第19話 「…さくら。」

〇森崎さくら


「…さくら。」


 朝。

 ベッドでうつ伏せになってる状態で目が覚めると。

 なっちゃんはすでに服を着てて…ベッドに座ってあたしの頭を撫でた。



「…ん…もう起きてたの…?休みじゃ…?」


「ああ。オフなんだけど…チョコが届くから。一度トレーラーハウスに帰る。」


「……」


 つい、無言で見つめてしまうと…


「あー…まだあそこにいるのかって思った?」


 なっちゃんは、優しい笑顔。


「うん…ちょっと思った…」


「…引っ越せなかった。」


「……」


「事務所のみんなにチョコ配って、戻ってくる。」


「…ん。」


「…あっちに…来ないか?」


「……」


 なっちゃんの遠慮がちな声。


 あっち…

 それは…

 トレーラーハウス。



 …一緒に暮らそう…って、事だよね…?


 確かに、トレーラーハウスは好きだし…

 こうなってしまったからには…そばにいたい。


 …だけど…


 あたしは、一度なっちゃんを裏切って。

 周りの人も巻き込んだ。

 …いきなり…そんなに堂々とは…


 あたしが色々考えてると。


「…何焦ってんだろうな、俺。ここならおまえの職場も近いし…」


 なっちゃんは前髪をかきあげて苦笑いしながら、窓の外を見た。


 …その横顔を見てると…

 なんだか…夢みたいって思っちゃう…


「時々、泊まりに来ていいか?」


 なっちゃんが、ゆっくりとあたしを見下ろして言った。


「う…うん…」


 見とれてたから…何だか恥ずかしくて。

 あたしは枕に顔を埋める。


「…何だよ。」


「…ううん…」


「……さくら。」


 肩に…なっちゃんの唇…


「……」


 …やだ…なっちゃん…

 あたしの…気持ちが良くなるとこ…覚えてる…



「…何考えてた?」


 あたしの肩から首筋にかけて…

 ゆっくりと唇を這わせながら…なっちゃんが囁く。


「…ん…」


「言えない事以外は…なるべく言葉にして欲しい。」


 耳元でそう言われて…あたしは。


 ばっ


 勢いよく起き上ってしまって。


「たっ!!」


 なっちゃんはあたしの背中で顔を打った。


「あっ!!あっ、あっ、ごめんっ!!」


「な…何なんだ…」


 なっちゃんが額を押さえてベッドに倒れ込む。

 あたしはシーツをまとってベッドに座ると、なっちゃんの顔を覗き込んで。


「大丈夫?テレビとか…取材とか…」


 頬に触れた。


「…大丈夫。そんなに痛くない。」


「もう…ビックリした…」


「…さくら。」


「ん?」


「……」


 右手を枕にして仰向けになったなっちゃんが。

 座ってるあたしを見上げて…手を取った。


「…会いたかった…」


 指を絡ませて…その指にキスされて…

 胸が…キュンとなった。

 なっちゃんは、目を閉じて…

 あたしの指に、キスを続ける…



「…だな…って…」


 あたしが小さくつぶやくと。


「…ん?」


 なっちゃんは、ゆっくりと目を開けた。


「…さっき。」


「…うん?」


「…夢みたいだな…って…思ってたの…」


「……」



 そうだ。

 ちゃんと…口にしなくちゃ。

 それでなくても、あたしは秘密だらけ。

 この二年間の事も…言えない事ばかり。

 本当なら、気になって仕方ないはずだよ…

 それを言わなくていいって…


 だったら、今、この瞬間の気持ちぐらいは…

 ちゃんと伝えなきゃ。



「…なっちゃんが…こうして…そばにいるなんて…夢みたいだなって…」


「さくら…」


「巻き込んだ人達の事考えると…どうしても、あそこに帰るって…言いにくい。」


「……」


 なっちゃんは指を離して、あたしの頬に手をあてて。


「…何もかも元通りっていうわけには、いかないと思う。」


 優しい声で言った。


「同じにしようとして無理をするより…新しく始めよう。」


「なっちゃん…」


「森崎さくらさん。」


「…はい…」


「君が好きです。俺と付き合って下さい。」


 頬を撫でられながら。

 寝転んだままの、告白。

 だけど…なっちゃんは…すごく素敵な笑顔で。

 当然…あたしにNOなんて選択肢はなかった。



 何が…怖かったんだろう?あたし。


 なっちゃんの笑顔を見て…思った。



 この笑顔を…


 守りたい。って。



 〇島沢尚斗


「えっ。」


 その話を聞いて…俺は驚いた顔のまま…言葉が出て来なかった。


 ナッキーは今…

『夕べ、さくらと一緒だった』…って言ったよな…?



 今日はオフで。

 息子の真斗にピアノを聴かせていると…ナッキーがやって来て。


「ハッピーバレンタイン。」


 なんて言いながら…俺と愛美にチョコを差し出した。


 その満面の笑みに…どんないい事があったんだ?とは思ったが…



「…それで?」


 やっと出て来た言葉は、何を聞こうとしてるかさえよく分からない物だった。


「うん。付き合ってくれって告白した。」


「……」


 ち…中学生かっ!!

 そう思う俺の眉間にはしわが寄っているが、ナッキーは…とにかく…

 すこぶる機嫌がいい。



「…そのー…今まで彼女はどこで何を?」


「知らない。」


「…は?」


「聞いてないんだ。」


「……」


 口を開けたまま、瞬きを数回した。


「……普通、気になるよな。」


「だろうな。」


「おまえは?気にならないのか?」


「ならない事もないが、別に今があれば過去はいい。」


「……」


 確かに…

 ナッキーの言う事は…分かるが…



「…彼女は、結婚式前に消えたんだぞ?」


「ああ。」


「ああって…」


「そんな事もあったなって感じになっちゃうんだよな。」


「……俺、今呆れてる。」


「だろうな。」


 ナッキーは持って来たチョコを自分で開けて、口に入れた。



「…今から、みんなのとこ回って言うのか?」


「いや、あいつらには明日言う。」


「…やめとけ。」


「なんで。」


「…正直、気分が悪い。」


「……」


 ナッキーはモグモグと口を動かして。


「うおっ…」


 俺を、ギュッと抱きしめた。


「なっ…何だよおまえっ…」


「さすがナオトだと思って。」


「だっだからっ、これは何だよっ。」


「俺が壊れた時、ずっとついててくれたのがおまえで良かった。」


「……」


「俺の全部を知ってるおまえだから、一番に言いたかった。」


「……」


「昨日、さくらがギター弾きながら歌ってる所に遭遇してさ。」


「……」


「俺の事、歌ってた。」


「……」


「無理矢理キスして抱きしめて…今一緒にいたいなら、いようって話した。」


「……」


「幸せになるのが怖くて逃げた…ってさ。周子のせいにも、俺のせいにもしなかった。」


「……」


「…みんなには、本当に感謝してる。」


「……」


「でも…やっぱり俺、あいつの事…愛してやまない。」


「…ナッキー…」


「あ?」


「…頼むから…そんないい声で、耳元で囁かないでくれ。」


「ははっ。」


 ナッキーは笑いながら俺から離れると。


「おまえ、いい体してんな。」


 そんな事を言いながら、胸を触った。


「バカヤロ。」


「…一晩一緒にいただけなのに…満たされてるんだ。」


「……そうか。」


 確かに、こんなナッキーの顔を見たのは…いつぶりだろうと思う。

 穏やかで…何より…男前だ。



「…ちょっと納得いかない部分もあるが…まあ、おめでとう。」


 首をすくめながら、ナッキーの胸にパンチする。


「サンキュ。」


「一緒に暮らすのか?」


「いや…今の所、その予定はない。」


「…意外だな。」


「元通りってわけにはいかないから、新しく始めようって言ったんだ。」


「……」


 ナッキーは…本当に…


「…クソ真面目だな…おまえは。」



 どうか…と、思う。


 さくらちゃん。

 どうか…今度は。

 ちゃんと…ナッキーのそばにいて欲しい。

 そして、二人で…



 幸せになって欲しい。




 〇高原夏希


 ナオトに言われたから…ってわけじゃないが。

 メンバーにさくらの話をするのはやめた。


 ナオトの家を出て、事務所にチョコを運び。

 それから…一度トレーラーハウスに戻った。



 さくらの部屋に行く前に…あの日記をもう一度読もうと思った。

 見付けた後は…毎日のように読んでしまった。

 さくらの面影が、そこにしかなかったからだ。


 だけど、歌えないと気付いてからは…読むのをやめた。

 心を鍛えなくては、と…カウンセラーの所へ通った。


 俺のカウンセラーだったマーサは、特に医療関係に従事しているわけではなかったが。

 話しているだけで安心して…月に数回でいいから、話を聞いてくれないか。と、契約をした。

 御年70歳。

 教会で知り合ったマーサは、早くに夫と子供を事故で亡くし、近所の人達と慎ましく生活をしている女性だった。


 自分のせいだと思う反面、俺はどこかで全てをさくらのせいにしていた。

 さくらの事を引きずって、何もかもが上手くいかない。


 もう、忘れたい。

 思い出にしたい。


 そう言った時…マーサが言った。


 思い出は、『する』ものじゃない。

『なる』のを待たなきゃ、思い出にはならない。


 それを聞いて…俺は、さくらを忘れる事を諦めた。

 何がどう動いたって、俺はさくらを忘れられる事なんかできやしない。

 毎朝毎晩、家のどこかに、景色のどこかに、さくらを探してしまう自分がいた。

 それを苦しむより…愛しもう。

 仕方がない。


 俺は…裏切られたのだとしても、さくらを愛してやまないのだから。



 なっちゃんは仕事の話をしない。

 だけどあたしはライヴが観たい。

 うーん…観に行きたいって言えばいい?

 でも、誘われたいよー!!



 開いたページ。

 その文字を拾って…俺は小さく笑う。


 きっと…さくらには、色んな秘密がある。

 今までも…そうだった。

 だけど、何か支障があったか?


 さくらは…俺が思ってるよりずっと大人で。

 だけど、俺が思ってるよりずっと子供で。

 だからこそ。

 もっと…さくらに本音を言える状況を作ってやらなきゃいけない。


 きっとさくらは…

 自分は『言えない事だらけ』だから、俺にも多くを求めないのだと思う。



 …バカだな。



「…よし。」


 俺はノートを閉じると、それを紙袋に入れて家を出た。

 部屋の近くの花屋に寄って、ピンクのチューリップを買って…



「はい。」


 ノックを三回すると、さくらはすぐに顔を出した。


「いい匂いがする。」


「ご飯作ってた。」


「これ。」


 チューリップを差し出すと。


「……」


 さくらは…なぜか少し暗い顔をした。


「…好きだったよな?」


 さくらはチューリップを胸に抱いて少し考えて…


「うん。」


 笑顔になった。


 …その笑顔は…少し違和感。

 …でも、いきなり全てを知ろうとするのはやめよう。



「…しまったな。」


「…え?」


「つい、あの頃好きだったからって買ったけど、いつまでもチューリップじゃ中学生みたいだもんな。」


「あっ!!ひどーい!!」


 部屋に入って、さくらが花を飾る。

 俺はベッドの横に紙袋を置いて、さくらの料理を手伝った。



 抱きしめると、くすぐったそうな顔をする。

 キスをすると、恥ずかしそうにうつむく。

 全てが懐かしいような、新鮮なような…



 垣間見える違和感は、仕方がないと思う。

 さくらには、言えない事がある。

 そして、俺達の間には…大きな溝もあるはずだ。


 それを埋めるために始めるわけじゃない。


 一から…

 ゼロから。

 俺は、さくらと向き合いたい。



 とにかく、俺のさくらへの気持は…



 自分では止められないほどになっていた。



 〇森崎さくら


「……」


 目の前に、ピンクのチューリップを差し出されて…

 あたしは、少し固まった。

 なっちゃんがくれた、あたしの大好きな花。

 そして…


 貴司さんがくれた花でもある…



 彼を思い出すと…どうしても、暗い影が落ちる。

 あたしは、赤ちゃんを殺して…

 貴司さんとお義母さんを傷付けた…



 なっちゃんと一緒に料理をして、食べて…

 お茶を飲みながら、ワンダー賞の話を聞いた。


 今…なっちゃんはお風呂。

 今夜、泊まっていいかと聞かれて…

 断る理由はないし…


 だけど。

 このチューリップが。

 あたしの気持ちを暗くしてしまって…


 …花に罪はないよ…

 二人とも、あたしみたいだって言ってくれたわけだし…

 うん。

 チューリップ…可愛いもん…



 小さく溜息をついて、ベッドに横になる。

 目を閉じると、少しだけ…懐かしい景色が浮かんだ。

 庭師のチョウさんと…桜の花びらを竹箒で集めたっけ…

 誕生日だった。

 ピンクのチューリップの花束…


 …やだ。

 泣きそう。

 あたし…

 桐生院家のみんなを悲しませて傷付けたのに…

 自分だけ…



「…さくら?」


 お風呂から出て来たなっちゃんが、あたしが泣いてる事に気付いて。


「…どうした?」


 頭を抱き寄せた。


「…ごめん…なっちゃん…」


「ん?」


「…チューリップ…何だか…悲しくなっちゃって…」


「……」


 なっちゃんは無言で服を着ると。

 花瓶からチューリップを抜いた。


「…え?」


「ちょっと出てくる。」


「えっ、なっちゃん、なっ…」


 パタン


 ドアが閉まって。

 あたしは、窓から外を見た。


 近くの花屋は、遅くまでやってるけど…

 なっちゃん、お風呂から出たばかりで…髪の毛だって乾いてないのに…



 あたしがヒヤヒヤしながら見てると。

 今度は…


「ただいま。」


「…おかえりなさい…」


「俺みたいじゃないか?」


「……」


 なっちゃんが手にしてるのは…

 一輪の赤いガーベラ。


「…なっちゃんは…バラかと思ってた。」


 ガーベラを手にして言うと。


「そんなにトゲがあるように見えるか?」


 なっちゃんはベッドに座って。


「さくら、おいで。」


 両手を広げた。


「……」


 ガーベラを持ったまま、なっちゃんの腕に行くと。


「さっきみたいに、言ってくれると嬉しい。」


 頭にキスしてくれた。


「…ん?」


「理由まで言わなくてもいい。ただ、これは嫌いだとか、これは辛いとか…俺は、今のさくらを知りたいんだ。」


「……」


 真っ赤なガーベラは…何だかすごく心強く見えて。


「…うん。分かった。」


 あたしは、なっちゃんを見上げて…笑顔になれた。


「…ありがと、なっちゃん…」


 あたしがそう言うと、なっちゃんは嬉しそうに額を合わせて。


「そう言えば…これ。」


 来た時に置いてた、紙袋を手にした。


「何?」


「…あれ。」


「あれ?」


 出て来た中身を見て…


「はっ…」


 あたしは、息を飲んだ。


 に…


 日記!!


「すっ捨ててなかったのーっ!?」


 それを手にして、部屋の隅に走って行く。


「…捨てれるかよ…おまえの私物だし…」


「でっでもっ!!腹立ったでしょ!?」


 怖いけど怖いけど怖いけど…

 最後の方を開くと…


「…ほらーーーー!!」


 プロポーズ受けた夜の事なんて…

 なっちゃん、あんなに喜んでくれたのに、あたしは複雑な心境書いてるなんて…!!


 あたしが部屋の隅っこで膝をついてガックリしてると。

 なっちゃんはクスクス笑いながらやって来て。


「よっ…と。」


 あたしを…抱えた。


「っ…」


「そこに書いてあるような事、今度は…書くんじゃなくて、俺に言って。」


「…そんなの…」


 言えないよ…

 あたし、それでなくても…なっちゃんの事、傷付けて…

 そう思って、またズズーンと来てると…


「じゃ、言えないなら、書いて俺に見せて。」


「……」


「チラシの裏にでもいいから。」


 …チラシ?


「さくらの似顔絵付きで。」


「はっ…!!」


 ふいに蘇る、ケリーズの事務所。

 あたし…あたし!!

 チラシの裏に商品アピール計画書みたいなの書いてた…!!

 ワンダー賞受賞記念とかーーー!!


「似てた。」


「みっみ見たのー!?」


 なっちゃんの腕の中で暴れる。


「仕方ないだろ。事務所で暇だったんだから。」


「もー!!」


「嬉しかった。」


「……」


 …とりあえず、暴れるのをやめる。


「さくら。」


「…はい…」


「俺は今、ハガネの心を持ってるから大丈夫。」


「…ハガネ…」


「そう。何があって傷付かない。」


「……」


「大丈夫。」


 なっちゃんはそう言って、ゆっくりとあたしをベッドに降ろして。


「だから…」


 ガーベラが、あたしの手から…なっちゃんの手へ。

 それから、花瓶へと移った。


「…まず、来月のライヴを見に来てくれないか?」


 甘い声で…そう言った。

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