第29話 「……」

 〇森崎さくら


「……」


 その時。

 あたしの耳が、かすかに…聞き覚えのある音を拾った。


「…さくら?」


「しっ。」


「……」


『さくら、聞こえるか?』


 これは…二階堂の者にしか分からない、物をこすり合わせて出すモールス信号のような…すごく薄い音の信号。

 あたしは耳の良さが幸いして、それだけは得意だった。


『聞こえます』


 あたしはシンクの内側を指でなぞって、音を出した。


『給湯室は外からカギを掛けられている。そこに居れば安全かもしれないが、そこには一般人もいるな?』


『はい』


『一般人だけでも外に出せ』


『…窓がありません…』


『床下収納庫の下を探るか、天井に抜け道がないか探せ』


『了解』


「…さくら?」


「…廉くん、ちょっとそこどいて?」


 あたしは不審そうに見る廉くんを横目に、床下収納庫を開いた。

 中に入ってる瓶や箱を取り出し…


「……」


 瓶と箱の間に…銃があった。

 あたしはそれを無言でポケットに入れて、収納庫の底を触ってみた。

 …空洞は…ない…

 天井…


「ごめん。こっち見ないでね。」


 スカートで来なきゃ良かった。


「あ…ああ…」


 あたしは、シンクの上に瓶と箱を重ねて、その上に乗ると…

 …ここかな?

 一ヶ所、色の違う天井板。

 そこを、力任せに…


 バキッ


 開いた!!


「さ…さくら?」


 あたしを見上げた廉くんに。


「見ないでってばっ。」


 小さく怒鳴る。


「あ、わ…悪い…」


 廉くん、見たな?

 あたし、今日何色の下着だったっけ…

 そんな事を考えながら…天井裏によじ登って中を見ると…左側に光が見えた。


 うん。


「廉くん。」


 あたしは床に降りると。


「これ上って左側に行ったら、店の横に出られるの。」


「おまえ…いったい…」


「詳しい事は後で。先に行って?あたしは大丈夫だから。」


「でも、おまえに何かあったら…」


「大丈夫。助けが来てくれてるの。」


「助け?」


「うん。」


 廉くんが天井に上って。

 あたしは、シンクに触る。


『一人、天井から店の横に向かわせました』


『よし。さくら、そこで待機できるか?』


『はい…頭?』


『なんだ?』


 やっぱり…頭。


『よし、一人出て来た。もう五分したら応援が来る。ドアのそばには立つなよ』


『事務所に数人、縛られてる一般人がいました』


『確認できたのは何人だ?』


『二人です…でも店員の数から見て、おそらく五人はいるはずです』


『分かった。事務所の床下に人をやる』


『お願いします』


『そこに何か武器はあるか?』


『…銃がありました』


『護身のため持っておけ。ただ…レベル10の危険じゃなければ撃つな』


『了解』



 凸型になってる給湯室。

 あたしは、ドアから死角になる位置にしゃがんで、応援を待った。

 ポケットの銃を手にしてみる。


「……」


 銃弾、入ってる…

 店の人が、護身用に隠してたのかな…


 …銃を手にするのって…何年ぶりだろう。

 あの頃は当たり前に思ってたけど…あたしには要らない物に思えて仕方なかった。

 そして、あそこを逃げ出して…銃なんか関係ない世界に飛び出したって思ってたのに…

 ここでは、これがないと身を守れない。


 こっちの世界でも、こんな事があるんだ…



 しばらく待ってると…


『さくら』


 頭からの信号。


『はい』


『今、裏口から二階堂の者が入った。ドアを開けるから一緒に裏口から出て来い』


『店員さん達は?』


『無事だ』


 ああ…良かった…


『犯人は?』


『店内に居るが大丈夫だ』


 そうしてると、ドアが開いて…


 早く。


 口だけ動かして…甲斐さんが言った。

 七年ぶりの甲斐さん…


 あたしの、先生。



 あたしは甲斐さんについて裏口に向かった。

 途中で、犯人グループと思われる男が二人倒れてた。


 外に出ると、大きなバスが横付けされてて。


「さくら。」


 その陰から、頭が声をかけてくれた。


「頭…ありがとうございます。」


「さくらは正面から入ったのか?」


「はい。」


「その時、店員は何人いた?」


 あたしは記憶を呼び戻すかのように、自分が雨を避けながら店内に入った事を思い出した。


「…七人いましたが、あたしの対応をしてくれた女性店員以外は、知らない顔でした。」


「そうか…その後は?」


「裏口から入って来た足音で、15人以上かと。今出てくる時に二人倒れてました。」


「店員は一般人なのか?」


「え?」


「さくらの対応をした女性店員は、一般人か?」


「……」


 そう言われて、それは…少し悩んだ。


「一ヶ月前にも対応してもらってます。」


「…一応、調べよう。」


 頭が合図を送ると、そばにいた人がバスの中で何かを調べ始めた。


「あの…」


「ん?」


「…記憶…消してなくて…すみません。」


 あたしは頭に頭を下げる。


「…思いがけず役だったな。」


 頭は、そんなあたしの髪の毛をくしゃくしゃとして小さく笑った。


「ヒロは…来てないんですか?」


「ああ。あいつは今日本で重要なミッションをこなしてるよ。」


「重要なミッション?」


「今日は、ヒロの結婚式なんだ。」


「………」


 あたしは、少しマヌケな顔をしたかもしれない。

 ヒロが…結婚?


「顔を出せなくて残念だった。」


「あ…そうですね。」


 そっか…ヒロ、結婚…

 相手はどんな人なんだろう。



「さくら、一緒にいた男性が隣の店の向こうで待機してる葛西かさい達といる。そこに行け。」


「はい。」



 頭に言われて、あたしは気をつけながら言われた場所に向かった。


「廉くん。」


 廉くんの姿が見えて、声をかけると。


「さくら…これ、いったいどういう…」


 廉くんは、状況が把握できなくて…戸惑ってる感じだった。


「…葛西さん、現状は…?」


 廉くんに背中を向けて、葛西さんに問いかける。

 葛西さんも訓練所ではお世話になった人だ。


「店の周りに規制線は張ったが…まだ近くの店に入ってる一般客も少なくはない。」


「そうですか…」


「犯人グループは、意外と大きな闇組織で…」


 パン


「…え。」


 銃声が聞こえた。

 あたし達は、身を屈めて、ジュエリーショップの前を見た。


「まずいな…。一般人が巻き添えになりかねない…」


 店の前の通りには、すでに地元警察と思われる車両や警官が並んではいたけど…状況を知らされてない一般人も、多く行き来していた。

 それは地元警察の役割で…

 だけど、その仕事の遅さに…二階堂のみんなは苛立っているようにも思えた。


 …そう言えば…晋ちゃん…


 あたしが少し身を乗り出して店の前を見ると…そこには、人質を盾に、何かを要求しているような…犯人グループがいた。


「あいつ、まさか人質に…」


 後ろにいる廉くんは、不安そうな声。


「…彼を連れて、バスに行け。」


 葛西さんは、あたしと捜査員にそう言った。


「晋…」


 店の前を見たがる廉くん。


「ダメだよ、廉くん。みんなに任せて?」


 …不安なのは分かる…

 でも、あたし達には、何も出来ない…


「きっと、晋ちゃん…まだ来てないよ。」


「…あいつ、俺より時間に正確だから…」


 今にも駆け出しそうな廉くんの手を、強引に掴む。


「お願い…一緒にバスに行こ?」


「でも、晋が…」


「…すみません、友人が来る予定だったんです。調べてもらえますか?」


 あたしは捜査員に頼んで…

 まず、人質が日本人男性かどうかを調べてもらった。


 …違った。


「廉くん、晋ちゃん、まだ来てないみたい。もしかしたらこの状況知って、引き返したのかも。」


 あたしが、そう話した時。



「廉くん!!」


 それからは…

 悪夢のようだった。

 あたしの手を振りほどいて、駆け出した廉くん。


「危ない!!」


 廉くんが声を上げて、走った先には…晋ちゃんは立っていなかった。

 だけど…この騒動に好奇心を巡らせたのか…

 警察官の隙間をくぐって出て来た、小さな子供の姿が見えた。


「廉くん!!」


 パン


「……廉!!」


 どこからか、晋ちゃんの声が聞こえた。


 その銃声は、人質を取った犯人とは別に…お店の中から放たれてた。


 廉くんの体が、大きくしなって。

 ゆっくりと…路面に倒れた。



「廉!!…廉!!」


 並んだ警察官の後ろから、晋ちゃんの叫び声が響いたけど…倒れた廉くんは…

 そのまま、動く事はなかった…。



 あたしの力が強かったら。

 廉くんは、あたしの手を振りほどかなかったのに。

 あたしの足がもっと速かったら。

 廉くんに追いついてたのに。


 廉くんは…


 撃たれずにすんだのに…。



 甲斐さんがバスを表に回してくれて。

 葛西さんが、命がけで…廉くんを抱えるようにして連れて来てくれた。


「廉くん…!!」


 廉くんは…目を開けたまま…

 葛西さんが脈をとって…首を横に振った。


「…廉くん…」


 たった…一発の銃弾で…

 廉くんは…



 今日、晋ちゃんの前で…ダイアナとの永遠の愛を誓うって…

 可愛い娘を紹介するって…



「廉!!」


 晋ちゃんの声が…ずっと、同じ場所から聞こえる。

 だけど、こっちには来れなくて…


 その悲痛な叫び声が…

 あたしの中の何かを…



「…さくら、冷静になれ。」


 ふいにそんな事を言われて…あたしは顔を上げる。


 冷静になれ…?

 あたし、冷静じゃない顔してるの?


 廉くんは…

 あたしの事…妹みたいに大事にしてくれた。

 あたしが、日本で途方に暮れてた時…助けてくれたのも…廉くんで…

 赤ちゃんの事…一緒に祈ってくれた…



「……」


 頭の中が、ヒンヤリとして。

 そこからは…

 あたしも、何が起きたのか…


 よく分からなかった。



「さくら!!」


 名前を叫ばれたのは…覚えてる。



「うああああああ!!」


 あたしは、奇声を発してバスの表に立つと。

 犯人グループ目がけて…走った。


「さくら!!」


「さくら!!やめろ!!」


 あちこちから、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。

 人質に銃を突きつける男の足を撃って。

 転がったそいつのお腹目がけて、足を蹴り落とした。


 他の犯人にも、同じように繰り返して。

 あたしを狙って、銃は撃たれていたはずなのに。

 それは、かする事はあっても命中はしなかった。



 もう、死んでもいいと思った。

 この瞬間は、なっちゃんの事も忘れた。

 一緒にみるはずの夢の事も忘れた。


 転がった銃を足で蹴り上げて、手にして。

 あたしは両手にそれを持って、ジュエリーショップのドアを蹴り破った。



 たぶん、子供に見えたであろう、あたしには。

 相手も怯んだのかもしれない。


 だけどあたしは…


「ああああああああ!!!!」


 奇声を発して…

 次々と…弾を放った。


 あれは犯人。

 あれは一般人。

 あれは二階堂。


 不思議なぐらい、区別がついた。


 覚醒したあたしの本能なの?



「助けて!!」


 あたしの対応をしてくれた、女性店員が泣き叫んだけど。


 パン


 あたしは、その額目がけて…銃を撃った。



 ……地獄だった。



「…さくら。」


 背後から、頭の声。


 あたしの足元には…

 あたしが殺した人間が、十人以上横たわってる。


 それを、二階堂の人達が調べたり…

 地元警察の人が運んだりしてる…



「……すみません………全員…殺しちゃった…」


 葛西さんが、大きな闇組織だって言ってた…

 それへの手掛かりを…あたしは断ち切った。



「…見事な腕を見せてくれたもんだ。」


 頭は、呆然と立ち尽くすあたしを後ろから抱きしめて。


「二階堂に…帰って来て欲しいところだが…」


 あたしのこめかみに…触れた。


「…全部……忘れるんだ。」


 左手で…目を押さえられた。


 あたし…殺されちゃうの?

 何となく…

 そう思った。




 耳元で…頭がずっと…何か話してる。



 おまえは、落ちこぼれなんかじゃなかった。

 むしろ、出来すぎたんだ。

 だが、感情をむき出しにしてしまうから。

 実践には向かない、と…判断された。


 この店は、一年前から闇組織の幹部が潜入していて。

 裏取引の場所として使われていた。

 闇組織も大きくなれば、反逆者も生まれる。

 女性店員こそが、その反逆のトップに立つ者だ。


 今回の事件は、内部抗争と言ってもいいような物だ。

 そんなものに…一般人を巻き込んでしまった。


 …私達の罪だ。



 さくら。


 おまえの大事な仲間を死なせてしまった。

 出来れば…今日の事は、全て忘れなさい。

 今日の事だけじゃない…

 二階堂の事も。


 目を開けたら、もしかすると…

 幸せな事も忘れているかもしれない。

 だが、きっと、おまえは幸せになれる。

 あの人が、おまえを幸せにしてくれるよ。


 おまえの歌ってくれた『イマジン』を。

 私は、今も大事にしている。

 そんな世界になれるよう…

 私は、頑張っていくから。


 おまえには、罪はない。

 どうか、幸せにおなり。



 そこからは…霧がかかったみたいに…頭の中がボンヤリとして来て…



 あたしは…



 深く…




 とても、深く眠った。




 〇高原夏希


 事務所の運営が、やっと軌道に乗り始めた。

 まるで突貫工事の如く始めたビートランドは。

 それでも…周りの協力によって、思ったよりも早く動き始めた。



 今夜は、一ヶ月ぶりにさくらに会える。

 浮かれた足取りでアパートに向かっていると、ケリーズの前で…



「ニッキー!!大変よ!!」


 モリーが、血相を変えて店から出て来た。


「え?」


「サクラが…事故に遭って…!!」


「…え?」


 さくらが…事故?


 今、モリーは…そう言ったのか?



「そ…それで、さくらは!?」


「病院にいる…今、エイミーがついてて…」


「分かった。ありがとう。」



 病院の場所を聞いて、タクシーを飛ばした。


 …事故?

 さくらが?



 何となくだが…さくらは危険な目には遭わない。

 勝手に、そんな気がしていた。



 さくら…

 いや……きっと、さくらの事だ…

 病室につくと、大した事ないんだよーって…笑うに決まってる。


 そうだ。

 …心配ない…

 きっと、大丈夫だ…



 痛くなるほど、指を組んだ。

 今まで…祈った事なんてないかもしれない。

 だけど…


 神様…!!



「さくら!!」


 教えられた病室に入ると。


「…ニッキー…」


 付き添っているエイミーは、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。


「…エイミー…さくらは…」


 ベッドに横たわるさくらは…左の頬にガーゼを当てて…

 両腕には、包帯が巻かれて…

 目は…開いているものの…


「…さくら…」


 ガーゼのない方の頬に手を当てて、声をかける。

 だけど…さくらは何も反応しない。


「…事故って…どういう…」


 エイミーに問いかけると。


「それが…よく分からないの…病院から電話があって、かけつけたら、もう…この状態だったの…」


「頭を打ってるのか?」


「…そうかもしれないって…」


「……」


 さくらは、うつろな目のまま…

 どこを見つめているのかさえ…分からない。


「さくら…」


 さくらの手を握って、額にあてた。


 …神様…

 俺達は…

 これからなのに…


 …なぜ…!!



 それから間もなくして。

 地元の警察が、事情説明に来た。


 警察に追われていた盗難車が暴走して…

 さくらが、跳ねられた…


 …命が助かっただけでも…良かった。


 そう思わなければ…と頭では分かるのに。

 これから、俺とさくらは…

 二人の夢を叶えるはずだったのに…と。

 心が折れそうになった。


 何度手を握っても、さくらはそれを握り返さなかった。



 翌日のニュースで、廉が銃弾に倒れた事を知った。

 …最悪の事態だ…

 さくらの様子が気になったものの、さくらをエイミーに任せて事務所に顔を出した。

 そこで、晋が入院中だと聞いて…晋を見舞った。



「…晋…」


「………」


 晋は、ベッドの上で…座ったまま、口を開けて呆然とした顔だった。

 …それはまるで…

 さくらのような…



「…昨日、医者が言うてたんやけど…」


 晋を弟のように可愛がっているマノンが、憔悴した顔で言った。


「よほどのショックを受けたんやろな…何も…覚えてないらしい…」


「……」


 晋の隣には、愛美ちゃん。


「お兄ちゃん…」


 愛美ちゃんもまた…祈るように手を握った。


 廉が銃に倒れた現場を中継していたであろうテレビ局も、映像が撮れていなかったり…

 その場に居合わせていた一般人は…


『気が付いたら終わってた』


『女の子が…いや…男の子だったかな…』


『うん…誰かが終わらせた』


『速過ぎて分からなかった。』


 と、何か夢でも見ていたような感じだったとインタビューで答えていた。


 晋は…何を見たのだろう。



 廉が死んだ事によって、FACEは解散した。

 Deep Redも全員日本に帰国し…俺も時期をずらして、さくらを連れて日本に帰った。


 郊外に家を買って、住み込みの家政婦を雇った。



 …誰にも…

 ナオトにさえも…

 話さなかった。

 話せなかった。




 あまりにも俺が、さくらの話題に触れなくなったからか…自然と、みんなも聞かなくなった。

 あんなにベタ惚れだったのに。と、ナオトがボヤいた事はあったが…それにさえ、俺は何も答えなかった。



 ああ、そうだ。

 さくら。

 俺は今でも、おまえにベタ惚れだよ。

 おまえがどんな状態であろうと…

 俺は、一生おまえを愛し続ける。




 さくら。


 今は…俺のそばで。

 息をしてくれているだけでいいんだ。



 どうか…いつか…


 また、あの笑顔を…



 俺に見せてくれ…。



 29th 完

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いつか出逢ったあなた 29th ヒカリ @gogohikari

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