第8話 「…周子。」
〇藤堂周子
「…周子。」
瞳をあやしてた夏希が、あたしを呼んだ。
瞳は…まだ泣いてる。
そして…そんな瞳を見る夏希の目が…すごく…寂しそうで…胸が痛んだ。
今まで、こんな夏希…見た事ない。
それほど…あの子を愛してたの?
…そうよね…
結婚したい、子供を持ちたいって…
初めて思えた相手なんだものね…
…あたしが…壊した…
「…何?」
「…悪いけど…ここには来ないでくれ…」
「…え…?」
「さくらが…帰ってた来たら…いい気がしないかもしれない…」
「……」
夏希のその言葉に…ソファーにいたマノンが立ち上がった。
夏希は…彼女が帰って来る…と?
「頼む…一人にしてくれ…」
「夏希…」
見てられなかった。
夏希の肩に手を回して…泣いた。
あたしが…
全部あたしが壊した。
夏希の幸せ…
「ごめんなさい…」
「…なぜ…おまえが謝る…」
「……」
「…帰ってくれ…」
…言えなかった…
あたしが…酷い事を言ったせいで…って…
言えなかった…
瞳を抱いて、外に出ようとすると。
「周子さん。」
マノンが外について来て。
「…ナッキーは、ああ言うたけど…時々、瞳ちゃん連れて来てくれへんかな…」
小声で言った。
「…でも…」
「…あんなナッキー…初めてや…正直…壊れそうで怖い…」
「……」
あたしは何も言えず…その場から立ち去った。
バーク公園に戻ると、ジェフが心配そうに車の前に立ってた。
「…どうだった?」
「……言えなかった…」
「え?」
「昨日…あたしが酷い事を言ったって…言えなかったの…」
涙があふれて…
それを、瞳が小さな手で拭いてくれる。
「…言わなくていいさ…」
ジェフはそう言って、あたしを抱き寄せて。
「昨日…シェリーはスーの家に来なかった。俺も彼女に会わなかった。」
「…ジェフ…何言ってるの?」
「そういう事にしておくんだ。」
「……」
「スー。人生に別れは付き物だ。そうだろ?」
「……」
「君は、今まで十分傷付いて来た。もう、いいんだよ。」
「……」
ジェフの言葉に、痛みを覚えながらも。
あたしは…悪者になる勇気がなかった。
神様…
もし、いるのなら。
弱虫なあたしを…
愚かなあたしを…
許してください。
いいえ…
許さないで。
あたしに、何か罰を…
罰を与えて…。
〇高原夏希
「……」
次に目を開けると…さくらが、そこにいる。
「……」
そう祈って…ゆっくりと目を開ける。
…が、そこには誰もいない…
さくらがいなくなって、三日。
俺はずっとこうやって…ベッドに横たわったまま…過ごしている。
さくらがいなくなった朝、ナオトが来た。
それから…マノンと周子も来た。
その翌日は…ミツグもゼブラも来た。
みんな…入れ代わり立ち代わり…毎日来やがる。
おまえらもオフだろ。
家族サービス、しっかりしろよ。
そう…言いたいのに、言葉が出なかった。
面倒だから…カーテンを閉めて、鍵もかけた。
内側から、『さくら以外入るな』と張り紙をした。
…そう言えば…
周子は、どうして来たんだろうな…
事務所で…噂でも聞いて来たのか…
……どうでもいいか。
「……」
ふと、ある事を思い出して…立ち上がる。
そういえば、さくらはキッチンの引き出しに、何か入れてた…
俺は引き出しを引き抜いてテーブルの上に置くと、ソファーに座って中身を取り出した。
「…ふっ…」
鼻で笑う。
何だ…これ…
カラフルなストロー…
きれいなガラス玉…
チューインガム…
服の端切れ…
まるで…小学生の宝箱だ…
「…何だこれ…芯のないボールペン…?」
…一緒にいて…勝手にさくらを大人扱いしていたのかもしれない。
16歳。
…もっと違う生活を…望んでいたんじゃないのか…?
俺は自分の仕事に必死で。
帰って来た時に、そこにさくらがいる事に甘えてしまった。
さくらがいる事が当たり前で…
あいつが…本当はどんな事を思ってたかなんて…
考えた事もない。
本当なら、もっと…遊んだり、あちこち行きたかったり…
なのに、俺がくそ真面目に歌の事ばかり言ったり…
ボイトレとか…
本当は、そんなのどうでも良かったのかもな…
瞳の存在を…知られたあたりから…
少しずつ、さくらの中に鬱積する物があったのかもしれない。
…当然だ。
本来、俺の口から伝えるべき事なのに…
さくらとメンバーを会せなかったのも…無意識にそれがあったからかもしれない。
瞳の存在を知る人間に会わなければ…
さくらに知られることはない…と、都合良く捉えていたのかもな…
「…ん…?」
引き出しの中身を一つずつ取り出していると…
底に、薄っぺらい、ハードカバーのノートがあった。
「……」
俺はそれを手にして…震える手で開いた。
今日、なっちゃんに可愛いって言われた!!
嬉しい!!
「……」
さくらの…文字…
なっちゃんがあたしの料理美味しいって言ってくれた!!
明日も頑張る!!
一緒に暮らす事になったー!!
今日からここは我が家!!
憧れのトレーラーハウス!!
宜しくね!!
お風呂上りのなっちゃんを後ろからくすぐったら、可愛い声出した!!
大笑いしたー!!
「…さくら…」
なっちゃんは仕事の話をしない。
だけどあたしはライヴが観たい。
うーん…観に行きたいって言えばいい?
でも、誘われたいよー!!
「…バカだな…言えよ…」
サマンサが、ハロウィンライヴのチケットくれた!!
初めてのDeep Redのライヴ…大興奮!!
すっごく!!すっごく!!カッコ良かったー!!
ニッキーサイコー!!
でも、なっちゃんはもっと最高♡
袴姿、カッコ良かった♡
あたしの彼氏サイコーだよ♡
「…来てたのかよ…」
なっちゃんがあたしを抱こうとしないんだけど…
あたしって、そんなに魅力ないかな?
まあ、最初にNGって言ったのはあたしだけど、もう子供じゃないのに!!
「……っ……」
素敵な誕生日だった…
歌のプレゼント。
If it's love
愛以上よ…なっちゃん。
恥ずかしかったけど…初めてのセックス。
ドキドキした。
でも…プロポーズはされなかった…な。
…あたし!!欲張りになってる!!
贅沢者ー!!
「……」
なっちゃんに…子供がいた。
どうして言ってくれないんだろ。
不安。
「……」
あたしも子供が欲しい。
「……」
避妊しないでって言ったけど、なっちゃんはダメって言う。
なんで?
…正直キツイ…落ち込む…
「……」
昨日ヒロが来た。
研修終わった、って…
日本に帰ってった…
子供の事、知ってるって打ち明けた途端、なっちゃんからプロポーズされた。
…嬉しくないよ…こんなの…
ちなみに、しっかり避妊された。
もう…どん底。
「…さくら…ごめ…ん…」
なっちゃんが、すごく優しい。
…気を使ってるよね…
ダメだよ…さくら。
笑って。
…笑いたいけど、力が入んない…
どうしたんだろ…
「……」
クリスマス…
なっちゃんに、指輪をもらった。
最近、結婚の事ばかり。
あたしは…余所で子供作ったお詫びって言われてるみたいで…嫌だ。
あたしとも、ちゃんと子供作る気があるなら…違うけど。
あんなに毎回避妊されてちゃ…望みはない。
「……」
プロポーズ、受けた。
正直…まだ気持ちが乗らない。
でも、なっちゃんの喜ぶ顔は見たい。
あたし…自分がどうしたいのか、分からないや…
あたし…負けたくないって思っちゃってる。
…醜い女だ…
「……」
そこで…日記は終わった。
もう、枯れ果てたと思った涙が…
また、次々と溢れた。
さくら…
…ずっと…色んな事を我慢させてたんだな…俺…
…瞳の存在を知られた時…気持ちが離れたと思った。
…16歳の女の子に…
あの現実を理解しろなんて…都合良過ぎたよな…
…思い出を掘り起こして…
どれだけ俺が身勝手だったか…思い知らされた。
さくらは、こんなにも…色々な事を溜め込んでは…自分で消化していた。
…瞳の事がバレたから、お詫びに結婚…って受け取られても、仕方ないよな…
ほんとに…バカだ俺…
最後の夜だって…様子がおかしかったじゃないか…
何か…あったんじゃないのか?
…泣いてた…
怖い…って言ってた…
俺を…壊しそうだ…と…
いっその事…
壊してくれたら良かったのに。
もう俺は…
壊れたも同然だ。
さくら…
おまえがいない世界が…
…こんなにも、意味のない物だなんて…。
* * *
「……」
朝から…電話が鳴りっぱなしだ。
最初の内は、さくらだと思って取っていたが…
さくらが出て行って二週間…
さすがに、留守電に切り替わるのを待つようになった。
そろそろオフが終わる。
気にしてくれてる誰かが、会わないと分かってるのに…トレーラーまでやって来る。
頼むから…
頼むから一人にしてくれ。
誰にも会いたくない。
話したくない。
もう、俺は歌なんか歌えない。
何日も食わずに…酒ばかり飲んだ。
おかげで、少しのどをやられてるようだが…もうどうでもいい。
『おーい。ナッキー。』
「……」
…寝室の窓の外。
久しぶりに…ナオトの声が聞こえた。
『生きてるかー。』
「……」
『ちょっと旅に行ってたからさー。土産持って来たんだ。一緒に飲まないかー?』
「……」
『おーい。』
コンコンコンコン
『ナッキー。』
コンコンコンコンコン
「っるさい!!」
カーテンを開けて、ガラス越しに怒鳴ると。
『あはは、まだ居留守かよ。飲もうぜー。』
ナオトは、手に持ってる酒の瓶を高く上げて見せた。
「……」
大きく溜息をついて、ドアに向かう。
ほんの数メートル歩くだけなのに…二度眩暈がした。
「よー…って、くっせ!!」
ドアを開けて入ってくるなり、ナオトは顔をしかめて鼻を抑えた。
「おまえ、何日風呂入ってねーんだよ。」
「……」
「もしかして、あれからずっと?」
「…臭いぐらいじゃ死なないもんでな…」
「……俺にその気はないが。よし、ナッキー。一緒に風呂に入ろう。」
「…あ?」
「このままじゃ、俺にまで臭いが移る!!さあ、脱げ!!」
「な…っ、おまっ…やめろって…!!」
俺の服を脱がしにかかるナオトに抵抗しようにも…
何も食ってなくて、恐らく痩せたであろう俺には。
そんな余力もなかった。
「わ…わかった。一人で入る…ほっといてくれ…」
「そうか?ああ…あと、変な気起こすなよ?俺は風呂上りのお前に、一番に伝えたい事があるから。」
「……伝えたい事?」
服を脱ぎかけて…止まる。
「…悪いけど、さくらちゃんの事じゃない。でも、俺が誰よりも先におまえに話したい事。」
「……」
ナオトの顔をじっと見て…俺はそのままバスルームに入った。
バスルームの鏡を見ると、見事にやつれたおっさんがそこにいた。
ヒゲも生えて…
こんなの、さくらが見たら…
『なっちゃん!!汚い!!』
って…物投げてくるのかな…
「……」
シャワーを頭から浴びながら。
もう出ないと思ってる涙が止まらなくて。
それは、涙が出る時はいつも思う。
まだ、残ってんのか。ってさ。
いったい…
どれほど泣いたら…
俺は枯れられるんだろう…。
〇島沢尚斗
「……」
ナッキーがバスルームに入ったのを見届けて。
散乱したリビングを少しだけ片付ける。
…こいつ…何も食ってないな…
散らかってるのは、酒の瓶とビールの空き缶ばかり。
シンクにもゴミ箱にも…食べ物を食べた形跡はない。
冷蔵庫を開けてみるも…旅行前だったから、何も買ってなかったんだろう。
食材はなかった。
が…
「…もう食えないだろ…」
恐らく、さくらちゃんが最後に作ったと思われる料理が。
少しだけ、皿に取り分けられて残っていた。
それには手を付けず、ビニール袋片手にリビングと寝室の瓶と缶を拾った。
ふと目をやった寝室のサイドテーブルに…
「……」
…婚姻届…
そうか…さくらちゃんの誕生日に、入籍するって言ってたんだっけな…
小さく溜息をつくと、バスルームのドアが開いた。
「……」
「……」
「……それも、捨ててくれ……」
ナッキーは俺の手元を見ると、力のない声でそう言って。
体を投げ出すようにベッドに横たわった。
「…体ぐらい拭けよ。」
下敷きになったタオルを無理矢理引っ張って、ナッキーの背中を拭く。
…痩せたな…
「……」
ビニール袋を床に置いて、横になってるナッキーの隣に座る。
「あのさ…」
「……」
「うち、子供が出来たんだ。」
「……」
「おまえに、一番に言いたくて。」
「……」
「こんな時に、そんなニュース要らねーって思ってるかもしれないけどさ…」
「……」
「親より、誰より…おまえに一番に言いたかったんだ。」
「……」
ナッキーはゆっくりと体を起こして。
無言のまま…俺をギュッと抱きしめた。
「…うん。臭いは取れたな。しかしヒゲが痛い。」
「…良かったな…ナオト…」
「…サンキュ…」
それから…愛美がよく行く日本食の店からデリバリーを取って
食欲はないと言うナッキーにも、無理矢理少しだけ食わせてから…二人で酒を飲んだ。
「俺が思うに、ミツグはマゾだな。」
「…ふっ…」
「…なあ。オフ…少し延ばしてもらうか?」
「……」
だいぶ顔に血の気が戻って来た。
そう思って…仕事の話を振ると。
「…それなんだが…」
ナッキーは、グラスの中の氷を揺らしながら、言った。
「…次のアルバムが一千万枚以上売れたら…Deep Redは活動休止にしないか…?」
「……………え…?」
ナッキーが言った事が、理解できなかった。
次のアルバム…
そもそも、次のアルバムの予定は…まだない。
が…
一千万枚以上売れたら…活動休止?
「…それ…」
「おまえに、一番に言おうと思ってた。」
「……」
「…音楽は…辞められねーよ…たぶん…。」
「だったら、どうして…」
「…でも…バンドを継続させていく熱が…俺に足りなくなった。」
「……さくらちゃんのせいか?」
「違う。」
この質問にだけは、力強い声。
「いつか…みんなの熱がなくなるなら…」
「……」
「頂点を取った時に…幕を下ろす方がいい…」
…ナッキーの言おうとしてる事は…分かる。
だけど…どうしてだ?
俺達、ずっと…一生…
「……」
それからは…会話もなく。
ナッキーは、寝室に行って横になった。
俺は悶々とする気持ちを抱えたまま、ソファーで一人で飲んでいた。
「……?」
ソファーの接続部分に何かが挟まってる…。
俺は手を入れて、それを取ってみた。
…ノート?
パラパラと開くと…
「……」
さくらちゃんの…日記だった。
寝室のナッキーは、もはや微動だにしない。
…寝てる。
俺は酒を飲みながら、そのノートを読んだ。
…さくらちゃん。
君は…バカだね。
ナッキーほど、人を大事にしてくれる奴はいないのに…。
そして…ナッキー。
なんで…こうなって初めて、仕事とプライベートが一緒になんだよ。
もっと早くから…さくらちゃんを俺達にも紹介して、何でも相談すれば良かったのに。
…二人とも…バカだ。
幸せが…
すぐそこにあったのに…。
それから、オフが明けた。
ナッキーだけ、一週間…オフを追加した。
もちろんスケジュールは色々押したが、今のナッキーには歌うのは無理だと…みんな分かっていた。
そして…一週間後。
「おっす。」
久しぶりに現れたナッキーは。
長い髪の毛を切って、随分さっぱりとした顔になっていた。
「心配かけたな。」
まだ痩せたままだったが…ナッキーは事務所のみんなにビールを振る舞い、元気な顔を見せた。
やっと、五人で集まって。
これからの打ち合わせ…って時に…ナッキーが言った。
「次のアルバムが一千万枚以上売れたら、Deep Redは活動休止にしよう。」
「えっ…?」
当然、全員が呆気にとられた。
「だけど、おまえら休ませないぜ。」
「…どういう事だ?」
ナッキーは以前見た事があるような、自信に満ちた顔で。
「俺は事務所を作る。」
言い切った。
「事務所…?」
「ああ。日本から世界へ飛び出せる力を持つアーティストを育てる。」
「……」
「……」
「おまえら、演る側以外も、やってみたいだろ?」
この一週間で…ナッキーに何があったのかはわからない。
だけど、俺達が待っていたナッキーが、ここにいる。
「…仕方ねえなあ…うちのフロントマンは。いっつも好き勝手やりやがって…」
ミツグが溜息をついた。
「ま、その前にそんなに売れるのかって話だよな。」
「アホか。売るつもりでやらな、次のステップには進めへんやん。」
今までのアルバムも、トップセールスは二千万枚売れてる。
だから…一千万枚は夢じゃない。
…ま、前作は一千万枚に届かなかったが。
「いくつか叩き台を作って来た。」
そう言って、ナッキーが譜面をテーブルに並べる。
…全く…
あんなにボロボロの姿を見せられたかと思えば…
もう、俺達が見てなかった未来を見据えてる。
…解散。じゃ、ない。
次へ進むための…ステップだ。
よし。
一千万枚以上のセールスに向けて…
「行くぜ。」
「おう。」
ナッキー。
俺は、ついてくよ。
おまえが…俺のピアノで歌いたいって言ってくれたあの日から。
それは…
もう決めてるんだ…。
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