第14話 あたしは…ひたすら眠った。

 〇森崎さくら


 あたしは…ひたすら眠った。

 もしかしたら、野口先生とたまきにかけた催眠術は、あたしにかかっていて。

 目が覚めたら悲しい事や辛い事は忘れていて…

 もう…苦しまなくてもいい環境に…


 …なるわけがない。



 目が覚めると、とてつもなく空腹だった。

 ふらつく足取りでベッドを降りて、声のする方に歩くと…



「大丈夫なの?もう丸二日眠ってるのよ?」


「息はしてるし、大丈夫だよ。」


「…あの子…まだ未成年じゃない?」


「ああ…でも向こうで名の売れたシンガーなんだぜ?」


「え?あの子が?」


「ああ。女のシンガーの中で、唯一俺が聴きたいと思える奴だな。」



 ……何だか…

 褒められてる。

 でも…嬉しくない。

 だって。

 歌えないし。



 歌うのが夢だった事自体が…もう、夢だった気がする。

 あたしは夢から覚めた。

 居心地のいい腕も、歌も、赤ちゃんも…

 もう、そこにはない。


 それでも…生きてかなきゃいけないの…?あたし…

 生きてくつもりなの…?



「……」


 無言で立ち尽くしてると。


「…何だよ。起きてるなら声かけろよ。」


 あたしに気付いた丹野さんが、手を取ってソファーに座らせた。


「…気になってるから、聞かせてもらっていい?」


 ふいに…丹野さんのお母さんが。


「あなた、妊娠…してるの?」


 あたしの目を見て言った。


「えっ?」


 丹野さんは、お母さんとあたしを交互に見てる。


「お腹…少し大きくない?」


「……」


 産んだら、すぐにペタンコになると思ってたお腹は…

 少しは違うけど…まだ…妊婦と言える感じ。

 大き目のコートを着てるから、コートを脱がなきゃわからないと思ってたけど…

 寝てる間に見られたのかもしれない…。



「…死産…だったみたいで…」


「え…まあ…それは…残念だったわね…」


「……」


 また…涙が出そうになって。

 眉間に力を入れるけど…


「ああ…ごめんなさい。」


 丹野さんのお母さんが、あたしの隣に座って…肩をさすってくれた。


「廉、お茶入れて来て。」


「なんで俺だよ。」


「いいから。」


「……」


 丹野さんが立ち上がってキッチンに向かうと。


「…家出して来たの?実家から?嫁ぎ先から?」


 小さな声で言った。


「…家出って言うか…出て行けって言われて…」


「まあ…」


「仕方ないんです…あたし…期待に応えられなかったから…」


「……」


 そうよ…

 歌も歌えない…

 赤ちゃんも産めない…

 貴司さんは…最初から、あたしとは契約だったし…


 一目惚れだ…って…

 好きだって…

 言ってくれたけど…



 愛してる。

 とは…

 言われなかった。

 …そんな資格も…ないけど…



「これから、どうするの?」


 丹野さんのお母さんは、心配そうに聞いてくれた。


 これから…

 そうだよね…

 これから…



「俺、年明けたらアメリカ戻るけど。おまえ、一緒に行くか?」


 お茶を持って戻って来た丹野さんが、何でもないようにそう言った。


「え…?」


しん臼井うすいとで暮らしてたんだけど、臼井うすいに女が出来て出てったんだ。」


「……」


 アメリカに…?

 全然、そんな選択肢なかった。

 ありがたい申し出だけど…それに乗っかったら…

 …なっちゃんに会う可能性がある…


 …会いたくても…もう会えない。

 土壇場で逃げ出しておいて。



「…高原さんに会うのが嫌なのか?」


「…嫌って言うか…会えないよ…」


 もし…

 周子さんと瞳ちゃんがそこにいたら…って思うと…

 まだ、あたしの中で消化されないままでいる想いが…



「事情はよく分からないけど…」


 それまで黙ってあたしと丹野さんの話を聞いてたお母さんが。


「深く考えずに、行きたい所へ行ったら?」


 あたしの背中を、優しく撫でながら言った。


「…え?」


「あなたはまだ若いんだから…やり直しなんて、いくらでもきくのよ?怖がらないで、進むことを考えたら?」


「……」


 進むこと…



「本気でやり直そうと思えば、若くなくてもできるさ。」


 丹野さんがお茶をすすりながら…何だか意味深な口調で言った。


「廉。」


「まったく…どいつもこいつも。後悔すればいいってもんじゃないんだぜ?やり直せよ。」


「……」


「……」


 丹野さんの言葉に、あたしだけじゃなく…お母さんまで黙った。

 …お母さんにも、後悔してる何かがあるんだな…って思った。



 やり直しがきく…?

 本当に…?


 あたし…

 なっちゃんの赤ちゃん…


 殺しちゃったのに…



 * * *


 〇森崎さくら


「え。なんて?」


 目の前の浅井あさいさんは、ドアを開けたまま…口も開いたままだった。


「だから、ここに住ませるから。」


 丹野さんは、何でもない事のようにサラッとそう言う。


「え…えーと…いやいやいやいや…それはちょっとあかんのんちゃう?」


 さすがに…そう言われると…胸が痛い。


 でも…そうだよね。

 二人はなっちゃんの後輩になるわけだし…



「ごめん、丹野さん。やっぱりあたし…」


「なんで。別にいいじゃん。気にすんなよ。」


れん、これ、高原さんは知ってはるんか?」


「知るわけねーじゃん。」


「んじゃ、ヤバいって。」


「だったらバレなきゃいーだろ?」


「おいおいおい…」


「あ…あの、ほんとに…ごめん…もう、いいから…」


しん、おまえ行き場のない未成年を放り出す気か?」


「そうやないけど…」


 玄関のドアの前で押し問答してると。

 近所の人達にジロジロ見られて。


「…まあ、中で話そ。」


 浅井さんが、大きくドアを開けた。



 あたしは結局…アメリカに戻る丹野さんにくっついて…まさかの渡米。

 …会えない…会えるわけがない。

 そう思う反面…

 少しでも近くで…なっちゃんと同じ空気を吸いたい。

 そう思ってしまう、勝手なあたしがいる。



 …やり直せなくても…

 片想いぐらい…してたっていいよね…

 あたし…ほんと…弱いな…



 丹野さんは、あたしが赤ちゃんを死産した事…

 誰にも言わないって約束してくれた。

 ぶっきらぼうだけど、優しくて…お兄ちゃんみたいな存在だなって思う。



「…正直、Deep Redを裏切るみたいで、嫌や。」


 浅井さんは腕組みをして、難しい顔。


「そうだろうけど…こいつにも、時間が要るんだよ。」


 丹野さんは、隣に座ったあたしの頭をクシャクシャしながら言った。


「…時間ねえ…」


「おまえにも分かるだろ。」


「……」


 丹野さんにそう言われた途端、浅井さんは伏し目がちになって。


「…まあな…」


 声も…小さくなった。


「…高原さんが、今どんな状態か…知ってるん?」


 そう言われて…胸が変な音を立てた。

 なっちゃんが…今、どんな状態…か?


 それはー…


「……」


「…一つだけ、聞いてええか?」


 無言になるしかなかったあたしに、浅井さんは少しだけ体を近付けて。


「なんで、高原さんの前から消えたん?」


 低い声で…言った。


「……」


「結婚式、挙げる予定やったんやろ?もう、何日か言う時んなって、なんで消えたん?」


「…それは…」


「晋、ほっといてやれよ。」


 丹野さんが止めてくれたけど。


「これ、答えたら…ここに住んでもええで。」


 浅井さんは…譲らなかった。


「嘘はなしや。」


「……」


 なんで…なっちゃんの前からいなくなったか…

 それは…


「…怖くなったの…」


「怖うなった?」


「彼の事…好き過ぎて…それだけで幸せだったのに、なっちゃんはあたしの事、もっともっと幸せにしてくれようとしてて…」


「……」


 今も…思い出すと胸が疼く。

 毎日が楽しくて幸せで。

 だけど…その裏では不安も付きまとった。

 こんな幸せ…絶対一生続かない…って。



「…藤堂周子さんの存在って、大きかった?」


「…全く関係ないって言ったら…嘘になるよ。可愛い娘さんがいて…あたしがいなかったら、三人は家族として…上手くいくんじゃないかって…」


「…晋、もうほっといてやれよ。」


「…せやな…悪かった。」


「…ううん…」


 浅井さんは立ち上がってキッチンに行くと。


「ほい。」


 丹野さんにビール。

 あたしに…ジュースを持って来てくれた。


「とりあえず、ようこそ。」


 そう言って、ビールを持ち上げられて。


「…宜しくお願いします。」


 あたしも…ジュースを持って、乾杯をした。


「胸は痛いけど、オフレコっちゅう事で…。」


 浅井さんは溜息まじりにそう言った。


「…ごめんなさい。」


「ま、時間が経てば何かが変わるかもしれないしな。」


「廉はのんきやな。」


「おまえが考え過ぎなんだよ。」



 ここから…

 あたし達三人の…


 新しい生活が始まった。



 * * *


 〇森崎さくら


「サクラ、後で在庫チェックしてもらえる?」


「はーい。」



 アメリカで生活を始めて、半年。

 季節は夏になった。


 思いの外…『シェリー』がシンガーとして知られていた事で…

 あたしは『さくら』をそのまま名乗ることにした。


 この半年の間に、丹野さんと浅井さんの呼び方が、『れんくん』と『しんちゃん』に変わった。

 二人とは友達のような、兄妹のような、クラスメイトのような、幼馴染のような…


 あたしは家から南に二つ通りを渡った場所にある、雑貨を扱う小さなお店『ケリーズ』で働いている。



 廉くんと晋ちゃんは、FACEの人気が出始めて…忙しくなって。

 あたしは一人で過ごす夜も多くなったけど…それも、また…いい。


 一人の方が…

 自分の愚かさや罪について…考えたり祈ったりする事ができる。



「…これ、可愛い…」


 あたしが新しい商品を手にしてつぶやくと。

 店のオーナーであるデレクが。


「手彫りは温か味があって、いいよね。」


 白い口ヒゲをさわりながら言った。


「ねえ、デレク。あたし…これ、買っていい?」


「え?」


「すごく気に入っちゃった…」


「んー…まあ、いいか。その代わり、大事にしておくれよ?」


「もちろん。」



 一目惚れ。

 それは、手の平ぐらいのサイズで。

 手彫りの…天使の置物だった。


 …赤ちゃんの事…思い出すと…

 今も、一晩中泣けてしまう。


 …時間が経つにつれて、悲しみが深くなった気がする…

 ちゃんと産んであげれてたら…

 今頃、あたしの指を握るその手は、どんなに可愛らしいものだっただろう…とか…

 あたしに笑いかけてくれる、その声は、その目は…どんなに、愛くるしいものだっただろう…とか。


 今更思っても仕方ないのに…

 あたしの、赤ちゃんへの想いは…どんどん深くなってしまう。



「これはおまけ。」


 仕事が終わって帰ろうとすると。

 デレクがそう言って、あたしに小さな紙袋をくれた。


「え?」


「サクラが来てくれるようになって、売上が伸びたからね。」


 そう言われて紙袋を開けると、写真立てが入っていた。


「わあ…素敵…」


 銀色の羽が模られたフレーム。


「私からのプレゼントだよ。明日から、また頑張っておくれ。」


 デレクは、おじいちゃんみたいな存在なのかな…

 ここには、あたしの他に三人働いてるけど…他の三人は三十代の女性。

 デレクの娘さん達。


 みんな、気のいい人達で。

 あたしは毎日楽しく働けるし…可愛がってもらえてる。



「おっ、帰ってたんか。」


「あれ?早かったね。廉くんは?」


 晩御飯を作ってたら帰って来た晋ちゃんに問いかけると。


「まだ事務所。」


 そう言って、あたしの手元を覗き込んだ。


 その日のスケジュールはドアの横に書き込んで出かけるから。

 夜にみんなが揃うかどうかは、そこでチェック。

 晩御飯を作ったり、掃除や洗濯をする事で、あたしは家賃を免除してもらってる。



「今日何?」


「カレー。」


「ほほっ。また汗だくにならなあかんのか。」


「えー、そんなに辛いかなあ?あたしのカレー。」


「こないだのより辛くしたら、間違いなく火を噴くで?」



 二人とも優しくて楽しくて。

 三人でいる時…あたしは束の間だけど、悲しみを忘れる。

 だけど、その楽しさが余計に…あたし、笑ってていいのかな…なんて…


 あたしは…今までよりも、もっともっと…

 幸せが怖くなっていた。




「晋ちゃんは彼女作んないの?」


 結局、廉くんから遅くなるって電話が入って。

 あたしと晋ちゃんは二人で晩御飯。

 晋ちゃんが辛そうな顔をして食べてるのを見て、あたしは全然平気なんだけどなって、ちょっと笑えた。



「彼女なあ…特定の相手を作る予定は、今んとこないな。」


「ふうん…まあ、忙しそうだしね。デートする暇もなさそう。」


「それこそ、臼井みたいに一緒に暮らさなあかんやろな。仕事して、帰って飯食って寝るだけみたいな生活やし。」



 三人で生活を始めて。

 この手の話には、触れた事はなかったんだけど…何となく今日は、聞く気になった。


 と言うのも…


 一昨日の晋ちゃんの洗濯物の中に、丸まった紙が入ってて。


『電話待ってる』


 ってメッセージ。


 ファンって感じじゃなかった。

 もう少し…親密な感じ…?

 だって、番号書いてなかったし…。



「おまえは?」


「え?」


「…まだ、高原さんに会う気にならへんの?」


「……」


 行儀が悪いけど、ついスプーンを口に入れたまま…晋ちゃんを見てしまった。



「まだ…って言うか、会えないよ…あたし、裏切っちゃったわけだし…」


「…そっか…やっぱ、そういう心理って…変わらへんねやな…」


「…そういう心理?」


「…裏切ったから、会えない、っちゅーの。」


「……」


 変わるわけがない。

 裏切って、傷付けて…傷付け続ける。



「…俺な…」


 ふいに晋ちゃんがスプーンを置いて。


「こっち来る時、付き合うてた女がいてな。」


 少しだけ、口元を笑わせて言った。


「…え?」


「ええとこのお嬢さんで、絶対俺なんかとは釣り合わへんし、一人娘やし…こっちに来るのも無理や思うてた。」


「……」


 あたしも…スプーンを置く。



「けど、あいつは…ついて行く、言うてくれて…おふくろさんにも、挨拶行って了解もろた。」


「…それで…?」


「…来ぃへんかった。」


「……」


「最初は、何でや…って腹立ったし、わけ分からへんし…あいつを恨む気持ちも多少なりともあったし…もう、ぐっちゃぐちゃやったな…」


「……」


「けど、あいつも悩んだはずなんや…跡継ぎでもあったし…」



 あたしは…

 何も言えなかった。


 晋ちゃんの彼女は、あたしとは違う…

 あたしみたいに、幸せが怖くて逃げたんじゃなくて…

 何かを犠牲にしてまで幸せになる事ができなかった。


 …あたしにも…周子さんと瞳ちゃんを悲しませてまで…って気持ちはあったけど…

 結局は、怖いって気持ちの方に負けた。


 弱いだけ。



「あいつ…アホなんや。」


 ふいに、晋ちゃんが頬杖ついて…小さく笑った。


「…アホ?」


「ああ…アホ。」


「…なんで…アホ?」


「……俺の子供、妊娠してたみたいでな…」


「…え…」


 心臓が…

 バクバクした。


「その…子供…は?」


「…産んだらしい。」


 産んだ…?


「……晋ちゃん、会いに行かないの…?」


 あたしの問いかけに、晋ちゃんは目を伏せると。


「あいつの覚悟を思うと、それはできひんな思うた。」


 静かな声で言った。


「…覚悟…?」


「たぶん、俺の子供なんか産むなって、周りから反対された思う。それでも産んだって事は…」


「……」


「自分は、一生そこで子供と生きてくって決めたんやろなって。」


「……」


 晋ちゃんの言葉を聴いた瞬間…一気に涙が溢れた。

 晋ちゃんの彼女の覚悟が…

 あまりに、強くて。

 強すぎて。


 あたしみたいに、中途半端で…逃げてばかりの生き方…

 その、彼女の覚悟に…自分の弱さを思い知らされた。



「…何でおまえが泣いてんねん。」


 晋ちゃんが笑いながらティッシュボックスを差し出す。


「……晋ちゃんも…彼女も…すごいと思って…」


 涙は、拭いても拭いても溢れてしまって。

 そんなあたしを、晋ちゃんは優しい目で見てる。


「…すごうなんか、ない。おまえやないけど…会いたいけど怖い思うのが先やしな…」


「……」


「なんちゅうか…」


 晋ちゃんは思い出したようにスプーンを持って一口カレーを食べると。


「おまえ見とると、自分見とるみたいで…かっら…」


 大げさに辛がった。


「…自分見てるみたいで…イヤ?」


 あたしも、スプーンを持ってカレーを一口。

 …美味しいよ…普通に。



「いや…」


 晋ちゃんは水を一口飲むと。


「自分は会えへんけど…その分おまえには頑張って欲しい思う気持ちが強い。」


 そう言って。


「おまえが進めたら…俺もなんや…新しい道に進める気がすんねん。」


 残りのカレーを一気に食べて。


「あー…辛い。おかわり。」


 汗を拭きながら、そう言った。

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