075 拐われる③
稽古場に壬生寺、近場であいつが行きそうな場所は見たがいなかった。
他にあいつが行きそうな場所、甘味屋か?
だが、総司じゃねぇんだ。馬鹿真面目なあいつが、隊務をほっぽり出して遊び歩くとは思えねぇ。
それに、そうしろと言ったつもりもねぇのに、あいつはどこかへ出かける時、まるで餓鬼のように自分の居場所を誰かに知らせていることが多い。
だが、今回はそれもない。どこへ行きやがった?
そもそも、自分の意志でどこかへ行ったのか?
脳裏にふと、梅を見に行った日のあいつの顔が浮かんだ。満開の梅を見て、初めてだと、嬉しそうに破顔するあいつの顔。まるで餓鬼みてぇにはしゃいでやがった。
……そうだ。あいつはこの時代の人間じゃねぇんだ。元の時代へ帰った可能性だってある。
元の時代へ帰れたのならそれでいい。おそらく、あいつにとってはそれが一番いいはずだからな。
だがもし、そうじゃねぇとしたら……。
つい先日、長州の人間が京に潜伏しているという噂を山崎が持ってきた。俺の頭の中には、ある人物の名が浮んでいる。
……桂小五郎。
桂はおそらく、あいつの秘密を知っている。もし奴の手に落ちていたら……。
可能性は捨てきれねぇ。だが、考えたくもねぇな、それだけは。
それから少しの間、俺は自分の仕事に専念することにした。案外、道に迷ったとでも言いながらひょっこり帰って来るかもしれねぇと。
だが、何度か襖が開かれど、あいつが姿を見せることはなかった。
「なんで帰って来ねぇんだよ……」
誰もいねぇ炬燵に向かって呟けば、ろくに進まなかった筆を置き、足早に玄関へと向かう。
武田の報告から数刻が過ぎた頃、妙な焦りを感じながら提灯を片手に屯所を出た。
* * * * *
ここは市中の外れにある旅籠の一室……らしいけれど、帰り道がわからない私は、途中まで桂さんに送ってもらうことになった。
最初は夜明けとともに送ってくれると言われたけれど、今すぐ帰りたいという私の意を汲んでくれたのだった。
じゃあな、と笑うバカ杉晋作に見送られながら、桂さんとともに部屋をあとにする。
まんまるのお月様の下を並んで歩いていると、提灯を手にした桂さんが私を見下ろしていることに気がついた。今さらながら、この人もわりと背が高い。
「まだ痛むよね、ごめんね」
「桂さんが謝ることじゃないですよ」
「でも、仲間のしたことだから」
仲間……。二人とも長州藩士だっけ。
そういえば、八月十八日の政変以降、長州の人間は京へ入れないはずだけれど……。
「あの……どうしてまた京に? 今の京は、その……長州の人は入れないと思うんですが……」
「僕には成すべきことがあるからね。それに、京の人たちは僕ら長州の人間には優しいんだ」
そういえば、斎藤さんも京には長州贔屓が多いと言っていたっけ。匿ってもらったりしているのかもしれない。
ところで……。
「あのですね、私はあなたを捕まえなければいけない立場なんですが……このまま一緒に屯所まで行ってくれたり……しませんよね……」
「いいよ」
「えっ! いいんですか!?」
「うん。でもその前に、このまま長州へ来てもらうけどいいかな?」
そ、それは困る! この状況から私一人で捕まえるのは難しそうだ。
きっとまた、何で捕まえねぇんだよ! って怒鳴られるに違いない……。
頭の中に再生された怒声を追い出せば、ふと、バカ杉晋作が口にした噂を思い出した。同時に、ある人物の顔が浮かぶ。
「新見さん……ですか?」
「ん? ああ、あの噂?」
「はい」
信じる信じないは別として、新選組の中でも私の秘密を全て知っている人は限られている。タイムスリップしたその日の夜、私と一緒に角屋にいた人たちだけのはずだ。
土方さんも、新見さんは長州と繋がっていたと言っていたし、桂さんに私を引き合わせたのも新見さんだった。
「知りたい? 君が僕のところに来てくれるなら教えてあげるよ」
「……いえ、結構です」
「相変わらず、つれないね」
そんなことを言う桂さんこそ相変わらずだと思いながら、噂とはいえ、自分の秘密が広まっていたということに少なからず不安が過る。
「心配しなくてもいいよ。晋作も言っていたように、今じゃ誰も覚えていないような、その程度の噂だったよ」
「いえ、別に心配とかじゃ……私には関係ないですし……」
「そう」
それ以上何を訊いてくるでもなく、ただ意味深に微笑んでいるのだけれど……やっぱりバレている?
気になるけれど、藪蛇は避けよう……。
桂さんの手にする提灯の灯りが、ゆらゆらと仄かに道の先を照らし続ければ、もうじき屯所も見えてくる頃。突然、桂さんが立ち止まった。
「お迎えが来たみたいだよ。残念だけど、僕はここまでだ」
見れば道のずっと先に、こちらへと向かって来る提灯が一つ。私よりも夜目が効くらしい桂さん曰く、どうやら新選組の人間らしい。
「またね」
笑顔でそう言い残し、桂さんが屯所とは反対方向に走って行けば、月明かりの下、私はゆらゆらと徐々に近づく提灯へと走る。
そこにいたのは土方さんだった。
「お前っ! 今までどこほっつき歩いてやがった!?」
「す、すみませんっ。ちょっと道に迷っちゃって……」
「そうかそうか。なら仕方ねぇな……何て言うとでも思ったか、馬鹿野郎っ!」
ほんの一瞬ホッとしたのも束の間、いつもより大きな怒鳴り声は相当怒っている……と思ったのに、続く言葉はとても落ちついていた。
「お前を送ってきたのは……あれは、桂小五郎だな?」
「えっ。この暗さとあの距離でわかるんですか!?」
「まぁな。カマかけただけだけどな」
なっ! まんまと引っかかった!
捕縛できなかったうえに送ってもらっただなんて、どう考えても怒られる!
いや、怒られるだけで済めばいい。武田さんの報告次第では、切腹もあり得る!?
どう言い逃れをしようかと必死で模索するも、屯所はもう目の前だった。部屋へ入り襖を閉めた途端、土方さんが私に向き直る。
「で、何があった?」
本当に迷子になった……で済ませたかったのに。
その声音は予想に反して優しくて、気づけば全部話していた。土方さんは黙ったまま、最後まで聞いてくれていた。
「長州の高杉晋作……か。で、白昼堂々拐っておきながらお前を問いただすでもねぇ……奴の目的は何だ?」
「わかりません……。終始、面白そうって言ってたので、本当にそれが理由なんじゃないですか?」
今思い出しても腹が立つ。
バカ杉晋作めっ! と心の中だけで叫んだはずが、土方さんまで大声を出したので驚いた。
「ふざけんじゃねぇ! 桂も高杉も舐めた真似しやがって! お前もお前だ! そんな簡単に拐われてんじゃねぇよ! 余計な心配させんじゃねぇ!」
「す、すみませんっ!」
「謝るんじゃねぇ! お前一人でどうこうできた状況じゃねぇだろうが! そのまま長州まで拐われてたっておかしくねぇんだからな!?」
「はいっ! すみませんっ!」
「だから、謝るんじゃねぇ!」
「す、すみま……あ……」
……って、そんなにもの凄い形相で睨まなくてもっ!
謝ったら謝ったで怒られるし、いったいどうしろというのか!
「次また奴らに拐われやがったら、切腹させるからなっ!」
「それは遠慮しま……っていうか、拐われてたら切腹なんてできませんけどね!」
「ああ!? なら、意地でも連れ戻して切腹させてやるからなっ!」
「遠慮しますっ! だいたい、拐われたら切腹なんて決まりないじゃないですか!」
「うるせぇ! そん時は副長命令だっ!」
「なっ! 横暴!」
ところで、
武田さんの命令に背いたこと。
拐われたうえに、捕縛対象が二人も目の前にいたのに何もできなかったこと。あげく、送ってもらったこと。
列挙すればするほど、色々やらかしている気がして仕方がない。
急に不安に駆られれば、容赦なくデコピンが飛んできた。
「イタッ!」
「いいか、二度と奴らに拐われるんじゃねぇ!」
「は、はいっ!」
あまりの気迫に思わず返事をしてしまったけれど、そこは本来、捕まえろ! とか言うべきところじゃないのだろうか。
ところで、土方さんは誰に対してこんなにも怒っているのか。声の大きさもデコピンの威力も、いつもの比じゃないのだけれど!
「それからもう一つ」
まだ何かあるのかと、おでこを擦りながら土方さんを見上げれば、よける間もなく伸びてきた手が私の頬を引っ張った。
「いひゃっ!」
「うるせぇ。お前はもっと俺に感謝しろ。武田が切腹させたがってたぞ」
や、やっぱりお得意の弁舌で、切腹させる気だったのか……。
「ったく、利用されてんじゃねぇよ」
小さく笑いながら頬を解放するも、それ以上は何も教えてくれなかった。
全くもって意味がわからないけれど、きっと、何かしら迷惑をかけたに違いないので謝った。
「あの手の人間はな、敵に回すより上手いこと転がしときゃいいんだよ。お前の行動を責めるつもりはねぇが、命令に背くのも誉められたことじゃねぇ。やるならもっと上手く立ち回れ」
まぁ……それができれば苦労しないわけで。
心の中でぼやくも、文机に戻っていく背中を追いかけ隣の炬燵に入れば、もう一度、ごめんなさい、と謝るのだった。
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