第13話 「さくら!!」

 〇桐生院さくら


「さくら!!」


 貴司さんの声が聞こえたような気がした。

 でも、苦しくて、痛くて、もう…


「いやっ!!もうダメ!!」


 あたしは、そんな事しか叫べない。


「もうちょっとよ、頑張って。」


「はい、もう一回。」


 周りで、のんきな声が聞こえる。


 何がもうちょっと?

 何がもう一回?

 もう無理!!

 無理無理無理無理無理無理!!


「いやだ!!」


 産んで…どうするの?

 今更、そんな事を思った。

 産んだって、貴司さんは父親じゃない。

 なっちゃんには、瞳ちゃんがいて。

 周子さんもいて。

 あたしは…帰る所なんてないのに…!!



「もう少し!!もう少しよ!!」


「さっきからそればっかり!!もう嫌だー!!」


 何時間こうしてるの!?

 もう、力も出し尽くしたのに、まだダメなの!?

 苦しいよ…

 なっちゃん…

 苦しいよ…!!



「さくら、頑張れ。頑張れ!!」


 貴司さんが手を握ってくれるけど…

 簡単に頑張れなんて言わないで!!



 どうして…どうして!?

 どうしてあたしは…

 こんなに弱いのよ!!



「さくら、しっかりなさい!!」


 お義母さんが、大きな声で言った。


 …そうよ…

 あたし、しっかりしてよ。

 じゃないと、赤ちゃんだって…


 …もしかして、産まれるのが嫌なの?

 こんな母親の所に、産まれたくないって…

 だから、こんなに産まれるのを嫌がるの?



 …お願い。

 早く…あたしに会いに来て。

 あたし…

 頑張るから。

 あなたの、お母さんになるから。


 頼りないけど、ほんと、頑張るから。

 ほんとよ…?

 あなたのために…

 強くなるから…‼︎



「産まれた!!」


「…はっ……は……」


 意識がもうろうとして…

 そこからは、よく覚えてない。



 気が付いたら、点滴を受けてた。



「……」


 誰も…いない。

 あたし…赤ちゃん…産んだよね…?



「……」


 起き上がろうとすると。


「ああ…目が覚めたか…」


 貴司さんが、入って来た。


「…あたし…」


「…こんな事なら、病院で産めば良かった…」


 貴司さんは少しだけ…冷たい声。


「…え?」


「さくら、もう…いいから。」


「…何…言ってるの?」


 貴司さんは…今まで見た事もないような冷たい顔で、あたしを見下ろしてる。


「…子供は死んだ。」


「………え…」


「…おまえが…産むのを嫌がったからだ…」


「……」


 貴司さんの言葉が、入って来なかった。


 なんて言ったの?

 誰が、どうしたって言った?



「……もう…用はない。出て行ってくれ。」


 貴司さんが…まるで別人のようだった。

 冷たい顔、冷たい声…



「…貴司さん…ど…どういう事…」


「…子供もいなくなった事だし…契約は破棄だ。」


「……」


「アメリカに戻って、また歌えばいい。」


「…何…何言ってるの…?」


 赤ちゃん…

 死んだ…?

 あたしが…嫌だって言ったから…?



「もう、自由だ。好きにすればいい。」


「貴司さん…」


「二度と俺に顔を見せるな。」


「……」


 パタン。と…襖が閉まって。

 あたしは茫然としたまま…天井を見つめた。


 …あたし…

 赤ちゃんを殺した…?

 赤ちゃん…あたしに…会いに来てくれなかった…


 あたし…

 あたし…

 もう…


 今度こそ…



 終わりだ。




 〇山崎浩也


「…浩也さん。」


 今朝、起きた時に枕元にプレゼントがあった、と。

 まだまだ可愛い三人兄弟が喜んでいたクリスマスの夕刻。

 たまきが遠慮がちに声をかけて来た。


「どうした?」


「…倒れてるんです。」


「倒れてる?誰が。」


「…さくらちゃ…さくらさん…」


「……」


 俺は周りを見渡して、環を門の外に連れ出すと。


「どこで見た?」


「AZM155YDの植え込みです。」


「それで?」


「私一人では…どうにもならないので、毛布を持って行きました。脈は正常でしたが…」


「……」


「…苦しそうでした…」


 俺はすぐに、そこへ…環と向かった。


「…この事、誰かに話したか?」


「いえ…」


「悪いけど、誰にも言わないでくれ。万里まりにも沙耶さやにもだ。」


「…かしらにも…?」


「…悪い。頼む。」


「…分かりました…」



 環の言った場所に行くと、さくらが…毛布にくるまって横になっていた。



「…さくら。さくら。」


 小さく声をかけると、さくらはうっすらと目を開けた。


「…ヒロ…?なんで…」


「大丈夫か?何があった?」


「……」


「さくら。」


「……」


 さくらは呼吸が浅くなって、目を閉じた。


「…病院に運ぼう。」


「救急車呼びますか?」


「いや、野口先生の所へ。環、先に走って行ってくれないか?」


「分かりました。」


 さくらを毛布にくるんで、抱きかかえようとして…


「……」


 さくら…

 もしかして…妊娠…?


 あまり振動を与えないように、ゆっくり移動した。

 野口先生は町医者で、表は息子さんが経営されてるが…裏では、二階堂専属のお父さんが診てくれる。



「浩也さん、こっちです。」


 環が誘導してくれて、病院の裏側から二階の病室に入った。


「…出ててくれるかな?」


 野口先生はさくらの様子を見て、俺達にそう言った。


「…ヒロ君…さくらちゃん大丈夫かな…」


 俺の背中に隠れながら、環が言った。


「ああ…」


「あ…ごめんなさい…浩也さん…」


「……」


 俺は環の頭を撫でて。


「今はいいよ。環…さくらを見付けてくれて、ありがとな。」


 心からの気持で、そう言った。



 …真っ青だった…

 もし環が見付けなかったら…



 しばらく待つ事になりそうだった。

 だが…俺はこれから稽古がある。

 さくらの事を知られるわけにはいかない。

 だとしたら…それを休むのは不自然だ。

 でも…


 少し考え込んでいると。


「…浩也さん、ぼ…私は冬休みなので、ついていられます。稽古に行ってください。」


 環が遠慮がちに言った。


「…でも、課題があるだろう?」


「昨日済ませました。」


「……」


 環の言葉に小さく笑う。

 万里は毎日コツコツやるタイプで、沙耶は遊んで最後に残すタイプ。

 環はいきなり初日にか…。

 三人の弟達は、本当に三者三様で楽しいと言うか…

 それぞれに違うと言う事は、とても頼もしい。



「じゃあ…頼んだぞ。もし何かあったら、稽古中でもいいから呼びに来てくれ。」


「分かりました。」



 野口先生にさくらをお願いして、後ろ髪をひかれながら二階堂に戻る。

 稽古に集中しなくてはと思いながらも、雑念は消えなかった。

 師範の甲斐さんにもそれはバレてしまって…


「ヒロ、どうした?おまえらしくない。」


「すみません。しっかりやります。」


 集中しろ…

 自分に言い聞かせて、何とか…稽古を終えた。



 環から特に連絡はなく。

 俺は着替えを済ませるのももどかしく、病院へと急いだ。



 しかし…



「…環?環、どうした。」


 ベッドにいるはずのさくらはいなくて…

 そこに、環が眠っていた。


「環。」


 何度か揺さぶると。


「…え…ここ…は?」


 環はまだまだ眠そうな顔で、病室を見渡した。


「さくらは?」


「…さくら…って?」


「……」


 俺は二階の診察室に向かう。


 野口先生は…


「……先生…先生!!」


 先生は診察台の上で、眠っていた。


 これは…

 さくらが?



 アメリカ研修の最終科目を、合格点が取れて…尚且つ、選ばれた者だけに…学ぶ資格のある催眠術。

 深い眠気と一時的な記憶の削除。

 なぜ…さくらが?


 病院の外を探したが、さくらは見つからなかった。

 …環の記憶を消すぐらいだ…

 知られたくない…追われたくないのだろう…


 俺は肩を落として病院に戻り。

 まだ少しボンヤリしている環を連れて、二階堂に戻った…。



 〇森崎さくら


「……」


 手の平が…熱くなった。

 催眠術なんて…失敗したら、大変な事になるのに…

 あたしは、それを使った。



 目が覚めると、知ってる病院にいて。

 二階堂の者が診てもらう病院だって気付いて…

 野口先生は、あたしに…まだ無茶はできない体だから、しばらく休んでいなさい。って言った。


 …行く場所がない…

 とりあえず…ここにいるしかない…


 だけど。

 ヒロが、来る。

 あの子…

 三つ子みたいな、三人の男の子の一人。

 …環って言ったっけ…

 彼が、後でヒロが来るって教えてくれた。


 …会えないよ…

 こんなあたし…



 トレーラーハウスに届いてたカリキュラムに。

 催眠術の事が書かれていた。


 なぜあたしに?

 これって、高等枠に入れた人が受けるんじゃ?

 って…疑問だったけど…


 最後のページを見て、意味が分かった。



 二階堂を抜けるなら。

 自分で…記憶を消せ、と。


 でも…あたしには、消せなかった。

 ヒロとの…思い出…

 嫌な事ばりかじゃなかった…二階堂での出来事…


 …まさか、他人に使うなんて…

 先生と環…大丈夫かな…



 結局あたしは病院の備品庫で、息を潜めた。


 …できれば…

 今の、自分の記憶を消したい…

 気を抜くと、すぐそんな気持ちが湧く。


 ダメだよ。

 あたし…ちゃんと…罪を背負わなきゃ…

 あんなにいい人達を…傷付けたんだもん…


 …赤ちゃん…

 ごめんね…


 涙は…渇く間もなく、溢れた。

 あたしぐらいの年齢で、ちゃんと出産して育ててる人って、たくさんいるはずなのに…

 あたしは…まだまだ子供だったんだ…って、ガッカリした。


 …怖かった。

 でも…一番会いたい存在だった。

 なのに…あたし…もう無理、とか…嫌だ…とか…

 …あたしが…殺したようなもんだよ…


 悲しくて…悲しくて…

 悲しみで死ぬ事ができるのなら、あたしは何万回も死ねるのに…って思った。

 だけど悲しみは、反対に…強さも生む。

 あたしは…罪を背負わなきゃいけないんだ…って。

 変な使命感に囚われてた。



 これから…どうしよう…かな…

 この街には…もういられないし…



 備品庫で三日休むと、体調も良くなって。

 あたしは、年の瀬で賑わう街に紛れ込んだ。



「……」


 ふと…『音楽屋』という店の前で…Deep Redの今が気になった。


 桐生院には、テレビがなくて。

 ステレオも、ラジカセも、なくて。

 ニュースはラジオで。

 だけど…音楽を聴く習慣はなかったのか…

 音楽番組のような物が流れた事もない。


 静かな…世界だった。



 あたしは音楽屋に足を踏み入れて…

 すぐその奥のギターのコーナーに、マノンさんのポスターを見付けた。

 …ドキドキした。

 日本でも…こんなに有名人なんだ…

 何か…雑誌みたいな物…ないかな…


 あたしはさりげなく店内を歩いて、レコードのコーナーを見付けた。

 …Deep Red…新作は…出てないんだ…

 でも、やっぱり日本でも人気なんだな…

 こんなに目立つ場所に置いてあるなんて…


 その先に、音楽雑誌のコーナーがあった。

 あたしは逸る胸を抑えて…そこに近寄る。


「……」


 ある雑誌を手にして…パラパラとめくると。

 Deep Redではなく、FACEが取り上げられていた。


 …丹野たんのさん達…

 頑張ってるんだ…


『現在ボーカルの高原夏希の不調が取沙汰されているDeep Redに代わり』


「………」


 その一文に、目が止まった。


 ボーカルの高原夏希の不調…



「さくら。」


「!!」


 雑誌に気を取られてて、気付かなかった。

 彼がそこにいて。

 あたしの腕を、強く…掴むまで。



「なんで、こんな所に…?」


「…丹野さん…」


 あたしの腕を掴んだのは…丹野さんだった。

 あたしは手にしてた雑誌を元の場所に置くと。


「…丹野さんこそ…どうして日本に?」


 目を見ずに言った。


「短いけどオフができたから、久しぶりに親の顔でも見に帰ろうと思って。」


「…優しいんだね…」


「…おまえはどうしたんだよ。あっち、大変な事んなってたぜ?」


「……」


「…ま、色々あるか…」


 丹野さんは、あたしの腕から手を離すと。


「で、おまえ…今どこにいんの。」


 コートのポケットに手を突っ込んで言った。


「…行き当たりばったり。」


「はあ?」


「…その日、大丈夫そうな場所で眠ってる。」


「……」


 丹野さんは、ポカンとした顔であたしを見て。


「信じられねー女だな…」


 口を歪めて言った。



「実家、一緒に来るか?」


「え?」


「どうせ、おふくろだけだし。」


「……」


「こんな時期に外で寝るとか、やめろよ。」


「……」


「何があったかは知らないけどさ…もっと自分を大事にしろ。」


 丹野さんが優しい言葉をかけてくれるのに…

 あたしの心には、何も沁みなかった。

 この人、何言ってるんだろう。って。

 …ダメだなあたし…

 もう、気持ちも汚れちゃったよ…


 …赤ちゃん、殺しちゃったんだもん…

 綺麗なわけがない…



 もう、こんなあたし…

 どうでもいいや…



「…うん。行く。」


 あたしの表情は…相当ヤバかったのか…

 丹野さんは、あたしの肩を抱き寄せるんじゃなく。

 あたしの腕に、自分の腕を絡ませて歩き始めた。


 …難しいんですけど…


 って思ったけど、言わなかった。



 丹野さんの実家は、タクシーで北に向けて30分走った場所だった。

 少し寂しい場所だったけど、明るい時は景色がきれいなんだろうなと思った。

 今夜は…新月で暗い。



「ただいま。」


 丹野さんが玄関のドアを開けると。


れん…早かった……そちらは?」


 丹野さんと良く似た女の人が出て来た。


「バンド仲間。さくらっつーの。」


「……さくらです…こんばんは。」


 深々と…お辞儀する。


「…はあ…彼女?」


「バンド仲間っつったじゃん。飯ある?」


「あるけど…お客様なんて聞いてなかったから…」


「あ…あたしはお構いなく…」


 休みたかった。

 街に出たせいか…また体がだるくなった。

 もう…立ってるのも辛い…


「飯ぐらい食えよ。」


「ううん…ほんとに…」


 足がふらついて。


「さくら?」


 丹野さんが、あたしの肩を支える。


「わりい。ちょっと、横にしてくる。」


 丹野さんはお母さんにそう言うと。


「よっ。」


 ひょい、と。

 あたしを抱えた。

 本当は…嫌だったけど…

 嫌がる声も出せない。



 とにかく…

 言いようのない嫌悪感に襲われた。

 だけどそれは、丹野さんにじゃない。

 自分自身に…だ。


 あたしは…



 汚い。

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