第12話 「さくら、見てごらん。」

 〇桐生院さくら


「さくら、見てごらん。」


 お義母さんが、はしゃいだ声を出した。


「えっ…どうしたの…これ…」


 あたしはそれを見て、目を丸くする。


 …それ。

 リビングに…ベビーベッドやベビーバス…

 肌着やおむつやミルクグッズ…



「今朝、貴司が時間が空くって言うから、買って来たんですよ。」


「あ…そうなんだ…」


 …なんだろ。

 本当なら、あたしも行きたかったのに!!って…

 言うべき…?



「ありがとう。」


 ベッドに触りながら小さく言うと。


「あ…ごめんね…最近、さくらはあまり調子が良くなさそうだから…勝手に選んでしまって…」


 お義母さんは、すごく申し訳なさそうな顔。


「えっ…あっ、ううん。あたしが行ったら、長くなっちゃうから良かったよ。」


「…そう…?」


「うん。あれもこれも欲しくなっちゃったかも。」


「もう、ベビー服なんて可愛くて大変。」


 お義母さんは、楽しそうに紙袋を開けた。


 …ふふっ。

 本当に…嬉しそう。


 でも…

 こうやって、喜んでもらうと…それ以上に罪悪感が膨らむ。

 そして、それを感じるたびに…お腹がキリキリと痛む。


 お腹の子にも…責められてる気がする…

 嘘つき。って…



「…お義母さん…」


「なあに?」


「…お義母さんは、お義父さんとは…恋愛結婚?」


「え?」


 紙袋から服を出してたお義母さんは、驚いたような顔であたしを見た。


「なんですか…突然。」


「…ちょっと、聞いてみたくなった。」


 あたしは次々と出てくる赤ちゃんの服を、まるで他人事のような感覚で眺めてしまってる。

 …これってさ…

 あたし…

 自分が妊娠してるって自覚が…足りないのかな…


 だけど、今も時々。

 広縁の藤の椅子に座って。

 庭を眺めながら…歌う。


 If it's love


 それは愛なの?ってみんなに聞かれる。

 あたしは笑顔で答えるわ。

 愛よ。

 愛以上よ。



 そんな時は…

 まるで、世界中に、あたしと…お腹の子、二人きりのような気がする。



 早く会いたいね。

 会って、あなたに触れたいよ。

 ギュッと抱きしめて…

 一人じゃないって感じたいの。


 それは愛なの?って、みんなに聞かれる。

 あたしは笑顔で答えるわ。

 愛よ。

 愛以上よ。

 愛以上なのよ。



 少し歌詞を変えて…

 お腹の子に、歌いかける。


 でも…時々それが、なっちゃんに向けられてる事…

 気付いてるのに…知らん顔するあたしがいる。



「…私は、お見合い結婚ですよ。」


 ふいに、お義母さんが話し始めた。


「そっか…あっ、そう言えば…貴司さんにも婚約者がいるって…」


 急に思い出して青くなった。

 ここに来た時、お義母さん言ってたよね…


「ああ…昔々の、華道の家同士で決めた事で、無効にしても構わないような話ですよ。」


「…そうなんだ…じゃあ、お義母さんも…?昔々の決め事でお見合いしたの?」


「ええ。」


「…好きな人は…居なかったの?」


「……」


 ベビー服を手に。

 お義母さんは少しだけ優しい顔をした。


「憧れている人ならいましたけどね。好きと言うほどでは…」


「…ほんと?」


「…どうして。」


「…今、ちょっと赤くなった。」


「…大人をからかうんじゃありません。」


「だって、聞きたいんだもん。」


「…さくらは、どうして貴司を?」


「…えっ…」


 ドキッとした。

 どうして…貴司さんを好きになったか…?



「や…優しいし…」


「男は優しいだけじゃねえ…」


「…お金持ちだったから。」


「……」


「……」


「…本当に…この子は…」


 お義母さんは溜息をつきながら。


「外で言うんじゃありませんよ?」


 眉間にしわを寄せた。


「でも本当だし…」


「心にもない事を言わないの。」


「……」


 心にもない事…

 その事が…あたしの胸に小さく刺さった。


 心にもない事…



 貴司さんを、愛してる…

 …愛してる?

 お腹の子は…

 貴司さんの…


「…さくら?」


「…お義母さん…」


「ん?」


 言っちゃダメだよ。

 約束…したじゃない。


 でも…


「お義母さん…あのね…」


 リビングには、赤ちゃんのために揃えられた品々。

 あたしは、来月赤ちゃんを産む。

 だけど…


 その子は…

 桐生院家とは…血の繋がりは…


 ない。



 * * *


「…貴司さん。起きてる?」


 天井を見ながら、話しかける。


「どうした?眠れない?」


「うん…」


 サイドテーブルにあるライトの明かりが、一つ明るくなった。


「母さんが気にしてたよ。さくらが元気がないって。」


「え…」


「何か気になる事でもあるのかい?」


「……」


 あたしは小さく溜息をついて。


「…お義母さん…すごく楽しみにしてくれてる…」


 つぶやくような声で言った。


「ああ。」


「……」


「それが?」


「…うん…」


 ゆっくりと、起き上る音。


「絶対、言っちゃダメだよ?」


 少しだけ…声が近付いた。


「……」


「さくら。」


 貴司さんはベッドに座ると。


「約束したよね?」


 静かな声で言った。


「…うん…」


「大丈夫。さくらは元気な赤ちゃんを産む事だけ考えて。」


「……分かった。」


 あたしが小さく答えると。


「…ここでの生活が、不満かい?」


 優しい声。


「まさか。」


 あたしは体の向きを変えて、貴司さんを見る。


「すごく…良くしてもらって、申し訳ないぐらい…」


 本当に。

 心から、そう思う。

 お義母さんも貴司さんも、とても優しい。

 大好き。

 …家族みたいだもん。


 うん…

 家族だもん…ね…



「…さくら、おいで。」


「……」


 貴司さんが、あたしを呼ぶ。

 あたしはベッドから足を下ろして…ゆっくりと起き上がると。

 手を引かれて、貴司さんのベッドに入った。


 ずっと、違う部屋で寝てたけど…

 最近になって、同じ部屋で寝るようになった。

 何かがあった時に困るからって。

 貴司さんが申し出てくれた。



「大丈夫。」


 貴司さんが、あたしの頭を撫でながら…そう言った。


「…うん…」


「おやすみ。」


「…おやすみなさい。」



 貴司さんは…

 早くに亡くなったお義父さんの後を継いで、映像会社の社長になった。

 そのお義父さんとやらは、とても厳しい人で…

 貴司さんは、甘える事を許されない環境に育ったせいでか、人に甘える事も、何かを欲しがる事も苦手だ…と。

 お義母さんから聞いた。


 …うん。

 全然…あたしに何かして欲しいとか言わない。

 一度、歌って…って言われたけど…

 あたしの声が出ないって察してくれてからは…二度と言わないし…

 …ガッカリさせちゃったのかな…と思う。


 歌ってるあたしに、一目惚れしたって言ってたのに…

 あたし、今は歌も歌えない。



 貴司さん、少しだけ…なっちゃんに似てるとこがある。

 バカ真面目って言うか…

 決めた事をちゃんとやる所とか…


 だから、もしかしたら…

 好きになろうとしたら、好きになれるんだと思う。

 …ううん。

 好きだよ…?

 うん…


 ただ…

 それは、なんて言うか…

 なっちゃんみたいに…燃え上がるような、熱い気持ちじゃない。

 静かに…一つの物を分け合うような気持ちと言うか…

 上手く言えないけど…


 貴司さんとは、お互いを欲するような気持ちにはならないけど…


 …あたし達は…

 夫婦だ。


 …夫婦…

 ……夫婦って…なんだろ…。



 * * *


「今日は一段と寒いこと。さくら、冷えないようにしておきなさいよ。」


 お義母さんがあたしの肩にショールをかけながら言った。


「うん…」


「…おや、顔色が悪いね。」


「なんだか…お腹が張っちゃって…」


「横になる?」


「うん…そうする。」



 今日は…クリスマスイヴ。

 出産予定日は先週だった。


 初産は遅れるから、って。

 お義母さんは、あたしを不安にさせないように…ニコニコしてくれてる。



 貴司さんと…約束してたのに。

 あたしは、お義母さんに…告白してしまった。

 あの、リビングがベビー用品で溢れてた日。

 大好きな人に…嘘をつくのは、もう辛い。

 そう思って…告白した。


 限界だった。

 あたしが罪悪感に苛まれると、お腹がキリキリと痛んでた。

 それって…赤ちゃんに責められてるんじゃないかな…って。



 ベビー服を手にして、あたしは言った。


「お義母さん…許して…」


「…許す?何を…」


 お義母さんはあたしの手を握って、隣に座った。


「あらあら…どうして泣くの…お腹に良くないですよ?」


 隣に座って…あたしのお腹に触りながら。


「何か辛い事があったの?貴司とケンカでも?」


 優しい声で言ってくれた。


「…ううん…貴司さんは…ずっと優しい…」


「もしかして、検診で何か…」


「ううん…順調って…」


「…じゃあ…いったい…」


 あたしの涙を、お義母さんはティッシュで拭きながら。


「初めてのお産だものね…誰だって不安ですよ…でも、大丈夫よ。ずっとついてるから。」


 そう言った。


「…ごめん…お義母さん…」


 もう、ダメだ。

 貴司さん、ごめん…


「さくら…何があったの?」


「あたし……」


「……」


「…赤ちゃん…違うの…」


「…違う?何が…」


「…貴司さんの…赤ちゃんじゃないの…」


「…………えっ……?」


「ごめんなさい……」


「……」


 しばらく…沈黙が続いた。



「…貴司は…この事を…」


 お義母さんが、振り絞るような声で言った。


「…知ってる…」


「……」


「知ってて…あたしと結婚するって…言ってくれて…」


 あたしの手を握る、お義母さんの手が…

 すごく冷たくなった気がした。


「…ごめんなさい…ごめんなさい…」


 涙が、ポロポロとこぼれる。

 あたし…

 みんなを傷付けてばかりだ…


 これってさ…

 あたしが弱いからだよね…?

 弱いから…

 なっちゃんから逃げて…

 貴司さんにおんぶに抱っこになって…

 お義母さんを傷付けて…



「…父親は…誰なんです…?」


「……」


「もしや…事件に…」


「違う…」


「…ちゃんと…好きな相手の…子供なの?」


「……」


 あたしは、返事をする代わりに…小さく頷いた。


「どうして…」


 お義母さんの言葉は…

 信じられない物だった。



「どうして、ここに来たの。」


「…え…?」


「その人と、どうして一緒に産んで育てようとしなかったの。」


「……お義母さん…」


「今でも、その人の事を好きなんじゃないの?」


「……」


 お義母さんを見つめた。

 お義母さんも…泣いてる。



「今からでも、その人の所へ…」


「もう…戻れないよ…」


「どうして。」


「…あたしが妊娠したこと…知らないし…」


「え…?」


「いいの。あたし、彼と一緒にいたら…好き過ぎて…壊れそうで…壊しちゃいそうで…」


 もう、止まらない。

 ずっと押し殺してた…あたしの気持ち。



「…バカだね…さくら…」


 お義母さんはあたしをギュッと抱きしめて。


「苦しいぐらい好きなのに…どうしてその人から離れたりしたの…」


「だって…」


「貴司が、その人の代わりになれると思う?優しいだけで、つまらない男でしょう?」


「何…何言ってんの…お義母さん…自分の息子に…酷いよ…」


「…そうだね…でも、私はさくらが可愛い。どうか…本当に愛する人の所へ…」


「ダメなの…あたし、彼の赤ちゃんなんて…」


 涙が止まらなくて。

 自分でも、言ってる事が支離滅裂で。

 だけどお義母さんは、あたしの背中を優しく撫でながら。


「…さくらには、幸せになって欲しい…子供の事なら…心配しなくていいから…さくらは好きな人の所へ戻っていいんだよ…」


 耳元で、繰り返しそう言った。



 そして…


「私に話した事を、貴司には秘密にしておきなさい。」


 …結局…あたしは、貴司さんにも秘密を作った。



 きっと…罰なんだよ…って。

 あたしはそれを受け入れた。

 苦しくても…

 自分が楽になるために、告白なんかしちゃいけないんだって、後で気が付いた。


 あたしの告白は、誠意なんかじゃなかった。

 楽になりたかっただけの物。



「…う…」


 横になろうとして…違和感を覚えた。

 すると、パンッて弾けるような音がして…


「あっ……」


 何これ…


「お…お義母さん…」


 あたしはうずくまりながら、お義母さんを呼ぶ。


「お義母さん!!」


 やがて、バタバタと足音がして…


「さくら!!ああ…破水してるね…大丈夫ですよ。助産婦さんが、すぐに来てくれますよ。」


 お義母さんは中岡さんを呼んで、二人がかりであたしを布団に横にすると。


「すぐに赤ちゃんに会えるから。」


 二人で…そう言ってくれた。

 でも…

 それからは…


 もう…あたしにとっては…




 地獄でしかなかった。


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