006 壬生浪士組①
次第にハッキリする声と肩を揺すられている感覚に、重たい瞼をゆっくりと開けた。まだ焦点が定まりきらない視界に映るのは、私を見下ろす人の顔だった。
「――いい加減、起きろ」
「……えっ!?」
聞きなれない男性の声に一瞬で目も覚めれば、飛び起きついでに後方へと距離をとる。が、勢い余って壁に後頭部をぶつけた。
「うっ。いったぁ……」
頭を押さえながらも視線は正面へ向ければ、私を覗き込んでいた男性と目が合った。
「あれ、土方さん? 何でここに……」
……と、訊いてしまったあとで思い出す。
昨夜、角屋からここへ来ると、土方さんの仕事部屋兼寝室だというこの部屋で、布団を並べて寝たことを。
端から見ればただの新入りで、一人部屋を宛がう理由もなければどのみち余っている部屋もないらしく、かといって大部屋で雑魚寝というわけにもいかない。仕方なく一緒に寝ることになったのだけれど……。
知らない男性……いや、名前は知っているけれど、名前だけしか知らないのだからやっぱり知らない人?
や、ややこしい!
いくら布団が別とはいえ、家族以外の男性と同じ部屋だなんて眠れるわけがない! と思っていたはずが、いつのまにか寝ていたらしい。
どこででも寝られるタイプとはいえ、女子としてどうなの、これ。
戒めの意味も込めて頬をつねってみた。
「……痛い」
目が覚めたら全部夢だった、というオチを期待していただけに、思わず小さなため息がでた。
「大丈夫か?」
「……はい。それより、すみません……」
居候させてもらった身だというのに、寝起き早々甚だしい勘違いをしでかしたわけで。
謝罪の意味を理解したのか、土方さんがニヤリとした。
「お前のよだれ垂らした寝顔でチャラにしてやる」
「よ、よだ……」
二重の恥ずかしさで慌てて口元を拭えば、嘘だ、という台詞とともに笑い声が響く。
まさか、からかわれたのか!?
申し訳ないと思ったことを若干後悔するも、目の前の姿が意外で仕方ない。
だって、昨日はあんなに睨んでばかりだったのに……。
「土方さんも笑ったりするんですね」
「あ? 俺のこと何だと思ってんだ?」
「いや、そのー……怒った顔より笑った顔の方がいいと思います!」
整った顔立ちも相まって、睨まれると本当に怖いからっ!
けれどもせっかくの笑顔は、うるせぇ、の一言とともに消滅、またしても睨まれるのだった。
今からもう一人の局長のもとへ挨拶に行くというので、まずは寝間着替わりの浴衣から、昨日の着物に着替えなければならないのだけれど……。
「餓鬼に興味はねぇから安心しろ」
まるで私の心配を見透かしたかのように、土方さんが鼻で笑い背を向けた。
若干カチンとくるも、ここは早く着替えることにする。昨夜、井上さんに着付けてもらった手順を思い出しながら急いで着替えれば、何とかそれなりの形にはなった。
けれど、土方さんは私の姿を見るなり吹き出した。
「合わせが逆だ。それじゃ死に装束だぞ」
「……あっ」
「着せてやろうか?」
「結構ですっ!」
おかしそうに笑う土方さんを再び反転さると、今度は慎重に着直した。それでもやや不格好で、最後に襟や袴の紐を整えてくれた。
「これやるから髪も結っとけ」
そう言って、箪笥の中から取り出した赤い紐を私の掌に乗せた。
ふと見上げれば土方さんも赤い紐で結っていて……これはつまり、あの土方歳三とお揃い?
ここに兄がいたら、きっと泣くほど羨ましがったに違いない。
というか、何で私なんかが来ちゃったんだろう。そんなことを考えながら、土方さんを真似て高い位置でポニーテールを作った。
井戸へ案内してもらい顔を洗うと、そのままとある部屋の前へとつれて行かれた。
「近藤さん、ちょっといいか?」
「ああ、歳か。入っていいぞ」
襖を開け先に入った土方さんに促され、恐る恐る部屋へと足を踏み入れる。文机の前に座り迎え入れてくれたのは、総髪で髷を結った、ちょっと厳つそうな顔の男性だった。
目が合うなり、少し驚いた表情で土方さんに問いかける。
「歳、そちらは?」
「こいつは琴月春と言って、昨日、屯所の近くで倒れてたのを芹沢さんが拾ったんだ」
「倒れてたって、君、大丈夫なのか!?」
「は、はいっ! 大丈夫です!」
身を乗り出す勢いに驚くけれど、本気で心配してくれているようで、これから嘘をつかなければならないことに少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「そうか、それは良かった。俺はここの局長をさせてもらっている
そう言って、近藤さんは両頬に大きな笑窪を作り豪快に笑った。
やっぱり、どう考えても新選組じゃ? と隣を見れば、鋭い視線とぶつかりそれ以上の思考はストップした。
近藤さんに促されるまま腰を下ろし、改めて自己紹介を済ませると、土方さんは私が女であることや未来から来たことは隠して、面倒を見ることになった経緯を説明し始めた。
ちなみに、この時代についての無知な部分や都合の悪いことは、車……大八車に轢かれた時に記憶喪失になったことにする、と前もって決めておいた。
「では、君は大八車に轢かれたうえに記憶まで失くし、屯所の近くで倒れていた所を芹沢さんに助けられたのだな。本当に無事で何よりだ」
「は、はい。ありがとうございます」
自動車に轢かれて幕末に飛ばされて、屯所の近くで助けられるどころか殺されかけただけです。本当に、無事なのが不思議なくらいです……って、声を大にして言いたいっ!
「近頃、歳は忙しくしているからな。君が小姓として側で支えてやってくれ。俺からもよろしく頼む」
丁寧に頭を下げる近藤さんに、私も慌てて頭を下げた。
「こっ、こちらこそよろしくお願いします!」
「小姓なんて大層なもんじゃねぇよ。雑用だ、雑用」
まぁまぁ、と近藤さんは笑窪を作るけれど、すぐにその表情は陰った。
「まだこんな少年だというのに、不憫にもほどがあるな……」
どうやら女だとはバレていないみたいだけれど、男装した程度でバレないというのもどうなのか。
そんな私の女心などつゆ知らず、隊士たちにも紹介するということで、二人の業務連絡的な会話が終わるなり揃って広間へと向かった。
広間では大勢の隊士たちが朝食をとっていて、土方さんが呼びかけるとみんな一斉に顔を上げた。そして、その視線はすぐに隣に立つ私へと移された。
「こいつは新しく入った琴月春だ。ほら」
「こ、琴月春です! よろしくお願いします!」
土方さんに促され慌ててお辞儀をするけれど、広間が僅かにざわついた。
あ……バレた? そりゃあバレるよね?
だって、髪を結って男物の着物に袴を履いただけだもの。
けれど、近藤さんは全く気にしていない様子で締めくくる。
「彼には主に、歳の身の回りの世話を中心に働いてもらうつもりだ。わからないことも多いだろうから、皆で教えてやって欲しい」
意外にも承知という返事が聞こえると、揃って待ちかねたように食事を再開する。
この反応、もしかしてバレたわけじゃない?
バレた場合の責任の所在がどこにあるのか気になり、芹沢さんの姿を探すけれど……見当たらない。
そうこうしているうちに土方さんに促され、ひとまず私も食事をいただくことにした。
お膳に並ぶのは、ご飯とお味噌汁にお漬物、といったとてもシンプルなもの。
味わう余裕もなく早々に済ませると、土方さんにつれられ部屋へと戻るのだった。
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