089 長州贔屓の町

 反射的に瞑ってしまった目を開ければ、そこに広がるのは音のないゆっくりとした世界。何となく、こんな展開になる気はしていた。

 左から袈裟斬りしようとしている刀を、僅かに屈んで左へと一歩ずれる。直後、ヒュンと風を斬る音が右耳をかすめた。


 心眼があるから斬られることはない。頭ではわかっていても、心臓は一瞬にしてその鼓動を跳ね上げる。

 視界の端で鋭く光る刀身に息を呑むも、視線を上げて男を見据えれば、かわされたのが意外だったのか驚いた様子で間合いを取った。


「見た目に似合わず、なかなかやるじゃねえか」

「刀を納めてくれませんか?」

「ふざけるなよ!」


 やっぱりダメか……。永倉さんの方もどうなったか気になるし、説得している時間はあまりない。そもそも、説得に応じてくれそうもない。

 一つ小さく息を吐き出してから、私も刀を抜いた。


「そんな細腕で、この俺を殺れると思ってんのか!」

「いいえ。生きたまま屯所へ来ていただくつもりです」

「なめやがって!」


 男の刀は怒りをまとい、再び私の肩へと斜めにゆっくり迫る。

 弱い犬ほどよく吠える、なんてことわざがあったっけ。そんなことを考えられるくらいには、冷静な頭で縄を持っていないことを思い出しながら払った。

 手を狙うだけでは、応援を呼ぶ前に逃走されてしまうかもしれない。


 払った先からしつこく斬り上げてくるけれど、後退しつつ今度は反対側へと払う。止まることなく次々に繰り出される刀をそのつど払うも、下がれば下がるほど相手の刀は勢いを増すばかりで、一向に埒が明かない。

 若干の目眩を覚え始めるなか、小さく息を吐き出し刀を握り直した。


 今度はさがることなく、肩を支えに刀身を背中側へと大きく倒す。必然的に、相手に向くは柄の方。

 一歩前へ踏み出すと同時に腰を深く落とし、そのまま重心を前へ移動させれば、相手の腹部に柄頭が深く食い込んだ。

 速度を取り戻した世界に響くのは、男の短い呻き声と刀の落ちる音だった。


 膝から崩れ落ち、腹部を押さえて丸まる男の刀を遠くへ蹴飛ばせば、後ろの通りから隊服を着た隊士たちがやってきた。

 どうやら家屋を飛び出す私たちに気がついた数名が、応援に駆けつけてくれていたらしい。

 刀を鞘に納めながら、大雑把に事情を説明すると男はすぐに縛り上げられた。


「永倉さんは戻りましたか?」

「おそらく、まだもう一人を追っている」

「わかりました。すみませんが、あとをお願いします!」


 この場は任せて、急いで永倉さんのもとへ向かった。




 火事の騒乱から少しずつ遠ざかるように探せば、突然、耳をつんざくような剣戟けんげきの音が聞こえた。

 急いで音のした路地へ向かえば、そこでは二人が斬り結んでいて、私が声をかけたことに驚いた男が永倉さんの力に押し負け後ろへ飛び退いた。

 私と永倉さんでちょうど挟んだ形となり、私も刀を抜いてその切っ先を男へと向ける。


「すでにもう一人は捕まえました。諦めてあなたも投降してください」


 二対一では人数的にもこちらが有利だ。

 けれど、よっぽど捕まりたくない理由でもあるのか、男は投降する素振りを見せるどころか刀を構え直した。

 このままでは、捨て身で突っ込んで来る可能性もある。そうなってしまっては、いくら腕の立つ永倉さんでも斬り捨ててしまうかもしれない。


「永倉さん。ここは私に任せてもらえませんか?」

「もしかして、噂のアレか?」

「噂……かどうかはわかりませんが、必ず生け捕ります」

「……そうか。なら、お手並み拝見といこうか。ただし、危ないと判断したらすぐに加勢する」


 いい意味で、私を決して特別扱いしない永倉さんに感謝しつつ、男を視界から外すことなく大きく頷いた。

 男は永倉さんの技量には敵わないと踏んだのか、小生意気な発言をした私に腹を立てたのか……私へと剣先を向けた。

 けれど、こちらの出方を伺っているのか、一向に仕掛けては来ない。


 そっちから斬り込んできてくれないと、心眼が発動しないのだけれど……。

 どうせなら、自分の意思で制御できるような能力だったらよかったのに……と心の中で愚痴ってみるものの、ないものは仕方がない。

 任せてと言ってしまった以上、刀を置く気も向かって来る気もないのなら、もうこちらから行くしかないわけで。

 一つ大きく深呼吸をして、刃を返すように刀を持ち直す。そんな私を見て、男は訝しむように眉を寄せた。


 狙うのは刀を持つ手。

 ここへ飛ばされて来るまでは、剣術のけの字も知らなかった私だけれど、それでも人一倍稽古に励んできたつもりだし、沖田さんの容赦のない稽古にだって食らいついてきた。

 何一つ無駄だなんて思っていない。


 稽古と違って真剣相手に飛び込むのは怖いけれど、相手が反撃してきたなら、それはそれで心眼を誘うことにもなる。だから、考えなしにただ無闇に突っ込むわけじゃない。

 狙いを悟られないよう、相手の目を見たままじりじりとその距離を詰める。それでも動こうとしない相手との間合いを一気に詰め、手に打ち下ろした。


 確実に当たった感触はあった。

 けれど、僅かに避けられたせいで、刀を落とすほどの衝撃には至らなかった。

 男の舌打ちが聞こえた次の瞬間、ぐらりと揺れる世界は遠くに聞こえていた喧騒さえも消した――


 間合いを詰めゆっくりと迫る刀は、私の頭上から振り下ろされている。

 男の背後では永倉さんが動き出そうとしているのが見え、迫る刀身を見据えながら、相手の右側へ抜けると同時に手を打った。


 すぐ後ろで、小さな呻き声と刀の落ちる音がした。

 永倉さんが男の喉元に刀を突きつければ、複数の足音が近づいてくる。


 男はすぐに縛り上げられ、屯所へと連行されて行った。

 その様子を隣で見ていた永倉さんが、笑いながら私の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「相変わらず、男顔負けの働きぶりだな。春は」

「そ、そうですか?」


 確かに、今日の私はかなり暴れたような気がする……。

 不思議と恐怖よりも達成感に近いものを感じていることに、苦い顔で笑い返すしかなかった。




 火事の現場へ戻ると、すでに消火作業が行われていた。といっても、強い水流での消火ではなく、周りの家屋を取り壊して、これ以上火の手が広がらないようにする……という、なんとも豪快な方法だけれど。

 避難誘導や整理に追われる新選組に合流すると、土方さんも来ていたみたいで声をかけられた。


「二人とも非番だってのにご苦労だったな」

「いや、俺は何もしてないな。春が本当によくやったよ」


 そう言うと、永倉さんは再び私の頭をポン叩くように撫でる。自らも斬り合いをしていたことなど、まるで気にもとめていない様子だった。


 屯所へ連行された男たちの取り調べもあり、永倉さんと先に戻っていいと言われたけれど、このままここの手伝いを申し出た。

 この時代の取り調べは、場合によっては拷問みたいなものもあったりするので、できる限り立ち会いたくはない……というのが本音だったりする。

 まぁ、土方さんは、そんなこともとっくにお見通しみたいだけれど……。


 というわけで、ちゃんと許可も得たのでこのまま残ることにした。

 結局、この火災で家屋の五、六軒が焼失し、捕まえた男たちがいた家も、跡形もなく焼け落ちてしまったのだった。




 私たちが屯所へ帰れたのは夜中だった。

 土方さんとともに部屋へ入ると、気が張っていたせいか、それまで感じなかった疲れがどっと押し寄せた。

 今すぐにでも畳の上に寝転がりたい衝動を抑え、仄明るい行灯の灯りに照らされた自分の着物見れば、随分と煤で黒くなっていることに気がついた。


「お前、顔まで真っ黒だぞ。ま、そんだけ働いたってことだな」


 私を見て微笑む土方さんの顔も、着物も、同じように煤で黒くなっている。

 顔だけでも拭こうと懐から手拭いを取り出せば、何かが落ちてコロコロと転がる音がした。先に気がついた土方さんが、それを拾い上げて私に問う。


「これお前のか? 誰かに文でも書くのか?」

「え? ……あっ!」


 土方さんが手にしていたのは、あろうことか土方さんの誕生日プレゼント用にと買った筆だった。


「えーっと、それは、そのっ……うー、あー……」


 訝しむ土方さんの視線に耐えきれず潔く白状すれば、今さらサプライズも何もないのでそのまま受け取ってもらうことにした。

 誕生日はまだ十日以上も先なのに、こんな形でバレるなんて……。

 がっくりと肩を落とす私の頭に、土方さんの大きな手が乗っかった。


「元々誕生日に何かをするってことがないからな。多少早かろうが、こうして祝おうとしてくれたってだけで十分だ」

「はい……すみません。早いですけど、おめでとうございます……」

「何落ち込んでんだよ。ありがとな」


 そう言って、頭を強めにわしゃわしゃとするから髪がぐちゃぐちゃになった。


「ちょ、やめてくださいっ、髪がっ!」

「うるせぇ。もっとこうしてやる」


 ……って、私は犬か何かかっ!?

 振り払おうとするも、ますます笑いながらボサボサにされるのだった。






 翌日、いつもの巡察から戻って来れば屯所内がざわついていた。

 どうやら昨夜捕縛した不審者二人は長州の人間で、彼らを問いただしたところ、すでにこの京に二百五十人もの長州の人間が潜んでいることがわかったらしい。

 彼らが必死になってかき集めていたのは、どうやらそれらの証拠文書。中途半端に焼け残って、文書が公になるのを防ごうとしたらしい。とはいえ、全焼して跡形もなく燃えてしまったのだけれど。


 京の町に長州の人間が潜んでいることは、新選組もある程度は察知していた。実際、桂小五郎なんかもいるわけで……。

 けれど、二百人を越える人数だとは誰も思っていなかった。このただならぬ事態に、すぐさま市中へも情報提供を求める回状が出され、山崎さんを始めとする監察方も本格的な探索に動き出した。

 長州贔屓のこの町で、壬生狼と蔑まれる新選組にどれほどの人が協力してくれるのかもわからない。二百五十人もの長州の人間が潜伏していた、という事実が、全てを物語っているようなものだった。




 それから数日後、幕府からも市中への警備強化や、協力を要請する町触れが出された。

 夜間木戸門の戸締り徹底を推奨することや、不審人物への尋問で、手に余る場合は打ち殺してもかまわないという、いわゆる斬り捨て御免の許可がおりたことを通達する内容だった。


 稽古場からふと眺めた庭の木々は、雨降り前の冷たい風が葉擦れの音を響かせていた。

 長州はいったい何をしようとしているのか。桂さんが呟いていたことと、何か関係があるのだろうか?


 歴史に詳しくはない私だけれど、まるで、抗うことさえ嘲笑うかのような濁流に、少しずつ、だけど確実に飲み込まれて行っているような、そんな漠然とした不安が胸を埋め尽くすのだった。

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