044 再び大坂へ

 他の隊士たちと同じ扱いになったとはいえ、実際、剣術の腕はまだまだ未熟な身。今までのように稽古優先ではあるけれど、それでも巡察に同行することも増えた。


 初日に不逞浪士の捕縛を目の当たりにしたものの、運がいいのか、斬り合いのような大きな事件にはまだ遭遇していない。

 内心ほっとしていることは、口が裂けても言えないけれど。


 浅葱色にだんだらという揃いの羽織は嫌でも目立つらしく、羽織を翻し町中を闊歩するだけでも防犯効果は絶大みたいだった。

 当然と言えば当然だけれど、わざわざ新選組の目の前で悪さをしようという不届き者も、そうそういないらしい。






 そして、第十四代徳川将軍の下坂に伴い、新選組も警護の任を受け大坂にやって来た。

 前回来た時は、留守番する気満々のところを芹沢さんに無理やり連れて来られたけれど、今回は違う。

 副長である土方さんから、新選組の一員として同行するよう言われたのだった。


 今日の仕事はもう終わり、大坂滞在時の定宿である京屋でくつろいでいた。

 同じく仕事を終えた隊士のほとんどは、ここぞとばかりに町へ出ていってしまったので、私は残った山南さんとまったりお喋りをしている。


 山南さんは、新見さんや芹沢さんのことで落ち込んでいた私を救ってくれた人だ。

 それどころか、刀を振るうことができないことを見抜き、斬らずに戦意だけを奪うという方法を教えてくれて、希望を持たせてくれた人でもある。


 助けられなかった芹沢さんから託された、新選組を見届けて欲しいという想いを叶えるため、そして、少しだけ知っている彼らの結末を変えるため、私はこれからも新選組に居続けると思う。

 けれど、あの日の山南さんとの会話がなければ、ただそこにいるというだけで、巡察に出ることも、こうしてみんなと大坂へ来ることもなかったと思う。

 だから……。


「私、山南さんには本当に感謝してるんです」

「ん? 私、何かしたかい?」

「はい! 今、こうして新選組の一員としてここにいられるのは、山南さんのおかげですから」

「私は何もしてないよ。それは君自身の力だよ」


 山南さんはいつものように優しく微笑むけれど、すぐに表情を曇らせた。


「私は君に恨まれることはあっても、感謝なんてされるような人間ではないよ」

「え……?」

「芹沢さんの葬儀が終わった後、歳から聞いたよ。君は……知っていると。私は……私たちは、君の恩人を――」


 その先を遮るべく、慌てて人差し指を自分の口元に当てながら首を左右に振った。山南さんが言おうとしていることがわかったから……。


 “芹沢さんたちを殺したのは、長州の間者などではない”

 ……という事実を知っているのは、ごく一部の人間だけ。そこに私が含まれていることを、土方さんから聞いたのだろう。そして、誰が殺したのかさえも知っていることを。


 この部屋には、他の隊士もまだ何人か残っている。

 けれど、彼らはおそらく真実を知らないはずで、これ以上、山南さんの口から語らせてはいけないと思った。

 それに、私自身のことも誤解されたままは嫌だ。


「山南さん。事実が何であろうと、私は誰も恨んでいません。だから、私がここにいるのは、山南さんのおかげであることに変わりはありません」

「新見君が亡くなった後、私が君に近づいたのは偶然なんかじゃない……。そう言っても、同じことが言えるかい?」

「……え?」


 山南さんは微笑んでいた。酷く苦しそうな顔で。

 あの日、私に希望を与えてくれたのには理由があったと、そういうことだろうか。


「あの時も言っただろう? 私はずるくて弱い人間だと」


 山南さんは私から窓の外へ視線を移すと、どこか遠くを見るように僅かに目を細め、記憶を手繰り寄せるようにゆっくりと言葉を紡いでいった。


 芹沢さんを殺すことは、恩義を感じているであろう私を悲しませることになる。けれども自分の意思とは関係なく、命に背くことは許されない。ならば、少しでも私に何かしてやれることはないか……そう考えて近づいたのだと。

 そして、刀を持つことを躊躇っていることに気づき、実践的ではないと思いながらも、刀の別の使い方を教えたのだと。

 私の気持ちが少しでも前向きになれば、自分の後ろめたさを解消できるのではないか……と。


贖罪しょくざいのつもり……だったんだ。そんなことで赦されるはずもないのに」

「そんなの、理由は何だっていいんです。あの時、私が希望を持てたことに変わりはないんですから。だから、何度だって言います。山南さんには感謝しかありません」


 私に視線を戻した山南さんの顔は、微笑みながらもどこか呆れているように見えた。


「琴月君……君は、優し過ぎるよ」

「そんなことないです。山南さんの方がよっぽど優しいと思います」


 優し過ぎるからこそ、こうして打ち明けてくれたのだと思う。

 優し過ぎるからこそ、そんな苦しそうな顔をするのだと思う。

 けれど、山南さんには心から笑っていて欲しいから、少しだけ意地悪な笑みを浮かべてみせた。


「一人で溜め込み過ぎるのはよくないですよ? 私でよければいつでも相談にのりますから」


 あの日、山南さんが私に言ってくれた台詞だ。山南さんも気がついたのか、ふっと吹き出した。


「……ありがとう」

「私は何もしていません」


 それからの山南さんはいつも通りで、他愛もない話で盛り上がった。


「そういえば、琴月君は甘いものが好きだと源さんから聞いたよ? せっかく大坂まで来たんだ、今から食べに行かないかい?」

「はい! 行きたいですっ!」


 久しぶりの甘味に若干前のめりで返事をすれば、山南さんに小さく笑われた。

 恥ずかしさなんてそっちのけで支度を整えていると、勢いよく開いた襖から土方さんが現れた。


「呉服店の岩城升屋に、不逞浪士が数名押し入ってるらしい」


 不逞浪士の押し入り……。きっとまた、攘夷だ何だと言ってお金をねだっているに違いない。

 すぐにその岩城升屋へ行くことになったけれど、今ここにいるのは土方さんと山南さんと私と数名の隊士だけ。


 誰かが帰って来るのを待っている間に逃げられては意味がないし、かといって、隊士たちをすぐに呼び戻す手段があるわけでもない。

 結局、悩んでいる暇などなくて、ここにいる人たちだけで向かうことになった。

 当然のごとく甘味はおあずけとなり、がっくりと落ちた肩を山南さんにポンポンと叩かれた。


「また次の機会に行こう」

「はい……」


 ふつふつと沸き上がる怒りを抑えながら向かっていたら、事の顛末を聞いた土方さんが呆れ顔で私を見た。


「仕方ねぇだろ。鴻池こうのいけさんとことくだんの店は近いからな。騒ぎを聞きつけた鴻池さんが京屋まで使いを寄越したんだよ」

「鴻池さん?」

鴻池善右衛門こうのいけ ぜんえもん、両替商鴻池屋の当主だ。俺たち新選組に莫大な金を貸してくれてんだよ。そんな鴻池さんとこの頼みだ、ほっとくわけにはいかねぇだろう」

「なるほど……」


 莫大な金とやらがどの程度の額なのかは知らないけれど、きっと頭が上がらないほど莫大なのだろう。


「大福とかお団子とか……何個分だろう……」

「お前なぁ……」


 聞こえていたのか!

 まさか、あんな独り言を拾われるとは思わなかった。恐るべし……。

 それもこれも、悪さをする不逞浪士のせいなんだから。食べ物の恨みは怖いんだからねっ!

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