第10話 「なあ、ナッキー。」

 〇朝霧あさぎり 真音まのん


「なあ、ナッキー。」


「ん?」


「もし、次のアルバム売れへんかったら、活動休止はせぇへんの?」


 雑誌をペラペラとめくりながら問いかけると、ナッキーはフライパンを鍋敷きの上に置いて。


「おまえ、売る気でやらな、次進まれへんやん。って言ってなかったか?」


「言うたか?」


「言ったな。」


「言うたか…」


「なんだよそれ。」



 さくらちゃんが消えて、四ヶ月。

 目下、Deep Redは新曲作りに没頭。

 時々あるテレビ出演の依頼は…断り中。


 なぜなら…ナッキーの声が、まともに出えへん。


 喋るんはええとしても…

 歌おうとしたら…何がそれを止めるんか…。


 久々のスタジオで、そんな状態になってからは…誰もナッキーに歌えとは言わんようになった。

 外から見て治った思えるほどの、浅い傷やなかった…て事や。


 一番辛いんはナッキーや。

 さくらちゃんも消えて、歌も歌えへんって…

 目標があるのに、立ち止まったままや、なんて。



 マスコミに騒がれるのが嫌や言うて、病院に行かんナッキーに。

 ナオトがどこからか、腕のええ医者を連れて来た。

 が…

 その医者の言う事には…「心因性」やそうで…


 ふー…んー…


 俺らには、どうにもできひん。

 まあ、新曲作る時間がたっぷりある。

 そう思えばええだけの話か…



 …ナッキーは今も、トレーラーハウスに一人で住んどる。

 そこへ、時々俺やナオトが泊まり来たり…

 ミツグやゼブラが酒持って騒ぎに来たり…

 けど、あの時言うたように…さくらちゃんが帰って来た時、ええ気がせん思うんか…

 周子さんが来ても、玄関払いや。



「おっ、このソーセージ、イケるやん。」


「そうだろ。」


「どこで買うた?俺も買うて帰ろ。」


「カプリ。」


「…ふーん…カプリか。」


「あそこ、チーズも美味いぜ。」


「……」


 つい、言葉が出えへんくなった。

 四ヶ月が、、なんか…、なんか…

 俺にはよう分からへんけど…

 ナッキーは、吹っ切った顔をして…街のあちこちにさくらちゃんの面影を探す。


 それが痛々しく思えたり…

 その反面、いっつも人のために動くナッキーが、これだけは…どうにも譲れん気持ちなんやな…って

 愛の強さや深さを感じたりもする。



「…なあ。」


「ん?」


 左手で頬杖をついて、右手にはフォーク。

 そのフォークの先には、カプリの美味いソーセージ。


「ナッキー、メッセージソング…書かへん?」


「…あ?」


「どこかで、さくらちゃんが耳にしてくれるかもやん?」


「……」


「別に、世界のDeep Redやから言うて、世界に向けて歌わんでええねん。」


 俺の言葉に、ナッキーは首を傾げて小さく笑うた。


「世界中にナッキーの歌を待っとる奴がおったとしても、ただ一人のために、歌うてええやんか。」


「……」


「俺は、ナッキーがさくらちゃんのためだけに歌うとしても…最高の音を出すで?」


 ナッキーは窓の外…そのずっと遠くを見とるようやった。


「…高二の時…」


「ん?」


「大阪のライヴハウスでおまえを見た時は、度胆を抜かれた。」


「ははっ。なんや。懐かしい話やな。」


 急な思い出話に目を丸うした。

 …なんやろ。

 ナッキー、あんまこういう話せぇへんのに。


「俺が『あいつが欲しい』って言ったら、ナオトが『俺も』ってさ。」


「ナッキーとナオトは、ホンマ…俺から見たら双子やで。」


 そう言うたら、ナッキーは目を細うして笑うた。


「最初に…ナオトとゼブラとミツグの…今思えばショボイ『Burn』だけどさ…当時は衝撃だったんだよな…」


 …なんでやろ。

 なんで、急に昔の話なんか…?


「あれ以上の衝撃はないと思ってたのに…大阪のハコでおまえを見て、一緒に『Burn』やった時は…上を行ったな。」


「あん時は俺も…正直鳥肌たったで?」


「…おまえが言った、深紅で深紫を超えてみせる…」


「……」


「忘れらんねーよ。」


 ナッキーはそう言うて、ソーセージにフォークを刺した。



 なんの力にもなれへんけど。

 せめて…と思う。

 ナッキーの想いが、さくらちゃんに届くんなら…

 俺は、何でもやるで?


 あん時、俺のギターで歌いたい言うてくれたけど。

 俺かて思うたわ。

 俺のギターで歌わせたい。ゆうて。


 ナッキー。

 俺ら、まだまだ。

 ずっと一緒やんな。



 アルバム。


 売るで。




 〇桐生院さくら


「さくら。」


「はーい。」


 桐生院家に来て…初めての秋が来た。


「それ、そこに並べてちょうだい。」


「これ?はーい。」


「…つまみ食いはしないように。」


「…それじゃ、あたしがいつもつまみ食いしてるみたいに聞こえる。」


「してるんでしょう?」


「してないし!!」


『お母さん』(あたしにとってはあだ名)は、お義母さんになった。


 あたしは…桐生院貴司さんと、結婚した。

 式も挙げず、親戚を呼ぶ事もなく。

 ただ、婚姻届を書いただけ。

 なんの実感も…ない。


 ただ、呼び方が、『貴司さん』に変わったぐらい。



「ふう…」


「あまり無理をしないように。」


 あたしがお腹に手をあてて休んでると、貴司さんが後ろから声を掛けた。


「あ、おかえりなさい。いつ帰ったの?」


「さっき。ただいま。」


 貴司さんは…優しい。

 時々、すごくいい笑顔で…あたしのお腹を見つめる。


 …あたしのお腹…


 行くのをためらってた産婦人科に行ったのは、五月の終わり頃だった。

 先生に『おめでとうございます』と言われた時、あたしは口を開けて瞬きを三回した。


 そんな変な事を、やけに覚えてる。



 貴司さんは…この子を、自分の子供として…育てようとしてくれてる。

 お義母さんは…

 この子が、貴司さんの子供じゃない事を…知らない。


 …罪悪感がないと言えば、嘘になる。

 この家は、とても…優しくて落ち着く。


 …あの頃みたいな、毎日ドキドキするようなときめきはなくても…



「あら…どうしたのかしら。時計、電池を換えたのに動かないわ。」


「もう寿命でしょう。これ、相当古いから。」


 食後、お義母さんと貴司さんが、置き時計を手に話してる。


「新しくしたらどうですか?」


 貴司さんは時々、お義母さんに敬語になる。

 …それぞれの家で違うのかもしれないけど、ここの親子は…あたしの思う親子像とは少し違う感じ。



「…気に入ってるんだけどねぇ…」


「見せて。」


 あたしはその置き時計を手にして。


 続いて、耳に当てて。


「…ドライバーある?」


 貴司さんに聞いた。


「あるけど…まさか分解するつもり?」


 貴司さんは笑いながら、納戸から工具セットを持って来てくれた。


「分解って…さくら、いいから。」


 お義母さんは、ちょっと嫌そうだけど…


「大丈夫大丈夫。」


 あたしは小さなドライバーで時計のカバーを外すと、一つずつ部品を外して。


「見っけ。」


 部品が外れてる箇所を見付けた。

 ピンセットを駆使して、部品を定位置に戻す。

 二人にはポカーンとされたけど、時計はちゃんと動き始めた。



「…すごいな。」


「さくら…どこでそんな技術を…?」


「え?開けて閉めただけじゃない。」


「それだけには見えなかったけど…」


「工具、ちょっと少ないね。貴司さん、後でメモするから、今度買い足してもらっていい?」


「あ…ああ…」



 何か…役に立ちたい。

 毎日、こんな穏やかな気持ちでここに居させてもらって。


 …貴司さんに…

 歌を、リクエストされた。


 何か、歌ってくれないかな。

 カプリで歌ってた曲でも、プレシズで歌った曲でもいいから。


 そう…言われたんだけど…


 どうしてかな。

 歌おうとすると…声が出ない。


 …きっと、これは…罰なんだ。

 大事な人を苦しめて傷付けた…

 罰なんだ。



 あたしは…赤ちゃんを授かった。

 一人ぼっちだったあたしに、あたしの血を分けた…肉親ができる。


 それなら…

 歌えない事なんて…何ともないよ。


 ねえ、神様。

 あたし、歌えなくてもいいから。

 歌えなくても、いいけど…


 でも、少しだけ…

 この、お腹の中にいる、あたしと…なっちゃんの子供のために…

 少しだけ…

 歌わせて?



 お義母さんと貴司さんが家にいなくて。

 庭師のチョウさんが、落ち葉を掃き集めてる様子を広縁の椅子に座って眺めながら。

 あたしは…If it's loveを口ずさむ。

 なぜか、このシチュエーションだと…口ずさめた。


 お腹に手を当てて。

 愛よ。

 愛以上よ。

 小さく口ずさむと。

 お腹の中からは、かすかに受け応えがあって。

 それがあたしを笑顔にする。



「聴こえてる?素敵な歌でしょ?」



 …なっちゃん。

 あなたは…

 どうか、あなたは…



 ずっと歌っていてね…。



 〇山崎浩也


「あっ、すっげぇ!!真っ黄色ー!!」


「こら、沙耶さや。」


「…すいませぇん。」


 はしゃぐ沙耶さやに声をかけて、買い出した荷物を抱え直す。

 公園は一面イチョウの葉で黄色く染まり、久しぶりに外に出た万里まり沙耶さやたまきは、その美しさに心奪われているようだった。



「ねえねえ、ヒロ君。」


沙耶さや、『浩也さん』だろ。」


「あっ…浩也さん…」


 万里まりにたしなめられて、首をすくめる沙耶さや


 …仕方ない。

 ついこの間まで、みんな揃って兄弟のように過ごしてきたのに。

 二階堂では、10歳になると目上の人には敬語を使わなくてはならなくなる。

 万里は沙耶と環より一つ年上の11歳だが、この三人は三つ子のように育ってきたし、万里は順応性があるから…一年遅らせて二人に合わせても大丈夫だろう。と判断された。


 こんな、蹴飛ばして歩きたいような衝動に駆られる景色を見れば、はしゃぎたい気持ちが出るのも当然。

 特に沙耶は、三人の中でもヤンチャだ。

 まだ遊びたい盛りなのに…表立ってそれをする事も許されない。


 …俺は二階堂に仕える事に疑問も不満もないが…

 この三人は、どう思っているのだろう。

 さくらのように、外に出たいと思わないのだろうか…。



「浩也さん。」


「ん?」


「帰ったら、稽古つけてもらえますか?」


「…万里は熱心だな。」


「強くなりたいので。」


「……」


 そう言い切る万里を、沙耶は首をすくめながら見て。

 環は…無表情のまま、足元のイチョウの葉を見ていた。



『ヒロ君』が『浩也さん』になって。

 環は、あまり俺に話しかけなくなった。


 三年間研修でいなかった間に、三人ともそれぞれ成長していた。


 万里は研修から帰った俺を羨望の眼差しで見て、あれもこれもと学びたがる。

 沙耶は…研修を冒険とでも思っているのか、アドベンチャースクールに行くまでに、体のどこを鍛えた方がいいのかとしつこく聞いてきた。


 環は…ただただ、人見知り。

 三年会わなかったせいで、俺に慣れるまで一ヶ月はかかった。

 研修に行くまでは、環が一番俺にベッタリだったのに…

 …ちょっと、寂しい気がする。


 三人の教育係も任されている俺も…今までのように、歳の離れた弟達と遊ぶ感覚でいられないのは残念だ。

 でも、一緒に二階堂で働いて行く同志として、成長させたい気持ちも強い。



「……ん?」


 ふいに、立ち止まった環が俺のコートの袖を引っ張った。


「なんだ?」


 万里と沙耶は、少し前を歩いている。


「……」


 環の視線を追うと…並木の向こう側。

 誰かが…イチョウの葉を蹴りながら歩いている。


「…あれ…」


 環が小さくつぶやいた瞬間。


「環。」


 俺は、環の肩を抱き寄せて。


「今、おまえは何も見なかった。いいな?」


 俺の方に顔を向けさせて、言った。


「…え…」


「何も、見なかった。」


「………」


「いいな、環。」


「…はい…」


 つい…肩を掴んだ手に力を入れてしまって…

 環は少しだけ…怯えた目をした。


「…さあ、急いで帰ろう。」


「…はい…」


 何も気付いてない万里と沙耶に追い付いて。


「五分の間に帰れたら、晩飯の後でアメリカのチョコを食べよう。」


 小声で言うと。


「うわっ!!食べたい!!」


 それまで優等生だった万里が、大きな声でそう言って。


「沙耶!!環!!走れ!!」


 両手の荷物をしっかりと抱きしめて、走り出した。



 帰国…していたのか…


 …顎のラインで切り揃えた髪の毛。

 変わってなかった…。


 大きめの生成り色のコート。

 ザックザックと音を立てながら…イチョウを跳ねるようにして歩く姿。

 …沙耶と変わらないじゃないか。



 残像のさくらを楽しみながら。

 二階堂に帰りつくと。


「ヒロくっ…!!…いえ、浩也さんは六分かかりましたが、私達は四分三十二秒で帰りつきました!!」


 息を切らした万里がそう言って。

 少し上機嫌になっていた俺は、三人の頭を撫でて大笑いをした。

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