077 桜の花びら
時間が経つにつれ、うららかな陽気も手伝いうたた寝をする人も出始めた。
この宴会のゲストである富澤さんも、随分と飲んでいたので時折こくこくと頭を揺らしている。
賑やかだったり昼寝をしたり、ある一人を除いてみんな思い思いに酔っぱらっていた。
「相変わらず、斎藤さんはお酒が強いですね」
「まぁな」
「酔ったことないんですか?」
斎藤さんが酔っている姿を見たことがない。斎藤さんが口にしているのは、実はお水なんじゃないかと思うほど。
「来年にはお前と一緒に酒が飲めるのか。お前と一緒なら、俺も酔えるかもしれんな」
「誰と飲もうが一緒だと思います」
「誰と飲むかで酒の味も微妙に変わる。実際、今はさっきよりも美味い酒を飲んでるしな」
「そうなんですか?」
さっきまで飲んでいたお酒とは種類が違うのかと、徳利を顔に近づけすんっと匂いを嗅いでみた。
「うっ……」
種類を嗅ぎ分ける以前に、お酒独特の匂いにむせてしまい斎藤さんに笑われた。
「気づかんか。お前が注いだ酒だから美味いということだ」
「いやいや、それこそ誰が注いだって一緒ですから!」
酔っていないように見えるだけで、実は味覚がわからなくなるほど酔っているんじゃ?
探るような目で斎藤さんを見つめていると、耳を貸せ、と軽く手招きされた。
内緒話でもするのかと、身体を傾けるようにして耳を近づければ、片手で隠しながら斎藤さんの顔が近づく。
耳のすぐ側で、斎藤さんが息を吸う音が聞こえた。
「武田には気をつ――」
「ひゃあ!?」
咄嗟に身体を離して耳を押さえた。
だって今……微かに触れたよね? ねっ!?
「さ、斎藤さん!?」
「何だ?」
「何だじゃなくて……今、わざとやりましたよね!?」
「何をだ?」
どことなく笑いを堪えるその顔は、わざとやったとしか思えない。
ところで、何て言っていたっけ? 武田さんがどうのと聞こえたけれど、ビックリし過ぎて内容が全く入ってこなかった!
ふと、武田さんの方に視線を移せば、思い切り目が合った。
ここにいてもまた斎藤さんにからかわれるだけだし、何だか武田さんの視線も気になりだして、逃げるように宴席から離れた。
小高い丘のようになったところまで行けば、一面をぐるりと囲むように桜が綺麗に咲いていて、風が吹くたび音を立てて花びらを散らしていく。
いつの時代でも、桜の散るその様は儚くも美しい。
しばらく眺めたあと、ひらひらと舞い落ちる花びらを掴もうと腕を伸ばした。
けれど、指先に花びらが触れるその間際、突然、背中から腕ごと誰かに抱え込まれた。
「きゃっ!」
思わず悲鳴を上げると、頭上からケラケラと楽しそうな笑い声が降ってくる。慌てて首だけで上向けば、私を見下ろす人と目が合った。
「沖田さん!? あ、あの、これは……」
まるで、後ろから抱きしめられている状態なのだけれどっ!
驚いたせいなのか恥ずかしいせいなのか、心臓がドキドキとうるさいので早く開放してっ!
「春くん、驚き方が女の子みたいで可愛いですね」
「え……あ、あの、驚き過ぎたせいですっ!」
「それに、何だか柔らかくて気持ちいい。本当に女の子みたいです」
マズイ、バレる……。沖田さんの腕から抜け出そうと身動ぎするも、私の肩に顔を埋めるようにしながら、さっきよりも強く抱きしめてくる。
同時に、強いお酒の匂いがした。
「お、沖田さん!? もしかして、相当酔ってますか?」
「うん。ちょっとね、飲み過ぎちゃいました」
「なるほど……。と、とりあえず、放してもらっていいですか?」
僅かな沈黙のあと、少しだけ頭を持ち上げた沖田さんが耳元で囁いた。
「そろそろお開きにするって、片づけ始めてますよ」
く、擽ったいからっ!
「あはは。春くん、耳まで真っ赤です。本当にからかいがいがありますね~」
「なっ……沖田さんっ!」
パッと私から離れた沖田さんは、酔っているというわりには、随分としっかりした足取りで走り去って行く。
全く、からかわないで用件だけを言ってよね!
私もあとを追うように歩き出すも、すぐに踵を返し、足元を見ながらゆっくりと桜の方へ戻る。五枚の花びらが残った桜をいくつか拾い上げると、形が崩れないよう手拭いで優しく包み、懐へしまってからみんなのもとへと戻った。
細かい片づけは沖田さんたちに任せ、私は、土方さんと井上さんと一緒に富澤さんを宿まで送ることになった。
そして、無事に送り届けたその帰り、土方さんが訊いてきた。
「お前、武田に何かしたのか?」
「何か……って何ですか? 特に何もしてませんが」
「そうか。気のせいならいいが。しばらくは不用意に近づかねぇ方がいいかもしれねぇぞ」
そういえば、斎藤さんも武田さんがどうのと言っていた気がするし、今日の武田さんは確かに挙動不審だった。
一応、気をつけておこう。……って、何を気をつければいいんだ?
屯所へついた頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
部屋ではなく台所へ直行すると、少し深さのある器に水を入れ、そのまま山南さんの部屋へ向かった。
今日の山南さんは調子がいいようで、顔色もよく、布団もきちんと畳まれていて、障子の前で読書に耽っていた。
近頃の富澤さんとの宴会はもちろん、全く外へ出ようとしない山南さんに少しでも季節を感じて欲しくて、持ってきた水入りの器を山南さんの前に置き、懐から取り出した手拭いも開いた。
そして、桜の花を一つ一つ水の上に浮かべていった。
「桜が綺麗に咲いていたんで、少しだけ持ってきました」
「桜、か……綺麗だね」
山南さんが怒ることは、やっぱりあれ以来一度もなかった。その代わり、自ら腕の話題に触れることもない。
みんなと違って、私は一緒に過ごしてきた時間が違い過ぎるけれど、それでも、あれ以来見えない透明な壁を挟んだような距離感を、どうしても打破したかった。
山南さんの悩み、苦しみ、不安……そういったものを少しでも和らげることができたら……と、そう思っている。
「そういえば……総長への昇格、おめでとうございます!」
「あ、ああ……ありがとう」
武田さんが副長助勤へと昇格してからすぐ、山南さんも副長から総長へと昇格したのだ。
というか、鬼呼ばわりされる土方さんとは対照的に、仏の山南なんて言われるほど優しい人なので、山南さんも副長であることを時々忘れそうになっていたのは内緒だけれど。
「本当に、めでたいと思っているのかい?」
「え……だって、総長は局長に次ぐ役職だと聞きました。副長よりも上だから昇格ですよね? それは凄いことだと思うのですが……」
何だかあの日にも似た緊張が走るのがわかった。わかったけれど、もう遅かった。
「相変わらず、君はおめでたいね」
「えっと、その、すみません……」
山南さんの声音や視線はあまりにも冷ややかで、逃れるように咄嗟に口をついた謝罪は、何に対してのものなのか自分でもよくわからなかった。
「なぜ謝るんだい? 私が怒っている、とでも?」
「い、いえ。あの……」
「私が腕の話をしなくなってホッとしていることも、幾度となく部屋を訪れては私の様子を伺っていることも、こうやって花を持ってきてお節介を焼くことも、怒ってはいないよ?」
口調はいつもの山南さんなのに、その表情も声音もまとう空気も、全てがいつもとは違っていた。
怒っている……とは少し違う気がする。正直、今、目の前に座る山南さんは怖い……。
けれど、ここで逃げ出してしまったら、山南さんと私を隔てる透明な壁は、二度と壊せない物になってしまうような気がした。
「山南さん……私はただ、たとえ腕が治らなかったとしても、今までの山南さんでいて欲しくて――」
「いい加減にしてくれっ!!」
一際大きな怒声とともに、身を乗り出した山南さんによって私の身体は勢いよく畳に打ちつけられた。
一瞬の出来事だった。山南さんは私に馬乗りになっていて、強打した背中や後頭部の痛みを感じる間もなく、左頬に激痛が走った。
それは、今までに感じたことのない痛みだった。口の中にじわりと鉄の味が広がり、手の甲で口元に触れれば赤い血がついていて、殴られたのだとわかった。
下から見上げる山南さんの表情は、さっきまでと何一つ変わっていなくて、ただただ怖い。絞り出すように発する声は、小刻みに震えていた。
「山南、さん……?」
「斬られることのない君に、私のいったい何がわかるっ!!」
そう叫んだ山南さんが、再び右手を伸ばすのが見えた。
「や、やめっ……」
咄嗟に抜け出そうとするも、馬乗りになられた状態では思うように身動きが取れない。たとえ片腕が不自由な相手といえどなすすべはなく、目を閉じて身を固くするしかできなかった。
けれど、待てども痛みはおろか、怒声すらも降ってはこなかった。
しばらく続いた沈黙のあと、部屋に響いたのは山南さんの驚きに満ちた声だった。
「琴月、君……。君は……」
恐る恐る目を開ければ、山南さんの表情は驚きと悲しみと後悔と……ほんの少し前とは全く違う顔だった。
そんな山南さんの視線を辿り、気がついた。その右手が掴んでいるのは私の着物の合わせの部分。左側の衿を掴んで私の身体を浮かせようとしたのか、大きくはだけた合わせから、胸に巻いたさらしが丸見えだった。
「君は……女性だったのか……」
ああ、バレた……。
水が染みていく畳の上に、ひっくり返った器と無残に散った桜の花びらが転がっている。
視界の端にそんな光景を映しながら、また、土方さんに怒られるんだろうなぁ……なんて思った。
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