058 文久三年、煤払い①
師も走るらしい師走。
今日は正月事始めの日だから煤払いをする、と言われ朝から慌ただしかった。
煤払いって、年末にやる大掃除のことだと思っていたけれど、今日はまだ十三日。年末というにはまだ少し早い。
詳しく訊いてみれば、ただの大掃除ではなく、年神様を迎えるため煤とともに年内の穢れや厄をお祓いする、という宗教的な行事だった。
現代と違って電気などなく、薪や炭、蝋燭なんかも使うからどうしたって煤が溜まる。
煤竹と呼ばれる先端にだけ葉を残した竹や、笹や藁を束ねて竹竿の先にくくりつけたものを使い、天井に溜まった煤を払うらしい。まさしく煤払い。
襖や障子も張り替えるらしく、すでに取り払われ冷たい空気にさらされながら、さっそく土方さんと私の部屋の煤払いにとりかかる。
襷掛けをして天井を見上げれば、ふと、車に轢かれたこともその後幕末へ飛ばされたことも、もしかしたら穢れや厄のせいなんじゃ? と、これでもかってくらい思い切り天井を払ってやった。
次の瞬間、天井から煤が私めがけて降ってくる。
「うわっ!」
「あのなぁ……」
後ろから聞こえた呆れ声に振り返れば、手拭いを貸せ、と手を差し出している。
言われた通り懐から取り出した手拭いを渡せば、髪についていたらしい煤を手で払ってから、こうすんだよ、と広げてふわりと頭にかけられた。
「髪上げろ。結べねぇ」
「こうですか?」
まだ短い襟足の髪を両手で持ち上げれば、土方さんの両腕が私の顔のすぐ横をすり抜け首の後ろで結んでくれる。
「髪、伸びたか」
「そろそろ結えそうです」
「そうか」
どこか悲しげな声とともに、頭巾になった手拭いを整えてくれた。
「ありがとうございます」
「ん。……ところで、煤払いもしたことねぇのか?」
「ないですね。煤が溜まるような生活してなかったので」
さっきまでの悲しげな声が一変、土方さんは表情まで驚きそのものになった。
「未来には灯りもねぇのか? いったいどんな生活してたんだよ」
「誤解しないでください。灯りはちゃんとあるし、夜も明るいくらいなんですからね? ただ、火じゃないんです。何かを燃やして灯りや暖をとったりはしないんです!」
力説してみるもののいまいちピンとこないようで、やれやれという顔をされた。
そうして天井や畳に落ちた煤も払い終わる頃、永倉さんや原田さん、他数名の隊士がこぞって部屋へ押しかけて来た。
「な、何事ですか!?」
ただならぬ雰囲気に気圧されていると、原田さんが言い放つ。
「畳叩きに来た」
「へ?」
畳を、叩く……?
首を傾げている間にどいたどいたと追いやられ、あれよあれよという間に畳を剥がして庭へ運び出している。
そして、棒で叩けばあら不思議。もわんと埃がいっぱい出てきた。
表面を箒で掃いたりはしていたけれど、まさかあんなに埃が入り込んでいたとは。
「呆けてねぇで、山南さんのとこ行って手伝って来い!」
問答無用で部屋を追い出されたのだった。
山南さんのところへ向かう途中、通りがかった部屋の真ん中で、ごろんと寝転がっている沖田さんを発見した。
今日は巡察に出ている隊士以外、全員屯所の大掃除に追われているはずだけれど。
「沖田さんは、煤払いしないんですか?」
「もう終わりました」
何だ、もう終わったのか……って、早っ!
「それじゃあ、沖田さんはそこで何してるんですか?」
「ん~、休憩?」
いや、どうみてもサボりだろう。自分の部屋以外にも、掃除をする場所はたくさんある。
とはいえ、物が少ないせいかこの部屋の掃除は本当に終わっているようなので、沖田さんも誘って行こう。
そう思った瞬間、ひょいっと起き上がる沖田さんが、私物であろう荷物の中から一冊の本を取り出した。
「春くん、これ見せてあげるんで見逃してください」
「何ですか? まさか……春画とか艶本とか、そういう類いのものですか?」
春画や艶本とは、エロ本みたいなもの。隊士たちが見て盛り上がっている光景を、見たことがある……。
そりゃあね、男所帯なので仕方ないとは思うけれど!
「春画の方がよかったですか~?」
「いりません!」
「これはですね~、ある意味春画より面白いものですよ」
首を傾げる私に、沖田さんがタイトルの部分を指差して見せる。
「ほう、ぎょく? ほっく、しゅう?」
「はい。見たいですか?」
そこに書かれてあった文字は“
もしかして、沖田さんの自作?
「ちなみに、僕のではないですよ~」
訊ねる前に答えを出した沖田さんは、句集をめくって中を見せてくれる。
句がつらつらと書かれているように見えるけれど、タイトルと違って全く読めそうにない。というか、このミミズが這うような字体には見覚えがある……。
「土方さんの字に似てますね」
「お~、ご名答! さすがは同じ部屋なだけありますね」
もしかして、この句集は土方さんが?
「見てみたくないですか~? あの鬼の副長が詠む恋の句とか」
「確かにちょっと見てみたいですけど……」
「じゃあ、これあげるんで見逃してください。僕はもう暗記しちゃったんで、必要ありませんから」
もの凄くニコニコしているけれど、土方さん自作のものを沖田さんが持っているということは、土方さんから沖田さんへの贈り物だったり?
そうだとしたら、手作りのものを私が勝手にもうわけにはいかない。
「遠慮します。それより、今日はみんな掃除してるんですから、ほら、沖田さんも一緒に来てください!」
沖田総司が掃除。
……なんてくだらない駄洒落が頭を過るけれど、振り払うように沖田さんの背中を押して部屋を出た。
山南さんの部屋へ行くと、片手で煤竹を持ち上げ、やりにくそうに天井の煤を払っている山南さんがいた。
「あ、山南さん、天井は私がやりますよ!」
急いで駆け寄り煤竹をもらおうとしたけれど、沖田さんの方が一歩早くそのまま任せることにした。
「すまないね。まだ、腕が思うように動かなくてね」
「こういうのは、背の高い僕に任せてください」
微笑む沖田さんに次いで、私も山南さんに向き直る。
「そうですよー、ほっといたら沖田さんすぐサボっちゃうんですから」
「……さぼ?」
あ、しまった。サボるは通じないらしい。
フランス語のサボタージュが語源とかだったっけ。
「えっと、沖田さんは放っておくとすぐに怠けようとする……と言いたかったんです」
煤を払う沖田さんが、天井を見上げたまま笑い出した。
「春くんは時々、変わった言葉を使いますね。大八車に轢かれたせい? それとも西洋かぶれです~?」
「あ、頭の打ち所が悪かったのかな~あはは」
何だか凄くかわいそうな言い訳!
話題を変えようと、改めて山南さんに向き直った。
「……大きな怪我でしたし、完治にも時間がかかるんだと思います。じきに良くなるはずですから」
「そう、なのかな……。傷は塞がって、もう二月も経つのだけどね」
山南さんはいつものように優しく微笑むけれど、少しだけ悲しい表情で庭先を見やると、遠くを見つめて小さく息を吐く。
時々、包帯を替えさせてもらっているからわかる。山南さんが言うように、もう、傷じたいは塞がってだいぶよくなっている。
けれど、腕はまだ思うように動かないらしい。
もしかしたら、山南さんは本当にこのまま刀を振るうことが……?
「山南さん、畳叩くぜ!」
重くなりかけた空気を変えたのは、突然、ぞろぞろと部屋に乗り込んで来た永倉さんや原田さんたちだった。
山南さんの部屋の掃除を終えると、何食わぬ顔でサボろうとする沖田さんを連れ、屯所の中を歩いていた。
局長の部屋の前を通ると、こちらに気づいた近藤さんと目が合った。
「お、総司に春、丁度いいところに。ちょっとこっち手伝ってくれ」
「ほら、沖田さん。近藤さんの頼みですよ」
「え~。刀を振るう頼みなら喜んで行くんですけど、せいぜい箒ですよ、箒。箒振り回してもねぇ……」
「箒だって振り回しちゃダメです!」
渋る沖田さんの背中を押して近藤さんの部屋に入れば、突然、背後から声がした。
「総司が掃除。……なんちって」
振り返ると、壁から顔だけをひょっこり出した永倉さんだった。
「それ、私も思ってたけど言わなかったのに!」
先を越されてしまい、妙に悔しい気持ちが沸いてくる。
「今までそれを言った人、誰であろうと問答無用で打ち負かしてきたんですよね」
隣に立つ沖田さんの顔が、怖いくらいにニコニコしている。
「おっと、あっちの部屋の畳も叩いてこねえとなっ!」
「おい、新八! そっちは終わったじゃねーか!」
危険を悟った永倉さんが一目散に逃げ出せば、その後ろを原田さんが追いかけて行く。
平和な光景にくすりと笑みをこぼせば、沖田さんの視線を感じた。
「え、えーっと、心の中で思っただけで、私はまだ言ってませんからねっ!?」
気を取り直して掃除を開始すれば、近藤さんが散らばった書物を指差した。
「すまんが、二人でそれをまとめてくれるか?」
「はい!」
さっそく拾い上げた一冊は、三國志と書かれていた。
「近藤さんは、三國志が好きなんですか?」
「ん、ああ。三國志や水滸伝が大好きでなぁ。子供の頃からもう何度も読んでるんだ」
確かに、何度も読み返したような跡がある。本を拾い集めていた沖田さんが、悪戯っぽく笑った。
「今も片づけようとして、つい読み始めちゃってたんじゃないですか~?」
「でもわかりますそれ! 中をめくったら最後、止まりませんよね!」
「おお、わかってくれるか!」
わかりますともっ! 本棚を整理するはずが、いつの間にかただの読書に変わっているなんて珍しくない。
近藤さんと頷き合っていれば、沖田さんの突っ込みが入った。
「ほらほら。さっさと片づけますよ~」
まさか、さっきまでサボっていた人に言われるとは!
豪快に笑う近藤さんとともに、部屋を綺麗にしていくのだった。
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