第3話 「志麻。」
〇
「
「あ…山崎さん。ただいま戻りました。」
桐生院家に行っていたであろう
「あちらの様子はどうだった?」
低い声で問いかける。
「ええ…もう会社関係の方々も帰られて、ご家族だけでの食事になりました。」
「そうか…そこにまぜてもらえて良かったな。」
「本当に…。行かせてくださって、ありがとうございました。」
「とんでもない。おまえの婚約者の家だろう?当然だ。」
「…それでも、ありがとうございます。」
頭を下げる
…おかしなもんだな…
さくらが二階堂から抜けて…もう会う事はないと思っていたのに。
その後、偶然会ったさくらは、とんでもない状況に陥っていた。
それからまた…会う事はないと思っていたのに…
陸坊ちゃんの結婚式で…桐生院麗さんの母として…そこに、いた。
『はじめまして』と声を掛け合った。
なぜ…ここに?とは、聞けなかった。
私は…
さくらが『高原さくら』になっていない事に憤りを覚えた。
歌はどうした?
あのトレーラーハウスでの別れ以降、さくらが大きな音楽イベントで歌ったというニュースを聞いた。
渡米するチャンスがある時は、いつか…さくらの歌が聴けるのだろうか…と、楽しみにもした。
だが…
さくらの名前は、それ以降音楽界には現れなかった。
調べる事は容易かったが…さくらはもう、二階堂を抜けた人間だ。
深追いしては、さくらのためにもならない。
しかし、思う。
あの時、深追いしておけば…さくらは高原さんと一緒になれたのではないか。
今日の葬儀…志麻には言わなかったが、私も遠くから故人を見送った。
そして…そこには高原さんも参列していた。
彼が私に気付く事はなかった。
私は、あの頃とは風貌が違う。
捜査のために、二度顔を変えた。
私は、一生を二階堂に捧げる覚悟で生きてきた。
だから…
さくらへの想いも…
あのトレーラーハウスに置いて来たのに。
なぜ…幸せになろうとしない?
なぜ…彼の手を離した?
葬儀の最中、涙の一つも流さなかったさくら。
そんなさくらを、離れた場所から見守る高原さん。
…今の二人の関係は分からないが…
これから。
もし…さくらが幸せを求める気があるのであれば。
どうか…と、思う。
あの時、私と頭に歌ってくれた『イマジン』は。
ずっと、私を励ましてくれた。
だから…
私も、いつも祈っている。
さくらが…
どうか、あの人と。
高原夏希さんと。
幸せになりますように…と。
〇
「高原さん。」
晩飯の後、知花が片付けをするのを応援して。(決して邪魔をしたわけではない)
リビングで
「色々、ありがとうございました。」
「何だよ。あらたまって。」
「高原さんが動いてくれたから、立派な葬儀ができました。」
俺の後ろから、
「ほんと…あたしもそう思う。ありがとうございました。」
「…よせよ。そんな、かしこまって言うの。」
確か…義母さんは
「それで…」
「ん?」
「今日から、義父さんって呼んでもいいっすか。」
「ぶふっ…」
俺の言葉に、高原さんはビールをふきだした。
「あーあー、もう…年寄りはこれだから…」
「ぶっちゃけ、桐生院の親父さんの手前もあったけど…もう遠慮はないし、何より親父さんの希望でもあったし。」
「いや…俺はそんなガラじゃないからな。」
「ガラとか関係ないっしょ。ま、俺はじーさんって呼ぶけどさ。」
華音が突っ込む。
「誰がじーさんだ。呼ばなくていい。」
高原さんの娘、
俺のバンドのギタリスト、アズこと
アズは…結婚当初は『義父さん』って呼んでた気がするが…それもほんの一瞬。
ずっと『高原さん』だな…
まあ、それだけ高原さんが偉大というか…
「
「高原さんって呼んでる。」
「……」
みんなで首をすくめた。
なんでこの人はこう…『家族』のような繋がりを持とうとしないんだ。
まあ…分からなくもないが…
「じゃ、高原さんを父として呼んでるのは、
俺がソファーに深く座りながら言うと。
「……」
高原さんは、伏し目がちになって黙った。
「高原さん…ここに住んでくれないかな…」
「…桐生院家はどうした?主が死んだって言うのに…余所の男を引き込みたがるなんて、どうかしてるぞ?」
高原さんは苦笑い。
「でも…
そうだ。
咲華と華月はそのうち…
「…嫁に行くのか…」
考えると泣けてしまいそうになった。
頭を抱えてうなだれると。
「…ほらね。千里もこんな風になっちゃうし…」
隣に座った知花が、俺の背中に手を当てた。
そして、高原さんに向かって、ゆっくりと口を開いた。
「…うちは…もしかしたら鬱陶しいのかもしれないけど…」
「鬱陶しいなんて思った事はない。」
「でも、いつも一人でいると、こんな大家族…騒々しくて嫌だって思ってるんじゃ?」
「騒々しいにも、心地いいのと悪いのがあるからな。」
「うちは、心地いい?」
「…ああ。」
「…お父さん…」
「………知花、おまえのそれは嬉しいけど、やめ」
「お父さん。」
「……」
「あたし達…埋めたいの。」
知花は高原さんの目をまっすぐに見て言った。
「…埋める?何を。」
「お父さんの、今まで空けてしまってた家族との時間。」
知花の言葉は強かった。
高原さんは知花の目を、しっかりと見つめ返して。
それから…ゆっくりと視線を落として…溜息をついた。
「…俺には、もう十分大事な物が揃い過ぎてさ。入りきらないんだよ。」
「……」
「大勢の仲間や、生み出した楽曲や…世界中にいるファンや…形はどうであれ、可愛い子供も孫もいる。これ以上、欲しいものなんてない。」
「……」
高原さんの言葉に、みんなが黙ってしまった時。
「おっちゃん。」
「ん?」
「ここで暮らしてくれなきゃ…俺、あの事をみんなに言うよ?」
「…あの事?」
「あの事。」
あの事?なんだ?
俺達がみんなで顔を見合わせてると。
「…おまえ…」
高原さんはだんだんと険しい顔になった。
「父さんに聞いた。」
「……」
いったい、それは…どんな弱みだったのか。
あの、世界のDeep Redのフロントマン。
ビートランドの会長を固まらせるほどの威力を持った、秘密。
高原さんは平静を保とうとしていたのだろうが。
「…何のことか分からないな…」
そう言った声に…力は入っていなかった。
〇
「お父さん。」
マンションの前に停まった車から、父さんが降りてくるのが見えて声をかけた。
桐生院のおじさまと大おばあ様が亡くなられて、父さんはここ数日桐生院家に入り浸り。
…あたしはそれを…
複雑とも思わない。
むしろ、人の多い場所にいてくれる方が安心。
「なんだ、瞳。こんな時間に。」
「もう。父さんが言ったんじゃない。21時には帰るから来いって。」
父さんは腕時計を見て。
「22時だな。」
呆れた顔をした。
「知花ちゃんが、今出たよって電話くれたから。」
運転席には、乃梨子ちゃん。
後部座席に…ノン君とサクちゃん。
「瞳さん、このたびは本当に…お世話になりました。」
乃梨子ちゃんとサクちゃんが車から降りて来て、頭を下げた。
「ううん。それより…寂しくなるわね…」
「ええ…でも、好きな事を好きなだけしたみたいなので…」
「
父さんがそう言うと、乃梨子ちゃんは丁寧にお辞儀をして車に戻った。
「じゃーなー、じーさん。瞳さんも。」
窓を開けて、ノン君が手を振る。
「…じーさん?」
「ったく…あいつ…」
「おやすみなさーい、おじーちゃま、瞳さーん。」
サクちゃんもそう言って手を振った。
あたしはキョトンとしながら、手を振り返す。
「……」
「……」
顔を見合わせると。
「寒い。入ろう。」
父さんは、あたしの背中に手を添えた。
「話って何?」
部屋に入って、暖房と加湿器のスイッチを入れる父さんに、あたしはキッチンから声をかける。
確か、ここの棚に美味しいお茶があったのよね。
「おまえ、もう歌わないのか?」
「え?」
「歌。」
「……」
突然思いもよらない事を聞かれて、あたしはお茶っ葉の缶を持ったまま、パチパチと瞬きをした。
「夏に、事務所のミュージシャン総出のイベントをする。」
「…えっ…?」
あたしはお茶っ葉の缶を持ったまま、父さんの座ったソファーの向かい側に座る。
「そ…それって、所属してるミュージシャン全員って事?」
「ああ。」
「どー…」
「してみたくなったんだ。」
「……」
なんだろう…
急に、不安になった。
まるで、最後のイベントみたい…
「Deep Redも老人バンドになったからな。誰かが死ぬ前にやっとかなきゃ、後悔しそうだ。」
「もう…父さんたら。」
「…できれば、俺はおまえの歌も聴きたい。」
「……」
あたしは…
歌をリタイアした。
デビューしたものの…あまり評価されず。
歌うのは好きだけど、競うのは性に合わなかったのだと思う。
母である藤堂周子も、元々はシンガーで。
だけど、その道に挫折してソングライターになった。
そして、成功した。
あたしも若い頃は…同じシンガーの神 千里を好きになって、いい刺激をもらってたけど…
彼が凄すぎて。
追い付けなくて。
歌は諦めた。
恋人として…彼と一緒にいたかったけど。
いつの間にか、千里には恋人が出来てた。
…ううん、妻が。
あの時は…衝撃だったし、辛かった。
女としてのプライドがズタズタに引き裂かれた気がした。
だけど…
圭司が…
ほんと、何言ってんの?この男。って思うような、天然。
空気は読めないし…こっちが嫌な顔してるのに笑ってるし。
…でも、その笑顔が。
荒んでた気持ちを和ませてくれた。
でも、圭司と結婚するって言った時。
『あいつでいいのか?いい奴だけど、変人だぜ?』って、何人の人に言われただろう。
…確かに変人だと思ってたけど…慣れた。
「もう、発表したの?」
「いや、おまえに一番に話そうと思ってたから。」
「……」
父さんには…あたし以外にも娘がいる。
桐生院知花。
世界のDeep Redに続いて…うちの事務所から世界進出に成功したSHE'S-HE'Sのボーカリスト。
その事実を父さんから聞かされた時…あたしは…泣いた。
詳しくは知らない、父さんと母さんの過去。
そこに…さくらさんっていう女性が絡んでいた事。
…母さんが可哀想…って思ったんじゃない。
むしろ…父さんが。
もう一人の娘の存在をずっと知らされずにいた。
愛した人との娘なのに。
基本、父さんはとても愛の深い人だ。
あたしの事も、すごくすごく愛してくれるし…大切にしてくれる。
だけど、あたし達は一緒に暮らした事がない。
母さんと入籍してからも…父さんはずっと一人で暮らしてきた。
いくらあたしが同居を願っても。
なぜか…頑なに、一人でいたいと言い張った。
「そういえば…さっきの『じーさん』って。」
あたしが笑いながら言うと、父さんは深い溜息をついて。
「信じらんねーよな…桐生院の奴ら…」
天井を見上げた。
「何?」
「…一緒に住めって言いやがる。」
「え…」
「父さんって呼んでいいかってさ。」
「……」
「心配するな。俺をそう呼んでいいのは、おまえだけだ。」
その瞬間。
あたしの中で…何かが見えた気がした。
「ねえ、それ…どうして?」
「え?」
「知花ちゃんだって、父さんの娘なのに…どうして高原さんって呼ばせるの?」
「……」
「…母さんに、何か言われたの?」
「そんなんじゃない。」
「じゃあ…」
「ふっ。おまえ、俺を独り占めできるのに、嫌なのか?」
父さんはそう言って笑ったけど…
「…あたしは…父さんを独り占めしたいわけじゃないわよ…」
泣きたくなった。
父さん。
もしかして…
ずっと、ずっと…
母さんの呪縛から、逃れられないの…?
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