第21話 4月1日。

 〇森崎さくら


 4月1日。

 Deep Redのワールドツアーが、始まった。

 その日の朝、なっちゃんはうちから出発した。


 前の夜…抱き合って眠って…

 翌朝、頑張ってねって見送れたのが…嬉しかった。



 今回は日本も回るみたいで。


「東京と大阪を揺らして来る。」


 って楽しみにしてた。



 とりあえず、六月まで会えない。

 だけど…大丈夫。

 あたしは、ちゃんと生活して…なっちゃんを応援すればいいだけ。

 夏と秋には、行けそうなライヴもあるし…

 それを楽しみに、あたしはあたしで頑張ろう。



「さて…」


 何となく、大掃除でもしようって気になった。


 明日…4月4日は、あたしの誕生日。

 なっちゃんには会えないけど、自分で祝おう。



 部屋の模様替えでもしようかな。

 相変わらず持ち物は少ないんだけど、なっちゃんが来るようになって、食器と衣類は増えた。


「…あ。」


 なっちゃんが持って来てくれた…あたしの日記。

 あれを…どうしてやろう。

 持って来てくれた日に、チラリと見たけど…

 それ以降は、ベッドの下に投げ込んだまま。


 捨てればいいんだろうけど…

 手にするのも罪悪感というか…

 本当、もう…どうしようもないよ…あたし…



 意を決して、ベッドの下からそれを取り出す。


 …目をそむけたままじゃなくて…

 向き合う事も大事だよね。

 なっちゃんは、言えない事は、こうして書いてくれって言ってた。


 …うん。



 そうしてあたしは、意を決して最初のページを開いた。



 今日、なっちゃんに可愛いって言われた!!

 嬉しい!!


「テ…テンション高いよ…あたし…」


 つい、口に出してしまった。

 覚悟を決めて開いたものの、すでにくじけそうなぐらい…恥ずかしい…!!


 …日記の中のあたしは、まだ14歳で。

 なっちゃんの一言一言に…ドキドキしたり、ハラハラしたり…

 …って。

 今も変わらないじゃん…あたし…。


「……」


 それからも、少しテンション高めのつぶやき程度の日記が続いて…


「…え?」


 なっちゃんは仕事の話をしない。

 だけどあたしはライヴが観たい。

 うーん…観に行きたいって言えばいい?

 でも、誘われたいよー!!


 あたしの…文字の後。



 よし。

 これからは仕事の話をするし、来てほしいライヴには誘う。



「…え?え?」


 パラパラとノートをめくると…



 袴姿、カッコ良かった♡

 あたしの彼氏サイコーだよ♡



 男装にはビックリしたけど、俺の彼女はいつだってキュートだ。

 みんなに見せたい反面、隠して一人占めしていたい気持ちも大きい。


「…な…なっちゃん…?」


 これ…

 なっちゃんの文字?

 あたしが書いた物の後に、まるで…返事みたいに…書き込んである…



 なっちゃんがあたしを抱こうとしないんだけど…

 あたしって、そんなに魅力ないかな?

 まあ、最初にNGって言ったのはあたしだけど、もう子供じゃないのに!!



 毎晩自分の理性と戦うのが大変だった。

 でも、大事にしたいと思うとそれもクリアできた。

 魅力がないんじゃなくて、可愛いから…大事にしたい気持ちの方が強かった。



「……」



 素敵な誕生日だった…

 歌のプレゼント。

 If it's love

 愛以上よ…なっちゃん。

 恥ずかしかったけど…初めてのセックス。

 ドキドキした。

 でも…プロポーズはされなかった…な。

 …あたし!!欲張りになってる!!

 贅沢者ー!!



 正直に話せば良かった。

 この日、プロポーズしようと決めてた。

 だけど、昼間に周子から瞳の存在を打ち明けられた。

 自分の幸せを最優先する気になれなくて、言えなかった。


「…そうなんだ…あの日…なっちゃん…」


 だけど、それを抜きでも…

 さくらとの初めてのセックスは、今思い出しても緊張する。

 歌も、今までのどんなライヴよりも緊張した。

 どっちも下手くそって言われなくて良かった…


「…ばかっ…。」


 片手で頬を押さえながら、ちょっと…笑う。



 なっちゃんに…子供がいた。

 どうして言ってくれないんだろ。

 不安。


 どんなに不安だっただろう。

 すまない。


「……」


 あたし…負けたくないって思っちゃってる。

 …醜い女だ…


 負けたくないって思うのが普通の心理状態だと思う。

 醜くなんかない。



 あたしは…ノートを手に、ベッドに座り込んだ。


 いつ…

 いつ書いたの?



 ノートには、なっちゃんの文字が続いた。



 さくら。

 ずっと色々な事を我慢させたな。

 普通の16歳の女の子に背負わせるには、重たい事ばかりだったと思う。

 きっとさくらは俺の前からいなくなった事で、引け目や負い目を感じて、なかなか全てを見せてくれる気にはならないかもしれない。


 だけど、俺は前とは違うから。

 傷付いたからこそ、分かった事もある。

 さくらがいなくなったからこそ、見えた物もある。

 さくら、どうか怖い時には、不安な時には、俺を頼って欲しい。


 こうやって、また手を繋ぐことができた。

 それだけでも俺は、世界一幸せな男だと思ってる。

 だけど、もう少し贅沢になっていいのなら…

 さくら、さくらの胸の内を、そこに留めておくのではなく…

 ちゃんと言葉にして、俺に伝えて欲しい。


 どんな努力もする。

 ずっと、手を繋いでいられるように…。


 もし、このメッセージを読んで、めんどくさいな…この男。って思ったら…

 捨てられても仕方ないな。

 だけど、こんなめんどくさい男でも、まだ愛してくれるなら…

 結婚も、子供も、さくらが望むまで、俺は望まない。


 だが、この夢だけ…見させて欲しい。

 いつか、俺と…

 俺達のあの歌を、どこかのステージで一緒に歌うって約束してくれないか?


 それが、俺の新しい夢だ。


 明日、俺はツアーに出発する。

 今夜、さくらを抱きしめる事が出来て…良かった。

 ベッドの下に、これが投げてあったのは知ってたけど…

 果たして、この俺のつぶやき…にしては長いな。

 俺の思いのたけが読まれる事はあるのだろうか。


 隣を見ると、可愛い寝顔。

 もうすぐ誕生日だな。

 二十歳か…

 一緒に祝えないのがとても残念だが…

 その日も、最高のステージを届けて来るよ。


 さくらと通じ合ってると思えるだけで…

 俺は、何だってできる気がするんだ。


 さくらは、俺を大人だと思ってるかもしないから…なかなかそんな顔はできないんだけど。

 俺はいつだって、さくらに触れるたびにドキドキしてるし…

 さくらが可愛い顔をするたびに、誰にも見せたくない!!ってガキみたいな事も思うし。

 ケリーズで悪い虫がつかないか、すごく心配もしてるし。


 だから、さくらにいつでもカッコいいって思われたいから、頑張る俺もいるし。

 ああ、書いちゃったじゃねーか。

 カッコ悪いな、俺。

 おっさんが何書いてるんだよって、笑われるか。


 夜中は怖いな。

 何書くかわかんねーや。


 でも、これは全部…俺の本心だから。



 さくら。

 愛してるよ。


 心から。

 愛してるよ。



 高原夏希





「…………」


 あたしは…

 ノートをギュウーーーーっと抱きしめて。

 ウロウロと、部屋の中を歩いた。



「…さくら…愛してるよ…心から…愛してるよ…高原夏希…」


 歩きながら口にして…


「…もうダメ!!死んじゃいそう!!」


 ノートを抱きしめたまま、ベッドにダイブ。


「………ずるいよ…なっちゃん…」


 こんなの…

 カッコ良過ぎるじゃない…


 なっちゃんは、いつも大人で…

 あたしばかりがドキドキさせられてるって…そう思ってたのに…


「…さくらに触れるたびにドキドキしてるし…」


 なっちゃんが…

 そんな事思ってくれてるなんて…



 もし…電話があったら。

 あたし…素直になろう。

 言えない事はたくさんあるけど…

 言わない事は、言おう。

 今まで溜め込んでた…色んな事も。

 あたしが我慢して、上手くいかせるんじゃなくて。

 二人で、ちゃんと向き合わなくちゃ…



「…あなたのパパ…本当に素敵な人…」


 天使の木彫りに向かって、小さくつぶやく。

 結婚も、子供も…あたし次第…

 正直、今は…全然、そんな気持ちにはなれない。



 本当なら…

 なっちゃんとの赤ちゃんを殺してしまった罪や、色んな人を傷付けてしまった罪。

 それに…なっちゃんに隠し事だらけなあたし。

 それらを背負ったまま、幸せになんてなる資格ない…って…思わなくもない。


 …今も、幸せは怖い。


 だけど…

 こんなあたしだから。

 色んな罪は背負ったまま、進みたいって思う。

 罪は…きっと償えるから。

 何かの形で。

 いつか…。



 だから…

 本当にいつか…二人が望む気持ちが持てれば…いいな…

 そして…何より…

 あの歌を、一緒にステージで…って。

 そんな、素敵な夢…

 あたしが持っていいの?


 If it's love


 あたし達の歌…

 いつか…一緒に…。




 その夜、なっちゃんから電話があった。


『いい子にしてるか?』


「なっちゃん。」


『ん?』


「大好き。」


『…え?』


「大好き。」


『……』


「毎日…なっちゃんの事想って、頑張ってる。」


『…俺も。さくらの事想って歌ってるよ。』


 電話の向こうで…なっちゃんが優しい顔をしてる。

 そんな姿が目に浮かんだ。


 あたし…

 もう、怖がらないから…


 なっちゃん。


 ずっと…



 あたしと一緒にいて。



 * * *


 今日はあたしの誕生日。

 朝、少し早く目が覚めてしまって、早めに仕事に行くと。


「ビデオフェアやるから、何かホラーっぽくしよう!!」


 って、デレクが張り切ってた。


「…ビデオフェア?ホラー?…なんで?」


 あたしがサリーに問いかけると。


「どうも、中古ビデオを扱ってた知り合いの会社がつぶれてね。売れるならどうぞって、大量のビデオをもらったらしいの。」


 サリーは首をすくめた。


「…うちで売れるのかな?」


「どうかしらね…」


「ホラー以外もあるの?」


 箱に入ったビデオを見てみると…

 …普通に、あるじゃない。

 風邪と共に去りぬとか、サウンドオブミュージックとか…

 その他名作が盛りだくさん。

 …オーメンもある。



「じゃあ!!みんな何か主人公に仮装してやらない!?」


 長女のエイミーの提案に…


「いいね!!やろうやろう!!」


 …この家族は、一致団結するのはいいけど…



「誰がやろうって言ったのよ~。」


 …ほらね…

 準備の段階で、飽きちゃうんだよ…

 いい人達なんだけど…根気がないんだよなあ…



「うーん…本気で仮装する気があるなら、あたし頑張るけど。」


「サクラがやる事は間違いないから、それで行こう!!」


 どうも、バレンタインで味をしめたのか…デレクはあたしが何かをしようって言うと、乗り気だ。

 でも、普通…こういうのって、前もって準備してからだよね…


 今日は暇だからなのか…

 みんな、早速お店に『中古ビデオ』のコーナーを設置中。


 ケリーズにはエプロンはあるけど、制服はない。

 だけど、エイミー、サリー、モリーの三人は、なぜかいつも白いシャツを着て来る。

 確か、ここで着替えたりもするから…何枚かスカートを置いてるって話だったよね。

 ロッカーをあさると、みんなフレアスカートを持ってたし。


 そんなわけで…

 デレク以外は、オードリーヘプバーンになってみる事にした。

 順番に、一人ずつ髪の毛をセットして…


「どう言うこと⁉︎あたし、ヘプバーンになっちゃったわ‼︎」


 エイミーが鏡を見て驚いた。


 サリー、モリーと続けて髪型やメイクをして…

 うん。

 この三姉妹、元は美しいんだよね。

 まるで三つ子みたいになっちゃった。



「写真撮ってもいいですか?」


 三人のオードリーヘプバーンを、写真に収めるお客さんも出て来て。

 それだけでもお店は繁盛ムード。

 ビデオを手にする人は少なかったけど、その分本業の雑貨が意外と売れ始めた。



「あら、サクラはヘプバーンにならないの?」


 超ご機嫌なモリーがそう言ったけど。


「んー、あたし、白いシャツじゃないし、フレアスカートも持ってないから。」


 本当は、そんなのどうにでもなるんだけど…

 楽しそうな三人を見てると、あたしは店員に徹した方がいいなあって。


「あら、じゃあ、あれにしたら?」


「あれ?」


「ティファニーで朝食をなら、似たようなドレスがあったわよ。」


「……」


 ええと…それって…

 あたしはワゴンの中にあるビデオを手にして…


「…これは…あたしには大人過ぎるかなあ。」


 黒のセクシーなドレス。

 こういうの、着た事がないわけじゃないけど…

 もう何年も前の話だし…

 それに、ここ、雑貨店ですから!!

 朝からこんな恰好できないよー!!


「いいねいいね!!お店が華やかになる!!」


 エイミーとサリーも大盛り上がり。


「え?えっ?」


 あたしは、あれよあれよと事務所に連れて行かれて…


「仮装だから、何でもありよ♡またお店を盛り上げてちょうだい♡」


 ビデオとドレスを渡された。

 …そして、なぜかウィッグまである…



「……」


 まあ…雑貨店と言っても…バラエティショップと言うか…

 本当に色んな物があるお店で。

 デレクを始め、ケリー一家は本当に気のいい人達で。

 なっちゃんとの派手なバレンタインの件も…

 深くは聞いて来ない。


 ただ…


『ニッキーとサクラのツーショットを撮るのを忘れて、ごめんなさい!!』


 って…申し訳ないほど、謝られた。



「……」


 着替えて…ビデオのパッケージを見ながら髪型とメイクを整えて…

 何で使ったのか分からないけど、ロッカーのそばにあるおもちゃのアクセサリーが入った箱の中から、いくつかネックレスを取り出して…装着。


 …うん。

 ぽい…かな?


 その格好でお店に降りると…


「………サクラ?」


 デレクが、大きな目を見開いて、あたしを見た。


「あっ、やっぱあたしって分かっちゃうかあ。」


 体つきが貧相だもんなあ~…

 って、ちょっとガッカリしてると。


「いやいやいやいやいや!!二階から降りてきたからだよ!!いやー!!黙ってたらサクラって分からない!!」


 手をガシッと掴まれて。


「エイミー!!サリー!!モリー!!記念写真を撮ろう!!」


 デレクは大きな声で言った。


「えっ、えええ…し…仕事…」


 お客さん、いるよ?


 デレクは満面の笑みでカメラをセットして。

 お客さん達が見守る中…ケリーズは記念写真を撮った。



「あたしもいいですか?」


「じゃ、俺もその後で…」


 そして、ケリーズのヘプバーンズは。


『商品を買ったら記念写真』


 なんて…ちょっとズルい感じで…売上を伸ばしてしまった。




「お昼行って来るわねー。」


 エイミーとモリーが、ローマの休日のままでランチに出かけた。

 かなり、お気に入りらしい。

 …まだ、あの格好ならいいけど…

 あたしのコレは、店内でも浮きまくり。


 もはや、ちょっと恥ずかしい。

 着替えたいんだけど…



「デレク、あたし、違う仮装にして来ていいかな。」


「違う仮装?どんな?」


「…ダ…ダミアンとか?」


「いや~、これがいいよ!!大人気じゃないか!!」


 ホラーがいいって言ってたじゃーん!!


 仕方なく、あたしはスリットの入ったドレスのまま…

 雑貨店のレジの横で上品に笑った。



 噂が噂を呼んで…午後には『ヘプバーンに会えるって聞いた』なんてお客さんが後を絶たず…

 偽物だと知るとガッカリする人もいたものの…

 写真だけは、ちゃっかり撮って帰ってた。


 なんだかんだで、ビデオもそこそこ売れて。

 新しく仕入れてたレターセットや、ビタミンカラーのキッチンツールが予想外に売れた。


 時計が三時を過ぎた頃…

 突然、デレクが…


「ただいま店内にいらっしゃる皆さん、実は今日は、こちらのヘプバーンの誕生日なんです!!」


 ……えっ!?


 お客さん達から拍手が…

 デレクはあたしの手を取って、お店の真ん中に連れて行くと。


「いつも、本当にありがとう。君のおかげで、ケリーズは息を吹き返したよ。」


 そう言って…泣き始めた。


「え…え?デレク、泣かないで…あたしこそ、すごく良くしてもらって…」


 すると、店の奥から…


「Happy Birthday to you~…」


 三姉妹が、ケーキを持って現れた。


「え……」


「そしてこれは、スペシャルプレゼント。」


 そう言って、サリーがラジオのスイッチを入れると…


『今日は、俺の大切な人の誕生日なんです。』


「…えっ?」


 そこから…なっちゃんの声。


『一曲歌わせて下さい。Thank you for loving me』


「え?え?」


 あたしが呆然としてると。


「これ、街のローカル局の番組よ。彼、どうしてもサクラの誕生日に聴かせたいって、投稿しておいてくれって頼まれたの。」


 モリーが興奮した様子でそう言った。


「……」


 アコースティックギターで歌われたその曲は…

 Deep Redでは聴いた事のない曲。

 その歌に胸を打たれていると…花まで届いた…。


 ガーベラの花束…。


 …なっちゃん、ここにいないのに…

 まるで、ずっとそばにいてくれてるみたいで…

 もう。

 大好き。

 愛してる。

 この、大きな気持ち…

 他に、なんて言葉にしたらいいのか分からない…


 あたし…なっちゃんに、何をしてあげられるかな。

 なっちゃんは、こんなに…あたしを大事に、そして…すごく全身全霊で愛してくれてるのに…

 何もできないなんて…もどかしすぎる…


 …あたしも…歌わなくちゃ。

 なっちゃんの夢、叶えたい。

 いつか、一緒にステージで…。




「おめでとう!!」


「素敵な歌だったわ!!」


「彼の声、聴いた事があるような…」


 お店に居る人達から、色んな言葉をもらって。

 あたしはケーキのキャンドルを吹き消した。

 お客さん達にも、少しずつケーキがふるまわれて。

 あたしは…なんて幸せな場所に居るんだろうって感動した。


 ああ…

 なっちゃん、今日はオーストラリアだったかな…

 会いに行っちゃいたいよ…


 静まらないドキドキと、なっちゃんを愛しく思う気持ち。



 それ以降も、ヘプバーンズ目当てで来るお客さんは絶えなかったけど、あたしは幸せな気持ちで接客が出来ていた。


 五時を過ぎて、少し暇になった頃。


「事故よ!!」


 店の前で、モリーが叫んだ。


「パパ!!早く!!救急車を呼んで!!」


 事故…?

 車の音はしなかったけど…


 急いで外に出てみると…

 倒れた女の人と…男の子と…

 バツ悪そうに倒れた自転車を起こして、立ち去ろうしてる高校生ぐらいの男の子がいた。


「あっ!!待ちなさいよ!!」


 勇敢なモリーが高校生を取り押さえてる間に、あたしは女性と男の子に駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


「う…」


「あ。」


 この人…妊婦さん…

 転んだ男の子は膝を擦りむいて血が出てたけど、大した傷ではなさそう…


「救急車来るから。もう少し頑張って。」


 手を握ると、すごく強い力で握り返されてしまった。


「…痛い…」


「……」


 痛みに顔をゆがめるその人に、あたしは何もできなくて…


 …あ…この人…

 …ナオトさんの…奥さん…


「…ご主人に、連絡を…」


 あたしがそう言うと。


「いえ…知らせないで…主人は大事な仕事で…」


「……」


「バッグに…手帳があるから…瑠音さんて人に…」


「分かりました。」


 話してる間に救急車が来て。

 ナオトさんの奥さんは担架に乗せられ…


「あなたも!!」


 あたしの手を離さない奥さんを見て、救急隊の人にそう言われて。

 あたしは…

 奥さんと、息子さんと共に…救急車に乗った。



 病院について、気を失ったナオトさんの奥さんは、ようやくあたしの手を離した。

 あたしと息子さんは待合室に案内されて。

 不安そうな息子さんと手を繋いで椅子に座る。



「…お名前は?」


「まこ…」


「まこちゃん…?」


「うん…」


「いくつ?」


 あたしの問いかけに、まこちゃんは小さな手を動かして…


「…ふたつかあ…」


 あたしの…赤ちゃんと、同じなんだ…

 つい…愛しくなる。


 奥さんは集中治療室で…治療を受けている。

 瑠音さんに連絡をして欲しいと言われて…マノンさんの奥さん…瑠音さんに連絡をしたけど…留守番電話になってて。

 一応、メッセージは残したけど…週末だし…マノンさんのツアー中って事で、日本に帰国されてる可能性だってある。



「付添の方…です…か?」


 治療室から先生が出て来て。

 あたしの恰好を見て…一瞬固まった。


 ヘプバーンだしな…


「あ、はい…」


「ご家族の方は?」


「あ…仕事で海外に…」


「…母体はともかく…赤ちゃんの方が心配な状態です。」


「えっ…」


「今夜がヤマです。付き添えますか?」


「はっはい。付き添います。」


 どうしよう…


 ナオトさんに…知らせなくていいの…!?

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