第17話 「よお、早かっ…あれ?高原さん?」

 〇高原夏希


「よお、早かっ…あれ?高原さん?」


 れんと待ち合わせをしていたしんが、俺がついて来たのを見て…目を丸くした。


「写真見せた。」


「ああ…」


 二人はそんな事を言って…


「そこですよ。」


 すぐそばにある…小さな雑貨店を指差した。


「……」


 緊張が走った。


 まさか…アメリカにいたなんて…

 しかも、この街に。


 …会えるかもしれなかった場所にいても、会う事はなかった。

 さくらは…会う事を望んでないのかもしれない。

 もう…誰か一緒にいてくれる奴が…



「…行かないんすか?」


 廉に声をかけられて…小さく溜息をつく。


「…俺が会いたくても…向こうはどうか分からないしな…」


 俺の言葉に、二人はあからさまに眉間にしわを寄せた。


「いや、ここまで来て…それはないですやん。」


「そうっすよ。」


「……」



 誰かと一緒にいるのかもしれない…なんて思いながらも。

 俺はさくらを間近で見たかった。

 いや…見たいだけじゃない。

 …触れたい…

 触れて…抱きしめたい。


 とりあえず…店の近くまでと思い、戸惑いながらも歩き始めると…



「…ん?」


「何だろ。人が集まってる。」


 ちょうどいい具合に人だかりが出来ていて。

 さりげなく、様子を見ていると…ギターの音。


 …さくら…歌ってるのか?



 明日はバレンタインデー

 買うのを忘れた人はいない?

 まだケリーズにはたくさんあるよ



「…なんだ、ありゃ。」


 廉が笑う。


「商品が売れ残ってるから、買え言うて歌うてるんやない?」



 歌は…どうでもいいような内容だったが…

 さくらの声が聴けて…

 俺は足元から痺れているような感覚になった。



「…行きます?」


「…もう少し、歌を聴いてから。」



 さくらは…悩んでいる様子だった。

 歌詞が思いつかない…のか?

 だけど、すっ…と息を吸って。



 あたしのバレンタインデーは

 バラの花束とバラの形のチョコレート

 彼と一緒に食べたチョコレート

 甘かった

 美味しかった


 メッセージカードにはシンプルに

 I love youって丁寧に書いてあって

 彼と一緒に食べたチョコレート

 甘かった

 美味しかった



「……」


 俺との…バレンタインだ…

 俺がバラの花束を買って帰って…

 一緒に食ったバラの形のチョコ。

 さくらといると…毎日がイベントのようで。

 特別な日じゃなくても、愛があれば…俺には毎日が特別だった。



 でも…もうさくらには…

 …過去形…だよな…

 当然だ…


 さくらもそれが失恋ソングに思えたのか、ぶんぶんと頭を振って…

 アップテンポな曲に切り替えた。



 そのチョコ『ケリーズ』のおススメなの

 少しとけやすいから気を付けて

 キスの温度でもとけちゃうかも



「チョコ、どうぞ。」


 突然、目の前にチョコを差し出された。

 どうも…その店の店員らしい。

 白い口髭の、上品な紳士。

 金色の包みの、そのチョコは…




 美味しいでしょそれ あたしもおススメ

 少しとけやすいから気を付けて

 あなたの温かい手でもとけちゃうかも


 彼のキスでとけちゃう あたしみたいに

 ふわふわしてる

 彼のキスでとけちゃう あたしみたいに

 恋にピッタリのチョコ




「…廉、晋。」


 隣に居る二人に、声をかける。


「はい?」


「ありがとな。」


「……」


「行ってくる。」


「…行ってらっしゃい。」


 二人は同時にそう言って。

 俺とハイタッチをかわした。



 さくら。

 おまえがどこへ逃げても。

 俺が、おまえの中に少しでも残ってるなら…

 俺は、おまえを奪い返してみせる。



 少々…強引なやり方でも。



 〇森崎さくら


 商品が売り切れる。


 なんて事に…なった事がないらしい『ケリーズ』は。

 あたしの歌で、ものの見事に売り切れたチョコレートに気を良くして…

 大量発注した。

 これが…間違いだった。



「サクラ、もう一度歌ってくれないかな…」


 うなだれるデレク。

 陳列に乗り切らないほどのチョコは、まだ箱ごと倉庫に。


「いや…もう無理だと思うけど…」


 バレンタインは明日。

 だけどチョコは、並べた物もほとんど売れてない。



「も~…パパが気を良くして頼むから…」


「どうするのよ、こんなに。」


「これじゃ来年…再来年まで残っちゃうわよ。」


 発注の時には誰も反対しなかったクセにっ。

 ううん。

 むしろ、一緒に盛り上がってたクセにー!!

 一斉にデレクを責め始めた娘さん達に、つい目が細くなる。


 …仕方ない。

 ここは…デレクのためだ。


「ダメかもしれないけど…少し歌ってみるね。」


「申し訳ない…サクラ、頼むよ…」



 あたしはお店の入り口に立って、ギターを持った。

 …どう見ても、向こうの通りにある花屋が繁盛してるよ…


 あと、次女のサリーが言ってたけど…

 今年はコルネッツってクマのぬいぐるみがバカ売れしてるらしくって。

 男の人は、それを入手するために、仕事を早く切り上げて奔走してるらしい。


 …そう言うのって、クリスマスにするんじゃ?

 バレンタインは…やっぱチョコでしょ。

 って…

 あたしもこの行事に乗っかったのは…数回しかないけど。



 すう…と、息を吸って。

 あたしは歌いだす。



 明日はバレンタインデー

 買うのを忘れた人はいない?

 まだケリーズにはたくさんあるよ



 …ああ、ダメだ。

 売れ残り。って歌ってるみたいだよね…

 でも、いい歌詞が浮かばない!!



「……」



 あたしのバレンタインデーは

 バラの花束とバラの形のチョコレート

 彼と一緒に食べたチョコレート

 甘かった

 美味しかった


 メッセージカードにはシンプルに

 I love youって丁寧に書いてあって

 彼と一緒に食べたチョコレート

 甘かった

 美味しかった



 目の前に、数人の女性が足を止めた。


 …ヤバい。

 過去形で歌ってるから…何だか、失恋ソングみたいになってる?

 も…盛り返さなくちゃ。


 デレクが気を利かせて、カゴに入った小さなハート形のチョコを、足を止めてる人達に配り始めた。

 レジの横に、オマケとして置いてたやつだ…

 これ、美味しいんだよね。



 そのチョコ『ケリーズ』のおススメなの

 少しとけやすいから気を付けて

 キスの温度でもとけちゃうかも



 明るく歌い始めると、チョコをもらった人達から笑顔が見えた。

 キスでとけちゃうんだって。なんて言いながら、恋人同士が顔を見合わせて笑ってる。

 金色の包み紙を開いて、すぐに口に入れてる人を見て、あたしは続けて歌う。



 美味しいでしょそれ あたしもおススメ

 少しとけやすいから気を付けて

 あなたの温かい手でもとけちゃうかも



 デレクは白い息を吐きながら、足を止めた人や、こっちに来てくれそうな人にまで…小走りに向かってチョコを配ってる。

 うん…あたしも頑張ろう。



 彼のキスでとけちゃう あたしみたいに

 ふわふわしてる

 彼のキスでとけちゃう あたしみたいに

 恋にピッタリのチョコ



 あたしが歌うと子供っぽいのかなあ…

 彼のキスでとけちゃう。なんて…セクシーな事歌ってるつもりなのに。

 なぜか、みんなニコニコしてるし。


 …なっちゃんのキスは…ほんとに…

 とけちゃいそうだった。

 …こんな時に思い出すかな、あたし。


 さ、営業営業!!


 …だけど、歌詞が浮かばない…

 とりあえず、繰り返し歌って覚えてもらおう…

 洗脳って言ったら変だけど…

 買いたくならないかな。



 そのチョコ『ケリーズ』のおススメなの

 少しとけやすいから気を付けて

 キスの温度でもとけちゃうかも


 美味しいでしょそれ あたしもおススメ

 少しとけやすいから気を付けて

 あなたの温かい手でもとけちゃうかも


 キスの温度でもとけちゃう…



 ふいに…

 腕を取られた。


「…かも…」


 え?って思った時には…唇が、来てた。



 …え?


 周りから悲鳴が上がって。

 あたしは…その悲鳴の意味が分からなかったけど…


「ニッキーよ!!」


 誰かが…叫んだ…。


 …ニッキー…

 ニッキーって…


 あたしは、そのキスを知ってた。

 よく知った唇だった。

 あたしは目を閉じれなくて。

 パチパチ、と…瞬きをして…


 ……


 …甘い…

 甘い…キス…



「……」


「……」


 唇が離れて…見つめ合った。

 なっちゃんの唇に…チョコがついてる。



「あ…あああああ、お客様、ちょ…ちょっとそれは…困ります…」


 デレクが慌ててあたしの腕を引こうとしたけど…


「…全部買います。」


 なっちゃんが、静かに言った。


「…え?」


「チョコ、全部買うのでラッピングして下さい。」


「……」


 あたしは、頭の中が真っ白で。

 何も言葉が出なくて…呆然としたまま…



「…ついてる…」


 ふいに、なっちゃんがあたしの唇に親指をあてて…チョコを拭って…それを舐めた。


「…なっちゃんも…ついてる…」


 まだ…この状況が…よく分からないんだけど…

 それでも、振り絞るような声でそう言うと…


「…とかしてくれよ。」


 なっちゃんは、あたしの頭を力強く引き寄せて…キスをした。


 …また、悲鳴が上がった。

 野次馬が増えて…る…よ?

 あたしはそれが気になったけど…

 なっちゃんはお構いなし。


 …今度は、目を閉じた。

 そして…なっちゃんの首に、腕を回した。

 周りの悲鳴は…冷やかしになったり、拍手になったり…



 あたし…今、なっちゃんとキスしてる?

 なんで?

 なんで…なっちゃんここにいるの?

 なんで、あたしを抱きしめて…キスしてるの?



 唇が離れて…強く抱きしめられた時に。

 なっちゃんの肩越しに…少し離れたアパートの階段から。

 手を振ってる廉くんと晋ちゃんが見えた。



 …なんだ…

 二人とも…

 こんな事、企んでたの?


 何よ…

 バカ…


 ………ありがと…。



 それから…なっちゃんは。

 本当に、チョコを買い占めた。

 倉庫にあまってる、箱も全部。


 そして…


「できれば、さっきここで見た事はみなさんの思い出の中だけに。」


 って。

 お店の前で待ち構えてたファンらしき人達に…チョコを配った。


 デレクはともかく…三人娘さん達は、なっちゃんの事を知ってて。


「ニ…ニッキーが…うちでチョコを…」


 ちゃっかり、記念撮影もして。


「あ…あの…サクラとは…どう言った…」


 デレクが遠慮がちに問いかけると。


「…今から口説こうかと。」


 なっちゃんは、いたずらな目をして笑った。

 それを聞いた、デレクと三人娘さんは…


「今日は、もう仕事あがっていいよ!!明日も休んでいいから!!」


 なぜか…

 あたしに休みをくれた。



 〇高原夏希


 紳士にもらったチョコの金色の包みを剥がして口に入れると。

 俺は歌ってるさくらの腕を取った。

 驚いた顔で振り向いたさくらの頬を左手で包み込んで…

 そして、そのまま…キスをした。


 …ああ…さくらの唇だ…


 できればこのまま離れたくなかったが…


「あ…あああああ、お客様、ちょ…ちょっとそれは…困ります…」


 紳士が慌てた様子で走って来た。


「…全部買います。」


「…え?」


「チョコ、全部買うのでラッピングして下さい。」


「…全部?」


「はい。」


「店内の…?」


「全部。」


「……」


 紳士はすっ飛んで店に戻って。


 俺は…


「…ついてる。」


 さくらの唇についたチョコを指で拭って…舐めた。


「…なっちゃんも…ついてる…」


 さくらに…名前を呼ばれた。

 俺を『なっちゃん』と呼ぶのはさくらだけ。

 ああ…さくらだ…



「…とかしてくれよ。」


 もう一度…さくらの頭を抱きかかえて、深いキスをした。

 周りには野次馬がいたが…そんなのどうでもいい。

 さくらが…

 俺の首に腕を回したのが嬉しくて。

 もう、このまま人生が終わってしまえばいいのに。とさえ、思った。



 甘い甘いキスをして。

 離れがたかったが…ようやく体を離すと…さくらは少しばかり放心状態だった。


 …変わってない…

 白い肌…

 黒い髪の毛…

 細い指…

 きゃしゃな肩…



 チョコを買い占めるために店内に入ると、野次馬も数人ついて入って来た。


「買わない奴は入るなよ。」


 俺が振り返って言うと、数人は遠慮がちに外に出て。

 数人は…商品を手にして買うアピールをしていた。



「…俺、商売の邪魔になるな。バックヤードかどこかに入ってても?」


 さくらに聞くと。


「あ…うん…じゃ…あっちの奥に階段があるから…二階の事務所に…」


「分かった。」


 言われた通り、階段を上がって二階の事務所らしき部屋に入る。

 小さな部屋。

 店内に面した窓を覗くと、下では客の対応に追われる店員と、ラッピングをする店員達と、レジを打つ紳士と…


 エプロンをしたさくらが、ラッピングに加勢した。



「……」


 キスを思い出して…胸が熱くなった。


 …拒まれなかった…よな?

 これから…どうする?


 この三年間。

 どこで何をしていたのか。

 ずっと…一人だったのか…

 聞きたい事は山ほどあるが…

 さくらを追い詰めたくはない。


 俺と一緒にいる事で…前のようにストレスが溜まる可能性もある。



「……」


 しばらく店内を眺めたが、そばにあった椅子を引いて座る。

 ここは店員の休憩場所にもなっているのか、テーブルの上には食べかけのスナックの袋や、誰かが買おうとしているのか印のついたスーパーのチラシがあったり…


「…ん?」


 チラシの裏に、落書きを見付けた。

 …さくらの字だ…

 何かイベントの提案でもするのか、タイトルがいくつか書いてあった。


「ハッピーバレンタイン…これは企画が通ったのか…」


 つい、小さく笑う。

 エプロンをした女の子がハートのチョコを持っている絵が描いてあって…そこにsakuraとサインがあった。

 なるほど…この女の子は、さくらか。

 ははっ…似てるな。



「ハッピースノーデイ…ふっ…どんなイベントだよ…」


 その下には、雪だるまの絵。


「……」


 つい…次の企画を見て…口が開いたままになった。


「…ワンダー賞受賞記念…」


 当然、ボツになったらしいその企画の下には…

 さくらが『おめでとう』と日本語で書いてある紙を上に掲げて、跳びあがっている絵が…


 …届いてたのか…?

 俺のメッセージ…

 …なのに、会えなかったのは…

 なぜなんだろう…


 逃げ出してしまった罪を…抱えて…か?

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