまで通りということになったのだった。

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