第22話 ケリーズに電話をして、今日はこのまま病院にいる事を伝えた。

 〇森崎さくら


 ケリーズに電話をして、今日はこのまま病院にいる事を伝えた。

 できれば着替えたい気もしたけど…

 何となく…ナオトさんの奥さんにも、あたしは素性を知られたくない気がした。


 夜に、モリーが着替えと荷物を持って来てくれたけど、あたしはヘプバーンのままで、病室にいた。


 …やっぱり、ナオトさんに連絡しよう。

 こんな、命に関わる事。

 ここで止めてていいわけがない。


 そう意を決して、あたしが奥さんのバッグから手帳を取り出してると。


「…お願い…」


 不意に、奥さんが目を覚ました。


「え…?」


「…彼には…絶対…言わないで…」


「でも…」


「大丈夫…絶対、大丈夫だから…」


「……」


 手を、伸ばされた。

 その手は、あたしの手から手帳を取って…床に投げて。


「お願い…ここにいて…」


 あたしの…手を握った。


「……」


 握られた手を見て…唇を噛みしめる。


 もし…もし、何かあったら…

 そう思うと不安でたまらない気持ちと。

 だけど…もし、これがあたしだったら、と。


 あたしも…なっちゃんには知らせたくない…。



「…分かりました。」


 あたしがそう言うと、奥さんは安心したように小さく溜息をついて…目を閉じた。


 もう…あたしには、祈るしかない。

 …大丈夫。

 きっと、大丈夫。

 神様…お願い…。



 不安であろう、まこちゃんは…とてもいい子で。

 あたしの膝に座って、ママの顔を見つめてる。


「…まこちゃん、何か…ママにお歌を聴かせてあげよっか…」


「うん。」


「パパのバンドの歌、まこちゃん知ってるかな?」


 顔を覗きこむと、まこちゃんは。


「ばーん。」


 可愛い顔で、そう言った。


「あはは。それはハードすぎるなあ。」



 お腹の赤ちゃんが…

 どうか、無事でありますように…

 その日が来るまで、お腹の中で、すくすくと育ってくれますように…


 あたしは『All about loving you』を口ずさむ。


 あなたを愛してる。

 あたしはいつまでも、ここで待ってる。


「……」


 時々…奥さんがうっすらと目を開けて…穏やかな表情になった。

 最初は一緒に口ずさんでたまこちゃんも、あたしの膝で眠ってしまった。


 …可愛い…



 正直…

 これぐらいの歳の子供を目の当たりにすると…複雑な気持ちになってた。

 あたしの赤ちゃんも、産まれてたら…って。

 人を妬んでしまう気持ちと…自分を責める気持ちに苛まれて…

 子連れのお客さんに対しても、上手く笑えない事が多かった。



 だけど…

 可愛い。


 小さな手。

 柔らかい髪の毛。

 あたしは触れる事もできなかったけど…


 どうか…

 無事に産まれて来ますように…




「うん。何とか…峠は越しましたね。」


 朝方になって、赤ちゃんの心音がハッキリとしてきて。

 医者も笑顔になった。


「良かった…」


「ただ、しばらく入院してもらった方がいいかと。」


「分かりました。」


「それと…」


「はい?」


「…一枚…一緒に写真を…」


「……」



 安定した事だし…あたしは着替えて帰る事にした。

 病院を出た所で、タクシーから降りてくるマノンさんの奥さんを見かけた。

 良かった…来てくれたんだ…。



 アパートに帰ると、留守電がいくつか。


『サクラ!!明日は休んでいいからね!!』


 デレク。


『サクラ!!今日はお疲れ様!!また、メイクしてね!!』


 モリー。


『サクラ!!病院どうだったかしら…また、明後日お店でね!!』


 エイミー。


『サクラ!!とんだ誕生日だったわね!!でも、あなたはサイコーよ!!』


 サリー。


『さくら…今夜はパーティーかな?』


 なっちゃん…!!


 あたしは電話の近くに座る。


『誕生日、おめでとう。帰ったら、またあらためて。』


「…なっちゃん…ありがとう…」


 心が…温かくなった。


 あたしはそのまま、ベッドに横になって…

 赤ちゃんを抱きしめる夢を見た…。



 * * *


「おかえりー!!」


 六月。

 なっちゃんがツアーから一旦帰って来た。

 部屋のドアがノックされるより先に、ドアを開けてしまって。

 なっちゃんは驚いた顔をしてたけど。

 あたしは、真っ先に飛びついてしまった。


「よ…良く分かったな。」


「足音聞こえたから。」


「相変わらず耳がいいな…ただいま。」


 部屋の入り口で抱き合ったまま…キスをした。

 もう、今日が待ち遠しくて待ち遠しくて…

 日に何度もカレンダーを見るクセがついた。

 見たって日にちは進まないのに。



「たくさん…話が聞きたい。」


 なっちゃんの腕の中でそう言うと。


「一晩じゃ終わらないぜ?」


 少し髪の毛が伸びたなっちゃんは、あたしの頬を撫でながら言った。

 何日かかったって、なっちゃんが感じた事、思った事、全部を聞かせて欲しいと思った。

 そのために、なっちゃんのオフに合わせて今日から三日間は休みをもらった。



「なっちゃん。」


「ん?」


 あたしは、ノートを抱きしめて…シャワーから出て来たなっちゃんの前に立つ。


「これ…すごく嬉しかった…」


 あたしがそう言うと、なっちゃんは目を細めて。


「…良かった。めんどくさい男だって思われてたらどうしようって、ヒヤヒヤした…って言うか、さくらがそれを読む前に捨てたらどうしようって思ってた。」


 あたしに手を伸ばした。


「…捨てちゃいたかったんだけど…読んで宝物になっちゃった…」


「……」


 額に、キス。

 続けて…頬と…唇と…


 あたし達…一度、あんな壊れ方をしたのに…

 どうしてだろうね…?

 こんなに、愛しさが増すなんて…



「それと…誕生日、驚いた…」


 ベッドに横になって、触れ合いながら話す。


「ケリーズのみんなに、かなり世話になった。」


「喜んでたよ。頼まれたんだ!!って。」


「ははっ。頼もしいな。」


「…また、嬉しい曲…ありがと…」


「さくらのためなら…いくらでも書ける。」


 二ヶ月ぶりのなっちゃんの腕の中。

 なっちゃんの、声。

『さくら』って…呼ばれるたびに…幸せになる。



「これは、日本のコンサート会場。」


 写真を見せてもらいながら、色んな話を聞いた。


「すごーい…これが日本武道館?」


「そう。」


 どの写真も、お客さんでいっぱい。

 メンバーのスナップ写真も時々入ってて、特になっちゃんとナオトさんのツーショットは…


「…恋人同士みたい…」


 あたしが、唇を尖らせるほど。


「ははっ。なんでナオトにヤキモチだよ。」


「だって、これ…すごくいい顔してる…」


 ナオトさんに抱きつかれて、なっちゃんは…満面の笑み。


「バカだな。俺が抱きつかれて一番嬉しいのは、おまえに決まってるだろ?」


「……」


 もう。

 そんな事言ったら…


「あ…」


「ん?」


「ナオトさん…二人目の赤ちゃん…」


 あれから、どうなったんだろう…

 ずっと気になってた。

 さりげなく病院に行ってみたけど、その時にはもう退院されてたみたいで…


「ああ。予定日は来週らしいけど。」


「順調…?」


「みたいだぜ?空港まで迎えに来てたし。」


 ホッ。

 良かった…



「あたしも、誕生日に写真撮ってもらったの。」


「ほお。」


 あたしはサイドテーブルから、ヘプバーンズの写真を取り出す。

 あの日は本当にたくさんの写真を撮ってもらった。

 お客さんと写ったのもあるけど、ケリーズのみんなと撮った写真は…

 何となく、家族写真みたいで、お気に入りだ。



「これ」


 あたしがまず一枚を差し出すと。


「……えーと…」


 なっちゃんは意外にも…眉間にしわを寄せて…悩んだ。

 そんなに分からないかな?


「こっちから、エイミー、モリー、あたし、サリー。」


「……」


 なっちゃんは、写真を食い入るようにして見てる。


「で、これが、デレクとあたし。」


「……」


「なんか、すごく盛り上がっちゃっ…て…」


 楽しく話すあたしに反して…なっちゃんの表情が…


「…お…怒ってる…?」


「…俺のいない時に…」


「え?」


「俺のいない時に…なんでこんなセクシーな…」


「……」


 え…

 えーと…

 これって…


「…ヤキモチ?」


「ああ、そうだな。絶対男の客も来たろ?これ、どう見てもヘプバーンじゃねーか。」


「う…うん…」


「がーっ!!悔しい!!」


 なっちゃんは頭をガシガシとかきむしって。


「俺も、さくらのヘプバーンが見たかった!!」


 うつ伏せになった。


 …俺も、さくらのヘプバーンが見たかった。


 や…

 やだな…

 いちいち嬉しいよ…



「……」


 嬉しさを隠しきれなくて。

 なっちゃんの頬を指で突く。


「……んだよ。」


 目だけ、あたしを見て。

 低い声のなっちゃん。


「…ううん。こういう…なっちゃん…新鮮だなって…」


「…ガキって思うか?」


「…ううん…嬉しい…」


 そう言って、あたしもうつ伏せになると。


「…二十歳…おめでとう。」


 なっちゃんが、あたしの頭を撫でた。


「…ありがと…」


「…さくらが欲しい。」


「…あたしも…なっちゃんが欲しい…」


「……」


「……」


 それから…三日間。

 あたし達は、食べて、話して、抱き合って。の、繰り返しで。


「あー…次に会えるのは三日後か…って、明日我慢できなくて来たら許してくれ。」


「明日はあたし、遅番だから遅くなっちゃうよ?」


「…じゃあ…我慢する…三日後を楽しみにする…三日後か…」


「ふふっ。二ヶ月会わなかったんだよ?三日なんてすぐだよ。」


「二ヶ月会わなかったから、三日が惜しいんだよ。」


「…愛してる。」


「…ずるいな、おまえ…」


 なっちゃんは、名残惜しそうに…何度もキスをして、トレーラーハウスに帰って行った。


 ただし…


「この写真、俺にくれ。」


 ヘプバーンになったあたしが一人で写った物を、嬉しそうに手にして。



「あたしじゃなくて、ヘプバーンが好きみたいじゃないっ…」


 あたしが文句を言うと。


「…バカだな。この、スリットから覗いたセクシーな足が目当てだよ。」


 なっちゃんは、少しだけニヤニヤしながら…そう言った。




 〇島沢尚斗


「ただいま。」


「おかえりなさい。」


 空港で、愛美まなみ真斗まことを抱きしめる。

 二人の元気そうな顔を見て、疲れも吹っ飛んだ。


 ナッキーは来週のスケジュールも聞かずに、すっ飛んで帰った所を見ると…

 さくらちゃんの所だな?

 マノン達も、何となく…ナッキーに女ができた。と思っているに違いない。


 …相手がさくらちゃんだとは…思っていないと思うが。


 別に彼女が嫌いなわけじゃないんだが…

 廃人同然になったナッキーを目の当たりにした俺は、その原因を作った彼女に嫌悪感を抱いた。

 帰って来てほしいと願った時期もあるが…今更…と思う気持ちの方が大きいのかもしれない。

 何となく…ナッキーが浮かれていると、嬉しい反面…イラッとする自分がいる。


 …ヤキモチか?



「るーちゃん、留守の間、色々ありがとう。」


 お腹の大きい愛美の世話を、るーちゃんは買って出てくれた。

 今回のツアーには日本も入ってたし…二人とも同行すればよかったのだが…愛美の体調が良くなくて、やめた。

 るーちゃんも、それに合わせてこっちに残ってくれた。

 自宅に電話をしても留守電の日があったりして、そんな時は不安にもなったが…

 朝霧家に泊まらせてもらってたり、リフレッシュの旅に出ていたと聞いて安心した。



「あ…あー…うん…でも、実は…」


「ん?」


「なんでもないの。本当、るーさんにはお世話になりっぱなしで…」


 るーちゃんが何か言いかけたところで、愛美が明るく遮った。

 …何かトラブルでもあったのかもしれないが…それは、帰って…時間をみて聞くとしよう。



 我が家にたどり着いて、真斗とピアノを弾く。

 ああ…これが現実だよな。

 ステージの俺達は、どこか夢の中だ。


 二ヶ月ぶりの真斗に忘れられていたらどうしよう。と、少し不安はあったが、真斗はすぐに膝に来てくれた。

 リビングには、以前にも増して家族の写真が飾ってあって。

 俺の長期不在を気にしてくれた愛美が、色々考えてくれたんだな…と感動した。



「…真斗、この足の傷、どうした?」


 ふと、真斗の左の膝にある、小さな傷が目に入った。

 本当に小さな物だが…


「きーってなってねっ、どんって、ママと、まこ、ごろんってなってねっ。」


「…え?」


「ママ、ちゅーちゅーちゃ。」


「……」


 キッチンにいる愛美を見る。

 無事…そうだが…

 もしかして、心配かけまいとして…何も言わないのか?



 俺は二階に上がると、部屋からるーちゃんに電話をした。


「もしもし、ごめん。真斗が…救急車に乗ったって言うんだけど…何かあったのかな。」


 俺がそう切り出すと。


『…ごめん、ナオトさん。』


 るーちゃんは、バツの悪そうな声。


「愛美は聞いても言いそうにないし…怒らないから、正直に話してもらっていいかい?」


『…愛美ちゃん、どうしても言わないでくれって言うから…』


「何があった?」


『それが…買い物の途中で、自転車とぶつかったらしくて…』


「えっ?」


『あたし、その日…光史こうしが熱を出して入院しちゃって…留守番電話を聞いたのが、翌朝だったのよ…』


「そ…それで…愛美は?」


『赤ちゃんが危険な状態だったらしいんだけど…あたしが行った時は、峠は越えたって。連絡しようって言ったんだけど、どうしてもダメって言い張るから…」


 愛美…

 そんな時まで…俺の事を気遣わなくていいのに…


「そんな状態で一人で病院に…真斗も一緒だったのかな…」


『んー…それが、なんて言うか…』


「…?」


『救急車から付き添ってくれてた人がいたらしくて…』


「え?誰…?」


『それが…』


「……」


『愛美ちゃん、オードリーヘプバーンだって言うのよ。』


「……オードリー…ヘプバーン…」


『そう。』


「…ローマの休日…?」


『ティファニーで朝食を…だったらしいわよ。』


「……」


『連絡しなくて、ごめんなさい。でも…あたしだとしても…言えなかったから…』


「いや、ありがとう。るーちゃんがいなかったら、俺…今回のツアーはキャンセルしてたから。」


『……』


「これからも、島沢家を宜しくお願いします。」


 電話に向かって、お辞儀をした。


 光史が熱を出した話も…きっと、マノンには伝わってない。

 俺達が万全な状態でステージに挑めるよう…

 常に、みんな…気を使ってくれてる。

 それほどに、今回のツアーは特別だ。



 リビングに降りると、テーブルにはご馳走が。


「無理しなくていいのに。」


 愛美の腰を抱き寄せる。


「ご馳走したかったの。」


「……ありがとう。」



 もっと…愛美を思いやりたい。

 このオフの間は、なるべくそばにいよう。

 だけど…



「…愛美。」


「ん?」


「愛美の気遣いは嬉しいけど…何かあった時は、連絡して欲しい。」


「…あ…」


 愛美は俺の腕の中で、バツの悪そうな顔をした。


「何があっても、ちゃんとステージはこなすよ。だけど…何も知らずに離れているのは嫌なんだ。」


「…尚斗さん…」


「…大変だったろ?不安だったろ?」


 手を握ると、愛美は俺の胸でポロポロと涙を流した。


「…ごめんなさい…言えなくて…」


「いいんだ…こっちこそ…気遣わせてごめん。」


「でも…不安じゃなかったわ…」


「…オードリーヘプバーンか?」


「ふふっ…そう。信じないの?」


「夢じゃないのか?」


「本当よ?病院のみんなも見てるわ?」


「……」


「彼女が…ずっと手を握ってくれてて…」


 愛美は涙を拭って。


「All about loving youを歌ってくれてたの。」


「…Deep Redを?」


「ええ。」


「……」


 正直…

 愛美は事故の衝撃で、幻を見ていたのだろうと思った。

 だが。

 テレビに彼女が映ると、真斗が喜んで。

 本当だったのか…?なんて…首を傾げてしまう。



「すごくきれいで、すごく優しかった。大丈夫よ、って手を握って…ずっと歌ってくれてたのよ?」


 俺に隠し事を打ち明けて安心したのか、愛美は彼女の話を日に何度もした。


 …何かの撮影で、この街に…?

 いや、まさかな…


「苦しかったけど、いい想いもしちゃった。」


 愛美が笑う。

 無事だったからいいものを…と呆れる俺もいるが…

 目の前の笑顔が、あまりにも満足そうだから…それはそれでいい事にした。


 これから、もっと長いツアーが始まる。

 …しっかりしろ、俺。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る