第11話 「さくら、これはどう?」

 〇桐生院さくら


「さくら、これはどう?」


 …お義母さんが…次々とあたしに反物を見せる。


 正直…すごく、辛い。

 お義母さんはすごく優しくて。

 あたしの事、本当の娘みたいに思ってくれて…


 最初は、すごくとっつきにくい人だったけど。

 あ、でも全然…あたしは気にしてなかったけど…



 貴司さんは、あまり家に居ないし…

 お義母さんとあたしは、義理の親子って言うより…

 本当の親子みたいなのだと思う。

 チョウさんにも、中岡さんにも言われた。


 嬉しいし…楽しい…けど。

 お腹の子は、貴司のさんの子供じゃない。

 あたし…

 このまま、騙してていいのかな…

 お義母さんの事…大好きなのに…



「…お義母さん、いいよ。あたし、着物ってガラじゃないし…」


「まあ、何言ってるの?お産をしたら、お披露目するって決めたでしょう?その時には着物がいいわよ。」


「……」



 元々…桐生院家には、親戚が少なくて。

 その数少ない親戚にも…貴司さんの結婚は、知らされてない…。

 子供が産まれたら…報告を兼ねて、お披露目会をしようって話になったけど…


 …あたし…



 お義母さんは楽しそうに反物を眺めてて。

 それを見てると…

 夢を壊したくない気持ちと…

 でも、嘘をついてるのが辛い気持ち…


 …貴司さんは…

 このままでいいんだろうか…



「…さくら?調子でも悪いの?」


 黙ってしまったあたしの顔を、お義母さんが覗き込む。


「…ううん。何でもない。」


「午後から検診だったかしらね…私がついて行ければよかったんだけど…」


「大丈夫。お弟子さん達を休ませてまで、あたしに付き合わないで。」


 たまには、一人で出かけたいし。

 なんて…口には出せないけど。


 ここに来て、あたしが外に出たのは…検診の時だけ。

 その何度かも、一人で行く事は少なくて。

 …貴司さん、もしかして…あたしが逃げるとか思ってるのかな…



「行って来ます。」


 チョウさんに声をかけて、門を出る。

 お弟子さん達に会わないように、少し早めに出た。


 …名家なのに…あたしみたいなお嫁さんの存在って、大丈夫なのかなあ。

 いつもそれが気になって仕方がない。

 貴司さんもお義母さんも、気にしなくていいって笑うけど…

 何となく…あたしの存在って、隠されたままだし。



 いつもは貴司さんの車とかタクシーだけど。

 早めに出た事だし…歩いて行こう。

 この街の事は、あまりよく知らないけど…歩くと楽しい発見もあるかも。


 病院までの道のり、記憶を頼りに歩くと、40分ぐらいかかった。

 順調ですね。って診てもらえて、帰りも歩く事にした。

 そう言えば、来た方向と違う道も通った事があったっけ。

 あっちを通ってみよう。



「ん~んん~…」


 気分がいい。

 鼻歌なんかも出ちゃう。

 少し大きめのダッフルコートは、貴司さんのお下がりを直した物。



「あ。」


 この道…見覚えがある。

 確か、ここを真っ直ぐ行ったら公園があって…


 あたしは何かに導かれるかのように、その道を歩いた。

 すると…


「わあ…」


 一面、イチョウの葉で黄色。


「すごーい…きれい…」


 嬉しくなって、足元のイチョウを軽く跳ねるようにして歩く。

 昔…一度だけ、こんな景色を見たような気がする。

 ここ…だったのかな。

 だとしたら、ここって…二階堂のある街?


 二階堂にいた頃は、あまり外に出る事がなくて。

 たまにある買い出しが楽しみで仕方なかった。


 …ヒロ、元気かな…

 そう言えば、ヒロが弟みたく可愛がってた三つ子みたいな男の子達も…

 そろそろ進化ゾーンに入る頃じゃないかな…

 あたしは苦手だったなあ。

 敬語。

 よくヒロに叱られてたっけ…



 バサッ


 バサッ


 ふふ…楽しい。



 …なっちゃんの事は…

 今も好きで…

 好き過ぎて…

 思い出すたびに泣いちゃう。

 だから、思い出さないようにしちゃう。



 もっと、等身大のあたしでぶつかれたら…良かったんだよね…きっと。

 歳が離れてたから…

 あたし、大人ぶって、分かったような顔しちゃってた。

 瞳ちゃんの存在を知ってからは特に…

 周子さんの事…『なっちゃんの昔の彼女』って存在を、意識し過ぎてたんだと思う。


 ダメだな…あたし。


 貴司さんは…

 あたしの事、好きって言う。

 好きだけど…夫婦だけど…



「……」


 ふと、聞こえた歓声に。

 あたしは耳を澄ます。


 今…


 その声を頼りに目を凝らすと…

 少し離れた並木の向こうに、走って行く数人の背中が見えた。


「…ヒロ…?」


 その背中は、振り返る事はなく。

 あたしは、少しだけ寂しい気持ちを抱えながら。

 小さくなって行く後姿を見送った。





 大きなお腹を触って、ふと顔を上げると…

 貴司さんと目が合う。

 貴司さんは、あたしと目が合うと、ニコッと笑って。


「さくらは可愛いね。」


 照れもしないで…そんな事を言う。


 …さくらは可愛いな。


 …なっちゃんも、よく言ってくれてたっけ…



 最近、なっちゃんの事をよく思い出す。

 お腹の子が…そうさせてるのかな…なんて。

 自分で思い出してるクセに、お腹の子のせいにしたりして…



「さくら、指輪きつくないか?」


 貴司さんが気にしてくれるけど、なぜかあたしは…ここ数週間で、少し痩せた。

 妊娠してから買ってもらった結婚指輪は…

 むくんだ指にはちょうどいいけど…

 今日は少し緩い。



「さくらは名前考えてる?」


「え?」


「…その顔だと、何も考えてないな?」


「う…うん…そっか…名前…」


 なんて事!!

 そうだよ!!

 名前考えなきゃ!!



「でも、どっちかなあ?お義母さんは、女の子だって言うんだけど。」


「どっちでもいい名前にする?」


「どっちでもいい名前って?」


「んー…ほら、レイとか、ユウとか…」


「ああ…なるほど…」



 久しぶりに、貴司さんが家に居る。

 しかも、珍しく…寝転んで辞書を開いてる。

 今日はお義母さんがいなくて、二人きり。


 …なんて言うか…


 あたしはお義母さんがいても、結構だらしなかったりするけど…

 貴司さんは、お義母さんの前では、ピリピリしてる…ような気がするなあ。



「貴司さん、お茶飲む?」


「ん?うん。いただこうかな。」


 そう言いながら、視線は辞書に。


 …ふふっ。


 うつ伏せになって、曲げた足をフラフラさせて。

 こういう貴司さん、初めてかも。

 こっちのがいいなあ。

 堅苦しくなくて。


 お茶を入れて、貴司さんのそばにお盆ごと置くと。


「あ、ありがとう。」


 貴司さんは、起き上って。


「さくら。」


 あたしの顔を覗き込んだ。


「ん?」


「ちょっと、聞いていいかな。」


「何?」


「座って。」


「…はい…」


 貴司さんの前に、腰を下ろす。


「…さくらの…彼だった人は、日本人?」


「え?」


 突然の質問に、あたしは少しだけ…瞬きを忘れた。

 心臓も…少し…逸った。


「ああ…ごめん…唐突に…」


「う…ううん…」


「日本人だったら…似たような名前にはしない方がいいのか…どうかと思って…」


「……」


「ごめん…ほんとに。こんな事聞いて。」


「…日本人だよ。」


 ハーフだけど…名前は日本人だから、そこまでは言わなくていいよね…?


「…そっか。」


「うん…」


 て言うか…貴司さん…

 あたしの相手がなっちゃんだ…って。

 知らないんだ…

 何となく、知ってるのかと思ってた。

 あたしとなっちゃんって、結構オープンだったし…


「…どっちでもいい名前じゃなくて、男の子ならこれ、女の子ならこれって決めない?」


 あたしがお腹を触りながら言うと。


「ああ…そっか。それがいいな。」


 貴司さんは優しく笑って。


「そう決めてもいいかな?」


 首を傾げた。


「いいでしゅよー。だって。」


「ははっ。じゃあー…そうだな…」


 そう言って、貴司さんはまた辞書とにらめっこ。


 …優しい人だ。


「貴司さんは、誰がつけた名前なの?」


 辞書を覗き込みながら問いかけると。


「…爺さんだったかな?よく知らないんだ。」


 そっけない返事。


「そっか…」


「…俺には、本当は…一人、妹がいてね。」


「えっ。」


 今の『えっ』は。

 貴司さんに妹さんがいた事じゃない。

 貴司さん…今、『俺』って言った!!

 …って、騒いだらもう言いそうにないから、飲み込んだけど…


「事故で亡くなったんだ。」


「…そう…」


「母さんは、妹を溺愛してたからね…何となく、さくらを可愛がるのは、妹の面影を重ねてるからなのかなって思うよ。」


「…そっか…」


 みんな…色んな事があっての現在にいる。

 あたしも…もっと強くなんなきゃ…



「ねえ、貴司さん。」


「ん?」


「赤ちゃん産まれたら、お義母さんと四人で旅行しようよ。」


「…旅行?」


「うん。温泉とか?」


「……」


 貴司さんは静かに微笑んで。


「そうだな。名案だ。」


 そう言った。

 その静かな微笑みの中にある、寂しさみたいな物を…

 あたしは、見付ける事ができなかった。



 〇島沢尚斗


「おお…か…可愛い…」


 目の前のナッキーが、デレデレな顔をした。


「はじめまして。真斗まことです。」


 俺が腹話術みたいにして言うと。


「声はおっさんみたいだが、顔は愛美まなみちゃんに似て良かったな~。」


 ナッキーは真斗の顔を見たままで言った。



「何だと?」


「いてっ。」


 軽く額をはじいただけなのに、大げさにのけぞるナッキー。



 先月末、愛美が第一子、長男の真斗を出産した。

 もう、その日は朝から…俺よりもナッキーの方が緊張して。


『おい、そろそろ生まれるんじゃないのか?まだなのか?』


 何度もそう電話をして来た。


 ナッキーは今…

 カウンセリングに通っていて。

 ちょうどその日も…カウンセラーの所へ行っていた。

 なかなか、フィーリングの合うカウンセラーに巡り合えなかったナッキーが、やっとの思いで選んだのが。

 車で片道二時間かかる、とある田舎のマーサという老婆だった。


 そのマーサの力たるや、見事な物で。

 あれだけ歌えなかったナッキーが、マーサとの三度目のカウンセリングの後…

 トレーラーハウスで、ギターを弾きながら…歌えた。


 たまたま、美味いチキンを差し入れに寄った俺は。

 その現場に出くわして。

 歌い終わったナッキーに抱きついて。


「ナッキー!!声が!!出てる!!」


 号泣した。


 ナッキーは。


「何だよおまえ…一人で浸ってたのに…邪魔すんなっ。」


 そう言って、涙目のまま…俺に頭突きをした。


 …If it's love


 ナッキーは今も…

 さくらちゃんに歌いかけてるんだ…



「マコちゃ~ん。早くおっきくなって、おじちゃんとバンドしましょうね~。」


 ナッキーが、真斗に話しかける。


「…マコって呼ぶなよ。女の子みたいじゃないか。」


「いや、間違いなくそういうニックネームになるだろ。」



 今日は、真斗のお披露目パーティー。

 みんな気を使って料理を持参してくれて。

 今日ばかりは、全部を野郎どもがするから、と。

 愛美をはじめ、奥様方はみんなソファーに。


 集まった子供達も、赤ちゃんに興味津々で。


「ねえねえ、マコちゃんは髪の毛がクルクルしてるね。」


 ゼブラんちのめいちゃんがそう言って…


「…ほら。ナッキーがマコなんて言うから…」


「可愛くていいじゃないか。」


「…絶対男らしく育てる。」


「絶対バンドマンだ。」



 楽しい宴だった。

 久しぶりにリビングセッションをして。

 光史こうしがリズムに乗る姿が、めちゃくちゃ可愛らしくて。

 ナッキーが、抱きしめて頬ずりをする。


「うちの息子に、それ何の罰ゲームやねん!!」


「あははは。」


 笑いが絶えなくて。

 このまま…と。

 楽しい時間の中にいる時は、いつもそう思ってしまう。



「そう言えば、ロンドンの弟んとこにも、女の子が産まれたんだぜ?」


 今夜は奥様方と子供達は、うちに泊まる事になって。

 メンバーはナッキーのトレーラーハウスで二次会をする事になった。

 少し寒いが、外で焚き火に当たりながら、熱燗を楽しむ事に。


「ああ、るーが写真持ってたで。」


 そうか。

 確か、ナッキーの弟の嫁さんは、るーちゃんの親友だ。


「何人目だっけ。」


「次女だけど四人目。」


「何人作る気だ?」


「子供と言えばさ…気になる話、聞いた。」


 ふいに、ミツグが言った。


「気になる話?」


「ほら、しんの…ついて来なかった彼女。」


「ああ…例の…お嬢様か。」


「そ。どうも、しんには内緒で、しんの子供を産んだらしいぜ?」


「…え?」


 一瞬、空気が張り詰めたが…ミツグは続けて。


「ダリア経由で話が入ったらしいんだけ…あ…悪い…」


 やっと、気付いた。


「え?何が?」


 ナッキーが焚き火に薪を突っ込みながら。


「…ああ、勝手に生んでたって話か。ははっ。俺は別にいいよ。それで、晋は認知してんのか?」


 誰にともなく、問いかけた。


「いや…それが、晋には知られてないと思ってるんじゃないのかな…」


「広いようで狭い街やもんなー…バレてへん思っても、どっかで誰かに見つかるよな。特に、妊婦とか歩いてたら。」


「…俺は、周子の妊娠には気付かなかったけどな。」


「自虐やめぇや…暗くなるやんか。」


「あははは。」



 周りに、子供が産まれるたびに。

 ナッキーは、誰よりも喜ぶ。

 自分の幸せのように、喜ぶ。


 いっそ…

 周子さんとヨリを戻せばいいのに…なんて思わなくもない。

 瞳ちゃんと、周子さんとで…

 幸せになればいいのに…



 だけど。

 今でもナッキーの中には、さくらちゃんがいて。



 それは…


 とても大きい…



 俺達の壁にもなっていた…。

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