第9話 日本に帰った。

 〇森崎さくら


 日本に帰った。


 帰るのはいいけど…それからどうするかな…

 なんて考えてると。

 飛行機の中で、桐生院さんから…こんな申し出があった。


「実は…結婚を急かされていて…もし、さくらちゃんさえ良かったら、結婚前提に付き合っている彼女のフリをしてくれないかな。そうしたら、住む場所は確保できるよ。」


 結婚前提…

 何だか、胸がズキズキした。

 結婚。って言葉に。


 もう、どうでも良くなっていた事と…

 桐生院さんが悪い人じゃない事と…

 飛行機代、二度も出してもらった事と…

 ホテルもとってもらった事と…

 …ある…告白をされた事で…

 あたしは、その話に乗った。



 だって。

 三食寝床付き。


 今のあたしが、一番欲しいもの。



「…は…はじめまして…」


 今のあたしが一番欲しいもの。

 そこには…当然だけど、家主がいた。


 しかも…



「…貴司。あなたの言ったアメリカ土産は、ですか。」


 …コレ。


 あたしを、コレ呼ばわりする…桐生院さんのお母さん。

 着物を着て、ピシッ!!って音が似合いそうな…

 厳しい顔つきの…ザ・日本女性。



「母さん、そんな失礼な言い方ないでしょう。」


 桐生院さんはニコニコして、『母さん』に。


「森崎さくらさん。結婚前提で付き合う事にしたから。」


 そう言った。


「…森崎さんの前で言いたくはないですが、あなたには婚約者がいるでしょう?」


 えっ!?

 何それ!!

 初耳なんだけど!!


「母さん、何度も言いますが…私は婚約した覚えはないですよ?」


 はっ!?


「あなたは仕事が面白いのかもしれませんが、桐生院がどうなってもいいと思ってるの?」


 え…ええと…何だっけ…

 華道の家だっけ…

 桐生院さんを見ると、ニコニコしたままで…あたしに例のサインを送って来た。

 例のサイン…


『私が顎を触ったら、言って下さい。』


 ミッション!!


「あのっ!!」


 あたしの大声に、『母さん』のみならず…桐生院さんまで、ビクッ!!とした。


「あ…あ、すみません…」


 声のトーンを落として…


「あの、あたし…分からないなりに、一生懸命頑張ります。」


『母さん』の目を見ながら言った。


「…何を頑張るおつもり?」


「何を…」


 …何を?

 桐生院さん。

 ねえ!!あたし、何を頑張るんだっけ!!

 ただ一言、それを言ってくださいね。ってニッコリされただけだったよね!?

『母さん』に通じてないよー!?


「……」


 パチパチと瞬きをしてると。


「まだ、高校生ぐらいじゃないの?」


 低い声。


「…16歳です。」


「学校は?」


「通信教育で、高校卒業課程は修了しました。」


 あたしがそう言うと。

 え?そうなの?と言わんばかりの…桐生院さんの表情。

 …言わなかったっけ…



「とにかく、さくらちゃんには今日からここで暮らしてもらうから。」


 桐生院さんは、特に実のある話をするでもなく。

 小さく欠伸をしながら立ち上がって。


「疲れたので休みます。おやすみなさい。」


 そう言って…上着を手にして、あたしと『母さん』にお辞儀をした。


 ……え?

 え?え?

 あたし…このまま放置されちゃうの?

 って言うかさ…

 桐生院さん!!

 これって、ほんっと打ち合わせの意味ないじゃん!!


 確か、打ち合わせでは…


「森崎さん。」


 ふいに低い声で呼びかけられて。


「はい…」


 あたしは目を見開いたまま、『母さん』を見る。


「…私も鬼ではありませんから、今夜は客間を用意いたしましょう。」


「……ありがとうございます…」


「ですが。」


「……」


「明日は出て行って下さい。」


「……」


 明日…

 う…


 ぶっちゃけ…

 桐生院さんが告白してくれた『ある事』は…

 とても、あたしには都合のいい物だった。

 だから、ここで暮らせるなら…

 あたしもラッキーなんだけど…


 …甘かった。


 こんな、由緒正しそうな家だなんてさ…

 言わなかったじゃん。


 …出て行かなくていい方法…

 何かないかな…


 そう…悩んでると…



「…うっ…」


 突然。

 気持ち悪くなった。


「えっ。」


「す…すみません…お手洗い…」


「…あちらです。」


 あたしは、申し訳ないぐらい大きな足音を立てて、お手洗いに向かった。

 ダメだ!!

 こんな所で吐いちゃ、置いてもらえなくなる!!


「…はー…はー……は…」


 間一髪、間に合った。

 でも、ムカムカはおさまらない…



「…あなた…まさか…」


 背後から、『母さん』の低い声。


「え…?うっ…おえっ…」


 また吐き気をもよおしたあたしに。

 思いがけず、『母さん』の手が背中に添えられた。

 苦しい。

 吐き足りない。

 でも、こんなに吐いたら死んじゃう…


 …って…思いかけてると…


「まさか…貴司の子供を…?」


 …………え。


「何ヶ月なの?」


「………え。」


 ……


 えーっ!?



「しょっ食あたりです。」


 あたしは…そう、『母さん』に言った。

 だけど…なぜか『母さん』はあたしを妊娠したと思い込んで…



「貴司、敷布団をもう一枚持ってきなさい。」


 疲れてるから休むって部屋に戻った桐生院さんを呼びつけて、こき使ってる。



「…つわりってホント?」


『母さん』が部屋を出ている隙に、桐生院さんが…小声で聞いてきた。


「…わかん…ない…」


 えっと…えっと…

 最後の生理って…

 避妊しなかったのって…

 あたしの排卵日って…


 頭の中で、ごちゃごちゃとそんな事が渦巻いて。


 だけど…

 …もし。

 もし、赤ちゃんできてたら…



「…桐生院さん…」


「ん?」


「…もし、赤ちゃん出来てたら…産んでもいい?」


 あたしは、畳の目をボンヤリと見ながら言った。


「…いいよ、もちろん。」


「……」


「…できてるといいね。」


「……いいのかな。」


「大好きな彼の子供でしょ?」


「……」


「今は、あれこれ考えずに…今夜はぐっすり休んで。」


「…はい。」


「本当に食あたりかもしれないし。」


「……」


 つい、唇を尖らせる。

 …あたし…赤ちゃんが出来てたらいいな…って思ってる?


「じゃあね。おやすみ。」


 桐生院さんは、あたしの頭をポンポンと触って…客間を出て行った。


 …赤ちゃん…

 不思議な気持ちだった。

 まだ、できてるかどうかも分からないのに。

 なっちゃんの…赤ちゃん…



「……」


 布団に入って、目を閉じると…

 なっちゃんと、瞳ちゃんと周子さん…

 三人の姿が浮かんだ。



 パッ


「……」


 どうしよう…

 目を閉じると…出て来ちゃう…


 あたしは布団から出て、広縁にある大きな藤の椅子に座った。


 …すごいお屋敷だなあ…

 二階堂もかなりの物だけど…あそこはぐるりと高い塀に囲まれた平地に建ってる大屋敷。

 ここは、庭が凄い。

 ちょっとした庭園だよ。

 高台にあるお屋敷から、庭を見下ろせるようになってて。

 立派な門から玄関に続く道も…遊歩道みたいにきれいに手入れされてる。



 …二階堂に…帰ろうかな…なんて、一瞬思ったけど。

 頭にも、ヒロにも…顔向けできない。

 夢を追うって約束したのに…彼氏と別れたからって…逃げ帰っちゃうなんて…


 …別れた…

 ううん…

 あたしは、逃げた。

 なっちゃんから…逃げた。

 なんてズルいんだろ。

 幸せが怖いなんてさ…


 あたしのやり方は…なっちゃんに想いを残させるだけ。

 残酷だ。

 どうして…ちゃんと話せなかったんだろ…

 あたしの不安や…不満…



「はあ…」


 …なっちゃん…

 寂しいよ…



 椅子の上に足を乗せて、膝を抱えて丸くなる。

 月明かりに照らされた庭の様子を眺めてると…

 少し、眠くなった。


 お布団は気持ち良かったけど…

 広いから…

 もう、ここで寝ちゃおう…



 そしてあたしは。

 広縁の藤の椅子の上で朝を迎えて。



「何考えてるんですか。」


『母さん』に…こっぴどく叱られた。






「いただきます。」


 目の前のご馳走に手を合わせて。

 あたしは朝食をいただき始めた。


 考えなきゃ。

 ここを出た後…

 あたし、どこ行く?



「んっ。」


「…また気持ち悪いの?」


『母さん』がそう言ったけど。


「ううん…すごく美味しい!!」


「……」


「…あ…。えっと…すごく、美味しいです…」


 美味しいー!!

 ちゃんとした和食って久しぶり!!

 焼鮭もお味噌汁も昆布の佃煮も大根のお漬物もー!!

 美味しいー‼︎


 あたしがバクバク食べてると。


「…ふっ…」


 桐生院さんが、笑った。


「…?」


「美味しそうに食べるね。」


「え?」


 何?と思って桐生院さんの前を見ると…コーヒーだけ。


「えっ…食べないの?」


「朝は食欲がなくて。」


「えっ…こんなに美味しいのに?」


「……」


 あたしの言葉に、桐生院さんは開いてた新聞を閉じて。

 台所に歩いて行った。

 そして…

 自分でご飯とお味噌汁を入れて…戻って来た。


「…貴司が朝から食べるなんて、何年ぶりかしら。」


「あまりにも、さくらちゃんが美味しそうに食べるから…うん…美味い。」


「でしょっ!?……って…あたしが作ったんじゃないけど…」


 いつも、あたしの大きな声が浮いてしまう。

 首をすくめながら、椅子に座り直すと。


「…さくらさん。」


 …あれ。

『森崎さん』から『さくらさん』になった…


「今日は、病院に行きましょう。」


「…病院…」


「妊娠しているかどうか、ちゃんと調べましょう。」


「えっ!!」


「……」


「あっ…ご…ごめんなさい…」


 病院は…怖い。

 だって…

 もし、妊娠してなかったら…

 あたし、ガッカリすると思う。



「今日はちょっと…」


「…なら、明日。」


「明日も…ちょっと…」


 母さんは見る見る目が細くなってきて。


「今日、行きますよ。」


 元に戻った。


「……」


 あたしが困った顔してると。


「母さん、心配しなくても、来週私が一緒に行ってきますよ。」


 桐生院さんが…お茶をすすりながら言った。


「来週?なぜ来週なんです。」


「帰国してすぐなんだから、ただの体調不良かもしれない。もう少し様子を見てからの方が、体にもいいでしょう。」


「……」


『母さん』は、ぐうの音も出ない。

 桐生院さん!!ナイス!!



 そうして…あたしは。


「お母さん!!あたしも手伝う!!…手伝います…」


「…お母さんと呼ばないで下さいな。」


「えー、だって、おばさんって呼ぶのおかしいし…」


「…どうしてですか。おばさんでいいです。」


「でも、せっかく同じ家にいるんだから、その間だけでも。」


「……好きになさい。」


 ちょっとだけ…

『母さん』と、仲良くなった…。

 と、あたしは思ってる。



 生まれて来て、一度も呼んだことのない…『母さん』…


 …あたしも…

 そう呼ばれる日が来るといいな…





 なんやかんやで。

 桐生院さんちに来て、二週間が経った。

 あれから吐き気もなく…妊娠説は、幻となった。

 結局、病院も行ってない。


 もしかしたら、桐生院さんが上手に言ってくれたのかな。

 お母さんも、何も言わなくなった。



「…さくらさん、それはいったい…」


 お母さんが花を生けるのを見て、あたしもやってみた。


「テーマは、タワーリングインフェルノ。どうかな。」


「……」


 そんなあたしとお母さんを見て、桐生院さんはクスクス笑う。

 …男の人なのに、なんて言うか…

 女の子みたい。

 笑い声も小さいし、仕草もおしとやかだし。

 大声出さないし…物腰柔らかいし…

 いつも、ゆっくりしてる感じ。

 名家に生まれると、のんびり屋さんになるのかな。



 庭の掃除を手伝おうと、外に出て。

 すっかり顔なじみになった、庭師のチョウさん(あだ名)の剪定を後目に、あたしは舞い散った桜の花びらを竹箒でかき集めた。

 …今日も、いい天気。



「……」


 本当なら…

 今日、入籍して…

 Deep Redの皆さんに…紹介してもらうはずだった。


 高原さくらです。


 …あ、ダメだ…

 ポロポロと涙がこぼれてしまって。

 それに気付いたチョウさんが、腰に下げてた手拭を持って来てくれた。


「あまり乱暴に掃いたら、埃が舞うから気を付けて。」


「あ…はい…」


 埃が目に入ったと思われたのか…

 あたしはその手拭の端っこで、涙を拭いて。


「あー…涙出ちゃう…ははっ…」


 泣き笑いした。



 なっちゃん…

 あたし、生きてるよ。

 あなたと、遠く離れてても。

 あなたの知らない男の人と…

 あたしも、よく知らない人と。

 結婚前提で付き合ってるよ。


 キスもしてないけど。

 ハグもしてないけど。

 …結婚はするかもしれないよ。



 だって…

 ここは、怖くないから。

 お母さんと桐生院さんと、庭師のチョウさんと、時々来るお手伝いの中岡さんと。

 登場人物は、これだけ。


 悩んだり、落ち込んだりしなくていいの。

 それは、とっても、とっても楽だなって思う。


 ただ…

 それが幸せかって言われると…

 分かんないんだけど…


 分かんなくていいの。

 あたしは…

 幸せが怖いから…。



 桜の花びらが。

 ひらひら舞って…落ちる。


 また泣きそうになって、上を向いて食いしばってると…


 バサッ


 頭に…何か当たった。


「……」


 振り向くと…桐生院さんが、チューリップの花束を持って立ってる。


「……」


「さくらちゃんにチューリップはどうかなとは思ったけど…」


 桐生院さんは、そう言って…あたしに、ピンクのチューリップの花束を差し出した。


「去年、バラの花束もらってたのを見て…違うなって思ったんだ。」


 ゆっくりと、花束を受け取る。

 …なっちゃんにも…もらった…ピンクのチューリップ…



「誕生日、おめでとう。」


「…え…知ってたの…?」


「一年前の今日、君に一目惚れした。」


「……」


「森崎さくらさん。」


「…はい…」


「順番がおかしいかもしれないけど、私の妻になって下さい。そして、ゆっくりでいいので…私を知って下さい。」


 桐生院さんの後にある、大きな桜の木が風に揺れて。

 あたしと桐生院さんの頭に、その花びらが落ちてきた。



 なっちゃんと結婚式を挙げるはずだった、17歳の誕生日。


 あたしはー…


 なっちゃんじゃない人から、プロポーズされた…。

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