055 新選組に入りたい①
大坂から戻り、足もだいぶ良くなった頃。
巡察から部屋へ戻ると、土方さんと対面で座る一人の男性の背中があった。
「あ、お客様でしたか。すみません」
邪魔をしないよう慌てて部屋を出ようとすれば、土方さんが男性の肩越しから私を見る。
「いや、もう客じゃなくなったから入っていいぞ」
もう……? つまり、さっきまでは客だったってこと?
え、どういうこと!?
「巡察はどうだった?」
「え、あ、いつも通りです。喧嘩の仲裁に入ったくらいで、特に何もありませんでした」
襖を閉めてから改めて男性の後ろ姿に視線を移すと、短髪でところどころ寝ぐせで跳ねた、どこか見覚えのある姿がゆっくりと振り返った。
『あっ!』
驚いて声を上げたのは同時だった。
「何だ、お前ら知り合いか?」
知り合いも何も、つい最近お世話になった人だ!
説明を求める土方さんの視線を感じて、刀を置き男性の近くに腰を下ろした。
「大坂で、足を挫いて診てもらったじゃないですか? その時のお医者様です」
私も驚いたけれど、こちらに顔を向けるその人も、同じように凄く驚いた顔をしている。
「あなたは新選組の方でしたか。新選組には、女性の隊士もいらっしゃるのですね」
……あ、しまった。足を診察してもらったことは土方さんにも話したけれど、それは報告していないっ!
「えーっと、それはその……。そ、それよりどうしてここに? もしかして土方さん、怪我でもしたんですか? 打ち身ですか? 捻挫ですか?」
「ちげぇよ。ついさっき隊士になったんだ。ウチに入りてぇって、わざわざ大坂から来てくれたんだよ」
「えっ! そうなんですか?」
それはそれで驚きだけれど、今は、あの土方さんから話題を逸らせたことの方が驚きだ。
「んなことより、どういうことだ? 何でバレてんだ?」
前言撤回。やっぱり逸らせてなんかいなかった……。
「それはですね、そのー……」
自分から見せました! ……なんて口が裂けても言えるわけがない。
土方さんの鋭い視線に答えあぐねていると、成り行きを見守っていた医者が申し訳なさそうに割って入る。
「すみません、もしかして内密のことでしたか? 実はですね……」
そう切り出すと、あの日、足を診察した時点ですでに気がついていたのだと説明し始める。
土方さんは、納得がいったように一つ大きなため息をついた。
「さすがに、医者の目は誤魔化せねぇか。……なら仕方ねぇ」
おおっ!? 怒鳴られずに済んだ!
そう思うのもつかの間、土方さんは腕を組み、私を一睨みしてから目の前の医者へと視線を移す。
「お前は医者の身でありながら、それを捨ててでも武士になりてぇと言ったな? だからウチへ来たと」
「はい」
「その気持ちが本物なら、わかってもらえると思うから隠さず言う。こいつもな、女の身でありながら武士になりてぇんだとよ。だから男の成りをしてまでここにいるんだ。だが、こいつが女だと知ってる奴は少ねぇ。これ以上バレるようなら 、ここへおいておくわけにもいかなくなる。こいつの武士になりてぇという夢は叶わなくなる。だからな、このことはお前の胸のうちに留めておいてやってくれねぇか?」
「そうだったのですね。わかりました。絶対に誰にも言いません」
「悪いな。助かる」
土方さん。私、武士になりたかったんですか?
何だか上手いこと話がまとまったけれど、武士になりたいだなんて言った覚えもなければ思ったこともない。
そもそも、現代に武士なんて職業存在しないから!
とはいえ、未来から来たことを話すわけにもいかないので、そういうことにしておこう。
これ以上私の武士談義を掘り下げられても困るので、話題を変えることにした。
「そうだ! 医術の心得がある方がいるなんて心強いですね!」
ほんわかとした雰囲気をまとう医者が、笑顔を浮かべ丁寧に頭まで下げた。
「ありがとうございます。
「琴月春です。こちらこそ、よろしくお願いし……ま?」
同じように頭を下げた体勢のまま、頭だけを上げてその顔を見上げた。
やまざき、すすむ……山崎丞って言った!?
「ああっ!」
驚きのあまり、思わず山崎さんを指差して叫んでしまえば、うるせぇ! と土方さんが声を荒らげ睨んでくる。
けれど、そんなことはもはやどうでもいい!
「山崎さん! 新選組に入るのは考え直した方がいいですよ! ここには厳しい局中法度というものがあってですね、破ると鬼のように怖~い副長が切腹申しつけてきたりしますからっ!」
――
戊辰戦争が始まって新選組が航路で江戸へ戻る時、船上で亡くなり亡骸を海へ……って兄が言っていた気がする。
それはつまり、乗船前に船上で命を落とすほどの何かがあったということ。
戊辰戦争で怪我を負うのかもしれない。
……だとしたら、新選組に入らなければ戦争にも参加せず、怪我を負うことも、ましてや死ぬこともないはず。
「おい、誰が鬼だって?」
私の思考を遮るように、土方さんの怒気を多分に含んだ声が聞こえる。すぐに、山崎さんの優しい声と笑顔も向けられた。
「先ほど説明を受けましたよ。もちろん了承のうえです」
ダメ、絶対にダメだから! 何としてもやめさせないと!
「えっとですね、入るのは簡単ですが入ったら最後、出られませんよ!? おまけに勝手に出て行こうものなら切腹です!」
「いい加減にしろっ! 理由によっては脱退も許可するって前にも言っただろうが! お前は入隊希望者を減らす気かっ!」
ええ、減らしますとも! 今回ばかりは減らしてみせますとも!
どんなに怒鳴られようと、山崎さんだけは入隊させちゃダメだ!
負けじと土方さんとの睨み合いを始めるけれど、突然、居住まいを正した山崎さんが宥めるような、それでいて力強い声音で話始めた。
「ご心配ありがとうございます。でも、やめる気はありません。あなたと同じですよ。私も武士になりたくてここへ来たのです。覚悟はできています」
「いや、あの、私は――」
「おい、琴月! お前、暇なら山崎に屯所の案内をしてやれ! 副長命令だ! とっとと行って来い!」
「……っく。わかりましたっ!」
山崎さんとともに部屋を出ると、当てつけのように襖をピシャリと閉めた。
……わかっている。土方さんも山崎さんも悪くない。誰も悪くなんかない。
――覚悟はできています――
そんなこと言われたら、もう何も言えないじゃない。
この人たちの言う覚悟は、命をかけられるほどの覚悟なのだから……。
屯所の案内をしていると、山崎さんが心配そうに訊いてきた。
「怪我の具合はどうですか?」
「はい、大丈夫です。その節はお世話になりました」
「大したことはしていませんよ」
「そんなことないです! ……あっ! あの時のお代がまだです!」
その場では受け取ってもらえず、次会った時に、と言っていた気がする。
まさか、こんな形で再会することになるとは夢にも思わなかったけれど。
「いえ、やっぱり受け取れません。新選組の隊士となった今、金銭を受け取っては隊規に触れてしまいます」
そ、そうなのか? 随分とこじつけな気がするけれど……。
とはいえ人の良さそうな山崎さんのこと、最初から受け取る気はなさそうな雰囲気だったし、今もその気はないということなのだろう。
それと、初めて会った時から感じていたことだけれど、山崎さんは明らかに年下の私に対しても凄く低姿勢なので、お礼とともに一つお願いも口にしてみる。
「あの、私に対してそんな風に畏まらないでください。土方さんみたいに……とは言いませんけど、私は山崎さんよりも年下だし、新選組の中でもまだまだ下っ端なので」
訊けば、年は三十一なのだという。つまり、土方さんよりも二つ上。
「では、春さんとお呼びしてもいいですか?」
山崎さんは、日によく焼けた健康的な肌に屈託のない笑顔を浮かべながら、首を僅かに傾けている。
「えっと、はい。それは構わないのですが……」
「ありがとうございます」
私の反応など気にすることもなく、満面の笑みを浮かべている。
……うん、そういうことではなく、敬語じゃなくていいですよ、と話し方のことだったんだけれどなぁ……。
まぁ、いいか。
その日の夜、布団を敷き終えた私に呆れた声が飛んできた。
「お前、短期間にバレ過ぎじゃねぇか?」
「ええ、私もそう思います。不思議ですね」
「何、開き直ってんだよ」
素直に認めたら、余計に呆れられた気がする。すでに怒る気もないらしい。
「でも、今回も上手く切り抜けられましたね! って、ああー! 私、武士になりたいなんて言った覚えないですから!」
「誤魔化すための嘘に決まってるだろうが!」
「ですよね」
「当たり前だ、馬鹿野郎! 俺だってなりたくても簡単にはなれねぇんだ! お前みたいな奴になられたらやってられるか!」
だから、武士になりたいなんて思ったことないからねっ!
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