028 八つ当たり

「稽古行ってきます」


 襖を引く音にさえ掻き消されそうな小さな声は、俺の返事も待たねぇで部屋を出て行った。

 まるで、独りごちるだけの挨拶。


 今朝もそうだ。いや、今朝だけじゃねぇ。新見が切腹したこと、芹沢さん暗殺の命が下ったことを告げた日からずっとだ。

 互いに避けているわけでも、会話がないわけでもねぇが、あいつはどこか上の空で、無理をしているなんざ一目瞭然だった。

 それでも精一杯隠すよう振る舞うから、俺はあえて触れず、今まで通りに接している。


 筆を置き、たった今書き終えた書状の墨が乾くまで、その場で両手を枕にして寝転がった。


 百五十年も先の未来から来たというあいつは、目の前の現実も、俺の理不尽な要求さえも受け入れて、ここで生きていく決心をしたようだった。

 他の選択肢を与えてやらなかった、とも言えるがな。


 ろくに情勢も知らねぇくせに、俺たちの死に様だけは知っているらしく、その知識を使い、誰かの死を防ぐことで新選組の役に立ちたいと言っていた。

 だが、それを口にしようとしたら見ていられねぇほどもがき苦しみ、挙げ句、意識を失いしばらく目を覚まさなかった。

 何の因果か知らねぇが、どうやらあいつは、俺たちの死に様だけは口にすることができねぇらしい。


 新選組のためを思えば相手が女だろうが餓鬼だろうが、最大限利用するのが上に立つ者としては正しい姿なのかもしれねぇが、どんなに強がって見せようと、思い出しただけであんなにも震えて怯えるような餓鬼に、何度も苦痛を強いるほど俺は落ちぶれちゃいねぇ。

 ……いや、ちげぇな。非情になりきれねぇ己の弱さから、もっともらしい理由をつけて逃げてるだけか?


 自嘲しながら顔を外へ向ければ、障子越しに見える空は朝よりも色味を失っていた。

 視界の端に映る庭の木も、秋の色に染まり始めている。


 あいつはまた、芹沢さんのとこへ行くのか?

 暗殺の命が下ることを知っていたあいつは、そうならねぇよう熱心に酒をやめさせようとしていたが、それでも命は下ってしまった。


 こうなってしまった以上、あいつがどう思おうとどう思われようと、俺たちはそれを完遂する。

 邪魔されるようなことだけは、絶対にあってはならねぇ。


 万が一立ち塞がるようなことがあれば、あいつごと斬ることになる。だからこそ、あいつがそれをなのかを知らなかったのは、俺たちにとってもあいつにとっても幸いだった。

 せめて新見の時のように、あいつの知らねぇうちに事を終わらせてやれば、幾分傷も小さく済むだろう。


 元の場所へ返してやれるなら、それが一番良いんだろうが……。

 本来、俺たちとは違う時代を生きるあいつの存在は、本人が思っている以上に危うい。あいつが未来から来たことを知った奴は、こぞってあいつを欲しがり利用するだろう。


 嘘の一つもつけねぇ馬鹿正直な餓鬼を、こんな血生臭いところに押し込めておくなんざ正気の沙汰とは思えねぇが、新選組の敵となるような組織の手に落ちることだけは、絶対にあってはならねぇ。


 やり場のないため息を一つつけば、部屋に吹き込んだ風が、文机の上にある書状をふわりと軽く舞い上げた。


「風が出てきたか」


 明日は天気も荒れそうだな。

 そう思いながら、起き上がるなり仕事の続きに取りかかった。






 * * * * *






 稽古場へ入ると、隅で一人素振りを始めた。

 何も考えないよう一心不乱に振り下ろすも、そんなことを考えている時点で、頭の中は考えたくもないことで埋め尽くされているのと同じだった。


 叫びたい。そんな衝動に駆られるも、踏みとどまらせたのは後ろから私を呼ぶ声だった。

 振り向けば、そこに立っていたのは竹刀を手にした山南さんだった。


「随分と太刀筋が荒れているね」

「そうですか? いつもと変わらないと思いますが」


 それだけ伝えると、背を向け素振りの続きに戻る。

 新見さんの切腹に、芹沢さん暗殺の命令まで下ったと聞かされてから、私の心は全然穏やかじゃない。

 それでも、誰かと話す時は普通を装っていたのに……きっと今は、木刀を握っているせい、と勝手に都合のいい理由をつけた。


 完全な八つ当たり。それを認めてしまえば、さらに苛立ちは募る一方だった。

 山南さんの気配を無視して素振りを続けていれば、突然、山南さんの竹刀が私の木刀を弾いた。


「えっ!? いきなり何するんですか……」


 驚いて山南さんを見れば、床に転がる木刀を勝手に片づけて、竹刀と交換して私のもとへやって来る。そして、それを差し出した。


「琴月君。少しだけ私につき合ってくれるかい?」


 はっきり言ってそんな気分じゃない。

 受け取らずにいたら、山南さんは無理やり竹刀を押しつけて、距離を取るなり構えた。

 僅かに揺れる切っ先に、前にも同じ構えをした人と対峙した記憶がよみがえる。


「あ、藤堂さんと同じ……」

「ん? ああ、彼も私も北辰一刀流を学んだからね。太刀筋を悟られないよう、こうして剣先を揺らすのが特徴なんだ」

「そう、ですか……」


 ところで、どうして山南さんは私に対峙しているのか。つき合ってくれとは言われたけれど、まだ返事をした覚えはない。


「さ、琴月君も構えて」

「あの、山南さん。今日は――」

「来なければ、こちらから行くよ」

「だからっ――!」


 抵抗むなしく、山南さんは大きく踏み込み私目がけて振り下ろす。

 咄嗟に竹刀を横に持ち、ギリギリのところで受け止めれば、衝撃の走った手が少し痛い。


 山南さんが本気で打ち込んでいないことは、すぐにわかった。

 けれど、受け止めることができたのは、沖田さんのあの稽古のおかげだと思う。


「良い反応だね。次は本気でいっていいかい?」

「えっ、や……ダメですっ!」

「なら、しばらくこのままつき合ってくれるかい?」

「……っく。わかりましたっ!」


 自棄っぱちの承諾とともに、山南さんの竹刀を力任せに押し返した。

 時々、こうして稽古とは別に手合わせを要求されることがある。

 理由なんてみんな同じ。私が新見さんの剣を避けたから。


 けれど、私の心眼は殺意を持った人にしか開かない。

 当然の如く勝敗はすぐに決し、口には出さずとも、ほとんどの人が期待外れだという顔をする。

 勝手に期待しておいて勝手に落胆するとか、迷惑もいいところだ。


 どうせ山南さんも同じ、そう思えば何だか腹が立ってきて、迫る竹刀を受け止めては夢中で打ち返した。

 山南さんが本気でないことは素人の私でもわかるけれど、山南さんの真意がわからなかった。私の心眼が見たいのであれば、他の人同様、本気で打ち込んで終わらせて、とっとと落胆すればいいのに。

 その手加減が余計に私をイライラさせるから、一度距離を取り、積もった感情を吐き捨てた。


「殺すつもりで来てください。じゃないと私、避けられないので」


 山南さんは何も答えなかった。そして、手加減もやめなかった。

 しばらくして鍔迫り合いになると、それまで無言だった山南さんがようやく口を開く。


「君も、真剣だと思って振るっておいで」

「っ!? 真剣なんて、振るったことありません!」


 そう告げながら、荒々しく押し返す。

 今までの苛立ちを全てぶつけるように、山南さん目がけて真っ直ぐに振り下ろした。


 軽く払われそうな単調な太刀筋は、極限まで手加減をしているのか、微動だにしない山南さんへ吸い込まれるように下りていく。

 当たる! そう確信した瞬間だった。


 ――真剣だと思って――


 気がつけば、山南さんの身体の真横をすれすれで下りていた。

 心臓が不快な音を刻み、思わず肩で息をする。呼吸が乱れているのは、何も疲れのせいだけじゃない。


 当てられるわけがない。もし、これが真剣だったら?

 そんなの当てられるわけがない!


「どうして、斬らなかったんだい?」

「山南さんが、真剣だと思えなんて、言うから……です」


 呼吸を整えながら、はっきりと告げたその直後。

 それまでとは比べ物にならない早さで打ち込んできた山南さんに、易々と手を打たれ、持っていた竹刀を落とした。

 もしも真剣だったら、今ので私の手はあっけなく切り落とされていたのだろう。

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