057 持たせた箱の中身

 翌朝、さっそく多摩に帰るという松本さんを、土方さんと井上さんが見送りに行くというので同行した。

 見送りの場所へ向かうまでの間、二人は多摩の様子を松本さんに訊いたりして、故郷のことを懐かしんでいる雰囲気だった。

 

 新幹線どころか、電車や自動車すらまだないこの時代。移動は基本的に徒歩で、京から多摩までは半月ほどかかるらしい。

 あの距離を歩くとか、全く想像がつかないけれど。


 数時間座っているだけで到着してしまう現代と違って、簡単には行き来できないからこそ、故郷を懐かしむ感情は、私が想像する以上に強いのかもしれない。

 けれど……だからこそ浮かんだ疑問を、話の切れ目に問いかけてみる。


「松本さん」

「捨助でいい」

「えっと、じゃあ捨助さん。もう少しゆっくりしていってもよかったんじゃないですか? せっかくここまで来たのに」


 半月もかけて来たのに、再び半月もかけてとんぼ返りだなんて辛すぎる。せめて、京の町をゆっくり観光でもしてから帰ればいいのに。


「長居してたら、決心が鈍るかもしれねえから」

「なるほど……」


 そう言えば、親御さんにも黙って飛び出して来ちゃったんだっけ。やっぱり、ここは早めに帰ってあげるべきなのかもしれない。


「それより、春。お前の故郷はどこなんだ?」

「……へ? こ、故郷ですか?」


 思いもよらない質問に、あからさまに動揺の声が漏れた。

 故郷は東京です。今で言うなら江戸ですか?

 けれど、昨日の会話の流れから江戸と言うには少し無理がある気がして、土方さんの鋭い視線と井上さんの心配そうな視線、この相反する眼差しが向けられるなか、苦し紛れに口を開く。


「ずっと、ずーっと遠く、ですかね……?」


 具体的な地名が返って来なかったことを不満に思ったのか、捨助さんの表情は険しい。

 けれどもしばしの沈黙のあと、捨助さんは眉間に寄せていた皺をパッと伸ばした。


「異国……か?」

「へ? え、ええ。そんな感じです」


 苦笑しつつ何とか誤魔化した。正直、これ以上は突っ込まれたくないので並んで歩く歩調を僅かに早めれば、同じく速度を上げてついてくる捨助さんが私を見た。


「いつか帰れるといいな」

「あ……はいっ!」


 初めて見せてくれたその笑顔に、私もつられて笑顔で頷くのだった。




「ここからは一人だが大丈夫か?」


 見送り地点につくと、井上さんが心配そうに声をかけた。


「もう子供じゃねえし」


 そう言って口を尖らせる捨助さんの頭を、そうかそうか、と井上さんが笑顔でポンポンと撫でる。

 不服そうにしながらも、捨助さんは決してその手を振り払おうとはしなくて、微笑ましい光景に思わず頬が緩むのを感じれば、若干恥ずかしそうな目で睨まれた。

 気づかないふりですっと視線を逸らせば、土方さんが、持っていた荷物を捨助さんに手渡した。


「刀と、こっちの箱のは多摩のみんなで見てくれ」

「わかった」


 そうして改めて別れの挨拶を済ませれば、捨助さんは迷うことなく東へと向かって歩き出す。

 小さくなる背中を三人で見送っていれば、突然、捨助さんが振り返り叫んだ。


「春! こっちへ来ることがあれば多摩にも寄れ。お前の故郷とは違うかもしれねえが、何もなくてもそれなりに良い所だ!」

「はい! じゃあ、それまで守っておいてくださいね!」

「おう、任せとけ!」


 そう言うと、捨助さんは今度こそ振り返ることなく見えなくなった。




 屯所への帰り道、土方さんは不思議なものでも見るような目で私を見た。


「お前、どうやって説得したんだ?」

「それが……説得したつもりはないんですけど――」

「いや、あれは俺も聞いてて泣きそうになったぞ?」

「なっ。井上さんまでやめてください! 思ったことをつい口にしちゃっただけで、本当にそんなつもりじゃなかったんですから!」


 今思えば、結構恥ずかしいことを言っていた気がする。正直、これ以上触れられるのは遠慮したいところ。

 けれど、一つだけ思ったことがある。


「いつか私も、みなさんのいた多摩に行ってみたくなっちゃいました」


 嬉しそうに微笑む井上さんが、私の頭をポンポンと撫でた。


「いつか、みんなで行こうな」

「はいっ!」


 口にはしないけれど、現代に帰りたいという気持ちが消えたわけじゃない。あえて考えないようにしているだけで、消えるわけがない。

 けれど、こんな風にこの時代のどこかへ行きたいと思ったのは、初めてな気がする。


 いつか行ってみたいな……この時代の多摩に。

 土方さんや井上さんたちの故郷に。


「ところで、捨助さんの荷物、来た時より随分増えてましたけど大丈夫ですかね?」


 一振りでも結構重たいのに、山南さんの折れたものも含め、刀を三振りも持たせていた。

 そして、一緒に持たせた箱にはたくさんの文が入っているという。多摩のみんなで見てくれ、と言って渡していたし、郷里の人たちへ宛てた文なのだと思うのだけれど……。


「いつ、そんなにたくさんの文を書いたんですか?」


 話を聞く限り、一晩で書き上げたとは思えないほどの量みたいだし。


「いや、あれは俺が書いたんじゃねぇ。もらったやつだな」

「へ? どういうことですか? ……ああ、他の人から預かった文ってことですか?」

「違う、全部俺宛てのだ」


 ん……土方さん宛て?

 何だかもの凄く得意顔だけれど、土方さん宛ての文をわざわざ持たせるってどういうこと?


 ニヤニヤする土方さんの隣で考えを巡らせていれば、突然、井上さんが大声をあげた。

 そんな井上さんを見つめれば、その顔は呆れ顔で土方さんを見つめている。


「まさか、女からのか!?」

「まぁな」


 すました顔で認める鬼の副長がいた。

 それはつまり……あれは全て土方さん宛ての恋文……ラ、ラブレター!?


「ええっ!? まさか、俺はこんなにモテるんだぞ、っていう自慢ですか!?」

「実際モテるんだから仕方ねぇだろう」

「うわっ。自分で言った!」


 格好いいのは認めるけれど、自分で言う!? その自信は一体どこからくるのさっ!


「恋文を書いてくれた女性たちにも失礼じゃないですか!」


 想いを綴った恋文を、見ず知らずの人に読ませるとかどんな嫌がらせっ!


「よし、歳の男色の噂を屯所の中だけじゃなく、町でも広めるか!」

「井上さん、それいいですね! 名づけて、土方さん宛ての恋文撲滅大作戦!」

「ああ!? 頼むからそれだけは勘弁してくれ!」


 恋文をもらえなくなるのがそんなに嫌なのか?

 どうせ人に渡してしまう恋文なら、もらわなくても一緒じゃないのか!?

 けれども、そこまで言うなら私も鬼じゃないからね!


「仕方ないですねー、美味しいご飯で許してあげなくもないです。ねぇ井上さん?」

「酒と甘味もついてたら、言うことないんじゃないか?」

「いいですね!」




 というわけで、この日の晩御飯はちょっとお高めのご飯をご馳走になった。もちろん井上さんはお酒、私は甘味つきで。


「くそ……てめぇら覚えとけよ」


 屯所への帰り道、財布を懐へとしまう土方さんの呟きは、冷たい風が空しく拐っていくのだった。

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