007 壬生浪士組②

 部屋で少しの休憩をしたあと、剣術の指南役をするという土方さんにつれられ稽古場へと向かった。つい最近建てたばかりだという道場は、文武館というらしい。

 中では隊士たちが素振りをしたり、激しく打ち合っていた。


 ここで待ってろ、と土方さんがどこかへ行ってしまうと、稽古の掛け声の合間を縫うように、私へと向けられた視線とひそひそ声に気づく。小さくて弱そうとか女みたいとか。

 どうやら朝食時のざわつきの原因はこれらしい。つまり、女みたいにひょろくて弱そうな奴が入ってきたぞ、と。

 みたいも何も、正真正銘、女だけれどね!


「よかったらこれ使って下さい」


 不意に、近くから聞こえた声に慌てて視線を向けると、華奢で背も高く、柔らかそうな髪を高めの位置で一つに結った隊士が立っていた。

 今来たばかりだというその隊士は、私の分まで用意してくれたのか、自分の物とは別にもう一本の竹刀を差し出している。

 竹刀なんて持ったこともないけれど、せっかくの好意を無下にするのは申し訳なくて受け取った。


「春くんでしたよね? 僕は沖田総司おきた そうじといいます。これからよろしくお願いしますね」


 よく日に焼けた肌とどこか幼さの残るその顔に、ニコリと笑顔を浮かべてそう言った。


 ……って、ぉ、おっ……沖田総司!?


 いくら名称の違う組織といえど、こんなにたくさんの同姓同名がいるはずがない。もう、どう考えたって新選組。土方さんが何と言おうと新選組だからっ!

 つい返事もせずそんなことを考えていたら、沖田さんが不思議そうに首を傾げていた。そして、何か閃いたようにポンっと手を叩く。


「そうだ! ねぇ春くん、僕と手合わせして下さい」

「…………え?」


 屈託のない笑顔を浮かべる沖田さんは、ぽかんとする私をよそに竹刀を構えた。気がつけば、ニコニコと楽しそうな沖田総司が私に対峙している。

 これはいったいどういうこと。


「いつでも、どこからでもどうぞ」

「え、えと……ええっ!?」


 無理だから! 竹刀の握り方も知らない私があの沖田総司と勝負とか、何の冗談!?

 沖田総司といえば新選組でも有名な剣豪だ。それくらい私でも知っている。

 それなのに、何がそんなに楽しいのか、沖田さんはなおも私を笑顔で追い詰める。


「来ないのなら、こちらから行きますよ?」

「え、ちょ、待っ、それは無理、無理、無っ――ッ!!」


 必死に訴えながら後退ったものの、気づけば竹刀は手からこぼれ落ち、痛む頭を押さえてうずくまる。


「ったぁ~。うぅー……」

「えーっと、大丈夫ですか? もちろん手加減はしたつもりなんですけど、まさか全く避けも反撃もしてこないとは思わなかったもので」


 頭上から降る沖田さんの声は、心配より呆れの色が強い。

 だいたい、こちらの返事も聞かずに一方的に勝負を始めておいて、何を言っているのか……。

 たまらず反論しようとした時、丁度、土方さんが防具を抱えて戻って来た。どうやら私の姿を見て状況を察したらしい。


「総司。お前と互角にやりあえる奴なんざ滅多にいねぇよ」

「それはわかってますよ~。それにしたって、春くん弱すぎじゃないですか?」


 あ、ズバリ言われた! 竹刀を持ったのだって初めてなのに!


「だからこいつは雑用――」

「春。こっちへ来い」


 土方さんの言葉を遮るように、私を呼ぶ声が場内に響いた。ぐるりと声の主を探してみれば、どうやら入り口に立つ芹沢さんだった。

 まだ痛む頭を押さえながら向かえば、芹沢さんからお酒の匂いがした。


「お、おはようございます。私に何かご用――」


 芹沢さんが何かを振り下ろすと同時に風を切る音がして、反射的に目を瞑った。


「おい! 芹沢さん!」


 怒鳴る土方さんの声と、近づいてくる二人分の足音に恐る恐る目を開ければ、なぜか芹沢さんの手にした刀が私の頭上で寸止めされている。


「えっ、っと。こ、これは……?」


 私が何をしたっていうの……どうしてまた斬られかけているの。

 寸止めしたとはいえ、こんなことするなんて普通じゃない。それともまさか、酔ったうえでの悪ふざけのつもり!?

 思わず芹沢さんを睨みつけるも、納得のいかなそうな声が返ってくる。


「なぜ避けない?」

「……は? いや、無理ですってば!」


 沖田さんといい芹沢さんといい、一方的に吹っかけておいてなぜ避けないって。剣術のけの字も知らない私にどうしろというのか。

 つまらなそうに刀を下ろす芹沢さんが、悪びれもせず言い放つ。


「安心しろ、刃引きだ」

「……はびき?」


 そんな私の疑問を拾ってくれたのは、沖田さんだった。


「斬れないように、刃を潰した刀のことですよ」


 なるほど、万が一当たっていても斬れはしない、と。

 芹沢さんの手元を確認すれば、確かに刃は潰されていた。潰されていたけれど……これ、殺傷能力は大して落ちていない気がする。斬れないとはいえ、本気で当てれば死ぬと思う。

 そんなもので寸止めするとか、何を考えているのか……。


「斬殺が撲殺に変わるだけなんですけどね~」


 私の思考を読んだように話す沖田さんは、物騒な言葉を口にしたにもかかわらず、ニッコリと微笑んでいる。

 いや、そこ微笑むところじゃない……と思わず顔を引きつらせれば、芹沢さんが不機嫌そうに訊いてきた。


「昨日のは、まぐれだとでも言うのか?」


 昨日の……とは、新見さんの刀を避けたことだろうか。


「あれは、その……何ででしょうね?」


 私にも理由なんてわからない。なぜかゆっくりに見えたから避けた。ただそれだけだ。


「とぼけるなよ? お前は確かに剣筋を見切っていた。違うか?」


 なぁ? と芹沢さんが同意を求めたのは、土方さんだった。その瞳で私を捉え、ああ、とだけ答える。

 それは、真実を知りたいと同時に嘘はつくな、という無言の圧力を感じさせる目だった。


「わ、私にもわかりませんっ! あの時は、本当にただゆっくりに見えたから避けただけで!」


 蛇に睨まれた蛙の気分で二人を交互に見つめると、さっきまでとは打って変わって芹沢さんのまとう雰囲気が変わった。


「ほう。剣が遅く見えただと?」

「……はい」


 その瞬間、芹沢さんは満足そうに口角を上げた。そして、いつからそこにいたのか、入り口の壁に背を預ける新見さんの姿がちらりと見えた。


「つまり、新見の剣は簡単に避けられるほど遅かった、というわけか」

「えっ、違います! 本当に私にもわからないんです!」

「ならば、まぐれか?」

「たぶんそうです。運が良かっただけ……た、たまたまです!」


 むしろそれ以外の理由が見つからない。


「たまたまで三度も避けられる程度の腕だったか。新見の剣は」

「だからそうじゃなくてっ!」 


 何で? どうして新見さんを貶めるようなことばかり言うの? 芹沢さんだって、そこに新見さんがいるとわかっているはずなのに!

 まさか、わざと? 挑発している?

 だとしたら何を言っても伝わらない……と思った矢先、新見さんが動いた。


「芹沢さん、そいつを貸してくれ」


 芹沢さんの手にあった刃引きを荒々しく奪い取ると、その動きとは対照的に抑揚のない冷たい声で言い放つ。


「そこまで言うなら、もう一度試してやろう」

「いや、あの……え、遠慮します」


 ヤバイ……。

 獲物を見るような鋭いその視線に、たちまち昨日の恐怖がよみがえる。痛いくらいに心臓がうるさくて、今すぐ逃げたいのに、身体が、足が動かない。

 そんな私に向かって、芹沢さんが笑った。


「がっかりさせるなよ?」


 やっぱりわざとだったのだと、納得すると同時に怒りが込み上げる。昨日みたいに避けて見せろとでも言っているのだろう。あれと同じ現象が起きるかもわからないのに。

 今度こそ当たったらどうしてくれるのか! と芹沢さんを睨むも、新見さんが踏み込んだ。


「おい! 待て!」

「待ってください!」

「手を出すなよ!」


 ざわつく場内に制止を叫ぶ土方さんと沖田さん、それを阻止する芹沢さんの声がひときわ大きく響いたあと、耳鳴りがするほどの静寂に包まれた。

 そして……。




 ――――世界が、揺れた――――




 反射的に閉じてしまっていた目を開ければ、頭を目がけて斜めに振り下ろされる刀があった。そしてそれは、予想通りゆっくりと下りてくる。

 昨日と同じ感覚、同じ現象。理由なんてわからないけれど、屈むように頭を下げ一歩横へとずれる。軌道の外へ出た瞬間、世界はもとに戻り、顔だけをこちらに向けた新見さんが鋭く睨んできた。


 ……この人、本気だ。

 本気で私を殺そうとしている。


 場内がよりいっそうざわめくも、再びぐらりと揺れて音が失われる。空を斬ったばかりの刀が、そのまま薙ぎ払われようとしていた。

 大きく後ろへ一歩下がれば、先ほどよりもさらに大きなどよめきに包まれる――




 そんなことを何度繰り返したのか、いつのまにか場内は静まり返り、みんなが驚きや信じられないといった表情で私たちを見ていることに気がついた。

 それでも止まらない新見さんの剣は、どんどん精確さを失っていき、素人の私から見ても、もうめちゃくちゃに振りまわしているようにしか見えなかった。

 同時に、刀身が迫るたびに揺れる世界は、容赦なく私の平衡感覚を奪っていく。

 それでも避けた。避け続けるしかなかったから。


 でも、さすがにもう限界かも……。


 いうことをきかない身体は勝手に両膝をつき、避けることもできず、ゆっくりと迫る刀身をただ眺めていた。

 不意に、私と新見さんの間に誰かが身体を滑り込ませ、横に持った刀でそれを受け止めた。黒く長い髪を赤い紐で一つに結ったその人は、顔だけをこちらに振り向かせる。


「大丈夫か?」


 土方、さん……?

 私、助かったのかな……。そう思った瞬間意識が遠退いて、そのまま後ろへ倒れてしまった。

 けれど、私の背中を受けとめたのは、硬くて冷たい床じゃなかった。同時に、耳のすぐ近くで声がする。


「春くん! 大丈夫ですか!?」


 もしかして……沖田さん?

 けれど、確かめることはできなかった――

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