054 捻挫と鍼治療

 “まむし”を食べ終え幸せな気分で外へ出れば、お日様も随分傾いていた。

 気温も確実に下がっていて、少し遠回りにはなるけれど、予定通り川沿いを避けて帰ることになった。


 何気ない会話をしながら歩いていると、追いかけっこでもしながら家路についているのか、子供たちが元気に駆け抜けて行く。一番最後を走る小さな男の子も、器用に人混みを掻き分けながら私の横をすり抜けて行った。

 自分の子供の頃を思い出しな鍼がらその小さな背中を見送れば、脇道から出て来た年配の男性とその子がぶつかってしまった。

 その場に転んでしまった男の子と、ぶつかった反動でよろめく男性。行商人なのか、たくさんの重そうな荷物を背負っていて――


「危ないっ!」


 気づいた時には飛び出していた。

 男の子を庇うように抱きしめた瞬間、肩に重い衝撃と鈍い痛みが走る。


「――っく……」


 痛みに耐えたまま男の子を抱きしめていれば、井上さんと沖田さんが慌てて駆け寄って来た。行商人の男性も、申し訳なさそうに声をかけてくれる。

 けれど、商売道具をばら蒔いてしまい、男の子に対しては怒っている様子だった。

 腕の中の男の子が震えていることに気づき、慌てて解放すれば、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「大丈夫? どこか痛い?」

「……ううん、へーき……」

「そっか、よかった。……じゃあさ、まずはおじさんに謝ろっか? で、一緒に荷物も拾おうか」


 男の子は素直に頷き謝ると、次からは気をつけるんだぞ、とお許しをいただけた。

 そして、荷物を拾い集めるべく立ち上がると、右の足首に痛みが走った。どうやら肩だけじゃなく、足まで痛めたらしい。

 それでも痛みを我慢しながら拾っていると、先に行っていた子供たちも戻ってきて、手伝ってくれたおかげですぐに終わった。


 お礼を言って立ち去る行商人を見送る横で、男の子がじーっと私を見ていることに気がついた。

 目線の高さを合わせるようにしゃがみ込めば、今まで堪えていたのか突然泣き出した。


「うっ……ううっ、うわあああん」


 慌てて慰めるけれど、なかなか泣き止んでくれそうにない。

 見かねた沖田さんが隣にしゃがみ込むと、男の子の頭をかき混ぜるようにくしゃくしゃっと撫でながら微笑んだ。


「ほら、男の子なんだからすぐに泣いては駄目ですよ? それとね、このお兄さんなら、笑顔でお礼を言うと喜びますよ」


 男の子は沖田さんに頭を撫でられたまま、俯けていた顔を恥ずかしそうに上げて私を見た。


「お兄ちゃん、お、おおきに……」

「はい、どういたしまして! 次からは気をつけるんだよ?」

「うん!」


 あっという間に泣き止んだ男の子が、子供たちと仲良く手を繋いで行くのを見送りながら、井上さんが沖田さんの背中を軽く叩く。


「さすが総司だな。すぐに泣き止んじまった」

「本当ですね!」


 きっと、子供好きな沖田さんだからこそだろう。

 小さな背中が完全に見えなくなり、京屋へ向かって歩き出す井上さんに続こうとした時だった。


「さぁ、春くん。もう我慢しなくていいですよ」

「……え」

「あの子を庇った時に、肩と足を痛めたでしょう?」

「あ……気づいてました?」


 にっこりと微笑まれた。

 男の子が不安にならないよう隠していたけれど、どうやら沖田さんにはバレていたらしい。

 慌てて戻って来た井上さんが、私の前で背中を向けてしゃがみ込む。


「春、乗れ。気づいてやれなくてすまん」

「だ、大丈夫ですよ! たいしたことないですから!」


 この年でおんぶされるのはさすがに恥ずかしい。

 けれど、井上さんをよけて歩き出した足はやっぱり痛かった。無理して動いていたせいか、最初よりも確実に痛みも増している。

 しばしの間、乗る乗らないの攻防を続けていれば、通りがかった一人の男性が声をかけてきた。


「あんた新選組の人やろう? この間はほんま助かったわ。おおきに。何や怪我でもしたんか? 店もすぐそこやし休んで行くとええで。ついて来ぃ」

「へ? あ、あの――」

「ああ、岩城桝屋や。腰抜かして動けへんところを、あんたに助けられたんや。覚えてへんか?」

「あっ! あの時の!?」


 岩城桝屋のご主人だった!




 三人で岩城桝屋へお邪魔すれば、快く奥の部屋へと案内された。


「ちょうど先生が来てるはずやさかい、ちょい呼んでくるわ。座って待っとき」


 お言葉に甘え座って足の具合を見てみると、やっぱり少し腫れていた。おそらく捻挫だろう。


「しばらくは安静にしないといけないね」


 沖田さんと井上さんに心配されながら待っていれば、ご主人が一人の男性をつれて戻って来た。


「先生は治療中やったけど、一緒に息子さんが来とったさかいお願いしたわ」

「すみません、医者と言っても鍼灸が専門なので、お役にたてるかはわかりませんが……」


 そう言って、私の足を見るなりすぐに水と手拭いを用意するよう指示を出す。

 井上さんと沖田さんが揃って出て行く後ろ姿に謝るも、咄嗟に少し体勢を変えてしまったせいで肩に痛みが走った。


「もしかして、肩も痛めてらっしゃいますか?」

「……はい。重い荷物が降ってきちゃって……」

「診てもいいですか?」


 大した怪我じゃないけれど、あの荷物が男の子に当たらなくて本当によかった。

 そんなことを思いながら、衿を緩め、左手で右肩を出すように思い切りはだけさせた。

 私の肩に視線を向けた医者が、何やら納得したような顔で微笑んだ。


「ああ。やっぱり、そうでしたか」

「え?」

「いえ、足を診させてもらった時に女性なのかなと思ったら、やっぱり女性だったので」

「えっ!? ど、どうしてそれを!? って、ああっ!」


 そうだよ、さらしを胸に巻いていたんだった!

 医者に診てもらうつもりで、全くそういうことを気にしていなかった!

 井上さんならまだしも、沖田さんがいなくてよかったと思いながら、慌ててはだけた肩に着物を戻し衿を合わせた。


「あ、あの、すみません。できれば見なかったことに……」


 事情を察してくれたらしい医者は、わかりました、と微笑み着物がはだけないように診察してくれた。


 二人が戻って来ると、医者は濡らした手拭いで私の足首を冷やし、肩も冷やすようにともう一つ冷たい手拭いを手渡した。

 相変わらず心配顔の井上さんが具合を訊ねれば、予想通り打ち身と捻挫の診断がくだった。


「どちらも症状は軽そうですが、足の方だけでも鍼を打っておきましょうか。あとは数日安静にしていれば、すぐに良くなると思います」


 そうして足に鍼を打ってもらう間、医者のところどころ寝ぐせで跳ねた短い髪を、ほんわかした人柄と妙に合っているなぁ、なんて思いながら見ていた。

 治療が終わると、不思議と痛みが引いていた。もちろん、無理に体重をかけたりしたら痛いけれど、普通に歩く分には何も問題がなかった。


「凄い……。ありがとうございました!」

「いえ、あまり無理はしないでください」


 笑顔でそう言い残し、そのまま部屋を出て行こうとするので慌てて引きとめた。


「お代は?」

「結構ですよ。今日は父に同行していただけですので」


 そう言われも……。鍼まで打ってもらったのに!

 納得しない私を見て、医者は困ったように苦笑する。


「う~ん。では、もしまたお会いすることがありましたら、その時にお願いします」


 それだけ言い残し、今度こそ行ってしまった。

 何ていい人なの!? 年は土方さんと同じくらいに見えるのに、あの物腰の柔らかさと低姿勢……ぜひとも見習って欲しい!


 岩城桝屋のご主人にもお礼を言って店を出れば、外はすっかり暗くなっていた。

 急いで帰ろうとするも、前に回り込んだ井上さんがまたしても背を向けてしゃがみ込む。


「春、ほら」

「いえ、鍼のおかげでもう歩けるんで大丈夫ですよ!」

「いいから、遠慮するな。安静にしとけと先生にも言われただろう?」


 う……それはそうだけれど。それでもやっぱり渋っていると、なぜか沖田さんが勢いよく飛びのった。


「じゃあ、僕が~」

「ぐあっ! こら総司、おりろ!」


 どうやら少しだけ腰を痛めたらしく、戻って医者に診てもらうよう提案するも断られた。


「大したことないから早く戻ろう。風邪まで引いたら洒落にならん。総司、春をおぶってやれ」

「あ、やっぱりそうなります~?」

「何なら、俺をおぶってくれてもいいんだぞ?」

「春くん、どうぞ~」


 そう言って、今度は沖田さんがしゃがみ込む。


「本当にもう大丈夫なんですが……」

「春くんがのってくれないと源さんがのってきちゃうじゃないですか。どうせなら軽い春くんの方がいいんですよ~」


 どうやら、今の私に自分の足で歩いて帰るという選択肢はないようで、結局、沖田さんに押し切られおぶられて返ることになってしまった。


「春くん、ちゃんとご飯食べてますか~? いくらなんでも軽すぎですよ」

「た、食べてます!」


 何を思い出したのか、突然、沖田さんがケラケラと笑い出す。


「そう言えば、今日はまむしを食べましたね~。毒に当たらないといいですね?」

「なっ! 沖田さん! もう騙されませんからね!」


 はいはーい、と適当な返事を寄越す沖田さんが再び笑い出せば、提灯を片手に私たちのやりとりを見ている井上さんも、心なしか笑顔に見えるのだった。

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