第2話

 次の日の日曜日、叔父さんは僕を遊園地に連れて行ってくれた。前に母さんや父さんと一緒に来たことがあった。その時は身長が低いからと乗せてもらえなかった乗り物があったけど、今度は大丈夫だった。

 叔父さんと一緒にたくさんの乗り物に乗った。叔父さんはお弁当も作ってきてくれた。鮭の入ったおにぎりに、唐揚と卵焼き、りんごにバナナも入っていた。僕は楽しくて嬉しくて、また泣きそうになった。だってこんなに楽しいことがあるなんて思ってなかったから。

 一人ぼっちになった僕には、もう楽しいことなんてある訳がないと思ってた。学校で友達と遊んでいても、あまり楽しいとは思えなかった。それよりは図書館で本を読んでいた方がよっぽど楽しかった。でも、本を読むよりも、何よりも、叔父さんと一緒に遊園地に来て遊ぶのはもっとずっと楽しかった。叔父さんもいつもよりにこにこして楽しそうだった。

「また来ようね」

 叔父さんは帰りにそう言ってくれた。

「うん!」

 僕も嬉しくなって大きな声で返事をした。



 月曜日、学校から帰る途中に、変な人がいた。ねずみ色の長いコートを着て同じ色の帽子を被りマスクをした人だ。マスクをしている人はたくさんいるからおかしくはないんだけれど、その人は背は高いのに、猫背で右脚を少し引き摺るようにして歩いていた。それに、最初は僕の前を歩いていたのに、急に立ち止まって、僕を先に行かせてそれから後ろをついてきた。僕は少し怖くなって、途中から走って家に帰ってきた。

 叔父さんは家にいなかった。

 窓から下を見てみると、さっきの変な人が電柱の後ろからこっちの方を見ている。僕は慌ててカーテンを閉めた。

 ドキドキしながら窓際にうずくまってじっとしていると、玄関のドアが開く音がして、「ただいま」と叔父さんの声がした。

「今日の夕食は透くんの大好きなハンバーグだよ」

「叔父さん!」

 僕は玄関に走っていって叔父さんに抱きついた。

「変な人が!変な人が外にいる!」

「変な人?」

 僕は叔父さんの手を引っ張って窓の傍に連れてきた。

「電柱の影からこっちを見てる!」

 叔父さんはカーテンの隙間からそっと外を覗いた。

「……誰もいないよ?」

「えっ!?」

 僕はカーテンを開けてみた。電柱の後ろには誰も隠れていなかった。

「本当にいたんだ!ねずみ色のコートを着てマスクをした人が」

 僕は叔父さんに言った。

「学校の帰りに僕の後をつけてきて……怖くて……」

 叔父さんは僕の肩に両手を置いて優しく諭すように言った。

「近所に住んでいる人かもしれないよ?……僕が変な話をしたから、普通の人が変な人に見えてしまったのかもしれないね……」

 そう言われれると確かに、もしかしたら近くに住んでいる人で、足が悪くて僕に歩く姿を見られたくなくて先に行かせたのかもしれないとも思えてきた。

 「……でもとっても怖かったんだ……猫背で足を引き摺って歩くところが……」

僕がそう言うと、叔父さんは急に眼を大きく見開いて僕の肩をぎゅっと掴んだ。

「透くん!今何て言った?」

「え……猫背で足を引き摺って歩いていたって……」

 叔父さんは肩を掴んでいた手を離すと、せかせかとした様子で部屋の中を歩き出した。

「……その引き摺っていた足は……右足だったかい?」

「うん」

「……そうか……」

 叔父さんは尚も何か考えているようだった。

 それからふと僕の視線に気付いたのか、僕の傍に戻ってきて真剣な顔で言った。

「きみの見た人は……麻生さんかもしれない。……彼も右足を引き摺って猫背で歩く癖があったんだ。……透くん、もしまたその人を見かけたら、すぐに僕に教えてくれ」

 僕は頷いた。叔父さんもにっこりして頷いた。


 その夜、トイレに行きたくなって目が覚めた。

 いつもは叔父さんが隣に寝ているのに、なぜか今は寝ていなかった。トイレに行って台所から明かりが見えているのに気が付いて覗いてみた。叔父さんがテーブルに突っ伏していた。

 そっと近寄ると、叔父さんはお酒を飲んで寝ているようだった。

「叔父さん、こんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ?」

 僕は叔父さんのパジャマを引っ張った。

「ん……ああ……」

 叔父さんは寝呆けたような返事をしながらよろよろと立ち上がった。ふらついている叔父さんは危なっかしくて、僕は手を繋いで寝室に行き、一緒にベッドの上に横になった。

 突然、叔父さんが僕をぎゅっと抱き締めた。僕はびっくりしたけれど、あったかくて気持ちいいなんてちょっと思った。

「……貴子……」

 叔父さんはそう呟いて、抱き締めたまま僕の胸の辺りに顔を押し付けてきた。

 もしかしたら叔父さんも寂しいのかもしれない。だって叔父さんも……一人ぼっちだもの。

 僕はいつも叔父さんにしてもらうみたいに、叔父さんの頭をゆっくり撫でた。首や胸元にかかる叔父さんの温かい息を感じながら、何度も何度もゆっくり撫でた。


 それから何日か経つと、学校で変な人の噂が広まった。学校帰りに見かけたという人が僕の他にも何人もいたらしく、その変な人はいつの間にか『ねずみ男』という名前で呼ばれるようになった。噂では、男に近付くと急にコートの前を広げ、その中にはたくさんのナイフや包丁が付いていて、「お前を切り裂くのはどのナイフがいい?」と言いながら追いかけてくる、なんていう尾ひれまでついていた。だけど、もしかしたらそれが麻生さんという叔父さんの友達かもしれないということが僕の頭にひっかかっていて、友達と一緒に『ねずみ男』の噂をするのはなんだか嫌だった。それに、その人はあの日以来僕の前に姿を現さなかった。僕の後をついてきたら、今度は絶対叔父さんに教えてあげようと思っているのに。

 叔父さんも1回だけその人を見たそうだ。追いかけたけど、どこかに逃げ込んだらしくて話をすることはできなかったらしい。

 それにしても、麻生さんは6年前どうして急にいなくなってしまったのだろう。そして、なぜ今になってこの町に現れたのだろう。叔父さんに何か話があるのなら、会いに来てもよさそうなのに、逆に逃げてしまうなんてなんだか変だ。叔父さんも麻生さんに聞きたいことがあると言っていたけれど、それは一体どんなことなんだろう。考えれば考えるほど、分からないことだらけだった。

 でも、それを叔父さんに聞くのは怖かった。怖い、というのは……しつこく聞いたら叔父さんに嫌われるんじゃないか、ということが怖かった。僕には叔父さんしか頼る人がいない。叔父さんに嫌われたら、僕は行くところが無くなってしまう。そう思うと、麻生さんのことも叔父さんのことも、知りたいことを何一つも聞けなかった。叔父さんもそれ以上言いたくないような素振りだったからなおさらだ。

 だけどその後で僕はそのことをものすごく後悔する破目になる。だってそれは……とても重要なことだったから……。


 僕はその日、学校帰りに公園に寄って3人の友達と遊んでいた。

 すると、いつの間にそこにいたのか、木陰に隠れるようにしてこっちを見ている『ねずみ男』に気が付いた。友達の1人が同じように気付いて「ねずみ男だ!」と大声で叫んで逃げ出した。他の2人も慌てて転げるように走っていった。

 公園には僕と『ねずみ男』だけになってしまった。僕も逃げたかったけれど、足がすくんで動けなかった。

 『ねずみ男』は木陰から出てきた。片脚を引き摺って、僕の方へまっすぐ歩いてくる。帽子とマスクのせいで、顔は全然見えなかった。ゆっくり近付いてくる『ねずみ男』が怖くて、僕はその場にうずくまった。

 『ねずみ男』は頭を抱えてしゃがみこんだ僕の前に来ると、コートのポケットに入れていた手を出した。その手にはハンカチのようなものが握られていて、それが不意に僕の鼻先へ押し当てられ甘ったるい香りがしたと思ったら急に目の前が真っ暗になってしまった。でもその時耳元で『ねずみ男』が確かに「……貴子……」と囁くのを僕は聞いたような気がした……。



 目が覚めた時、そこはどこだか分からない部屋の中だった。薄暗くて眼をこらしてやっと部屋の中の様子が見えてきた。部屋の壁際にベッドが置いてあって、その反対側には小さい机がある。出入り口のドアが正面にあって、僕は椅子に腰かけた格好で手足をその椅子に縛り付けられていた。背負っていたはずのランドセルはどこにも見当たらなかった。

「誰か!助けて!!」

 僕は叫んだ。がたがたと身体を揺すってみたけれど、椅子がちょっと動いた程度だった。

 すると正面のドアが開いた。

「ああ、貴子、やっと目が覚めたね……」

 『ねずみ男』がそう言いながら右足を引き摺って部屋の中に入ってきた。部屋の中なのに帽子もマスクもコートもそのままで、手には銀色のトレーを持っていた。

「お腹が空いただろう?こんなもので悪いが我慢しておくれ」

 『ねずみ男』はトレーを小さい机の上に置いた。菓子パンと牛乳パックが見えた。

「おじさんは……麻生さんという人なの!?」

 僕は怖いと思うことも忘れて叫んでいた。

「なんでこんなことするの!?僕をお家に帰して!!」

 『ねずみ男』の表情は部屋の中が暗い上、マスクに隠れてちっとも分からない。

「貴子……なんでそんな悲しいことを言うんだい?」

 『ねずみ男』はなんとなく悲しそうな声で言った。

「僕は貴子叔母さんじゃない!!北浦透だもん!」

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